-
オーストリア1989 エホバの証人の年鑑
-
-
支部の取り決め
ギレアデ学校での10か月に及ぶ,組織上の事柄に関する特別の訓練課程を卒業してまもないローウェル・L・ターナーは,1965年8月1日に支部の監督の責任を割り当てられました。その責任を10年近く果たした後,ターナー兄弟は1975年7月にオーストリアを離れて,ルクセンブルクでの新しい任命地に向かいました。1976年1月以来,数人の兄弟たちから成る委員会がオーストリア支部の世話をしてきました。
支部施設の拡張
世界各地にある協会の支部事務所は,絶え間なく増加するエホバの賛美者たちの必要を顧みるために,支部の施設を拡大してきました。オーストリアでは事情は多少なりとも異なっていたでしょうか。そのようなことは全くありません。
時たつうちに,ウィーンの庭園地区にある,1957年に購入された建物は,支部事務所としては手狭になりました。それで1970年から1971年にかけて,その建物は拡張され,発送部門と王国会館に充てるためのさらに広い余地が設けられました。しかし数年のうちに,さらに拡大を必要とすることが明らかになりました。近所に住む人たちの一人が自分の地所の一部を売却することを申し出たとき,その問題にエホバの介入しておられることが分かりました。1983年に新しい建物の建設が行なわれていたとき,隣接する土地を支部に売却することを申し出る別の話がさらに持ち上がりました。1987年の夏に行なわれた新しい施設の献堂によって,さらに約5,000平方㍍のスペースが使用可能となり,これまでの4倍以上の面積となりました。これだけの広さが本当に必要だったのでしょうか。オーストリアの事務所の世話を受けていた証人たちの数は,以前の建物が購入されてからすでに3倍になっており,事務所の兄弟たちは非常に窮屈になった部屋で働いていました。
近隣の人々の苦情等に対処するため,建設計画が完了するまでに施設の設計図は何度も変更を求められました。これは多くの余分の仕事を要しました。それでも,支部は次のことを認めています。「結局,必要とされた変更のほとんどすべては私たちの益につながりました。多くの場合,兄弟たちは,『私たちの以前の案よりも今回の案のほうが優れている』と言わざるを得ませんでした」。
-
-
オーストリア1989 エホバの証人の年鑑
-
-
[141ページの図版]
支部事務所とベテル・ホーム,1957年
[142ページの図版]
拡張された支部,1987年
-