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聖書印刷の避難所目ざめよ! 2002 | 9月8日
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アドリアーン・ファン・ベルヘンは,印刷業と書籍商を営んでいました。1522年,ルターの本を売ったかどで足かせにかけられ,その後間もなく拘禁刑を言い渡されました。ファン・ベルヘンは,恩赦を与えられるとすぐに仕事に戻りました。再び印刷を始め,このたびはルターの「新約聖書」のオランダ語部分訳の印刷を始めました。それは,ルターの「新約聖書」がドイツ語で出版されてからわずか1年後の,1523年のことでした。
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聖書印刷の避難所目ざめよ! 2002 | 9月8日
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欄外注釈のために命を失う
その時代に,オランダ語の聖書を最も多く印刷したのは,ヤーコプ・ファン・リースフェルドです。合計18の版の聖書をオランダ語で出版しました。1526年には,オランダ語の全訳聖書を印刷しました。全訳聖書が,初めてフランス語で出たのはそれより4年後,英語で出たのは9年後でした。ファン・リースフェルドの聖書は,主として,まだ完成していなかったルターのドイツ語聖書が基になっていました。
ファン・リースフェルドのオランダ語聖書の最終版は,1542年に出版され,木版画と新しい欄外注釈が付いていました。例えば,マタイ 4章3節のわきの木版画には,悪魔が,ロザリオを手にした,やぎの足を持つ,ひげを生やした修道士として描かれていました。とはいえ,カトリック教会の怒りを特に買ったのは欄外注釈でした。ある注釈には,「救いはイエス・キリストを通してのみ得られる」とあり,これがファン・リースフェルドに死刑を宣告する根拠とされました。ファン・リースフェルドは,クム・グラティア・エト・プリービレギオ,つまり教会の許可のもとに聖書を印刷したと主張しましたが,1545年にアントワープで首をはねられました。
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