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    1989 エホバの証人の年鑑
    • 今日,オーバーエーステライヒ州のリンツとその周辺には16の会衆があります。

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    1989 エホバの証人の年鑑
    • 普通これらの集会には,30人から35人の人が集まりました。しかし,加えられた圧力のために関心は弱まってゆき,報告が示すところによると,1940年になってもリンツには忠節な姉妹が一人いただけでした。

      西のほうでは,リヒテンシュタインとの国境に近いフェルトキルヒ市で,早くも1922年から,ウィルヘルム・コレトという名の税関職員が同僚たちに証言を行なっていました。アガーテ・テイラーと彼女の母親は,当時ラウテラッハの村に住んでいて良いたよりを聞きました。地元の司祭を交えて,アガーテの両親の家で話し合いを行なう取り決めが設けられ,20人から25人の人が集まりました。司祭は,提出された論議をどれ一つ聖書から論駁することができませんでした。どのような結果になったでしょうか。その家族の全員が真理を受け入れたのです。1925年に集会は専らドルンビルンの町で開かれるようになり,講演を行なうためにスイスの近くから兄弟たちが来ました。1917年という早い時期に初めて真理を聞いたヨハン・ブロッツゲも,講演を行なうまでに進歩していました。

      国内の各地でなされていた進歩は記念式の出席者の数に反映されました。1926年にウィーンでは312人,グラーツでは43人,クラーゲンフルト26人,その他の場所で合計52人が報告されました。

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