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  • 徹 9章 69–76ページ
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  • 「神[は]不公平ではない」
  • 神の王国について徹底的に教える
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神の王国について徹底的に教える
徹 9章 69–76ページ

9章

「神[は]不公平ではない」

割礼を受けていない異国人への伝道が始まる

使徒 10:1–11:30

1-3. ペテロはどんな幻を見ましたか。その意味を知ることが大切なのはどうしてですか。

時は36年。屋上で祈るペテロに秋の日差しが降り注いでいます。ペテロはここしばらく,港町ヨッパの海辺の家に宿泊しています。皮なめし職人シモンの家です。ユダヤ人の中にはこの職業の人の家に泊まろうとしない人もいたので,ペテロにはあまり偏見がなかったことが分かります。a でもペテロは,エホバの公平さについてもっと学ばなければいけませんでした。

2 ペテロは祈っているうちに恍惚状態になり,幻を見ます。大きな亜麻布が四隅をつるされて下りてきます。その中には,律法で清くないとされている動物が入っています。ペテロは「ほふって食べなさい!」と言われ,こう答えます。「汚れたものや清くないものはこれまで食べたことがありません」。ペテロは3度にわたって拒みますが,3度ともこう言われます。「神が清めたものを,汚れていると言ってはなりません」。(使徒 10:14-16)ユダヤ人なら誰でも嫌な気持ちになるような幻でした。ペテロもとても戸惑いましたが,やがてその意味を知ることになります。

3 私たちにとってもこの幻の意味はとても重要です。そこから,エホバが人をどう見ているかが分かるからです。私たちも同じ見方をしないと,神の王国について徹底的に教えることはできません。では,幻の意味を知るために,この前後に起きた出来事を調べてみましょう。

「いつも神に祈願をしていた」(使徒 10:1-8)

4,5. コルネリオはどんな人でしたか。祈っていると,どんなことがありましたか。

4 ペテロは知りませんでしたが,幻を見た前の日,約50㌔北のカエサレアでコルネリオという人も幻を見ていました。コルネリオはローマ軍の百人隊長で,「神を畏れる人」でした。b 家族を大事にしていて,「家の人全員と一緒に神を崇拝し」ていました。ユダヤ教に改宗してはおらず,割礼を受けていない異国人でした。それでも,困っているユダヤ人を思いやり,お金や物を分け与えていました。とても誠実で,「いつも神に祈願をして」いました。(使徒 10:2)

5 午後3時ごろ,コルネリオが祈っていると,幻の中で天使からこう言われます。「神はあなたの祈りと憐れみの施しに注目し,覚えています」。(使徒 10:4)さらに天使から,使徒ペテロを呼ぶよう指示され,その通りにするため人を遣わします。コルネリオのために今,扉が開こうとしていました。割礼を受けていない異国人には,これまで閉ざされていた扉です。その先には救いへの道が続いています。

6,7. (ア)神について知りたいと願う人の祈りを,神は確かに聞いています。そのことが分かるどんな例がありますか。(イ)そうした例から,どんなことが分かりますか。

6 現代でも,神について知りたいと願う人の祈りを,神は確かに聞いています。アルバニアの女性の例があります。女性は,伝道にやって来たエホバの証人から,子育てについて書かれた「ものみの塔」誌を受け取り,こう言いました。c 「信じられません。子供の育て方について教えてくださいと祈っていたところでした。神様があなたを遣わしてくださったんですね。本当にありがとうございます。ちょうど知りたかったことなんです」。女性は娘たちと一緒に聖書レッスンを受けるようになり,後から夫も学ぶようになりました。

7 これは決して珍しい例ではありません。世界中でこうしたことがよくあるので,偶然とはいえません。こういう例から,2つのことが分かります。1つ目に,神について知りたいと願う人の祈りを,エホバは間違いなく聞いています。(王一 8:41-43。詩 65:2)2つ目に,天使が私たちの伝道をサポートしてくれています。(啓 14:6,7)

「ペテロが……戸惑って」いた(使徒 10:9-23前半)

8,9. 聖なる力はペテロにどんなことを知らせましたか。ペテロはどうしましたか。

8 まだ屋上にいるペテロが「幻は何を意味するのだろうと戸惑っていると」,コルネリオから遣わされた人たちが家にやって来ます。(使徒 10:17)ペテロは,清くない動物は食べられないと3度も言うほど,律法を重んじていました。ではそのペテロは,やって来た人たちと一緒に異国人の家を訪ねるでしょうか。神は,どうしてほしいと思っているかを聖なる力によって知らせます。「3人の人が会いに来ています。立って,下に下り,何も疑わないで一緒に行きなさい。私が遣わした人たちです」。(使徒 10:19,20)ペテロは清くない動物の幻を見ていたおかげで,素直に聖なる力に導いてもらうことができました。

9 遣わされた人たちは,コルネリオが神から指示を受け,ペテロを連れてくるようにと言われたことを話します。ペテロはそれを聞いて,異国人の3人を家に「招き入れてもてなし」ました。(使徒 10:23前半)こうしてペテロは,神が考えている事を感じ取り,新たな展開に自分を合わせていきました。

10. エホバは私たちをどのように導いていますか。どんなことを考えてみるとよいですか。

10 現代でも,エホバは自分の考えを少しずつ明らかにし,私たちが良い方向に進めるようにしてくれています。(格 4:18)聖なる力によって「忠実で思慮深い奴隷」を導いています。(マタ 24:45)時々,聖書の理解が変わったり,物事のやり方が変更されたりすることがあります。「そういう進展にどう反応しているだろうか。聖なる力が導いている方向に自分を合わせているだろうか」と考えてみましょう。

ペテロは「バプテスマを受けるようにと命じた」(使徒 10:23後半-48)

11,12. カエサレアに着いたペテロはどうしましたか。ペテロは何を学んでいましたか。

11 幻を見た次の日,ペテロは9人(コルネリオに遣わされた3人とヨッパの「6人の[ユダヤ人の]兄弟たち」)と一緒にカエサレアに向かいます。(使徒 11:12)コルネリオは「親族や親しい友人たちを呼び集めて」,ペテロが来るのを待っていました。みんな異国人だったと思われます。(使徒 10:24)家の前に着いたペテロはどうするでしょうか。ここは割礼を受けていない異国人の家です。以前のペテロなら家に入るなんて考えられません。でも中に入り,こう言います。「よくご存じの通り,ユダヤ人にとって,別の人種の人と交友を持ったりそのもとを訪れたりするのは許されないことです。しかし神は,誰のことも汚れているとか清くないとか言ってはならないことを私に示しました」。(使徒 10:28)ペテロは幻の意味に気付いていました。単に,食べてよい動物について教える幻ではありませんでした。ポイントは,「誰のことも[異国人のことも]汚れていると……言ってはならない」ということです。

ペテロと仲間たちがコルネリオの家に入る。

「コルネリオは待ち受けていて,親族や親しい友人たちを呼び集めていた」。使徒 10:24

12 家に集まっていた人たちは興味津々です。「今,私たちは皆,あなたが話すようにとエホバが命じた事柄を,全て聞くために神の前にいます」とコルネリオが言います。(使徒 10:33)伝道で会った人からこんなふうに言われたら,本当にうれしいのではないでしょうか。ペテロは確信を持ってこう言います。「神が不公平ではないことがよく分かりました。神を畏れて正しいことを行う人はどの国の人でも神に受け入れられるのです」。そう言ってから,イエスの宣教,死,復活について伝えました。(使徒 10:34,35)ペテロはすでに大事なことを学んでいました。神は,人種や国籍,見た目などで人をひいきしたりはしません。

13,14. (ア)36年に異国人たちがクリスチャンになったのは画期的なことでした。どうしてですか。(イ)人を見た目で判断してはいけないのはどうしてですか。

13 すると何と,「ペテロが話しているうちに」,そこにいた「異国の人々」に聖なる力が注がれます。(使徒 10:44,45)バプテスマの前に聖なる力が注がれた例が書かれているのは,聖書の中でここだけです。神のサインを感じ取ったペテロは,その異国人たちに「バプテスマを受けるようにと命じ」ます。(使徒 10:48)こうして36年,異国人がクリスチャンになり,ユダヤ人が特別だった時代は終わりを迎えました。(ダニ 9:24-27)ペテロはこのようにして,「王国の鍵」の3つ目,最後の鍵を使いました。(マタ 16:19)扉が開いたことにより,割礼を受けていない異国人にも,聖なる力によって選ばれたクリスチャンになる道が開かれました。

14 私たちも伝道するとき,「神は不公平ではない」ことを忘れないようにします。(ロマ 2:11)神は「あらゆる人が救われ」ることを望んでいます。(テモ一 2:4)それで,人を見た目で判断しないようにしましょう。私たちの使命は,神の王国について徹底的に教えることです。人種,国籍,外見,何を信じているかに関わりなく,全ての人に伝道します。

「兄弟たちは……反対をやめ,神をたたえ[た]」(使徒 11:1-18)

15,16. ユダヤ人のクリスチャンがペテロを批判したのはどうしてですか。ペテロはどう答えましたか。

15 起きたことを話したくて,ペテロはエルサレムに向かいます。でも,割礼を受けていない「異国の人々も神の言葉を受け入れた」という知らせはすでに伝わっていたようです。「割礼を支持する人々」が,到着したペテロを「批判し始め」ます。「あなたは割礼を受けていない人の家に入って一緒に食事をした」と言ってきます。(使徒 11:1-3)彼らが問題にしたのは,異国人がクリスチャンになるのはおかしいということではありません。エホバを崇拝するには,異国人も律法を守って割礼を受けなければいけない,と考えていました。これまで厳守してきたモーセの律法から離れるのが難しかったのです。

16 ペテロは何と答えるでしょうか。使徒 11章4-16節で,神が物事を動かしている証拠を4つ挙げています。(1)神からの幻を見たこと(4-10節),(2)聖なる力を通して神から指示があったこと(11,12節),(3)天使がコルネリオを訪ねたこと(13,14節),(4)異国人たちに聖なる力が注がれたこと(15,16節)です。それから,こう言って考えさせます。「それで,神が,主イエス・キリストを信じた私たち[ユダヤ人]に与えたのと同じ無償の贈り物[聖なる力]をその人たち[異国人]に与えた以上,どうしてこの私が神を妨げることなどできたでしょうか」。(使徒 11:17)

17,18. (ア)ペテロの説明を聞いたユダヤ人のクリスチャンには,どんな葛藤があったかもしれませんか。(イ)会衆の絆を守るのが難しいことがあるのはどうしてですか。自分についてどんなことを考えてみるとよいですか。

17 ユダヤ人のクリスチャンたちはどうするでしょうか。偏った見方を捨てて,異国人たちを仲間として受け入れるでしょうか。こう書かれています。「兄弟たち[使徒たちとほかのユダヤ人のクリスチャン]はこれらのことを聞くと,反対をやめ,神をたたえてこう言った。『それでは,神は異国の人々が悔い改めて命を得ることも望んでいるのだ』」。(使徒 11:18)こうして,みんなが新たな進展を前向きに受け止め,会衆の絆は守られました。

18 現代でも,会衆の絆を守るのが難しいことがあります。エホバの証人は「全ての国や民族や種族や言語の人々の中から来[ている]」からです。(啓 7:9)多くの会衆では,いろんな人種,文化,生い立ちの人たちが混ざり合っています。それで,こう考えてみましょう。「自分はちょっとでも偏った見方をしていないだろうか。世の中に見られる国家主義,民族主義,文化的偏見,人種差別などの影響を少しでも受けていないだろうか」。今回エホバの公平さを学んだペテロ(ケファ)も,数年後には失敗してしまいました。周りの偏見の影響を受けて,異国人のクリスチャンから「離れていき」,パウロから間違いを正されました。(ガラ 2:11-14)私たちも気を付けたいものです。

「大勢の人が信じるようになっ[た]」(使徒 11:19-26前半)

19. アンティオキアのユダヤ人のクリスチャンは,どんな人たちに伝道し始めましたか。どんな成果がありましたか。

19 クリスチャンたちは,割礼を受けていない異国人にも伝道し始めるでしょうか。シリアのアンティオキアで起きたことに注目しましょう。d この都市には多くのユダヤ人が住んでいましたが,ユダヤ人と異国人の間に敵対心はほとんどありませんでした。そのため,異国人への伝道がしやすい場所だったといえます。それでこの都市で,ユダヤ人が「ギリシャ語を話す人々」に良い知らせを伝えることが始まりました。(使徒 11:20)ギリシャ語を話すユダヤ人にだけでなく,割礼を受けていない異国人にも伝道しました。エホバが成功させてくださり,「大勢の人が信じるようにな」りました。(使徒 11:21)

シリアのアンティオキア

シリアのアンティオキアは,地中海沿岸の港セレウキアからオロンテス川を30㌔ほどさかのぼった所にあり,エルサレムの約550㌔北に位置していました。(使徒 13:4)セレウコス朝の最初の統治者セレウコス1世ニカトールが,紀元前300年にアンティオキアを建てました。アンティオキアはセレウコス朝の首都として,すぐに非常に重要な都市になります。紀元前64年,ローマの将軍ポンペイウスがシリアをローマの属州とし,アンティオキアを州都にしました。西暦1世紀には,アンティオキアはローマ帝国の都市の中で,規模と豊かさの面で,ローマとアレクサンドリアに次ぐ第3の地位にありました。

アンティオキアは政治だけでなく商業の中心地でもありました。シリア全土の商品はこの都市を経由して地中海沿岸地域に輸出されました。「ギリシャ・ローマ世界と東方地域の境界に近かったので,たいていのヘレニズム都市よりもはるかに国際色豊かだった」とある学者は言っています。アンティオキアには大きなユダヤ人コミュニティーがあり,ユダヤ人の歴史家フラウィウス・ヨセフスによれば,彼らはその都市の「非常に大勢のギリシャ人を改宗者にした」とのことです。

20,21. バルナバは自分の限界を認めて,どんなことをしましたか。宣教でどのようにバルナバに倣えますか。

20 アンティオキアでの発展が見込まれたため,エルサレムの会衆はバルナバを遣わします。それでも,関心を持つ人があまりにも多く,バルナバ1人では足りませんでした。ほかに誰がここで奉仕するとよいでしょうか。異国人への使徒になるよう選ばれていたサウロがまさに適任です。(使徒 9:15。ロマ 1:5)バルナバはライバル心を抱いて,サウロを誘うことをためらうでしょうか。そんなことはありません。助けが必要なことを謙虚に認め,タルソスに行ってサウロを捜し,アンティオキアに来てもらいます。2人は丸1年一緒に働き,アンティオキアの会衆の人たちの信仰を強めました。(使徒 11:22-26前半)

21 私たちも自分の限界を認め,謙虚でいたいと思います。宣教で,みんなそれぞれ違う得意分野を持っています。日常で出会う人に話し掛けたり,家を訪問したりするのが得意でも,再び訪問したり聖書レッスンを始めたりするのは苦手かもしれません。伸ばしたい分野があれば,得意な人に教えてもらうのはどうでしょうか。そうすれば,宣教がもっと楽しくなり,成果もきっと上がるはずです。(コリ一 9:26)

「兄弟たちを救援する」(使徒 11:26後半-30)

22,23. アンティオキアの兄弟たちはどのように兄弟愛を表しましたか。現代のエホバの証人はどうですか。

22 「弟子たちが神の導きによってクリスチャンと呼ばれた」のは,アンティオキアが最初でした。(使徒 11:26後半)神の導きにより,キリストの生き方に倣う人たちにぴったりの名称が生まれました。異国人もクリスチャンになっていましたが,ユダヤ人のクリスチャンとの関係はどのようなものだったのでしょうか。46年ごろ,大飢饉が起きました。e 昔は特に,飢饉になると貧しい人たちが苦しみました。お金や食べ物の蓄えがなかったからです。この大飢饉の時も,ユダヤに住むユダヤ人のクリスチャンの多くは貧しかったため,困窮しました。そのことを知って,アンティオキアの兄弟たち(異国人のクリスチャンも含む)は「ユダヤに住む兄弟たちを救援する」ことにしました。(使徒 11:29)素晴らしい兄弟愛です。クリスチャンたちは固い絆で結ばれていました。

23 現代のエホバの証人も同じです。近くであれ遠くであれ,兄弟たちが苦しんでいるのを知ると,助けになろうとします。仲間がハリケーン,地震,津波などの自然災害に見舞われると,支部委員会はすぐに災害救援委員会を設けます。私たちは兄弟たちを心から愛しているので,そうした救援活動をします。(ヨハ 13:34,35。ヨハ一 3:17)

24. ペテロが見た幻の意味を忘れずに,どうしていくことが大切ですか。

24 では,1世紀にヨッパでペテロが見た幻の意味を忘れないようにしましょう。エホバは公平な方です。私たちが相手の人種,国籍,社会的地位に関わりなく,神の王国について徹底的に教えることを,エホバは願っています。これからも良い知らせをあらゆる人に伝えていきましょう。(ロマ 10:11-13)

兄弟姉妹が屋根を修理している。

兄弟たちが困っているときは助けになろうとする。

コルネリオとローマ軍

ローマの属州ユダヤの行政・軍事の本拠地はカエサレアでした。総督の指揮下にあった軍隊は,500騎から1000騎の騎兵隊と5つの歩兵隊から成っていました。1つの歩兵隊は総勢600人ほどでした。これらの兵士は通常,ローマ市民ではない人たちの中から徴募されました。大半はカエサレアで軍務に就きましたが,ユダヤ各地に小さな守備隊が駐屯しました。エルサレムでは,アントニアの塔に1つの歩兵隊が常駐し,神殿の丘と都市を警備しました。ユダヤ人の祭りの時期になると,騒動に備えてエルサレムのローマ軍が増強されました。

百人隊長は約100人の兵士を率いました。使徒 10章1節のギリシャ語本文によれば,コルネリオはイタリア隊という部隊の百人隊長の1人でした。カエサレアを拠点としていたと思われるこの部隊は,「ローマ市民志願兵の第二イタリア歩兵隊」だったかもしれません。f 百人隊長は,社会でも軍隊でもかなり高い地位にあり,裕福でした。給与は普通の兵士の16倍だったともいわれています。

f この歩兵隊(ラテン語名: Cohors II Italica voluntariorum civium Romanorum)は,69年にシリアに駐屯していたことが知られています。

a ユダヤ人の中には,皮なめし職人を見下す人がいました。動物の皮や死骸に触れたり,悪臭の伴う作業をしたりする仕事だったからです。皮なめし職人は神殿に行ってはいけないとされていて,作業場は町から約20㍍以上離れていなければなりませんでした。それもあって,シモンの家は「海辺に」あったと考えられます。(使徒 10:6)

b 「コルネリオとローマ軍」という囲みを参照。

c これは2006年11月1日号で,4-7ページに「子育てのための信頼できるアドバイス」という記事が載っています。

d 「シリアのアンティオキア」という囲みを参照。

e ユダヤ人の歴史家ヨセフスも,クラウディウス帝の治世中(41-54年)に起きたこの「大飢饉」に言及しています。

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