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ウガンダ2010 エホバの証人の年鑑
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フランク・スミスと妻のマリーは,イザヤのような精神を抱いてその呼びかけにこたえ応じ,東アフリカへ移動する準備を直ちに始めました。a (イザ 6:8)1959年7月,二人はニューヨークからケープタウンを経由してモンバサに向かう船旅に出ます。次いで列車でカンパラに行き,そこでフランクは地質調査局の化学者として公務員の職に就きます。スミス夫妻は,カンパラから35㌔ほど南のエンテベに居を定めました。ビクトリア湖沿岸のこの美しい都市では,王国伝道の業がまだ全く手つかずでした。二人は小さいながらも増加していたカンパラの会衆の集会に定期的に出席しました。
スミス夫妻はやがて,ピーター・ギャビと妻のエスターに真理を伝えます。ピーターはウガンダの公務員として責任ある立場に就いていました。「宗教は人類の為に何を成したか?」b という本をすでに持っていたものの,仕事がとても忙しく,転勤も多かったために,あまり読みませんでした。その後,二つの部族間の緊張を伴う複雑な土地争いの調停役を命じられました。それで,「神様,助けてくださるならあなたについてもっと知るようにします」と祈ります。争いは平和裏に解決し,ピーターは自分がささげた祈りを思い出し,例の本を読み始めました。そこに書かれている事柄は真理であると思い,エホバの証人を探し始めました。そしてフランク・スミスに出会い,フランクが自分と妻との聖書研究を司会してくれることになり,とても喜びました。この感じのよい夫婦はやがてバプテスマを受けます。二人はこれまで40年以上忠実に奉仕しており,今も王国宣明者として活発です。
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ウガンダ2010 エホバの証人の年鑑
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a フランク・スミスの生涯に関する経験は,「ものみの塔」誌,1995年8月1日号,20-24ページに掲載されています。フランクの父親であるフランク・W・スミス,おじ夫婦のグレー・スミスと妻のオルガは,東アフリカでごく早い時期に伝道を行なった人たちです。フランクの父親は,ケープタウンの家に戻る途中にマラリアで亡くなりました。フランクが生まれる2か月前のことです。
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ウガンダ2010 エホバの証人の年鑑
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[75ページの図版]
フランク・スミスと妻のマリー。1956年に結婚する少し前
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