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マラウイ1999 エホバの証人の年鑑
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常設代表機関が置かれる
1933年,マラウイにおけるエホバの証人の歴史の中で胸の躍るようなことが起きました。ものみの塔聖書冊子協会がこの国に常設代表機関を持つことを申請したのです。知事は「そうした動きを歓迎する」と述べ,その申請を受け入れました。マラウイで良いたよりの伝道をもっと着実に行なうための手はずがついに整いました。それで,1934年5月に南アフリカ支部の指示の下で事務所と文書集積所が設置されました。業を監督することになったのはバート・マクラッキーです。
マクラッキー兄弟は1930年にバプテスマを受けたので,真理にはごく新しい人でした。しかし,それまでの任命地であるマダガスカルとモーリシャスで,開拓者としてたいへん効果的に奉仕できることを示していました。兄弟はマラウイに到着すると,国の南部にある首都ゾンバで,2部屋ある小さな建物を手に入れました。一つの部屋は文書集積所 兼 事務所,もう一つは寝るところになりました。
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マラウイ1999 エホバの証人の年鑑
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初期のころの状況はどのようなものだったのでしょうか。1998年に89歳になったビル・マクラッキーは,南アフリカで家族と一緒に暮らしていますが,ゾンバにあったその文書集積所の狭苦しい環境のことを今でも覚えています。こう語りました。「寝室の幅は,暖炉ほど[1.4㍍]しかありませんでした。かなり風通しが悪かったので,夜は窓を開けておくことにしていたのですが,ある晩,警察官がやって来て,頭をぬっと入れてのぞくと,『“ブワナ”[だんな],窓は閉めたほうがいいですよ。この通りは夜,ヒョウがうろつくんです』と言いました。それで窓は閉めました」。
快適な条件ではありませんでしたが,首都に文書集積所があるというのは非常に好都合でした。官庁と警察本部が近くにあったので,マクラッキー兄弟は,偽りの“ものみの塔運動”とエホバの証人が相変わらず混同されて何らかの非難を浴びた場合でも即座に対応できました。
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