ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • うまずめであった女は歓ぶ
    イザヤの預言 ― 全人類のための光 II
    • [220ページの図版]

      イエスはバプテスマを受けた後に聖霊によって油そそがれ,イザヤ 54章1節の最も重要な成就が始まった

  • うまずめであった女は歓ぶ
    イザヤの預言 ― 全人類のための光 II
    • 「女」の実体が明らかになる

      3 うまずめである「女」が歓びの理由を持つようになるのはなぜですか。

      3 54章は喜ばしい調子で始まります。「『子を産まなかったうまずめよ,喜び叫べ! 子を産む苦しみを味わったことのない者よ,歓呼して快活になれ。甲高く叫べ。荒廃させられた者の子らは,夫たる所有者を持つ女の子らよりも多いからである』と,エホバは言われた」。(イザヤ 54:1)イザヤは,この言葉を語るときに大きな興奮を覚えるに違いありません。そして,この言葉が成就する時,バビロンで流刑になっているユダヤ人は大いに慰められることでしょう。その時,エルサレムは依然として荒廃しています。人間の観点からすれば,エルサレムに再び人が住む望みはなさそうに見えるでしょう。それは,老齢になったうまずめが,子供を産むことを普通は望めないのと同様です。しかし,この「女」はやがて大きな祝福を受けます。多くの子を産むのです。エルサレムは喜びに我を忘れるほどになります。再び「子ら」つまり住民で満ちるようになるのです。

      4 (イ)使徒パウロは,イザヤ 54章に西暦前537年の成就より大規模な成就があるに違いないことを,どのように理解させてくれますか。(ロ)「上なるエルサレム」とは何ですか。

      4 本人は知らないかもしれませんが,イザヤの預言の成就は一度だけではありません。使徒パウロはイザヤ 54章を引用して,この「女」が,地上の都市エルサレムよりはるかに重要なものを意味することを説明し,「上なるエルサレムは自由であって,それがわたしたちの母です」と書いています。(ガラテア 4:26)この「上なるエルサレム」とは何でしょうか。約束の地にある都市エルサレムの都のことでないのは明らかです。その都市は地的なものであり,天の領域にある「上なる」ものではありません。「上なるエルサレム」とは,神の天的な「女」,つまり強大な霊の被造物で成る神の組織のことです。

      5 ガラテア 4章22-31節に概説されている象徴的なドラマにおいて,(イ)アブラハム,(ロ)サラ,(ハ)イサク,(ニ)ハガル,(ホ)イシュマエルは,それぞれだれ,または何を表わしていますか。

      5 それにしても,エホバが二人の象徴的な女を ― 一方は天に,他方は地上に ― 有するということはどうして可能なのでしょうか。矛盾があるのではないでしょうか。決してそうではありません。使徒パウロが示すとおり,その答えは,アブラハムの家族が預言的に描写した事柄から得られます。(ガラテア 4:22-31。218ページの「アブラハムの家族 ― 預言的な描写」をご覧ください。)アブラハムの妻である「自由の女」サラは,霊の被造物で成るエホバの妻のような組織を表わしています。アブラハムの第二の妻もしくはそばめである下女ハガルは,地上のエルサレムを表わしています。

      6 どんな意味で,神の天の組織には長いあいだ子ができませんでしたか。

      6 では,こうした背景に基づき,イザヤ 54章1節の奥深い意味を調べてゆきましょう。幾十年も子ができなかったサラは,90歳になってイサクを産みました。同様に,エホバの天の組織も長いあいだ子ができませんでした。はるか昔,エデンにおいてエホバは,ご自分の「女」が「胤」を産み出すと約束なさいました。(創世記 3:15)それから2,000年以上のち,エホバは約束の胤に関する契約をアブラハムと結ばれました。しかし,神の天的な「女」は,その胤を産み出すまで,さらに幾世紀もの間ずっと待たなければなりませんでした。とはいえ,このかつては「うまずめ」であった女の子供が,肉のイスラエルの子供よりも多くなる時が来たのです。このうまずめの例えから,予告された胤の到来をみ使いたちが是非とも目撃したいと思っていた理由も理解できます。(ペテロ第一 1:12)では,それがついに実現したのはいつのことでしょうか。

      7 イザヤ 54章1節で予告されている「上なるエルサレム」の歓びの時は,いつ到来しましたか。そう言えるのはなぜですか。

      7 人間の子供としてのイエスの誕生は,み使いたちにとってまさに歓びの時となりました。(ルカ 2:9-14)しかしそれは,イザヤ 54章1節で予告されていた出来事ではありませんでした。イエスは,西暦29年,聖霊によって生み出された時に初めて,「上なるエルサレム」の霊的な子となり,神ご自身によって,「わたしの子,わたしの愛する者」として公に認められました。(マルコ 1:10,11。ヘブライ 1:5; 5:4,5)イザヤ 54章1節の成就として神の天的な「女」が歓びのいわれを持ったのは,その時のことでした。彼女はついに,約束の胤を,メシアを産み出していたのです。幾世紀にもわたる,子のいない状態は過ぎ去りました。とはいえ,彼女の歓びはそれだけで終わりませんでした。

      うまずめであった女の多くの子ら

      8 神の天的な「女」には約束の胤を産み出した後も歓びのいわれがあった,と言えるのはなぜですか。

      8 イエスの死と,それに続く復活の後,神の天的な「女」は,「死人の中からの初子」として戻ってきた,このいとし子を迎えて歓びました。(コロサイ 1:18)次いで彼女は,ほかにも霊的な子らを産み出し始めました。西暦33年のペンテコステの時に,120人ほどのイエスの追随者たちは聖霊で油そそがれ,それにより,キリストと共同の相続人として養子にされました。その日の後刻,さらに3,000人が加えられました。(ヨハネ 1:12。使徒 1:13-15; 2:1-4,41。ローマ 8:14-16)子らのこの集合体は増大してゆきました。背教したキリスト教世界が誕生してからしばらくすると,増大の速度は落ちて,ほんのわずかになりました。しかし,そうした状況は20世紀において変化することになっていました。

      9,10 古代の天幕生活者の女性にとって,「天幕の場所をもっと広くせよ」という指示は何を意味しますか。それが,そのような女性にとって喜びの時であるのはなぜですか。

      9 イザヤは続けて,驚くべき増大の時期についてこう預言しています。「あなたの天幕の場所をもっと広くせよ。そして,彼らにあなたの壮大な幕屋の天幕布を張り伸ばさせよ。ためらうな。あなたの天幕の綱を長くし,あなたのその天幕用留め杭を強くせよ。あなたは右に左に突き進み,あなたの子孫は諸国の民をも所有し,荒廃した諸都市の中にさえ住むようになるからである。恐れてはならない。あなたが恥をかくことはないからである。屈辱を感じるな。あなたが失望させられることはないからである。あなたは自分の若い時の恥をも忘れ,ずっとやもめの身でいた時のそしりを思い出すことももはやないからである」。―イザヤ 54:2-4。

      10 ここでエルサレムは,天幕生活をしている,サラのような妻また母親であるかのように語りかけられています。そのような母親は,祝福されて家族が増えると,我が家を広げます。もっと長い天幕布と綱を張り,天幕用留め杭を新たな場所に固定しなければなりません。それは母親にとっては喜ばしい仕事であり,忙しさのあまり,家系を絶やさないよう子供を産めるだろうかと思い悩んだ過去の年月もつい忘れてしまうほどです。

      11 (イ)神の天的な「女」は,1914年にどんな祝福を受けましたか。(脚注をご覧ください。)(ロ)1919年以来,地上にいる油そそがれた者たちはどんな祝福を経験してきましたか。

      11 地上のエルサレムはバビロンへの流刑が終わった後に祝福を受け,そうした再生の時を迎えました。「上なるエルサレム」のほうは,それを上回る祝福を受けてきました。a とりわけ1919年以降,そのエルサレムの油そそがれた「子孫」は,新たに回復した霊的な状態の中で繁栄しています。(イザヤ 61:4; 66:8)それら「子孫」は,霊的な家族に加わる人々すべてを探し出すために多くの国々に広がるという意味で,『諸国の民を所有』しました。その結果,油そそがれた子らを集める面で急激な増大が見られました。最終的に14万4,000人を数えるこの子らは,1930年代半ばには集め終えられたものと思われます。(啓示 14:3)その時,宣べ伝える業の焦点は,油そそがれた者たちを集めることではなくなりました。しかし,油そそがれた者たちを集めることが終わったからといって,拡張が終わったわけではありませんでした。

      12 1930年代以来,油そそがれた者たちに加えて,どんな人々がクリスチャン会衆に集め入れられてきましたか。

      12 イエス自身,自分が,油そそがれた兄弟たちの「小さな群れ」だけでなく,真のクリスチャンの羊の囲いへと導かれるべき「ほかの羊」も持つようになることを予告しました。(ルカ 12:32。ヨハネ 10:16)油そそがれた者たちの仲間である,それら忠実な人々は,「上なるエルサレム」の油そそがれた子らではありませんが,ずっと昔に預言された重要な役割を果たします。(ゼカリヤ 8:23)1930年代以降,今日に至るまで,それらの人々で成る「大群衆」が集められており,その結果,クリスチャン会衆は空前の規模で拡張しています。(啓示 7:9,10)今日,その大群衆は優に数百万という人数に達しています。そうした拡張により,もっと多くの王国会館,大会ホール,支部施設が緊急に必要とされています。いよいよイザヤの言葉どおりであると感じられます。予告されたこうした拡張の一端にあずかれるのは,なんと素晴らしい特権でしょう。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする