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命の賜物に対する敬意真の平和と安全 ― どのように見いだせるか
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タバコやそれに類するものを常用すること
19 タバコ,ビンロウジ,コカの葉などをどう見るかに,命の賜物に対する敬意が関係しているのはなぜですか。
19 今日さらに広く見られるのは,タバコを吸う習慣です。また,土地によっては,ビンロウジやコカの葉も用いられています。これらはいずれも体に,そしてときには知能にも有害です。
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命の賜物に対する敬意真の平和と安全 ― どのように見いだせるか
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こうした惑溺性の有害な物質を使用するのは,命の賜物に対して敬意を払うことでしょうか。
20,21 (イ)聖書がそうした習慣をそれぞれの名を挙げて罪に定めていないということは,それを行なってもよいという意味ですか。(ロ)こうした習慣が神の僕の生活には無縁なものであることを,聖書のどんな原則が示していますか。
20 これらはみな神が創造されたものだ,と言う人がいるかもしれません。確かにそのとおりです。しかし,キノコについても同じことが言えますが,その中には人が食べれば死ぬものもあります。また,聖書はこうした習慣をはっきり罪に定めてはいない,と言う人もいるかもしれません。なるほどそうです。しかし,すでに見てきたとおり,聖書の中で特に罪に定められてはいなくても明らかに悪である事柄はいろいろあります。聖書のどこを見ても,隣の家の裏庭をごみの捨て場にしてはいけないとは特に述べられていません。しかし,わたしたちのだれにしても,『隣人を自分自身のように愛しなさい』という命令だけで,これがどれほどよくないことであるかを悟れるはずです。
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命の賜物に対する敬意真の平和と安全 ― どのように見いだせるか
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21 コリント第二 7章1節で,神の言葉はわたしたちに,「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め,神への恐れのうちに神聖さを完成」するように,と述べています。あるものが「神聖である」とは,「清く,汚れがなく,腐敗のない」ことです。エホバはご自分を清く,腐敗のない状態に保っておられ,身を落として神聖さの欠けた行為をされることは決してありません。神が,人間に可能なかぎり「神聖さを完成」してゆくようにと求めておられるのは当然なことです。(ローマ 12:1)また神は,わたしたちが『心と魂と思いと力をこめて神を愛する』ことを求めておられますが,自分の体を損ない,健康を害し,命を縮めるような習慣にふけっているとすれば,どうしてこの求めに応じることができるでしょうか。―マルコ 12:29,30。
22 こうした悪い習慣のとりこになっている人はどうしたらそれから脱することができますか。
22 こうした習慣のいずれかが自分の大きな障害となっているように思う人がいるかもしれませんが,それを克服して自由になることは不可能ではありません。神とその目的に関する知識は,そのようにするための強力な動機づけとなります。人は『自分の思いを活動させる力において新たに』なることができます。(エフェソス 4:23)それは人に新しい生き方を選ばせる力となります。それは人に満足感を与え,神に誉れとなる生き方です。
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