-
「洞察力のある者」に与えられる神からの祝福ものみの塔 1987 | 7月1日
-
-
目覚めて『恥辱に至る』
8,9 どのような場合,この霊的な目覚めは「恥辱に,また定めなく続く憎悪に至る」と言えますか。
8 では,ある人々が「目を覚ま(して)恥辱に,また定めなく続く憎悪に至る」のはなぜですか。事実から言えば,その王国級の成員になるようにとの招待を受け入れる人すべてが忠実を保つわけではありません。ある人々は信仰を弱らせ,忍耐することができません。(ヘブライ 2:1)少数ながら背教者にさえなり,クリスチャン会衆から取り除かれなければならなかった人もいました。(マタイ 13:41,42)そうした人々をイエスは,主人から「最も厳しく」罰せられ,偽善者たちと分を共にさせられる「そのよこしまな奴隷」として描いておられます。「そこで彼は泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするのです」。―マタイ 24:48-51。エフェソス 4:18; 5:6-8。
9 不完全な人間にこれまで差し伸べられてきた特権の中で最大のものを受け入れておきながら,態度を変えてそれに抵抗するとは,何という悲劇でしょう。そのように行動する人々について使徒パウロはこう述べました。「一度かぎりの啓発を受け,天からの無償の賜物を味わい,聖霊にあずかる者となり,神の優れた言葉と来たるべき事物の体制の力とを味わっておきながら,なおも離れ落ちた者たちについては,そうした者たちを再び悔い改めに戻すことは不可能なのです。なぜなら,彼らは神の子を自分であらためて杭につけ,公の恥にさらしているからです」。(ヘブライ 6:4-6)このようにして,彼らの目覚めは,「恥辱に,また定めなく続く憎悪に至る」ことになります。それらの人々には,その後に永遠の命が与えられる見込みはありません。
-
-
「洞察力のある者」に与えられる神からの祝福ものみの塔 1987 | 7月1日
-
-
もう一つの復活
14 「塵の地に眠る者のうち目を覚ます者が多くいる」という預言は,ほかのだれを包含するようになりますか。
14 このように,み使いの言葉は,ミカエルが「立ち上がる」時と,前例のない「苦難の時」を超え,新しい事物の体制へとわたしたちを案内してくれます。さらに,「星のように」輝くそれらの人々を通して与えられる祝福は,「苦難の時」を生き残る人たちだけに注がれるのではありません。イエスはまだ地上の人間であられた時,「記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来るのです」と言われました。(ヨハネ 5:28,29)この言葉は死人の文字通りの復活を指しており,この復活も,「塵の地に眠る者のうち目を覚ます者が多くいる」というみ使いの言葉の拡大された成就と考えてよいでしょう。―ダニエル 12:2。
15 その時復活させられる人々にとって,復活はどのような意味で,『定めなく続く命に至る』目覚めとなり得ますか。
15 目を覚ますというこの特別な変化を経験する人々の中には,ダニエル自身も含まれるでしょう。ダニエルはみ使いからこのように言われました。「あなた自身は,終わりに向かって進め。あなたは休む[死の眠りに就く]が,日々の終わりに自分の分のために立ち上がるであろう」。(ダニエル 12:13)その時に復活させられ,天から与えられるイエスおよびその兄弟たちの奉仕の務めにこたえ応じるダニエルのような人々は,人間としての完全さへと引き上げられ,最後の試練を通過する時に,命の書に自分の名を永久に刻み込んでもらえるでしょう。(啓示 20:5)そのような人たちにとっても,目を覚ますことは『定めなく続く命に至り』ます。
16 新しい事物の体制で目を覚ますことが「定めなく続く憎悪に」至るのは,だれの場合ですか。
16 とはいえ,すべての人がそのような反応を示すわけではありません。非常な長期間にわたって人間から平和を奪ってきた習わしに逆戻りしようとする人々も出てくるに違いありません。そうした人々には,聖書からの適切な警告があります。「憶病な者,信仰のない者,不潔で嫌悪すべき者,殺人をする者,淫行の者,心霊術を行なう者,偶像を礼拝する者,またすべての偽り者については,その分は火と硫黄で燃える湖の中にあるであろう。これは第二の死を表わしている」。(啓示 21:8)この「第二の死」とは,復活のない,エホバからの直接的な裁きのことであって,とこしえに,永久に忘れ去られることです。復活させられても認識を示さない人々は,この第二の死を味わいます。したがって,彼らが目を覚ますことは「恥辱に,また定めなく続く憎悪に」至ります。―ダニエル 12:2。
-