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神聖な奥義を解く啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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大々的な背教
10 ユダヤ人の体制と悔い改めなかったその支持者たちは西暦70年にどうなりましたか。
10 ヨハネが啓示の書を記した当時,キリスト教は創設以来60年以上たっていました。最初,キリスト教はユダヤ教からの40年にわたる絶え間ない反対にもめげず生き残りました。その後,西暦70年に悔い改めないユダヤ人は自分たちの国家的身分と彼らにとって事実上偶像に等しかったエルサレムの神殿を失い,ユダヤ人の体制は致命的な打撃を受けました。
11 明らかになっていた傾向について主要な牧者が会衆に警告するのは,どうしてたいへん時宜にかなったことでしたか。
11 とはいえ,使徒パウロは,油そそがれたクリスチャンの間から背教が生じることを予告していましたし,イエスからの音信は,ヨハネが高齢に達した時,そのような背教がすでに現われていたことを示しています。ヨハネは,サタンが女の胤を腐敗させようとして全力を挙げて設けた企てに対する抑制力の働きをした人たちの最後の人でした。(テサロニケ第二 2:3-12。ペテロ第二 2:1-3。ヨハネ第二 7-11)ですから,当時は,エホバの主要な牧者が諸会衆の長老たちに手紙を書いて,明らかになっていた傾向について警告したり,義のためにしっかり立つよう心の正しい人たちを励ましたりする,ふさわしい時でした。
12 (イ)ヨハネの時代の後の世紀に,背教はどのように現われましたか。(ロ)キリスト教世界はどのようにして存在するようになりましたか。
12 西暦96年当時の諸会衆がイエスの音信にどのように反応したかは分かりません。しかし,わたしたちは,ヨハネの死後,背教が急速に現われたことを確かに知っています。いわゆる“クリスチャン”はエホバのみ名を使わなくなり,聖書写本にあるそのみ名を「主」もしくは「神」で置き換えました。
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神聖な奥義を解く啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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イエスはペルガモンの会衆に対して分派を戒めておられました。ところが,2世紀のころでさえ分派が現われ,今日のキリスト教世界には幾千もの相争う分派や宗教団体が見られます。―啓示 2:15。
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