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  • 一目で好きになる ― そしてその後はいつまでも
  • 目ざめよ! 1991
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目ざめよ! 1991
目91 9/22 5–9ページ

一目で好きになる ― そしてその後はいつまでも

ニューヨークのアルバート・アインシュタイン医科大学のセシリア・マッカートン博士は,「誕生後の赤ちゃんをよく見ると,しっかり目をさましていて,周囲の状況に注意を向けている。赤ちゃんは母親によく反応するし,音のするほうを向く。また,母親の顔をじっと見つめている」と言いました。母親のほうも赤ちゃんを見つめます。両方とも,一目で好きになるのです。

母親と赤ちゃんのきずなが生まれるこの瞬間は,母親と赤ちゃんの感覚を鈍らせる薬物を使わない自然分娩であれば,自然に訪れます。赤ちゃんの泣き声は,母乳の出を刺激します。赤ちゃんの肌と母親の肌の接触は,母親の出産後の出血を減らすホルモンの分泌を促します。子供は生まれた時から,泣くこと,吸うこと,いろいろな声を発すること,笑うこと,母親の注意を引こうとして夢中で蹴ることなど,触れ合いを確保するプログラムを脳の中に持っています。幼児はおもに母親との触れ合いを通じて,愛やいたわりや信頼といった感覚を発達させることができます。父親もすぐに,愛情の対象として大切な存在になります。父と子の関係には母と子の関係のような細やかさはないとはいえ,つつくこと,くすぐること,やや手荒にあやすことなど,大切な要素を添えるのです。赤ちゃんは少し興奮して笑ったり体をくねらせたりしてそれに反応します。

リチャード・レスタク博士は,抱きしめられることは新生児にとって栄養分のようなものであると述べています。「触れることは,食物や酸素と同じくらい幼児の正常な発達に不可欠なものである。母親が両手を広げて幼児を抱き寄せると,沢山の精神生物学的過程に調和が生まれる」と博士は言いました。このような接し方をすると,実際の脳でさえ「隆起や裂け目の様子が異なった」発達を遂げます。

気持ちが離れてしまわないように注意する

母親と赤ちゃんのこうした触れ合いが誕生時に始まらないと,ゆくゆくは不幸な結果を招くと言う人がいます。しかしそうではありません。母親として愛情を込めて接するならば,その後何週にもわたって,親子のきずなをしっかりとしたものにするための親密な時間をいくらでも過ごすことができます。しかし,もっと長期にわたって,そのような親密さがないとすれば,悲惨な結果になりかねません。「我々は皆,生涯を通じて互いを必要としてはいるが,その必要が最も切実なのは最初の年である。赤ちゃんから光を奪い,人の顔を見つめる機会を奪い,抱え上げられ,抱きしめられ,優しく話しかけられ,あやされ,触られる喜びを奪うなら,赤ちゃんはそれに耐えることができない」と,レスタク博士は述べています。

赤ちゃんはいろいろな理由で泣きます。普通は自分に注意を引くためです。しばらく泣いて,だれも反応しないなら,泣きやむかもしれません。赤ちゃんは,世話をしてくれる人の反応がないのを感じます。もう一度泣きます。それでも反応がないと,ほったらかしにされていると思い,不安になります。次にもっと激しく泣いてみます。もしこういうことが長く続き,何度も繰り返されるなら,赤ちゃんは見捨てられていると感じます。最初は怒ったり憤慨したりしますが,最後にはあきらめます。気持ちが離れてしまうのです。愛されないので,愛することを学べません。良心が発達しません。だれも信頼しなくなり,だれも愛さなくなります。その赤ちゃんは問題児になり,極端な場合は,犯罪行為に対して自責の念を感じることのできない異常性格の人間になります。

このように一目で好きになるとはいえ,それはその時だけで終わるのではありません。それはいつまでも続くものでなければなりません。単に言葉の点だけでなく,行ないの点においてもそうです。「言葉や舌によらず,行ないと真実とをもって愛そうではありませんか」。(ヨハネ第一 3:18)何度も何度も抱きしめ,キスしてやります。早くから,手遅れにならないうちに,神の言葉である聖書に記されている本当の価値観を教え,教育してください。そうすれば,お子さんにとっての聖書は,テモテにとっての聖書と同じようになることでしょう。『あなたは幼い時から聖なる書物に親しんできました。その聖なる書物はあなたを賢くすることができます』。(テモテ第二 3:15)子供時代から十代にかけて,毎日子供と一緒に時間を過ごしてください。「わたしが今日命じているこれらの言葉をあなたの心に置かねばならない。あなたはそれを自分の子に教え込み,家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて話さねばならない」― 申命記 6:6,7。

『わたしたちは泣くかもしれないけど,それが一番わたしたちのためになります』

懲らしめは多くの人にとって厄介な問題です。しかし,正しく与えられる懲らしめは,親の愛の肝要な部分です。ある少女はその点を認めました。そして,「ママへ,すてきなレディーへ」というカードを母親のために作りました。そのカードには,金色の太陽と,飛んでいる鳥と,赤い花の絵がクレヨンできれいにかいてありました。文面は次のようなものです。「これをママにあげます。わたしたちはみんなママが大好きだからです。このカードをおくって感謝の気持ちを伝えたいと思います。わたしたちがテストで悪い点をとったとき,ママはそれにサインします。悪い子になったときは,むちで打ちます。わたしたちは泣くかもしれないけど,それが一番わたしたちのためになることを知っています。……わたしが言いたいのは,ママのことが本当に大好きだということです。わたしのためにいろいろなことをしてくれて,本当にありがとう。大好きなママへ,キスをおくります。[署名]ミッシェル」。

ミッシェルは,「むち棒を控える者はその子を憎んでいるのであり,子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める」という,箴言 13章24節の言葉を認めています。権威を表わしているむち棒を使うということは,実際に打つことを含むことがあるとはいえ,そうではない場合が少なくありません。子供によって,また悪い行動の種類によって,必要な懲らしめも違ってきます。優しく叱るだけで十分なこともありますが,強情な態度に対してはもっと強い薬が必要かもしれません。「理解ある者にとって,一度の叱責は愚鈍な者を百回打つよりも深く入る」とあるとおりです。(箴言 17:10)「僕[あるいは子供]は単なる言葉によって正されるわけではない。彼は理解しても,注意を払っていないからである」という言葉を当てはめることもできます。―箴言 29:19。

聖書の中で使われる「懲らしめ」という言葉には,教育する,訓練する,罰する ― 行動を改めさせるために必要な場合は実際に打つことを含む ― という意味があります。ヘブライ 12章11節は,懲らしめの目的をこう説明しています。「確かに,どんな懲らしめも当座は喜ばしいものに思えず,かえってつらいことに思えます。しかし後には,それによって訓練された人に,平和な実,すなわち義を生み出すのです」。親は懲らしめるときに厳しすぎないようにしなければなりません。「父たちよ,あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」とあるとおりです。(コロサイ 3:21)また,「むち棒と戒めは知恵を与える。しかし,したい放題にさせて置かれる少年はその母に恥をかかせる」とあるように,甘くなりすぎてもいけません。(箴言 29:15)『好きなようにしなさい。いちいち親を煩わさないで』というのが甘すぎる態度です。一方,『正しいことをしなさい。あなたのことを心配しているのです』というのが懲らしめなのです。

US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌の1989年8月7日号はいみじくもこう述べています。「苛酷ではないが,はっきりとした制限を設け,それをしっかりと守る親に育てられた子供のほうが,良い成績をとり,人ともうまくいく可能性がずっと高いようだ」。さらにこの記事は,次のように結んでいます。「沢山の細かい技術ではなく,各家庭で愛と信頼と妥当な制限の型を定めることが非常に重要だということ,それがあらゆる科学的データから浮かび上がってくる最も印象的なテーマかもしれない。懲らしめの本当の目的は,……言うことを聞かない子供を罰することではなく,子供を教え導くこと,内面のコントロールを教え込むことにある」。

子供は親の言うことを聞き,親のすることをまねる

アトランティック・マンスリー誌に載った懲らしめに関する記事は,「親は自分の教える価値観にそって行動する場合にのみ,子供に立派な振る舞いを期待することができる」という書き出しで始まっています。この記事はさらに,内面のコントロールの価値を示し,こう述べています。「立派に振る舞う十代の若者の場合は大抵,親自身が責任感に満ち,正直で,自己訓練をしているばかりか,自ら公言する価値観にそって行動し,子供たちにも見倣うことを勧めている。調査の一環として立派な若者が問題を抱えた若者と付き合わされた場合も,立派な若者たちの行動は長期的な影響を受けなかった。彼らは親の価値観を実にしっかりと吸収していたのである」。まさに,「少年をその行くべき道にしたがって育て上げよ。彼は年老いても,それから離れないであろう」という格言のとおりでした。―箴言 22:6。

本当の価値観を子供に教え込もうと努力したものの,自分自身はそれに従っていなかった親は成功しませんでした。その子供たちは,「そうした価値観を吸収できなかった」のです。この研究が明らかにしたところでは,「親が子供に教えようとしている価値観に親自身がどれほど厳密に従っているかが結果を左右」しました。

まさに,「子供たちは年長者の言うことに耳を傾けるのが決して得意ではないが,年長者に見倣いそこなうことは絶対にない」という,ジェームズ・ボールドウィンの言葉のとおりです。もしお子さんを愛し,お子さんに本当の価値観を教えたいと思われるのであれば,数ある方法の中でも最も優れた方法を使ってください。つまり,親が自分自身の教えの生きた手本になるのです。イエスから偽善者と非難された書士やパリサイ人のようになってはなりません。イエスは彼らをこう非難されました。「それゆえ,彼らがあなた方に告げることはみな行ない,また守りなさい。しかし,その行ないに倣ってはなりません。彼らは言いはしますが,実行しないからです」。(マタイ 23:3)また,使徒パウロから,「それなのに,ほかの人を教えているあなたが,自分を教えないのですか。『盗んではいけない』と宣べ伝えているあなたが,自分では盗むのですか」と糾弾された人のようになってはなりません。―ローマ 2:21。

昨今は,聖書を時代遅れの本,聖書の指針を実行不可能なものとして片づける人が少なくありません。イエスはそのような考え方に挑戦し,「やはり,知恵はその子供らすべてによって義にかなっていることが示されるのです」と言われました。(ルカ 7:35)次の記事で取り上げる世界各国のいろいろな家族の話は,イエスの言葉の正しさを証明しています。

[7ページの図版]

赤ちゃんは,母親との強いきずなを通して感情的に成長してゆく

[8ページの図版]

父親が子供と過ごす時間も非常に大切

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