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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「ピシデア」

ピシデア

(Pisidia)

小アジア南部の内地。タウロス山脈の西部を含む山岳地域で,パンフリアの北,ガラテア州フリギアの南にあり,西にはカリアとルキア,東にはルカオニアを控えていました。この地方の東西は約190㌔,幅は約80㌔あったと見られています。そこは幾つもの高大な尾根の合間を渓谷や谷川が走り,森や放牧地のある地域でした。

ピシデアの住民は荒々しく好戦的で,部族的な盗賊の隊が出来上がっていました。これら山地の人々を制圧するのは難しく,彼らはヘレニズム文化やローマ文化になかなかなじみませんでした。ローマ人はガラテアの王アミンタスに彼らを従わせる任務を与えましたが,アミンタスはそれを果たさないまま死にました。ピシデアは西暦前25年にローマの属州ガラテアの一部になり,西暦前6年には住民を監視するため,この地域のさまざまな居留地に守備隊が置かれました。それらの居留地は,ピシデアとフリギアの境界に近い都市アンティオキアの監視下に置かれました。(「アンティオキア」2項を参照。)西暦74年にはピシデアの南部がパンフリアおよびルキアと合併し,ローマの一つの属州になりました。北部は使徒時代以降にピシデアという名の新しい属州に含められるまで,引き続きガラテア州の一部でした。

使徒パウロは最初の宣教旅行の際に,沿岸のパンフリアから山地を越え,ピシデアのアンティオキアに進んでピシデアを通過しました。(使徒 13:13,14)パウロは帰路にもピシデアを通過しました。(使徒 14:21,24)「川の危険,追いはぎの危険」に遭ったというパウロの言葉の根拠となったのは,多分この地域の盗賊や山あいの急流のことでしょう。―コリ二 11:26。

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