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  • 権威に対するクリスチャンの見方
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1994
塔94 7/1 18–23ページ

権威に対するクリスチャンの見方

『神によらない権威はありません』― ローマ 13:1。

1 「権威」という言葉は何と関連がありますか。それで,エホバが至上の権威を有しておられると言えるのはなぜですか。

権威は創造者の地位と関連づけられています。「権威(authority)」という言葉は,「最初に始める,作り出す,もしくは存在させる者」を意味する「創始者(author)」という言葉と関連があります。生物・無生物を問わず,あらゆる創造物を存在させた至上者は,エホバ神です。エホバが至上の権威を有しておられることは否定できません。真のクリスチャンは,次のように言明した天的な被造物と同じ気持ちを抱いています。「エホバ,わたしたちの神よ,あなたは栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です。あなたはすべてのものを創造し,あなたのご意志によってすべてのものは存在し,創造されたからです」― 啓示 4:11。

2 初期の人間の支配者たちは,仲間の人間を支配する,生まれながらに持っている権利など自分にはないことを,ある意味でどのように認めましたか。イエスはポンテオ・ピラトにどんなことをお告げになりましたか。

2 ごく初期の人間の支配者たちの多くが自分は神であるとか,神の代理であるとか主張して自分の権威を正当化しようとしたわずかな事実でさえ,だれも他の人間を支配する生得的な権利など持っていないことを暗に認めるものでした。a (エレミヤ 10:23)権威の唯一の正当な源は,エホバ神です。キリストはユダヤのローマ総督ポンテオ・ピラトに,「上から与えられたのでない限り,あなたはわたしに対して何の権限もないでしょう」とお告げになりました。―ヨハネ 19:11。

「神によらない権威はない」

3 使徒パウロは「上位の権威」に関してどんなことを述べましたか。イエスとパウロの述べた事柄に関して,どんな疑問が生じますか。

3 使徒パウロは,ローマ帝国の支配下で生活していたクリスチャンにあててこう書きました。「すべての魂は上位の権威に服しなさい。神によらない権威はないからです。存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられているのです」。(ローマ 13:1)イエスは,ピラトの権威が「上から」与えられたものであると述べた時,どういう意味でそう言われたのでしょうか。パウロはどのような意味で,当時の政治上の権威が神によってそれぞれの地位に据えられているとみなしたのでしょうか。イエスもパウロも,エホバが自らこの世の政治支配者一人一人を任命された,という意味で述べたのでしょうか。

4 イエスとパウロはサタンを何と呼びましたか。イエスはサタンのどんな主張を否定されませんでしたか。

4 イエスはサタンを「この世の支配者」と呼び,使徒パウロはサタンに「この事物の体制の神」というレッテルをはっているのですから,どうしてそのようなことがあり得るでしょうか。(ヨハネ 12:31; 16:11。コリント第二 4:4)さらに,サタンはイエスを誘惑した時,イエスに「人の住む地のすべての王国」を支配する「権威」を与えようと言い,その権威が自分に渡されていると主張しました。イエスはその申し出を拒絶しましたが,そのような権威がサタンの与えることのできるものであることは否定されませんでした。―ルカ 4:5-8。

5 (イ)わたしたちは人間の権威についてのイエスとパウロの言葉をどのように理解すべきですか。(ロ)どのような意味で,上位の権威は「神によってその相対的な地位に据えられて」いますか。

5 エホバはサタンに,彼が反逆した後も,またアダムとエバを誘惑してエホバの主権に反逆させた後も生きるのを許すことにより,この世に対する支配権をサタンに渡されました。(創世記 3:1-6。出エジプト記 9:15,16と比較してください。)ですから,イエスの言葉もパウロの言葉も,エデンにいた最初の人間夫婦が神権政治を,つまり神による支配を退けた後,エホバが,疎遠になった人間たちに,秩序立った社会での生活を可能にする数々の権威の機構を造ることを許された,という意味であるに違いありません。時にエホバは,ご自分の目的を成し遂げるために,特定の支配者や政府が倒れるようにされたこともあります。(ダニエル 2:19-21)あるいは,政権の座にとどまることを許された支配者や政府もあります。存在することをエホバが容認しておられる支配者たちについて言えば,彼らは「神によってその相対的な地位に据えられている」と言えるのです。

初期クリスチャンとローマ当局

6 初期クリスチャンはローマ当局をどのようにみなしましたか。なぜですか。

6 初期クリスチャンは,イスラエルを占領していたローマ人に対して陰謀を企てたり闘ったりするユダヤ人のどの派にも協力しませんでした。成文化された法体系を持つローマ当局が陸上と海上における治安を維持し,多くの有益な送水路や道路や橋を建設し,概して公共の福祉のために行動する限り,クリスチャンは彼らを『自分たちの益のための神の奉仕者[または「僕」,脚注]』とみなしました。(ローマ 13:3,4)法と秩序がもたらす環境のもとで,クリスチャンはイエスから命じられたとおりに良いたよりを遠く広く宣べ伝えることができました。(マタイ 28:19,20)ですから,ローマ人から課せられる税を,たとえ税金の一部が神の是認されない目的のために使われるとしても,全く正しい良心を抱いて納めることができたのです。―ローマ 13:5-7。

7,8 (イ)ローマ 13章1-7節を注意深く読むと,どんなことが分かりますか。その文脈は何を示していますか。(ロ)ローマ当局は,どんな状況下では,「神の奉仕者」の役割を果たしていませんでしたか。そのような場合に,初期クリスチャンはどんな態度を取りましたか。

7 ローマ 13章の最初の7節を注意深く読めば,政治上の「上位の権威」は善を行なう者を称賛し,悪を習わしにする者を罰するための「神の奉仕者」であったことが分かります。この文脈は,何が善で何が悪かを決めるのは上位の権威ではなく神であることを示しています。したがって,もしローマ皇帝にせよ他の政治上の権威者にせよ,神の禁じておられる事柄を行なうよう要求したり,また逆に,神の要求しておられる事柄を行なうことを禁じたりした場合,その者はもはや神の奉仕者としては行動していなかったのです。イエスはこう明言されました。「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」。(マタイ 22:21)もし国家としてのローマが,崇拝や人の命など,神に属するものを強要したなら,真のクリスチャンは,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」という使徒の助言に従いました。―使徒 5:29。

8 初期クリスチャンは皇帝崇拝や偶像礼拝を行なうこと,自分たちのクリスチャンの集会を放棄すること,良いたよりの伝道をやめることなどを拒否したため,迫害されました。使徒パウロは皇帝ネロの命令で処刑された,と一般に信じられています。他の皇帝,特にドミティアヌス,マルクス・アウレリウス,セプティミウス・セウェルス,デキウス,ディオクレティアヌスも,初期クリスチャンを迫害しました。それらの皇帝やその従属の当局者たちは,クリスチャンを迫害した時,確かに,「神の奉仕者」の役割は果たしていませんでした。

9 (イ)政治上の上位の権威については,やはりどんなことが真実ですか。政治上の野獣はだれから力と権威を受けていますか。(ロ)上位の権威に対するクリスチャンの服従については,論理的に言って,何と言えますか。

9 こうした事柄はすべて,政治上の上位の権威が,秩序立った人間の社会を維持するための「神の取り決め」として,ある意味で役立ちながらも,やはりサタンが神となっている世の事物の体制の一部であることを例示するものとなります。(ヨハネ第一 5:19)それら上位の権威は,啓示 13章1節と2節の「野獣」によって象徴されている世界的な政治組織に属しています。その野獣は,その力と権威を「大いなる龍」悪魔サタンから受けています。(啓示 12:9)ですから,論理的に言って,そのような権威に対するクリスチャンの服従は相対的なものであり,絶対的なものではありません。―ダニエル 3:16-18と比較してください。

権威に対するふさわしい敬意

10,11 (イ)パウロは,わたしたちが権威ある人たちに対して敬意を抱くべきことをどのように示しましたか。(ロ)「王たちや高い地位にあるすべての人々について」どのように,またなぜ祈りをささげることができますか。

10 しかし,これは何も,クリスチャンは政治上の上位の権威に対して平然と立ち向かう反抗的な態度を取るべきである,という意味ではありません。確かに,それら権威を持つ人たちの多くは,私生活において,あるいは公の生活においてさえ,特に敬意に値するわけではありません。それでも,使徒たちは,権威ある人には敬意をもって接するべきことを手本と助言によって示しました。パウロは,近親相姦を犯していた王ヘロデ・アグリッパ2世の前に出頭した時,ふさわしい敬意をもって王に話しかけました。―使徒 26:2,3,25。

11 パウロは,わたしたちが祈りの中で世の当局者たちのことを述べるのはふさわしい,とさえ言いました。彼らがわたしたちの命やクリスチャンの活動に影響を及ぼす決定をするよう求められる時には特に,そうするのはふさわしいことなのです。パウロはこう書いています。「わたしはまず第一に勧めます。あらゆる人について,また王たちや高い地位にあるすべての人々について,祈願と,祈りと,取りなしと,感謝をささげることとがなされるようにしてください。それはわたしたちが,敬虔な専心を全うし,まじめさを保ちつつ,平穏で静かな生活をしてゆくためです。これは,わたしたちの救い主なる神のみ前にあってりっぱなこと,受け入れられることです。神のご意志は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ることなのです」。(テモテ第一 2:1-4)わたしたちがそのような当局者に対して敬意のこもった態度を示せば,彼らはわたしたちに,「あらゆる人」を救おうとする業をもっと自由に遂行することを許してくれるかもしれません。

12,13 (イ)ペテロは権威に関する平衡の取れたどんな助言を述べていますか。(ロ)わたしたちは,エホバの証人に対する偏見を生じさせる「道理をわきまえない人たちの無知な話」を,どうすれば打ち消すことができるかもしれませんか。

12 使徒ペテロはこう書いています。「人間の創造したものすべてに,主のために服しなさい。上位者としての王に対してであろうと,あるいは,悪行者を処罰し,善行者をほめるために王から遣わされた総督に対してであろうとそのようにしなさい。というのは,道理をわきまえない人たちの無知な話を,あなた方が善を行なうことによって封じるのは,神のご意志だからです。自由の民らしくありなさい。ですが,あなた方の自由を,悪の覆いとしてではなく,神の奴隷として保ちなさい。あらゆる人を敬い,仲間の兄弟全体を愛し,神を恐れ,王を敬いなさい」。(ペテロ第一 2:13-17)何と平衡の取れた助言でしょう。わたしたちは神の奴隷として神に絶対的な服従を示さなければなりません。また,悪行者を処罰するために遣わされる政治上の当局者には相対的な,敬意のこもった服従を示します。

13 これまでに分かっているところによると,世俗の当局者たちの中にはエホバの証人について極めてゆがんだ概念を持っている人が少なくありません。それは大抵,神の民に敵する悪意を抱く者たちによって間違った情報を与えられたからです。あるいは,彼らがわたしたちについて知っていることと言えば,マスメディアから得たものだけなのかもしれません。マスメディアの報道は,常に公明正大というわけではないのです。わたしたちは敬意のこもった態度により,また可能な時には当局者にエホバの証人の業や信条について正確に説明したものを提供することにより,そうした偏見を克服できる場合もあります。忙しい政府職員には,「20世紀におけるエホバの証人」のブロシュアーの簡潔な説明を読んでもらえます。より詳しい情報を求める職員には,公立図書館や国立図書館の書棚に置かれるべき立派な文書である,「エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々」という書籍を提供することができます。

クリスチャンの家庭内の権威

14,15 (イ)クリスチャンの家族内の権威の基盤となっているものは何ですか。(ロ)妻の立場にあるクリスチャンは,夫に対してどんな態度を示すべきですか。なぜそうすべきですか。

14 クリスチャンが世の当局者に対して当然の敬意を示すよう神から求められているのであれば,神によってクリスチャンの家族内に確立された権威の機構をも同様に尊重しなければならないのは明らかです。使徒パウロは,エホバの民の間で一般に守られている頭の権の原則を簡潔な言葉で略述しました。こう書いています。「あなた方に次のことを知って欲しいと思います。すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であり,キリストの頭は神です」。(コリント第一 11:3)これこそ神権政治,つまり神による支配の原則です。これには何が関係しているでしょうか。

15 神権政治に対する敬意は,家庭で始まります。妻の立場にあるクリスチャンは ― 夫が仲間の信者であるにせよないにせよ ― 夫の権威に対して当然の敬意を示していないなら,神権的な人とは言えません。パウロはクリスチャンにこう助言しました。「キリストへの恐れをもって互いに服し合いなさい。妻は主に対するように自分の夫に服しなさい。夫は妻の頭だからです。それは,キリストが会衆の頭であり,この体の救い主であられるのと同じです。そうです,会衆がキリストに服しているように,妻もすべての事において夫に服しなさい」。(エフェソス 5:21-24)ちょうど,クリスチャンの男性がキリストの頭の権に服さなければならないのと同じように,クリスチャンの女性も神がお与えになった夫の権威に服することの知恵を認めるべきです。そうすれば,女性は深い内面的な満足を味わうことができ,より重要なこととしてエホバの祝福を得られるのです。

16,17 (イ)クリスチャンの家庭の子供たちは,どうすれば自分が今日の多くの若者たちとは違うことを示せますか。何について考えると,そうしようという気持ちになりますか。(ロ)イエスはどのように,今日の若い人たちの立派な模範でしたか。若い人たちは何をするよう励まされていますか。

16 神権的な子供たちは親に対してふさわしい敬意を喜んで示します。終わりの日の若い世代については,「親に不従順な者」となることが予告されていました。(テモテ第二 3:1,2)しかし,霊感を受けて記された神の言葉は,子供の立場にあるクリスチャンに対して,「子供たちよ,すべての事において親に従順でありなさい。これは主にあって大いに喜ばれることなのです」と述べています。(コロサイ 3:20)親の権威に対して敬意を払えば,エホバに喜ばれ,祝福されるのです。

17 そのことはイエスの例によく示されています。ルカの記述はこうなっています。「彼は両親と共に下ってナザレに来た。そして,引き続き彼らに服しておられた。……そしてイエスは,知恵においても,身体的な成長においても,また神と人からの恵みの点でもさらに進んでいった」。(ルカ 2:51,52)イエスは当時12歳であり,ここで使われているギリシャ語動詞の語形は,イエスが「引き続き[両親に]服しておられた」ことを強調しています。ですから,イエスの柔順は,イエスが十代になってからも終わらなかったのです。若い皆さんは,もし霊性においても,エホバと敬虔な人たちからの恵みの点でも進歩したいと思っているのであれば,家庭の内外を問わず権威に対して敬意を示すでしょう。

会衆内の権威

18 クリスチャン会衆の頭はだれですか。その方はだれに権威を委ねてこられましたか。

18 パウロはクリスチャン会衆内に秩序がなければならないことを述べ,こう書いています。「神は無秩序の神ではなく,平和の神……です。……すべての事を適正に,また取り決めのもとに[または「順番にしたがって」,脚注]行ないなさい」。(コリント第一 14:33,40)クリスチャン会衆の頭であるキリストは,すべての事が秩序正しく行なわれるよう忠実な男子たちに権威を委ねてこられました。こう書いてあります。「彼は,ある者を使徒,ある者を預言者,ある者を福音宣明者,ある者を牧者また教える者として与えました。それは,奉仕の業のため……聖なる者たちをさらに調整することを目的としてであり,……そうです,わたしたちは真理を語りつつ,愛により,すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長してゆきましょう」― エフェソス 4:11,12,15。

19 (イ)キリストはだれを任命してご自分の地的な持ち物すべてをつかさどらせてこられましたか。だれに特別な権威を授けておられますか。(ロ)クリスチャン会衆においては,どのように権威が与えられていますか。そのことを認めるわたしたちには,何が求められますか。

19 この終わりの時に,キリストは集団としての「忠実で思慮深い奴隷」を任命して「自分のすべての持ち物」,つまり地上における王国の関心事をつかさどらせておられます。(マタイ 24:45-47)1世紀におけると同様,この奴隷を代表しているのは,油そそがれたクリスチャンの男子たちで構成される統治体です。キリストは彼らに,決定を下したり他の監督たちを任命したりする権威を与えてこられたのです。(使徒 6:2,3; 15:2)次いでその統治体は,支部委員会,地域監督や巡回監督,そして全地の7万3,000余りのエホバの証人の会衆各々に任命されている長老たちに権威を与えています。これら献身的なクリスチャンの男子は皆,わたしたちの支持と敬意を受けるに値します。―テモテ第一 5:17。

20 権威を与えられている仲間のクリスチャンに敬意を示さない人をエホバが不快に思われることは,どんな例を考えれば分かりますか。

20 クリスチャン会衆内の権威ある人たちにわたしたちが示すべき敬意に関し,世俗の当局者たちに対する服従と比較してみるのは興味深いことです。人が神の是認しておられる人間の法律に違反した時,「支配者たち」によって与えられる罰は,「悪を習わしにする者に」対する神の憤りの間接的な表明であると言えます。(ローマ 13:3,4)人が人間の法律を破り,世の当局者たちに対してふさわしい敬意を欠いた時でさえエホバがお怒りになるのであれば,献身したクリスチャンが聖書の原則を侮って,権威を与えられている仲間のクリスチャンに対して不敬な態度を取る場合には,なおいっそう不快に思われるに違いありません。

21 わたしたちは聖書のどんな助言に喜んで従いますか。次の記事では,どんなことが取り上げられますか。

21 わたしたちは反抗的あるいは独立的な態度を取ることによって神の不興を買うのではなく,むしろフィリピのクリスチャンにあてたパウロのこの助言に従います。「したがって,わたしの愛する者たちよ,あなた方は常に従ってきましたが,つまり,わたしのいる時だけでなく,わたしのいない今いよいよ進んで従っていますが,そのようにして,恐れとおののきをもって自分の救いを達成してゆきなさい。神が,ご自分の喜びとなることのため,あなた方が志しかつ行動するようにと,あなた方の中で行動しておられるからです。すべての事を,つぶやかずに,また議論することなく行なってゆきなさい。それはあなた方が,とがめのない純真な者,また,曲がってねじけた世代の中にあってきずのない神の子供となるためです。その中にあって,あなた方は世を照らす者として輝(いているのです)」。(フィリピ 2:12-15)エホバの民は,権威の危機を招いている現在の曲がってねじけた世代とは異なり,快く権威に服します。彼らはそのようにして豊かな益を受けているのです。そのことについては,次の記事の中で説明されています。

[脚注]

a 前の記事をご覧ください。

復習として

□ 至上の権威を有しておられるのはどなたですか。その方の権威はなぜ正当なものと言えますか

□ どのような意味で,上位の権威は「神によってその相対的な地位に据えられて」いますか

□ 上位の権威はどのような場合に「神の奉仕者」とは言えなくなりますか

□ クリスチャンの家族内には,どんな権威の機構が存在していますか

□ クリスチャン会衆内では,どのように権威が委ねられていますか

[18ページの図版]

『カエサルのものはカエサルに返しなさい』と,イエスは明言された

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