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天皇崇拝から真の崇拝へものみの塔 1998 | 12月1日
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私たちの奉仕の割り当ては1968年に変更になりました。翻訳の仕事をするために東京の支部事務所に呼ばれたのです。支部では部屋が不足していたため,私は墨田区から通い,純子は地元の会衆で特別開拓者として奉仕しました。このころになると,もっと大きな支部施設が必要になりました。そこで,1970年に富士山から程近い沼津市内の土地が購入され,そこに3階建ての工場と宿舎棟が建設されることになりました。建設工事が始まる前に,その土地に建っていた何軒かの住宅を利用して,会衆の監督たちを訓練する王国宣教学校が開かれました。
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天皇崇拝から真の崇拝へものみの塔 1998 | 12月1日
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その後ベテルの家族も大きくなり,やがて沼津の施設では不十分になりました。そこで,海老名市に7㌶の土地が購入され,数棟から成る新しい支部の建物の建設が1978年に始まりました。今,ここの土地の利用できる部分には,工場,宿舎棟の建物,さらには2,800人以上を収容できる大会ホールが建っています。ごく最近に増築されたのは,駐車場のある,地下1階地上4階のサービス棟と,その上に建つ地上12階の宿舎棟2棟から成る建物で,今年の秋に完成を見ました。私たちのベテル家族は今では530名を数えますが,増築された施設を加えると約900人を収容することができます。
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