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ギリシャ,ギリシャ人聖書に対する洞察,第1巻
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他の主要な商業都市はアテネ
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ギリシャ,ギリシャ人聖書に対する洞察,第1巻
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やがて,アテネでは文学,数学,および芸術が一層強調されるようになりました。パイダゴーゴスと呼ばれる信頼された奴隷が子供を学校まで送って行きました。子供は6歳になると学校で訓練を受け始めました。(パウロがガラ 3:23-25でモーセの律法をパイダゴーゴスと比較していることに注目。「養育係」を参照。)アテネでは詩がたいへん人気があり,生徒は多くの詩を暗唱するよう要求されました。パウロはキリキアのタルソスで教育を受けましたが,アテネで自分の音信を人々に理解させるため,詩の一部を短く引用して利用しました。(使徒 17:22,28)悲劇や喜劇などの演劇も人気がありました。
哲学はアテネで,またやがてギリシャ全土で大いに重視されるようになりました。哲学の主要な学派の一つはソフィストのグループで,この派の人々は,真理は個人的な見解の問題であると主張しました。この考え方(ヒンズー教の考え方に似ている)に反対したのは,ソクラテスやその弟子プラトン,それにプラトンの弟子アリストテレスなどの有名なギリシャの哲学者でした。他の哲学では,幸福の究極的な源が扱われました。ストア派は,幸福は理性にしたがって生活することにあるとし,大切なのはこのことだけであると主張しました。エピクロス派は,快楽こそ幸福の真の源であると考えました。(パウロがコリ一 15:32でコリント人に対して述べている言葉と対比。)アテネでパウロと話し合うようになった人々の中には,これら後者の二つの学派の哲学者たちがおり,その結果,パウロはアレオパゴスに連れて行かれ,審問が行なわれることになりました。(使徒 17:18,19)哲学のもう一つの学派は,人生には事実上,真に重要なものは何もないと主張した懐疑学派でした。
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