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  • 権威を用いる時,キリストに見倣いなさい
    ものみの塔 2006 | 4月1日
    • 「すべての権威」を与えられたイエス・キリスト

      イエス・キリストの手本について考えてください。天に昇る少し前,イエスは弟子たちに,「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています」と語りました。(マタイ 28:18)この言葉は弟子たちに何か恐れの気持ちを抱かせたでしょうか。ローマの皇帝たちは,従わない者や反抗する者を容赦なく打ち砕くことで知られていましたが,弟子たちは,イエスが今後それと同じような態度を示すのではないかと心配したでしょうか。

      聖書によると,決してそのようなことはありませんでした。イエス・キリストは,天の父と同じ仕方で権威を行使します。エホバは全能で,宇宙の正当な主権者であられますが,ご自分の民に対しては,心から進んで行なう奉仕を求めておられます。単なる恐れによる,機械的あるいは隷属的な従順を求めておられるのではありません。(マタイ 22:37)エホバは決してご自分の権威を乱用されません。預言者エゼキエルに与えられた目をみはるような幻がその点を示しています。

      その幻の中でエゼキエルは四つの生き物,つまり神の主権を擁護するみ使いを見ました。その各々に四つの顔がありました。エゼキエルはこう書いています。「その顔の有様についていえば,その四つのものには人の顔があり,右にはライオンの顔があり,その四つのものには左に雄牛の顔があり,その四つのものにはまた,鷲の顔があった」。(エゼキエル 1:10)これら四つの顔は,完全に釣り合いの取れた,神の四つの基本的な特質ないし属性を表わしています。神の言葉によると,それらの属性はまず,人の顔で表わされた愛,ライオンの顔で表わされた公正,そして鷲の顔で表わされた知恵です。これら三つの属性は,雄牛によって表わされた四つ目の属性である力とバランスを保って働きます。この幻でこうして示された事柄にはどんな意味があるでしょうか。次の事柄です。エホバはご自分の限りない力と権威を用いる時にも,ご自身の他の基本的な特質との調和を崩すようなことは決してされないのです。

      イエス・キリストは天の父に見倣い,いつでも愛,知恵,公正と全く調和した形でご自分の権威を行使されました。弟子たちはイエスの権威のもとで働くとき,非常にさわやかに感じました。(マタイ 11:28-30)エホバ神とイエス・キリストの双方を最もよく表わす属性を一つだけ挙げるとすれば,それは愛であって,力や権威ではありません。―コリント第一 13:13。ヨハネ第一 4:8。

  • 権威を用いる時,キリストに見倣いなさい
    ものみの塔 2006 | 4月1日
    • もしあなたがクリスチャン会衆内である程度の権威をゆだねられているのであれば,どうでしょうか。それを正しく用いているかどうかを確かめるために,エホバ神の霊感によって記され,イエス・キリストが実際の手本で示された次の幾つかの原則に照らしてご自分を吟味してみてください。

      「主の奴隷は……すべての人に対して穏やかで,……苦境のもとでも自分を制し,好意的でない人たちを温和な態度で諭すことが必要です」。―テモテ第二 2:24,25。

      初期のクリスチャン会衆には大きな権威をゆだねられていた人もいました。例えばテモテは,『異なった教理を教えたりしないようにとある人々に命じる』ことさえできました。(テモテ第一 1:3,4)とはいえ,テモテはどんな場合にも敬虔な特質を示しながら行動したはずです。クリスチャンの監督としての務めを果たす際には「温和な態度で」諭し,「すべての人に対して穏やかで」あるように,というパウロの助言に添って行動したに違いないからです。テモテ自身は比較的に若かったので,年長の人たちには慎み深い息子のように,また若い人たちには相手をよく気遣う兄弟のように振る舞わなければなりませんでした。(テモテ第一 5:1,2)そのような愛のこもった配慮があれば,クリスチャン会衆において,温かで愛情に満ちた家族と同じ精神が発揮され,ビジネス社会のような冷酷無情な態度が示されることはありません。―コリント第一 4:14。テサロニケ第一 2:7,8。

      『諸国民の支配者たちは人々に対して威張り,偉い者たちは人々の上に権威を振るいます。あなた方の間ではそうではありません。かえって,だれでもあなた方の間で偉くなりたいと思う者はあなた方の奉仕者でなければなりません』。―マタイ 20:25,26。

      世の専制君主は他の人に対して「威張り」,自分の意向を押しつけ,一定の行動を強要し,従わない者には制裁をもって臨みます。しかしイエス・キリストは,他の人に仕えることの大切さを強調し,人を力で抑えつけたりしないようにということを示されました。(マタイ 20:27,28)イエスは常に,ご自分の弟子たちに愛と配慮の行き届いた接し方をされました。イエスのこうした手本に従うなら,他の人たちはあなたと共に働くのを心地よく感じるでしょう。(ヘブライ 13:7,17)そして,できる時には『余分の一マイル』を行く,つまり普通以上の努力を払うこともためらわず,強いられた気持ちからではなく,進んでそれを行なおうとするでしょう。―マタイ 5:41。

      「あなた方にゆだねられた神の羊の群れを牧しなさい。……神の相続財産である人々に対して威張る者のようにではなく,かえって群れの模範となりなさい」。―ペテロ第一 5:2,3。

      監督たちは今日,会衆内のすべての人の霊的福祉に関して自分が言い開きをすべき立場にあることをわきまえています。そして,この責任を真剣に受け止めています。神の羊の群れを世話するに当たり,自ら進んで,意欲的に,また愛を込めてその務めを果たそうとします。使徒パウロと同じように,監督たちは,自分にゆだねられた人々の信仰を築き上げて強めることに励みますが,その人々の信仰に対する主人のように振る舞うことはありません。―コリント第二 1:24。

      必要な助言を与える場合にも,長老たちは温和な態度でそれを行ない,過ちを犯した人に再調整を施し,仲間のクリスチャンが霊的に進歩できるように助けます。使徒パウロの次の諭しを銘記しているからです。「兄弟たち,たとえ人がそれと知らずに何か誤った歩みをする場合でも,霊的に資格のあるあなた方は,温和な霊をもってそのような人に再調整を施すことに努め,それと共に,自分も誘惑されることがないよう,おのおの自分を見守りなさい」。―ガラテア 6:1。ヘブライ 6:1,2,9-12。

      「引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい。……愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」。―コロサイ 3:13,14。

      クリスチャンとしての規準に十分に添うことのできない人がいる場合,あなたはその人に対してどのように行動されますか。エホバやイエス・キリストが行なわれるように,人の不完全さに対して思いやりのある見方をされますか。(イザヤ 42:2-4)それとも,いつも律法や規則を一字一句そのとおりに当てはめなければ気がすまないでしょうか。(詩編 130:3)銘記すべきなのは,可能なかぎり穏やかで,必要なときにのみ毅然とするのがふさわしい,ということです。愛をもって行動すれば,あなたとあなたの権威のもとにある人たちとの間には,相互の確信と信頼という強いきずなが生まれるでしょう。

      もしあなたが何かの権威をゆだねられているならば,それを用いる際に,エホバ神とイエス・キリストに見倣うことに努めてください。

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