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聖書の記録の裏づけとなる古代の陶片ものみの塔 2007 | 11月15日
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アラド・オストラカ
アラドは,エルサレムからかなり南方のネゲブと呼ばれる半乾燥地域に位置しています。アラドの発掘作業により,イスラエル人が築いた歴代の六つの要塞が発見されました。ソロモンの治世(西暦前1037-998年)から,西暦前607年のバビロニアによるエルサレム滅亡までの期間のものです。そして,聖書時代のものとしては最も多数のオストラカが発掘されました。その中には,ヘブライ語やアラム語などの記されたものが200以上も含まれています。
アラド・オストラカの幾つかは,祭司の家族に関する聖書の情報を裏づけています。例えば,ある陶片は「コラの子たち」について述べており,出エジプト記 6章24節と民数記 26章11節も同じ人たちに言及しています。詩編 42,44-49,84,85,87,88編は,表題によると,「コラの子たち」の作です。アラド・オストラカは,別の祭司の家族であるパシュフルとメレモトの家族のことも述べています。―歴代第一 9:12。エズラ 8:33。
もう一つの例を考えましょう。バビロニアによるエルサレム滅亡の直前の時期の要塞の遺跡から,その要塞の司令官あての陶片が発掘されました。「聖書のコンテクスト」(英語)という本によると,それには一部こう書かれています。「我が主エルヤシブへ。ヤハウェ[エホバ]があなたの幸せを気にかけてくださいますように。……私にご命令くださった件に関しては,万事順調でございます。彼はヤハウェの神殿にとどまっています」。多くの学者たちは,この神殿はソロモンの時代にエルサレムに創建された神殿のことであると考えています。
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聖書の記録の裏づけとなる古代の陶片ものみの塔 2007 | 11月15日
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[13ページの図版]
アラドの遺跡から見つかった,エルヤシブという人物あての陶片
[クレジット]
Photograph © Israel Museum, Jerusalem; courtesy of Israel Antiquities Authority
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