-
ルカ ― 愛する同労者ものみの塔 2007 | 11月15日
-
-
「使徒たちの活動」にルカの名前は出てきませんが,ところどころで「わたしたち」という代名詞が用いられていることから,この書にある出来事の幾つかにルカ自身も直接かかわっていたことが分かります。ルカは,パウロとその仲間たちが小アジアを旅した時のルートについて,「彼らはミシアのそばを通ってトロアスに下った」と述べています。パウロがマケドニアの人の幻を見たのはトロアスでのことでした。その人はパウロに,「マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください」と懇願しました。ルカは記述をこう続けています。「そこで,パウロがその幻を見てからすぐ,わたしたちは……マケドニアへ行こうと努めた」。(使徒 16:8-10)ここで主語が「彼らは」から「わたしたちは」に変わったということは,ルカがトロアスでパウロの一行に加わったことを暗示しています。その後のフィリピでの伝道についても「わたしたち」という言葉が用いられていることから,ルカ自身も伝道活動に参加していたことが分かります。ルカはこう書いています。「安息日に,わたしたちは門の外の川のそばに出かけて行った。そこに祈りの場所があると思ったのである。そしてわたしたちは腰を下ろし,集まっていた女たちに話しはじめた」。結果として,ルデアとその家の者たち全員が良いたよりを受け入れ,バプテスマを受けました。―使徒 16:11-15。
フィリピでは反対にも直面します。「占いの悪霊」の影響を受けて予言していた一人の下女をパウロがいやしたため,下女の主人たちが利得の手段を奪われたといってパウロとシラスを捕まえたのです。そのあと二人は打ちたたかれ,投獄されました。しかし,ルカは捕縛されずに済んだようです。仲間の受けたその試練について,「彼ら」という表現を用いて説明しているからです。釈放されると,『彼ら[パウロとシラス]は兄弟たちに会って励まし,それから去って行きました』。ルカは,パウロが後日フィリピに戻って来て初めて,その記述に「わたしたち」という表現を再び用いています。(使徒 16:16-40; 20:5,6)おそらくルカはそれまでフィリピにとどまり,そこでの業を監督していたのでしょう。
情報を集める
ルカは,福音書と「使徒たちの活動」の書に記した情報をどのようにして得たのでしょうか。「使徒たちの活動」のうち「わたしたち」という言葉が用いられている部分 ― ルカが自分を話に含めている部分 ― を読むと,ルカはパウロに同行してフィリピからエルサレムに向かったということが分かります。そのエルサレムでパウロは再び捕縛されることになりますが,そこへ行く途中,パウロの一行はカエサレアで福音宣明者フィリポの家に滞在しました。(使徒 20:6; 21:1-17)ルカはこのフィリポから,サマリアでの初期の宣教者奉仕に関する情報を得たのかもしれません。フィリポはサマリアでの伝道活動を率先して行なっていたからです。(使徒 8:4-25)
-