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  • 1989 エホバの証人の年鑑
    1989 エホバの証人の年鑑
    • 霊的な漁は,ラザフォード兄弟がリスボンを訪れて,2,000人余りの群衆に話をした1925年5月13日に始まりました。しかし,エホバの民の前途には多難な歳月が待ち受けていました。業は禁止され,兄弟たちは苦しみに遭って投獄され,支部事務所は様々な家の地下で活動したのです。

      古い独裁政権は,1974年4月25日に起きた政治革命によって,まるで雷に打たれたかのように突如として崩壊しました。そして12月までに,エホバの民の信教の自由が公式に認められるようになりました。1975年2月,支部事務所として使用するために,そしてポルトガルだけでなく,マデイラ,アゾレス諸島,アンゴラ,それにサントメにおける業を世話するために,エストリルにある20の部屋を備えた大きな家が借りられました。10年後,伝道者の数が2万8,984人に膨れ上がったので,その家では十分ではないことが分かりました。こうして新しい施設のための土地が探し出されて,外部の会社が鉄筋コンクリートの躯体を建てる契約が結ばれました。建設計画の残りは,全員エホバの証人である自発奉仕者たちによって完成されました。

      このような大きな建物群のための資金をどのように調達することができたのでしょうか。ポルトガルは富んでいる国ではありませんが,兄弟たちは「実際の能力以上」に寄付をして,そのために豊かに報われました。(コリント第二 8:2-4)5人の子供がいるある家族は,自分たちにどんな援助ができるか相談しました。娘たちは自分たちの宝石類を寄付し,息子は自転車を買うために蓄えたお金を寄付しました。父親は支部への手紙の中で,「この寄付は,子供たちの子豚の貯金箱のお金だけでなく,三つのブレスレットと五つの指輪,それに一組のイヤリングを売った結果です」と書いています。

      献堂式のプログラムは,1988年4月23日,日曜日の朝,新しい王国会館で行なわれました。そして,有線テレビで工場に送られ,リスボンのレステロ・サッカー競技場に電話回線で中継されました。午前中のプログラムはミルトン・G・ヘンシェル兄弟による信仰を鼓舞する献堂式の話で幕を閉じました。

  • 1989 エホバの証人の年鑑
    1989 エホバの証人の年鑑
    • [30ページの図版]

      ポルトガル支部の宿舎棟には40の部屋とサービス翼がある。太陽熱が利用されており,4階建ての工場の建物には事務所部分と王国会館がある。1988年4月23日献堂

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