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「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです」ものみの塔 1993 | 2月15日
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「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです」
「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです」― ヘブライ 13:4。
1 多くの人は,成功する結婚についてどんなことを学んできましたか。
離婚が簡単に行なわれる今の時代でも,結婚生活を長続きさせている人は非常に大勢います。そのような人々は,性格や育ちの違いがあっても成功するための方法を見つけました。エホバの証人の間では,そのような結婚生活が見られます。大抵,そのような夫婦は,自分たちには好不調の波もあれば,互いに対する不満の理由さえ幾つかあることを認めるかもしれません。しかし彼らは,小さなあらしを乗り越え,結婚生活という船を正しい方向に進める方法を学んできました。結婚生活を持続させてきた要素にはどんなものがあるでしょうか。―コロサイ 3:13。
2 (イ)結婚生活を持続させるのにプラスとなる要素の中にはどんなものがありますか。(ロ)結婚生活を破壊しかねない要素の中にはどんなものがありますか。(14ページの囲み記事をご覧ください。)
2 クリスチャンとして幸福な結婚生活を続けてきた人々の意見は非常に参考になります。16年前に結婚したある夫は,「問題が起きた時はいつも,互いの意見に耳を傾けようと二人で本当に努力しました」と言っています。この点は,多くの結婚生活をしっかりとしたものにする要素の一つ ― 包み隠さず率直に意思を通わせること ― を強調しています。31年間結婚生活を送ってきたある妻は,「二人の間のロマンチックな関係を保つために手をつないでいろいろ楽しいことをするひと時を,いつも大切にしてきました」と語りました。これは,意思の疎通のもう一つの側面でもあります。40年近く連れ添ってきた別の夫婦は,ユーモアのセンスを保ち,自分自身や互いを笑えるようであるということの大切さを強調しました。この夫婦はまた,互いの一番良い点も一番悪い点も分かった上で,それでもなお忠節な愛を示すことができるなら,そのことも役立つと述べました。夫のほうは,すぐに間違いを認めて謝る態度も挙げました。譲り合いの精神があれば,結婚生活がいわばぽきんと折れてしまうようなことはなく,むしろたわんで柔軟性を示すようになります。―フィリピ 2:1-4; 4:5,王国行間逐語訳。
風潮の変化
3,4 夫婦間の貞節に関する態度はどのように変化してきましたか。例を挙げることができますか。
3 ここ数十年の間に,世界のどこでも夫婦間の貞節に関する意識は変わってきました。既婚者の中には,配偶者も承知の上で許している場合は特に,浮気 ― 姦淫を指す現代的な婉曲表現 ― をしてもそれは別に悪いことではないと考える人がいます。
4 あるクリスチャンの監督は,こうした状況について次のような意見を述べました。「世の中では,道徳律にしたがって生活しようと真剣に努力することがほとんど見られなくなりました。貞潔な振る舞いは時代後れとみなされるようになっています」。著名な政治家,スポーツ選手,芸能人などは道徳的な振る舞いに関する聖書の規準を公然と破り,それでも相変わらず有名人として持てはやされています。道徳上のどんな種類の悪行や倒錯行為にも,ほとんど汚名は付けられません。いわゆる上流社会では,貞潔さや高潔さが重んじられることはまずありません。ですから,“ある人に当てはまることは他の人にも当てはまる”という法則によって,一般の人々もその例に倣い,神が非としておられる事柄を大目に見るようになります。パウロが述べたとおりです。「彼らはいっさいの道徳感覚を通り越し,貪欲にもあらゆる汚れを行なおうとして,身をみだらな行ないにゆだねたのです」― エフェソス 4:19。箴言 17:15。ローマ 1:24-28。コリント第一 5:11。
5 (イ)姦淫に関する神の見方はどのようなものですか。(ロ)聖書の「淫行」という語の用法には,どんなことが含まれますか。
5 神の規準は変わっていません。神の見方からすれば,正式に結婚せずに同せいすることは淫行の生活をすることです。夫婦間の不貞は今でも姦淫です。a 使徒パウロははっきりこう述べています。「あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者……はいずれも神の王国を受け継がないのです。とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです」― コリント第一 6:9-11。
6 コリント第一 6章9-11節のパウロの言葉の中に,どんな励ましを見いだせますか。
6 その聖句の中の励みになる点は,「とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです」というパウロの言葉です。確かにかつては,この世のみだらな『放とうの下劣なよどみ』の中を走っていたものの,我に返ってキリストとその犠牲を受け入れ,洗われて清くなった人が大勢います。そのような人々は,道徳的な生活を送ることによって神を喜ばせる道を選び,その結果として以前よりも幸福になっています。―ペテロ第一 4:3,4。
7 「不道徳」という語の理解に関してどんな対立が見られますか。聖書の見方はどのようなものですか。
7 一方,現代の世が下す不道徳の定義は極めて貧弱なので,神の見方とは調和しません。ある辞典は,「不道徳」を「既成の道徳に反する」と定義しています。結婚前の性関係や結婚関係外の性関係,さらには同性愛を大目に見る今日の「既成の道徳」は,聖書が非としている不道徳にほかなりません。そうです,聖書の見方からすれば,不道徳とは,神の道徳律に対する重大な違反を指すのです。―出エジプト記 20:14,17。コリント第一 6:18。
クリスチャン会衆が影響を受ける
8 不道徳はクリスチャン会衆内の人々にどのように影響を与えることがありますか。
8 不道徳は今日あまりにもまん延しているので,クリスチャン会衆内の人々もその圧力を受けることがあります。どこにでも入り込んでいる堕落したテレビ番組,ビデオ,ポルノ雑誌などによって影響されることがあります。影響を受けているのはごく一部のクリスチャンであるとしても,クリスチャンにふさわしくない行動を悔い改めずにエホバの証人の中から排斥される事例の大半は,何らかの形の性の不道徳に関係したものであることを認めなければなりません。そのようにして排斥される人々の中には,時がたって間違いを認め,再び清い生き方を始め,やがて会衆に復帰する人がかなりおり,それは明るい面と言えます。―ルカ 15:11-32と比較してください。
9 サタンは不注意な人々をどのように手玉に取りますか。
9 サタンがほえるライオンのように動き回って,不注意な人々をむさぼり食おうと身構えていることに疑問の余地はありません。毎年,不注意なクリスチャンがサタンの策略つまり「ずる賢い行為」のわなに掛かっています。サタンの世に常に存在する霊は,利己的であり,快楽主義的であり,みだらです。その霊は肉欲を満たし,自制を退けます。―エフェソス 2:1,2; 6:11,12,脚注。ペテロ第一 5:8。
10 だれが誘惑にさらされていますか。なぜですか。
10 不道徳の誘惑にさらされる恐れがあるのは,会衆内のどんな人々でしょうか。それはほとんどのクリスチャンです。地元の会衆の長老であれ,旅行する監督であれ,ベテル奉仕者であれ,毎月多くの時間を伝道にあてている開拓者であれ,子育てに忙しい親であれ,友達からの圧力を受けている若者であれ,そのことに変わりはありません。肉欲の誘惑はすべての人に共通です。性的な衝動は互いの間で全く思いもよらない時に誘発されることがあります。ですからパウロは,「立っていると思う人は,倒れることがないように気をつけなさい。人に共通でない誘惑があなた方に臨んだことはありません」と書くことができました。残念ながら,責任の重い立場にあるクリスチャンの中にも,この不道徳の誘惑に屈した人たちがいます。―コリント第一 10:12,13。
引き出されて誘われる
11-13 不道徳に至った状況の中には,どんなものがありますか。
11 ある人々が姦淫や淫行という愚かな歩みに陥った誘惑や状況の中には,どんなものがあるでしょうか。それはたくさんあり,複雑です。また,国や文化によっても違うかもしれません。しかし,多くの国で現われている基本的な状況が幾つかあります。例えば報告によると,アルコール飲料が自由に振る舞われるパーティーを企画した人々がいました。また,世のいかがわしい音楽や刺激的なダンスを好んだ人々もいました。アフリカのある地域では,めかけを囲っている裕福な男性 ― 不信者 ― がおり,めかけという立場には不道徳が関係しているにもかかわらず,そうなれば経済的な安定が得られるという誘惑にかられた女性もいます。さらに別の地域のクリスチャンの夫は,家族を置いて鉱山などの場所に出稼ぎに行きます。そうすると,そのような人の忠節と貞節は,故郷では経験しないような程度と方法で試みられます。
12 先進国では,第三者のいない所で異性としばしば一緒にいること ― 例えば,運転を習うために車の中という狭い空間でいつも決まったように二人きりになることなど ― によって,サタンのわなに掛かった人たちがいます。b 牧羊訪問を行なう長老たちも,姉妹に助言を与える時に二人きりになることがないよう注意する必要があります。会話が感情的な熱を帯び,結果として両者にとって気まずい状況が生じることもあり得ます。―マルコ 6:7; 使徒 15:40と比較してください。
13 クリスチャンの中にも,これまでに述べた状況に誘われて警戒を緩め,不道徳な行為を犯した人たちがいます。1世紀にも起きたように,そのような人々は『試練を受けて,自分の肉の欲望に引き出される』がままになり,そのことが罪を招きました。―ヤコブ 1:14,15。コリント第一 5:1。ガラテア 5:19-21。
14 利己主義が,姦淫の事例の底流にある基本的な要素であるのはなぜですか。
14 排斥の事例を注意深く検討すると,不道徳な行為の底流には幾つかの基本的な要素が共通して存在することが分かります。そのような場合に見られるのは,ある種の利己主義です。なぜそう言えるでしょうか。姦淫の場合,無実の人が傷つくことになります。それは法律上の配偶者かもしれません。子供がいれば,子供も確かに傷つきます。姦淫のために離婚に至った場合,最も苦しむのは,むつまじい家族の安心感を望む子供たちかもしれません。姦淫をする人がおもに考えているのは,自分自身の快楽と便宜です。まさに利己主義です。―フィリピ 2:1-4。
15 姦淫に至る原因の中には,どんなものがあるかもしれませんか。
15 普通,姦淫は弱さから来る突然の行為ではありません。結婚生活そのものが徐々に,場合によっては気づかないうちにむしばまれていたのです。対話は決まりきったつまらないものになっていたかもしれません。励まし合うこともほとんどなかったかもしれません。互いのことを当たり前に考えて感謝していない場合もあります。しばらくの間,互いを性的に満足させることをしていなかったかもしれません。姦淫を犯す時には,間違いなく神との関係も弱まっています。もはやエホバを,わたしたちの考えや行ないをすべてご存じの生ける神としてはっきり意識してはいません。姦淫をする人の思いの中では,「神」が単なる言葉,日常生活とはかかわりのない抽象的な存在になっていることさえあります。そのような時,神に対して罪を犯しやすくなります。―詩編 51:3,4。コリント第一 7:3-5。ヘブライ 4:13; 11:27。
抵抗するためのかぎ
16 クリスチャンはどうすれば不忠実な歩みへの誘惑に抵抗できますか。
16 もしクリスチャンが不忠実の道に誘い込まれている自分に気づくなら,どんな要素を考慮に入れるべきでしょうか。第一に,聖書の原則にしっかり基づいたクリスチャンの愛の意味について考えるべきです。肉体的な愛や性愛が優勢になり,利己主義への傾斜を深めて他の人に苦しみをもたらすようなことを決して許すべきではありません。むしろ,状況をエホバの観点から見るべきです。会衆というもっと大切な視点から,不品行によって会衆とエホバのみ名にもたらされる恥辱というもっと大切な視点から考えるべきです。(詩編 101:3)この問題に関するキリストの思いを得て,それにしたがって行動するなら,災いを避けることができるかもしれません。思い出してください。キリストのような利他的な愛は決して絶えることがないのです。―箴言 6:32,33。マタイ 22:37-40。コリント第一 13:5,8。
17 忠実に関するどんな築き上げる模範がありますか。
17 抵抗するためのかぎは,信仰と前途の希望に関する未来像を強めることです。そうするには,昔の忠実な男女やイエスご自身が残した忠誠に関する際立った模範を重要な事柄として心に留めることが必要です。パウロはこう書きました。「こうして,これほど大勢の,雲のような証人たちに囲まれているのですから,わたしたちも,あらゆる重荷と容易に絡みつく罪とを捨て,自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走ろうではありませんか。わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に見つめながら。この方は,自分の前に置かれた喜びのために,恥を物とも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右に座られたのです。そうです,罪人たちの,自らの益に反するそうした逆らいのことばを耐え忍んだ方のことを深く考えなさい。それは,あなた方が疲れて,あなた方の魂が弱り果ててしまうことのないためです」。(ヘブライ 12:1-3)賢明な人は結婚生活という船を捨てるのではなく,むしろ船を元通りにするために損傷部分を修理する方法を考え,裏切りと欺まんという落とし穴を避けるようにします。―ヨブ 24:15。
18 (イ)裏切りはなぜ姦淫を説明するのに強すぎる言葉ではありませんか。(ロ)神は誓約を果たすことをどう見ておられますか。
18 背信に当たる裏切りというのは,不道徳を指すには強すぎる言葉でしょうか。背信とは,信頼や信用を裏切ることです。確かに結婚の誓いには信頼が関係しています。また,順調な時にもそうでない時にも,万難を排して愛し慈しむという約束が関係しています。さらには,多くの人がいまどき時代後れとみなすこと,つまり結婚の誓いの中で表明する貞操の契りが関係しています。その信頼を裏切ることは,配偶者に対する一種の背信行為です。聖書の中には,誓約に関する神の見方がはっきり記されています。「神に誓約を立てるときにはいつでもそれをためらわずに果たせ。愚鈍な者たちは喜ばれないからである。誓約することは果たせ」― 伝道の書 5:4。
19 一人のエホバの証人が失敗する時にサタンが歓ぶのは,どんなことと対照的ですか。
19 疑問の余地はないでしょう。天では一人の罪人の救いに関して大きな歓びがあるのと同様に,地上では,エホバの証人の一人が忠誠を保ちそこなう時,見える者も見えない者も含めたサタンの一派の中で大きな歓びがあるのです。―ルカ 15:7。啓示 12:12。
すべての人に共通の誘惑
20 どうすれば誘惑に抵抗できますか。(ペテロ第二 2:9,10)
20 場合によっては,不道徳は避けられないのでしょうか。肉欲とサタンはあまりにも強いので,クリスチャンが抵抗して忠誠を保つのは不可能なのでしょうか。パウロは次のように述べて励ましを与えています。「神は忠実であられ,あなた方が耐えられる以上に誘惑されるままにはせず,むしろ,あなた方がそれを忍耐できるよう,誘惑に伴って逃れ道を設けてくださるのです」。今の世の中では,誘惑を完全に避けることはできないかもしれません。しかしわたしたちは,祈りで神に頼ることにより,どんな誘惑でも必ず耐えて克服することができるのです。―コリント第一 10:13。
21 次の研究では,どんな質問の答えが得られますか。
21 神はわたしたちが誘惑に耐えて勝利を得るのを助けるため,何を与えてくださるでしょうか。わたしたちは個人として,自分の結婚生活,家族,さらにはエホバのみ名と会衆の評判を守るために,何を必要としているでしょうか。次の記事では,これらの質問について考えます。
[脚注]
a 「広義の『淫行』,およびマタイ 5章32節と19章9節で用いられているこの語は,結婚関係外の不法なあるいは不義な性関係という広い範囲に言及していると思われます。ポルネイア[それらの聖句で使われているギリシャ語]は,(自然な仕方であろうと倒錯した仕方であろうと)少なくとも一人の人間の生殖器のはなはだしく不道徳な使用を意味しています。また,その不道徳行為には,いずれかの性の人間か獣が相手として存在していなければなりません」。(「ものみの塔」誌,1983年6月15日号,30ページ)姦淫: 「既婚者と,合法的な夫または妻以外の相手が行なう合意の上での性関係」― アメリカン・ヘリテージ英語辞典。
b 言うまでもなく,兄弟が姉妹を車で送るのがふさわしい場合もあるはずです。そのような状況を誤解すべきではありません。
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結婚生活で新しい人格を培うものみの塔 1993 | 2月15日
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結婚生活で新しい人格を培う
「あなた方の思いを活動させる力において新たにされ,……新しい人格を着けるべき(です)」― エフェソス 4:23,24。
1 結婚を軽々しく考えるべきでないのはなぜですか。
結婚は人生の最も重大な段階の一つです。したがって,結婚は決して軽々しく考えるべきものではありません。なぜそう言えますか。結婚には,相手に対する終生の誓いが必要だからです。つまり,その相手と全生涯を共にすることになるのです。この誓いが間違いのないものとなるためには,慎重な判断が必要です。また,『思いを活動させ,そのようにして新しい人格を形成する』プラスの影響力も必要です。―エフェソス 4:23,24。創世記 24:10-58; マタイ 19:5,6と比較してください。
2,3 (イ)結婚相手を賢明に選ぶには何が必要ですか。(ロ)結婚にはどんなことが関係していますか。
2 肉体の強い欲望に流されるまま,あわてて結婚すべきではないということにはもっともな理由があります。大人としての人格や性質が形成されるには時間が必要です。時間がたてば,的確な判断力の基礎になる経験や知識も得られます。その上で,よく合った生涯のパートナーを選ぶなら,うまくゆく可能性は高まるかもしれません。スペインの簡潔なことわざにあるとおりです。「下手に結婚するよりも,独身でいるほうがまだましだ」。―箴言 21:9。伝道の書 5:2。
3 何と言っても,ふさわしい相手を選ぶことは,結婚を成功させるための基本です。そのためにクリスチャンは,肉体的な魅力や,激しい感情や情熱という圧力だけに左右されるのではなく,聖書の指針を生かさなければなりません。結婚とは,二つの肉体が結ばれるだけのことでは決してありません。二つの人格,二つの家族と二つの教育的背景,場合によっては二つの文化と二つの言語が結ばれるのです。また,二人の人が結婚して結びつくなら,確かに舌を正しく用いる必要があります。わたしたちは言葉の力によって打ち壊すこともあれば,築き上げることもあります。こうしたことすべてを考えれば,『主にある者[つまり,仲間の信者]とだけ結婚する』ようにというパウロの助言がいかに賢明かということも分かります。―コリント第一 7:39。創世記 24:1-4。箴言 12:18; 16:24。
結婚生活のストレスに立ち向かう
4 結婚生活の中で意見の衝突や緊張が時おり生じるのはなぜですか。
4 たとえ良い基礎があったとしても,意見が衝突したり,圧力を感じたり,緊張が高まったりする時はあるものです。こうしたことは,結婚しているかいないかにかかわりなく,だれにでも普通に起こります。経済的な問題や健康問題は,どんな人間関係においてもストレスの原因になり得ます。最もうまくいっている結婚でも,気分の変化によって個性の衝突が生じるかもしれません。もう一つの要因は,ヤコブが述べているとおり,舌を完全に制御できる人は一人もいないということです。「わたしたちはみな何度もつまずくのです。言葉の点でつまずかない人がいれば,それは完全な人であり,全身を御することができます。……舌も体の小さな部分ですが,大いに自慢します。ご覧なさい,ごく小さな火が何と広大な森林地帯を燃え上がらせるのでしょう」― ヤコブ 3:2,5。
5,6 (イ)誤解が生じた時には何が必要ですか。(ロ)仲直りするには,どんな行動を起こす必要があるかもしれませんか。
5 結婚生活の中で様々な圧力が生じる時,どうすれば事態に対処できるでしょうか。誤解がけんかに発展し,けんかが不仲に発展することを避けるには,どうしたらよいでしょうか。ここで,思いを活動させる力が作用します。動機を与えるこの霊は,プラスに働くこともあれば,マイナスに働くこともあります。人を築き上げ,霊的な方向に向くこともあれば,人を堕落させ,肉的な傾向に支配されることもあります。もしその霊が築き上げるものであるなら,人は仲直りして結婚生活を正しい方向に進めるために行動します。口論や仲たがいのために結婚生活を終わらせるべきではありません。重苦しい雰囲気を一掃することは可能です。聖書の助言を当てはめるなら,相互の敬意と理解を回復することができるのです。―ローマ 14:19。エフェソス 4:23,26,27。
6 こうした状況の中では,パウロの次の言葉が非常に適切です。「したがって,神の選ばれた者,また聖にして愛される者として,優しい同情心,親切,へりくだった思い,温和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい。エホバが惜しみなく許してくださったように,あなた方もそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」― コロサイ 3:12-14。
7 結婚生活の中でどんな問題を持っている人がいるかもしれませんか。
7 この聖句を読むのは簡単です。しかし,現代の生活の圧力のもとでこの聖句を当てはめるのは,必ずしも容易ではありません。基本的な問題は何でしょうか。時としてあるクリスチャンは,それとは気づかずに二重の規準にしたがった生活をしているかもしれません。王国会館では兄弟たちの中にいるので,親切と思いやりをもって行動します。ところが家に帰ると,いつもの決まりきった家庭生活の中で,霊的な関係を忘れてしまう傾向があるかもしれません。そこでは単なる夫と妻,一男性と一女性になってしまいます。また,ストレスを感じると,しまいに王国会館では決して口にしないような不親切なことを言ってしまうかもしれません。何が起きたのでしょうか。ごく短い間ですが,クリスチャンの人格が消えうせてしまいました。神の僕である者が,家でもクリスチャンの兄弟(または姉妹)であることを忘れてしまったのです。思いを活動させる力が,プラスの働きではなくマイナスの働きをしていたのです。―ヤコブ 1:22-25。
8 思いを活動させる力がマイナスの働きをすると,どんな結果になるかもしれませんか。
8 どんな結果になりますか。夫は,「知識にしたがって妻と共に住み,弱い器である女性としてこれに誉れを配(する)」ことをやめてしまうかもしれません。妻のほうも,もう夫に敬意を示さなくなるかもしれません。「もの静かで温和な霊」は消えてしまいます。思いを活動させる力は,霊的な方向ではなく,肉的な方向に進んでいます。「肉の思い」が優勢になっています。では,動機を与えるその力を霊的な方向に進め,それにプラスの働きをさせるには,どうしたらよいでしょうか。霊性を強化しなければなりません。―ペテロ第一 3:1-4,7。コロサイ 2:18。
その力を強めなさい
9 日常生活の中で,どんな選択をしなければなりませんか。
9 動機を与える力になるのは,決定や選択をしなければならない時に作用する精神の傾向です。生活の中では,善か悪か,利己主義か利他主義か,道徳か不道徳かといった様々な選択に次々と直面します。正しい決定を下すのに何が役立つでしょうか。思いを活動させる力です。ただしそれは,その力がエホバのご意志を行なうことに集中的に向けられていればの話です。詩編作者は,「エホバよ,あなたの規定の道をわたしに教え諭してください。わたしがそれを最後に至るまで守り行なうためです」と祈りました。―詩編 119:33。エゼキエル 18:31。ローマ 12:2。
10 どうすれば,思いを活動させる力をプラスの方向に強めることができますか。
10 エホバとの強力な関係は,わたしたちが神を喜ばせ,夫婦間の不貞といった悪から遠ざかる助けになります。イスラエルは,「[自分たちの]神エホバの目に善しとされ,正しいとされることを行なう」よう勧められました。しかし神は,「エホバを愛する者たちよ,悪を憎め」という助言もお与えになりました。「あなたは姦淫を犯してはならない」という十戒の7番目のおきてからすると,イスラエル人は姦淫を憎まなければなりませんでした。そのおきては,夫婦間の貞節に関する神の厳格な見方を示しています。―申命記 12:28。詩編 97:10。出エジプト記 20:14。レビ記 20:10。
11 どうすれば,思いを活動させる力をさらに強化できますか。
11 思いを活動させる力をさらに強めるにはどうしたらよいでしょうか。霊的な活動と価値観を高く評価することです。そのためには,神の言葉を定期的に研究する必要を満たし,エホバのお考えと助言について一緒に話し合うことを喜ぶようにならなければなりません。わたしたちの心境は,詩編作者と同じようであるべきです。「わたしは心を込めてあなたを尋ね求めました。わたしをあなたのおきてから迷い出させないでください。わたしはあなたのことばを心のうちに蓄えました。あなたに対して罪をおかさないためです。エホバよ,あなたの規定の道をわたしに教え諭してください。わたしがそれを最後に至るまで守り行なうためです。わたしに理解させてください。わたしがあなたの律法を守り行ない,心を込めてそれを守るためです」― 詩編 119:10,11,33,34。
12 キリストの思いを一致して反映するのに,どんな事柄が役立ちますか。
12 エホバの義の原則に対するこのような認識を保つには,聖書を研究するだけでなく,クリスチャンの集会に欠かさず参加し,クリスチャンの宣教を共に行なうことも必要です。この二つの強力な影響力は,思いを活動させる力を絶えず強めることができるので,わたしたちの私心のない生き方は常にキリストの思いを反映するようになります。―ローマ 15:5。コリント第一 2:16。
13 (イ)祈りはなぜ,思いを活動させる力を強めるための大切な要素ですか。(ロ)この点でイエスはどんな模範を示されましたか。
13 もう一つの要素は,パウロがエフェソス人への手紙の中で強調している事柄です。「あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい」。(エフェソス 6:18)夫と妻は共に祈る必要があります。そのような祈りが心を開き,どんな溝でも埋めてしまう率直な会話につながることも少なくありません。試みや誘惑を受けている時は,神に祈り,助けを求め,キリストの思いと一致した事柄を行なうための霊的な強さを求める必要があります。完全なイエスでさえ,様々な機会にみ父に祈り,強さを与えてくださるよう求めました。イエスの祈りは心から出る熱烈な祈りでした。今日も同様です。わたしたちも誘惑を受ける時には,肉欲に屈するままに結婚の誓いを破ろうとする欲望に抵抗するための助けをエホバに呼び求めることにより,正しい決定を下すための強さを得ることができます。―詩編 119:101,102。
振る舞いに関する対照的な例
14,15 (イ)ヨセフは誘惑にどう反応しましたか。(ロ)ヨセフが誘惑に抵抗するのに何が助けになりましたか。
14 わたしたちはどのように誘惑に立ち向かうことができるでしょうか。この点では,非常に対照的な二つの行動があります。一つはヨセフの取った行動,もう一つはダビデの取った行動です。ポテパルの妻が,当時は恐らく独身だったハンサムなヨセフをしつこく誘惑しようとした時,ヨセフは最後に答えてこう言いました。「この家に私より大いなる者はおりません。[ご主人様は]私に対しどんなものも差し控えてはおられません。ただしあなただけは別です。あなたは奥様だからです。ですから,どうしてわたしはこの大きな悪行を犯して,まさに神に対して罪をおかすことなどできるでしょうか」― 創世記 39:6-9。
15 非常に誘惑に負けやすい状況の中でヨセフが正しい行動を取るのに何が助けになったでしょうか。ヨセフは思いを活動させる強い力を持っていました。また,エホバとの関係を強く意識していました。さらに,自分に熱を上げているその女性と淫行を犯せば,彼女の夫だけでなく,もっと大切なこととして神に対して罪をおかすことになるということを知っていました。―創世記 39:12。
16 ダビデは誘惑にどう反応しましたか。
16 それとは対照的に,ダビデには何が起きたでしょうか。ダビデは,律法で許されていた数人の妻のいる既婚者でした。ある日の夕方,ダビデは一人の女性が身を洗っているのを宮殿からながめていました。それは,ウリヤの妻,美しいバテ・シバでした。ダビデは明らかに行動を選択することができました。心の中で欲情が高まってゆく間バテ・シバを見つづけるか,その場を去って誘惑を退けるかのいずれかです。ダビデはどちらを選んだでしょうか。彼女を宮殿に呼び寄せ,姦淫を犯しました。さらに悪いことに,彼女の夫が死ぬように仕向けました。―サムエル第二 11:2-4,12-27。
17 ダビデの霊的な状態についてどんなことを推察できますか。
17 ダビデの問題は何だったのでしょうか。ダビデが後に詩編 51編の中に記した悔恨の告白から,幾つかの事実を推察することができます。ダビデは,「神よ,わたしのうちに浄い心を創造してください。わたしの内に新たな霊,揺るぎない霊を置いてください」と言いました。誘惑にあった時にダビデが浄く揺るぎない霊を持っていなかったことは明らかです。もしかしたら,エホバの律法を読むことをおろそかにしていた結果,霊性が弱くなっていたのかもしれません。あるいは,王としての立場や権力のために考え方がゆがめられ,みだらな欲望のえじきになってしまったのかもしれません。その時ダビデの思いを活動させていた力は確かに利己的で,罪深いものでした。だからこそ,ダビデは「新たな霊,揺るぎない霊」が必要であることを悟ったのです。―詩編 51:10。申命記 17:18-20。
18 イエスは姦淫に関してどんな助言をお与えになりましたか。
18 クリスチャンの結婚生活も,夫婦の片方または両方がダビデ王と同じく霊的に弱い状態に陥るために損なわれることがあります。わたしたちはダビデの例を警告として受け止め,情欲を抱いて他の女性や男性を見つづけることがないよう注意すべきです。そうしないなら,最後には姦淫を犯すことになりかねないからです。イエスは,この点に関する人の感情を理解していることを示し,こう言われました。「『あなたは姦淫を犯してはならない』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです」。そのような場合,思いを活動させる力は利己的で,肉欲に汚されており,霊的ではありません。ではクリスチャンは,姦淫を避け,幸福で満足のゆく結婚生活を続けるために何ができるでしょうか。―マタイ 5:27,28。
夫婦のきずなを強めなさい
19 どうすれば,夫婦の関係を強めることができますか。
19 ソロモン王は,「だれかが一人だけの人を打ち負かすことができるとしても,二人が一緒になれば,これに立ち向かうことができる。それに,三つよりの綱は素早く断ち切ることはできない」と書きました。確かに,仲のよい夫婦である二人の人は,一人の人よりも逆境によく立ち向かうことができます。しかし,もし二人のきずなが神の関与する三つよりの綱のようであるなら,結婚生活は強固になります。では,神の関与する結婚生活を送るにはどうしたらよいでしょうか。夫婦が結婚に関する神の原則と助言を当てはめるなら,そうできます。―伝道の書 4:12。
20 夫には聖書のどんな助言が役立ちますか。
20 夫が以下に挙げた聖句の助言を当てはめるなら,確かに結婚生活を成功させるための土台はさらにしっかりします。
「夫たちよ,同じように,知識にしたがって妻と共に住み,弱い器である女性としてこれに誉れを配しなさい。あなた方は,過分の恵みとしての命を妻と共に受け継ぐ者でもあるからです。そうするのは,あなた方の祈りが妨げられないためです」― ペテロ第一 3:7。
「夫たちよ,妻を愛し続けなさい。キリストが会衆を愛し,そのためにご自分を引き渡されたのと同じようにです。このように,夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する人は自分自身を愛しているのです」― エフェソス 5:25,28。
「彼女[の夫は]立ち上がり,これを称賛する。有能さを示した娘は多くいる。しかしあなたは ― あなたはそのすべての者よりも優れている」― 箴言 31:28,29。
「人は炭火の上を歩いて,足を焦がさないようにすることができるだろうか。仲間の者の妻と関係を持つ者もこれと同じである。これに触れる者はだれも罰を免れない。女と姦淫を犯す者は……自分の魂を滅びに陥れるのである」― 箴言 6:28,29,32。
21 妻には聖書のどんな助言が役立ちますか。
21 妻が以下に挙げた聖書の教えに注意を払うなら,それは結婚生活をいつまでも続けるのに役立ちます。
「妻たちよ,自分の夫に服しなさい。それは,み言葉に従順でない者がいるとしても,言葉によらず,妻の行状によって,つまり,深い敬意のこもったあなた方の貞潔な行状[と,もの静かで温和な霊]を実際に見て引き寄せられるためです」― ペテロ第一 3:1-4。
「夫は妻に対してその当然受けるべき[性的な]ものを与えなさい。また妻も夫に対して同じようにしなさい。……互いにそれを奪うことがないようにしなさい。ただし,定められた時のあいだ相互に同意し(ている)場合は別です」― コリント第一 7:3-5。
22 (イ)結婚生活に良い影響を及ぼす要素としては,ほかにどんなものがありますか。(ロ)エホバは離婚をどうご覧になりますか。
22 聖書はまた,結婚生活という宝石の不可欠な面として,ほかにも愛,親切,同情心,辛抱,理解,励まし,称賛などを挙げています。それらの面が欠けた結婚生活は,日光と水のない植物と同じです。そのような植物が花を咲かせることはまずありません。ですからわたしたちは,思いを活動させる力に駆り立てられて,夫婦の間で互いに相手を励まし,相手をさわやかにしたいものです。エホバは『離婚を憎まれる』ことを忘れてはなりません。クリスチャンの愛を実践しているなら,姦淫を犯したり結婚生活が破たんしたりする余地はないはずです。なぜですか。『愛は決して絶えないからです』。―マラキ 2:16。コリント第一 13:4-8。エフェソス 5:3-5。
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