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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2013
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読者からの質問

ヨハネ 11章35節に記されているように,イエスがラザロの復活に先立って涙を流されたのはなぜですか。

愛する人が亡くなった時,わたしたちが涙を流すのは自然なことです。その人がいなくなって寂しく思うからです。もちろんイエスはラザロに愛情を抱いておられましたが,イエスが涙を流されたのは,ラザロが死んだからではありません。ヨハネの記述の文脈によれば,ラザロの家族や友人に対する同情心に動かされたからです。―ヨハ 11:36。

イエスはラザロの病気について聞いた時,ラザロを癒やすために急いで行動したわけではありません。聖書はこう述べています。「[ラザロ]が病気だと聞いても,実際には,その後なお二日,自分のいた所にとどまっておられた」。(ヨハ 11:6)なぜイエスはすぐ出発しなかったのでしょうか。それにはある目的がありました。イエスはこう述べます。「この病気は死のためのものではなく,神の栄光のため,神の子がそれによって栄光を受けるためのものです」。(ヨハ 11:4)ラザロの病気は「死のためのもの」ではありませんでした。つまり,死を最終的な結果とするものではなかったのです。イエスはラザロの死を「神の栄光」のために用いようとしておられました。どのようにでしょうか。親友のラザロを墓の中からよみがえらせる,という劇的な奇跡を行なうのです。

この時イエスは弟子たちとの話の中で,死を眠りに例えました。「[ラザロ]を眠りから覚ましにそこへ行きます」と弟子たちに語ったのはそのためです。(ヨハ 11:11)イエスにとって,ラザロを死からよみがえらせることは,親が子どもを昼寝から起こすようなものでした。ですから,イエスがラザロの死に心を痛める理由はなかったのです。

では,イエスはなぜ涙を流したのでしょうか。ここでも,文脈から答えが得られます。イエスはラザロの姉妹マリアに会い,マリアや他の人たちが泣いているのを見た時,「霊においてうめき,また苦しみを覚えられ(まし)た」。そうした人たちの悲しみをご覧になって胸が痛み,「霊においてうめ」かれたのです。それで「イエスは涙を流され」ました。愛する友たちが深い悲しみに打ちひしがれているのを見るのは,非常に悲しいことでした。―ヨハ 11:33,35。

こうした聖書の記述は,何を示しているでしょうか。イエスは来たるべき新しい世で,わたしたちの愛する家族や友人を復活させ,命と健康を与える力をお持ちです。また,アダムに起因する死によって愛する人を失った人々に同情心を抱いておられます。この記述には教訓も含まれています。わたしたちは,愛する人の死を嘆き悲しんでいる人々に思いやりを示す必要があるのです。

イエスは,ご自分がラザロを復活させることをご存じでした。それでも,涙を流されました。ご自分の友たちに対する深い愛と思いやりを抱いていたからです。同様にわたしたちも同情心から,「泣く人たちと共に泣(く)」ことがあるかもしれません。(ロマ 12:15)そのようにして悲しみを表わしても,復活の希望に対する信仰が欠けているわけではありません。イエスは,ラザロを復活させることになっていたとはいえ,心から涙を流して,残された家族に同情心を示すことにより,良い手本を残されたのです。

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