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彼らは集まり合うことをやめなかった2016 エホバの証人の年鑑
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禁令の中で支部を建設する
1980年代と1990年代にかけて,支部は政府にエホバの証人に対する禁令を解除してほしいと繰り返し願い出ました。他の国の兄弟たちも,インドネシア政府や大使に手紙を送り,インドネシアでエホバの証人が非合法とされているのはなぜかを尋ねました。大勢の役人は禁令の解除に前向きでしたが,影響力の強いキリスト教社会指導局がそうした役人の努力を阻んでいました。
1990年,兄弟たちは新しい支部を目立たない場所に建設することは可能であると判断しました。同じ年に統治体は,ジャカルタの南約40㌔にあるボゴールという都市の近くに土地を購入することを承認します。しかし,地元の兄弟たちで建設の技術を持っている人はほとんどいません。どうすれば新しい施設を建てられるでしょうか。
国際的な兄弟関係によって助けが差し伸べられました。ブルックリンの建設事務所とオーストラリアの地区設計事務所が設計を担当し,2年にわたるプロジェクトのために100人ほどのインターナショナル・ボランティアがやって来て技術を提供しました。
インドネシア人のホセア・マンスールは地元の役人たちとの連絡窓口となりました。こう述べています。「イスラム教徒の役人はわたしのヘルメットに書いてあったH.M.というわたしの名前のイニシャルを見ました。そして,Hが『ハッジ』という言葉の略だと思い込みました。イスラム教徒はメッカへの巡礼を終えた人のことを敬意を込めてハッジと呼びます。そのため役人たちはわたしにとても丁重に接してくれました。この単純な誤解のおかげで,建設計画を組織しやすくなったんです」。
この支部は禁令の間に建設された
新しい支部施設の献堂式が1996年7月19日に行なわれ,統治体の成員ジョン・バーが献堂の話をしました。出席者は合計285人で,その中には他の支部からの代表者と海外から来た以前の宣教者が118人,インドネシアのベテル家族59人が含まれています。その後の2日間,「神の平和の使者」地域大会がジャカルタで開催され,8793人が出席しました。
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