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旧ユーゴスラビアの国々2009 エホバの証人の年鑑
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もっと南の,ヘルツェゴビナ地方の主要な町モスタルでは,真理の響きを識別したオーケストラ指揮者アルフレード・トゥチェックが開拓奉仕を始めました。
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旧ユーゴスラビアの国々2009 エホバの証人の年鑑
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指揮者から開拓者へ
ずいぶん前のことになりますが,今のボスニア・ヘルツェゴビナに当たる地域で,近衛隊のオーケストラの指揮者アルフレード・トゥチェックが,フリッツ・グレーガーという団員から聖書文書を受け取りました。そして,1920年代の終わりと思われますが,マリボルの灯台協会と連絡を取り,正規開拓者になりたいと伝えました。やがてアルフレードは,ユーゴスラビアの初期の開拓者の一人として働き始めます。軍楽隊の指揮者として高い収入があったにもかかわらず,エホバへの愛ゆえにその仕事を辞め,「後ろのものを見る」ことはしませんでした。(ルカ 9:62)1930年代の始めには,ドイツから来た開拓者の兄弟たちと共に旅行し,「創造の写真劇」を上映しました。さらに,ユーゴスラビアにおける宣べ伝える業を組織するため,区域のカードを作る仕事を手伝いました。1934年には,ドイツ人の開拓者フリーダと結婚しました。二人が最初に割り当てられたのは,ボスニアのサラエボでした。後には良いたよりを宣べ伝えるためにマケドニア,モンテネグロ,クロアチア,セルビアといった地域にまで行きました。初めのころは自転車で移動することが多かったものの,後にはオートバイを使うようになりました。当時,良いたよりを喜んで聞く人は少なく,宣べ伝える業は禁止されていましたが,二人はできるだけ多くの人に音信を伝えることの重要性を理解していたのです。
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