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「もう一杯だけ」ものみの塔 2010 | 1月1日
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「もう一杯だけ」
アレンがお酒を飲むようになったのは,11歳の時です。a 友達と一緒に森の中で遊んでいた時,映画の登場人物のまねをしました。映画に出てきたのは架空の人物でしたが,アレンたちが飲んだのは本物のお酒でした。
トニーは40歳の時,毎晩の飲む量が増え始めました。一,二杯だったのが五,六杯になり,やがて1日に何杯飲んだか分からないぐらいになりました。
アレンは助けを求めましたが,トニーは,心配する家族や友人の援助を拒みました。アレンは今も生きていて自分の経験を語れますが,トニーは数年前に飲酒運転で事故を起こし,亡くなりました。
一人きりで飲んでいるとしても,過度の飲酒はいずれ他の人の生活に影響を及ぼします。悲惨な結果を生むことが少なくありません。b 飲み過ぎは,往々にして言葉や腕力による虐待を引き起こします。交通事故や仕事中のけが,傷害事件や殺人事件の要因となることもあります。様々な健康上の問題も無視できません。アルコール飲料の乱用は,本人や家族や子どもに感情的な痛手を与えるだけでなく,社会にも莫大な経済的損失をもたらしています。
とはいえ,「習慣的に飲む人がみな飲酒の問題を抱えているわけではなく,飲酒の問題を抱えている人がみな毎日飲むわけでもない」と米国の国立衛生研究所は述べています。アルコール依存ではないとしても,自分で気づかないうちに過度の飲酒の習慣に陥っている人がかなりいます。たまにしか飲まないが,飲む時にはけっこう飲む,という人もいます。
お酒を飲む場合,どこからが飲み過ぎになるのでしょうか。「もう一杯だけ」飲むのを控えるべきかどうか,どうすれば分かるでしょうか。(箴言 23:29,30,「現代英語訳」)続く記事で,そうした点について考えます。
[脚注]
a 一部の名前は変えてあります。
b 男性はアルコール依存になる率が女性の4倍も高いので,この一連の記事では男性の例を取り上げています。しかし,記事の情報は男性にも女性にも当てはまります。
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飲酒についての神の見方は?ものみの塔 2010 | 1月1日
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飲酒についての神の見方は?
創造者である神は,わたしたちの最善の益を願っておられます。適度な飲酒を禁じたりはせず,「人の心を喜ばすぶどう酒,その顔をつややかにする油,人の心を強くするパン」を与えておられます。(詩編 104:15,「口語訳」,日本聖書協会)イエス・キリストも,婚宴にいっそうの喜びを添えるため,水を「上等のぶどう酒」に変えたことがあります。―ヨハネ 2:3-10。
創造者は,アルコールが人間の体と脳にどのような影響を与えるかを正確にご存じのはずです。わたしたちの父である神は,聖書を通してわたしたちに「自分を益することを教え」,飲み過ぎを強く戒めておられます。(イザヤ 48:17)次のような率直な警告が与えられています。
「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです」。(エフェソス 5:18,「新共同訳」,共同訳聖書実行委員会)「酒におぼれる者……は,決して神の国を受け継ぐことができません」。(コリント第一 6:9-11,「新共同訳」)神の言葉は,「酩酊,遊興,そういった類のもの」を非としているのです。―ガラテア 5:19-21,「新改訳」,新改訳聖書刊行会。
では,飲み過ぎにはどんな危険があるか,考えてみましょう。
飲み過ぎの様々な危険
飲酒には利点もありますが,お酒には脳と体の機能に影響を与える成分が含まれています。過度の飲酒は,以下のような問題を引き起こすおそれがあります。
判断力が鈍り,『はっきり考えることができなくなる』。(箴言 23:33,「今日の英語訳」)前の記事に出てきたアレンはこう言います。「アルコール依存は,単なる体の病気ではありません。考え方と態度の病気です。他の人を傷つけているということを考えなくなるんです」。
抑制が効かなくなる。「ぶどう酒と甘いぶどう酒とが良い動機を奪い去る」と聖書は警告しています。(ホセア 4:11)どのように奪い去るのでしょうか。アルコールの影響を受けると,普段なら抑えている考えや欲求が,全く問題ないものに,さらには望ましいものにさえ思えてきます。正しいことを行なおうという決意が弱まります。道徳面での防御壁が崩れ,霊的に大きな害を受けかねません。
ジョンは,妻と口論して家を飛び出し,バーに行きました。気持ちを落ち着けようと数杯飲んでいると,一人の女性から声をかけられました。さらに数杯飲んだ後に女性と一緒に店を出て,姦淫を犯してしまいました。アルコールで抑制力が低下していなければ考えさえしなかったようなことを,行なってしまったのです。ジョンは深く悔やみました。
自分の言動をコントロールできなくなる。「いさかいの絶えぬ者は誰か……。それは,酒を飲んで夜更かしする者」と聖書は述べています。(箴言 23:29,30,「新共同訳」)その人は,「海の真ん中に横たわっている者のように,帆柱のてっぺんに横たわっている者のように」なります。(箴言 23:34)朝,目覚めた時,「体中にあざがあるのに,どうしてそうなったのか覚えてさえいない」こともあるでしょう。―箴言 23:35,「現代英語訳」。
体の健康を損なう。「後になると,それ[酒]は蛇のようにかみ,蝮の毒のように広がる」。(箴言 23:32,「新共同訳」)この古代の格言の価値を,現代医学も裏づけています。アルコールの大量摂取は,命にかかわる害を及ぼします。がん,アルコール性肝炎,肝硬変,膵炎,糖尿病患者の血糖値低下,胎児性アルコール症候群,脳卒中,心不全など,挙げれば切りがありません。たった一度の飲み過ぎや一気飲みが昏睡や死につながることもあります。とはいえ,最も深刻な害は医学書には載っていません。
最大の危険。酩酊にまでは至らなくても,節度を欠いた飲酒には霊的な危険があります。聖書は率直にこう述べています。「酔わせる酒を求めるためだけに朝早く起きる者,遅くまで夕闇の中でだらだらと時を過ごし,ぶどう酒に身を燃やす者たちは災いだ!」 なぜでしょうか。霊的にどんな結果になるかが,こう記されています。「彼らはエホバの働きを見ず,そのみ手の業を見なかった」。―イザヤ 5:11,12。
神の言葉は,『ぶどう酒を多量に飲む者の仲間に加わってはならない』と忠告しています。(箴言 23:20)また,「大酒の奴隷」にならないようにと,年配の女性に警告しています。(テトス 2:3)なぜですか。飲む量と頻度は徐々に,たいてい気づかないうちに,増えていくものだからです。やがて,「横になったまま目を覚まして,『いつになったら朝になるのだろう,そうすればまた飲めるのに』と言う」ようになるかもしれません。(箴言 23:35,「現代英語訳」)二日酔いをさますための朝の1杯を渇望するようになった人は,危険な一線を越えています。
「過度の飲酒,浮かれ騒ぎ,飲みくらべ[をする]人々は,生きている者と死んだ者とを裁く備えのある方に対して言い開きをすることになる」と,聖書は警告しています。(ペテロ第一 4:3,5)イエスも,現代の危機的な時代に関して,こう警告しておられます。「食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのためにあなた方の心が押しひしがれ,[エホバの]日が突然,わなのように急にあなた方に臨むことがないよう,自分自身に注意を払いなさい」。―ルカ 21:34。
では,飲酒に関して節度を保つのが難しい人は,どうすれば『飲み過ぎのために押しひしがれる』ことを避けられるでしょうか。
[4,5ページの図版]
飲み過ぎは多くの問題を生む
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飲酒をコントロールするものみの塔 2010 | 1月1日
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飲酒をコントロールする
最初の記事に出てきたトニーは,飲み過ぎを認めてさえいれば,全く違う人生を送ることができたはずです。しかし,たくさん飲んでも目立った症状がなかったので,大丈夫だと考えていました。そこに落とし穴がありました。
アルコールの影響で判断力が鈍っていたのです。本人は気づかなかったかもしれませんが,体や思考や感情を監視する重要な器官である脳が,正しく機能していませんでした。飲めば飲むほど,トニーの脳は正確な判断を下すことができなくなっていました。
さらに,飲酒の習慣を変えたくないという頑固な気持ちも障害となりました。アレンも,最初のうちは飲酒の問題を認めようとしませんでした。こう述べています。「人目を避けて飲みました。いろいろと言い訳をし,飲み過ぎを深刻に考えないようにしました。とにかく酒をやめたくなかったのです」。他の人から見ればトニーとアレンがお酒の奴隷になりつつあることは明らかでしたが,二人とも,全く問題ないと自分に言い聞かせていました。二人は,飲酒をコントロールするために行動を起こす必要がありました。どのようにでしょうか。
行動を起こす!
アルコール乱用から抜け出した人たちの多くは,次のイエスの言葉に沿って行動しました。「もしあなたの右の目があなたをつまずかせているなら,それをえぐり出して捨て去りなさい。全身をゲヘナに投げ込まれるよりは,肢体の一つを失うほうがあなたにとって益になるのです」。―マタイ 5:29。
言うまでもないことですが,イエスは,実際に手足を切り取りなさい,と述べていたのではありません。何であれ霊的に有害なものを進んで生活から取り除くべきことを,比喩を用いて強調していたのです。もちろん,そうするのはかなり辛いでしょう。しかし,そのようにすれば,アルコール乱用につながりかねない考えや状況から離れることができます。ですから,飲む量が増えているみたいで心配だと人から言われたことがあるなら,飲酒のコントロールに取り組みましょう。a コントロールできないことが分かったなら,お酒をすっぱりやめましょう。やめるのは辛いでしょうが,人生を台なしにするよりはずっとましです。
あなたは,アルコール依存ではないとしても,飲み過ぎる傾向がありますか。そうであれば,飲酒をコントロールするために何ができるでしょうか。
具体的に何ができるか
1. 心から頻繁にささげる祈りの力に信仰を置く。聖書は,エホバ神を喜ばせたいと願う人すべてに,こうアドバイスしています。「事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」。(フィリピ 4:6,7)この平安な気持ちを得るには,何について祈ったらよいのでしょうか。
自分が飲酒の問題を抱えていて,責任は自分にある,ということを正直に認めましょう。自分がどうしたいかを神に伝えてください。そうすれば,神の祝福を受け,安らぎを得るとともに,問題の深刻化を防ぐことができるでしょう。「自分の違犯を覆い隠している者は成功しない。しかし,それを告白して捨てている者は憐れみを示される」と書かれているとおりです。(箴言 28:13)イエスも,こう祈ることができると教えています。「わたしたちを誘惑に陥らせないで,邪悪な事柄から救出してください」。(マタイ 6:13; 脚注)では,そうした祈りと調和して何ができるでしょうか。また,祈りに対する答えはどのように与えられますか。
2. 神の言葉から力を得る。「神の言葉は生きていて,力を及ぼし,……心の考えと意向とを見分けることができる」。(ヘブライ 4:12)大酒飲みだった多くの人たちにとって,聖書を毎日読んで黙想することが助けになりました。神への崇敬の念を抱く詩編作者は,こう書いています。『幸いなるかな,邪悪な者の計り事に歩まなかった人は。かえって,その人の喜びはエホバの律法にあり,その律法を昼も夜も小声で読む。彼の行なうことはすべて成功する』。―詩編 1:1-3。
アレンは,エホバの証人と一緒に聖書を研究することから力を得て,アルコール乱用を克服できました。こう述べています。「聖書と聖書の原則の助けがなかったなら,酒をやめられず,今ごろは死んでいたと思います」。
3. 自制心を培う。聖書によれば,昔のクリスチャン会衆にはかつて大酒飲みだった人たちもいましたが,その人たちは「神の霊をもって」洗われて清くなりました。(コリント第一 6:9-11)どのようにでしょうか。一つには,神の聖霊の助けを得て自制心を培うことによって,酔酒や浮かれ騒ぎをやめたのです。『酒に酔ってはなりません。そこに放とうがあるのです。むしろ,いつも霊に満たされなさい』と聖書は勧めています。(エフェソス 5:18。ガラテア 5:21-23)「天の父は,ご自分に求めている者に聖霊を与えてくださる」とイエス・キリストは約束しています。ですから,「求めつづけ」ましょう。「そうすれば与えられます」。―ルカ 11:9,13。
自分の崇拝がエホバに受け入れられることを願う人は,聖書を読んで研究することによって,また幾度も心から祈ることによって,自制心を培えます。気落ちしてあきらめてしまってはなりません。神の言葉はこう約束しています。「霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになる(の)です。それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです」。―ガラテア 6:8,9。
4. 良い友を選ぶ。「賢い者たちと共に歩んでいる者は賢くなり,愚鈍な者たちと交渉を持つ者は苦しい目に遭う」。(箴言 13:20)飲酒をコントロールするという決意を友人たちに話しましょう。しかし,聖書が述べるとおり,あなたが「過度の飲酒,浮かれ騒ぎ,飲みくらべ」をやめると,友人は『当惑してあなたのことをあしざまに言う』かもしれません。(ペテロ第一 4:3,4)あなたの決意を弱めるような人との付き合いは潔くやめましょう。
5. 明確な限度を定める。「この事物の体制に合わせて形作られるのをやめなさい。むしろ,思いを作り直すことによって自分を変革しなさい。それは,神の善にして受け入れられる完全なご意志を自らわきまえ知るためです」。(ローマ 12:2)友人や「この事物の体制」の基準ではなく,神の言葉の原則に基づいて限度を定めましょう。そうすれば,神に受け入れられる生き方ができます。とはいえ,あなたにとっての安全な限度とは何でしょうか。
お酒を飲んで判断力や理性が鈍るようであれば,それはあなたにとって飲み過ぎです。お酒を飲む場合には,飲む量の限度を曖昧にしておいてはなりません。自分は大丈夫だと考えたりせず,正直に吟味しましょう。そして,控えめの範囲内に十分収まる安全な限度を明確に定めます。そうすれば,飲み過ぎを避けられるでしょう。
6. “ノー”と言えるようになる。「ただ,あなた方の“はい”という言葉は,はいを,“いいえ”は,いいえを意味するようにしなさい」。(マタイ 5:37)親切ではあっても思慮に欠けた人からしつこくお酒を勧められることがあります。礼儀正しく断われるようになりましょう。「あなた方の発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけされたものとし,一人一人にどのように答えるべきかが分かるようになりなさい」と聖書も述べています。―コロサイ 4:6。
7. 個人的な援助を求める。あなたの決意を強めてくれ,霊的に助けてくれる友に支えてもらいましょう。「二人は一人に勝る。彼らはその骨折りに対して良い報いを得るからである。もしもそのうちの一人が倒れるなら,他方の者がその仲間を起き上がらせることができるからである」と書かれているとおりです。(伝道の書 4:9,10。ヤコブ 5:14,16)米国の国立アルコール乱用・依存症研究所もこうアドバイスしています。「飲む量を減らすのが難しい場合がある。目標を達成するために,家族や友人に援助を求めるのは良いことである」。
8. 決意を守る。「み言葉を行なう者となりなさい。ただ聞くだけで,虚偽の推論によって自分を欺く者となってはなりません。しかし,自由に属する完全な律法の中を熟視し,それを守り通す人,その人は,聞いてすぐに忘れる人ではなく,業を行なう人となっているので,それを行なうことによって幸福になります」。―ヤコブ 1:22,25。
依存から抜け出す
飲み過ぎの人が必ずアルコール依存になる,というわけではありません。とはいえ,飲む量や頻度の増えたことがきっかけとなってアルコール依存症になる人は少なくありません。アルコール依存症の人は,身体的にも心理的にも一種の強い薬物に頼っているので,意志の力や霊的な援助だけでは依存から抜け出せないかもしれません。アレンもこう言います。「飲むのをやめると,禁断症状でひどく苦しみました。それで,霊的な援助を受けてはいましたが,医学的な治療も必要だと思いました」。
アルコール乱用から抜け出して逆戻りしないための霊的な戦いを強化するには,多くの場合,医学的な治療が必要です。b 重度の禁断症状と闘うために入院が必要な場合もあれば,極度のアルコール渇望を抑えて禁酒を続けるために薬物による治療が必要な場合もあります。奇跡を行なう力を持っていたイエス・キリストもこう述べています。「丈夫な人に医者は必要でなく,病気の人に必要なのです」。―マルコ 2:17。
神の教えを心に留めることの益
飲酒に関する聖書の賢明なアドバイスは,真の神からのものです。神はわたしたちにとって最善のことを願っておられます。今の楽しみだけでなく,永続的な益を願ってくださっています。禁酒して24年になるアレンは過去を振り返り,こう言います。「自分も変われるんだということが分かって,とてもうれしかったです。そして,自分を正すのをエホバが喜んで助けてくださるということが……」と言ってアレンは涙ぐみます。「……エホバは理解して気遣ってくださいます。必要な助けを与えてくださるんです。言葉では表わせないほどです」。
ですからあなたも,いまアルコール乱用やアルコール依存に陥っているとしても,あきらめたり希望を失ったりしてはなりません。アレンと同様に多くの人が,飲む量を大幅に減らしたり完全に禁酒したりしました。そして,全く後悔していません。あなたもそうなれます。
節度を保って飲酒する場合でも,禁酒する場合でも,次のような愛にあふれた神の言葉を心に留めましょう。「ああ,あなたがわたしのおきてに実際に注意を払いさえすれば! そうすれば,あなたの平安は川のように,あなたの義は海の波のようになるであろうに」。―イザヤ 48:18。
[脚注]
a 8ページの「お酒の奴隷になりつつある?」という囲みをご覧ください。
b 様々な治療センターや病院や回復プログラムがあります。本誌は特定の治療法を勧めてはいません。各人が注意深く検討し,聖書の原則に反しないものを選ぶべきです。
[8ページの囲み記事/図版]
お酒の奴隷になりつつある?
自問してみましょう
• 以前より飲む量が増えたか
• 以前より飲む回数が増えたか
• 強い酒を飲むようになったか
• ストレスの解消や問題からの逃避のために飲んでいるか
• 飲酒について家族や友人から心配されたことがあるか
• 家や職場で,また旅行中に,飲酒がもとで問題を起こしたことがあるか
• 1週間飲まずにいると辛いか
• 禁酒した人の話を聞くと,嫌な気持ちになるか
• 飲んでいる量を人に知られないようにしているか
「はい」と答えた項目が一つでもあるなら,飲酒をコントロールする措置を講じる必要があるでしょう。
[9ページの囲み記事/図版]
賢明な決定を下すために
飲む前にこう考えます
• 飲んでもよいか。やめておいたほうがよいか。
アドバイス: 飲む量を制限できないなら,やめる。
• どれくらいの量を飲んでよいか。
アドバイス: 判断力が鈍る前に,飲む量の限度を決める。
• いつ飲むか。
アドバイス: 次のようなときは避ける。車の運転など注意力を要することを行なう前。崇拝に関係したことを行なう前。妊娠中。薬の服用中。
• どこで飲むか。
アドバイス: 健全な雰囲気の場所で。隠れて飲んだり,飲酒を快く思わない人の前で飲んだりしない。
• だれと飲むか。
アドバイス: 良い友や家族と一緒に。飲酒の問題のある人とは飲まない。
[10ページの囲み記事/図版]
立ち直るきっかけになった聖書の言葉
タイに住むスポトは大酒飲みでした。最初のうちは晩にしか飲みませんでしたが,やがて朝も,そして昼食の時にも飲むようになりました。たいていは,ただ酔っ払うために飲んでいました。エホバの証人と一緒に聖書を研究するようになり,酩酊はエホバ神に受け入れられないということを学んで,酒をやめました。しかし,しばらくして元の習慣に逆戻りしてしまい,家族に辛い思いをさせました。
とはいえ,スポトはまだエホバを愛しており,エホバを正しく崇拝したいと願っていました。友人たちはスポトの援助を続けるとともに,家族を励まし,彼を見放したりせずにもっと多くの時間を一緒に過ごすようにと勧めました。スポトは,コリント第一 6章10節にある『大酒飲みは神の王国を受け継がない』という率直な言葉を読んで,事の重大性に気づきました。そして,飲酒の問題を克服するために本気で努力する必要があることを自覚しました。
スポトは,酒は一滴も飲まないという決意を固めました。そして,神の聖霊の力,神の言葉の導き,家族と会衆の助けによって霊的な強さを得,アルコールを求める気持ちを克服しました。やがて神への献身の象徴としてバプテスマを受け,家族は大喜びしました。現在スポトは,ずっと望んでいた神との親しい関係を楽しんでおり,時間を割いて他の人たちを霊的に援助しています。
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