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いやしの奇跡はすべて神からのものですかものみの塔 2009 | 5月1日
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しかしパウロは,コリント人へのその同じ手紙の中で,神の聖霊の奇跡的な賜物がなくなるということも書き,こう述べています。「預言の賜物があっても,それは廃され,異言があっても,それはやみ,知識があっても,それは廃されます」。―コリント第一 13:8。
西暦1世紀には,イエス・キリストや使徒たちが,いやしの奇跡を行ないました。キリスト教の歴史におけるその時代,いやしを行なう能力などの聖霊の賜物は,神の栄光をたたえるもの,また歴史の浅いクリスチャン会衆の上にエホバの是認と祝福があることを示すものでした。しかし,クリスチャン会衆は,ある程度の年月を経て十分に確立されたなら,神の是認の証拠として,特別の賜物ではなく,自分たちの揺るぎない信仰や希望や愛を提示することになっていました。(ヨハネ 13:35。コリント第一 13:13)ですから,神の恵みを受けている証拠としてのいやしの奇跡は,西暦100年ごろ,途絶えました。a
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いやしの奇跡はすべて神からのものですかものみの塔 2009 | 5月1日
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a 使徒たちの死とともに,賜物が伝達されることはなくなったようであり,聖霊の奇跡的な賜物は,その賜物を受けていた人たちが亡くなると,全く途絶えたと思われます。
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