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  • クラサオ
    2002 エホバの証人の年鑑
    • [108ページの図版]

      (1)1964年に献堂された支部事務所

      [108ページの図版]

      (2,3)1999年11月20日に献堂された,現在の支部

  • クラサオ
    2002 エホバの証人の年鑑
    • 新しい支部事務所

      1977年に亡くなるまでエホバの証人の統治体の成員として奉仕したネイサン・H・ノアは,いつも宣教者に鋭い関心を示し,しばしば外国へ旅行して兄弟たちを強めました。1956年には地帯監督も世界中の兄弟たちを訪問するようになり,それら「人々の賜物」は「強める助け」となり,ABC3島での業も促進してきました。(エフェ 4:8。コロ 4:11)1950年,ノア兄弟はABC3島を初めて訪問し,クラサオ滞在中に新しい支部事務所の取り決めを設け,ラッセル・イエーツが支部の僕を務めることになりました。ノア兄弟の行なった「捕らわれ人に自由を」という話に関して,イエーツ兄弟はこう書いています。「ノア兄弟はまるで,一人ずつステージ上に招いて,個人的にアドバイスを与えているかのようでした」。1955年に再び訪問したノア兄弟は,アルバ島のオラニェスタットにある未完成の王国会館で話をし,その後,兄弟たちと共にクラサオ島での大会に向かいました。そして1962年,最後の公式訪問の際に,クラサオ島ブエナ・ビスタの王国会館を献堂し,時宜を得た話をして兄弟たちを大いに励ましました。さらにノア兄弟は,ウィレムスタット郊外のオスターベイクストラトに新しい支部事務所と宣教者ホームと王国会館を建設することを承認しました。

      それらの建物を設計するために雇われた建築家の父親はユダヤ人で,ナチスの強制収容所でエホバの証人と一緒だったことがあり,ヘイゼル・イエーツにこう語りました。「真の宗教は一つしかありません。それはエホバの証人の宗教です」。この支部事務所は1964年に献堂され,1978年には地帯監督アルバート・D・シュローダーの推薦に基づいて拡張されました。1990年には,もっと大きな施設の必要性が明らかになり,新たな建設用地を探して様々な努力が払われましたが,いずれも功を奏しませんでした。

      1998年11月,既存の建物を購入し,改装して支部施設とすることが決定されました。兄弟たちは,ウィレムスタット郊外のセイル・ロラウェク通りの便利な場所にある共同住宅を取得することに決め,12月4日に購入しました。万事速やかに,かつ円滑に進んだので,兄弟たちは,詩編 127編1節と調和して,自分たちの努力をエホバが祝福してくださっていることを確信しました。改装された魅力的で快適な建物は,エホバのみ名に誉れと栄光をもたらすものとなっています。

      1999年11月20日,新しい支部の献堂式が支部の中庭で行なわれ,273人が出席しました。統治体の成員,ゲリト・レッシュは預言者イザヤの言葉を引用し,新しい建物がエホバの壮大な目的にかなうものとしてどのように用いられるかを示しました。翌日,競技場で行なわれた特別なプログラムに2,588人が出席し,この集まりは多くの人にとって2000奉仕年度のハイライトになりました。

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