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アマゾン雨林 ― 神話のベールに包まれた地域目ざめよ! 1997 | 3月22日
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アマゾン雨林 ― 神話のベールに包まれた地域
ブラジルの「目ざめよ!」通信員
ペルーのナポ川沿いに住んでいたインディオのイリマライ族の人々は実際,目を疑いました。自分たちの細長いカヌーとは全く異なった横帆式の船が2隻,村に向かってきたのです。彼らは,それまでに出会った他のどんな部族とも異なる,ひげを生やした兵士たちがその船に乗っているのを確認しました。うろたえたインディオたちが,先を争うようにして物陰に隠れて様子を見ていると,白い肌をした外国人たちが岸に飛び降りて来て,村の食糧を食らい尽くした後,再び船に乗り込んで去って行きました。それらの外国人は,熱帯雨林全域をアンデス山脈から大西洋岸まで初めて横断して,歴史に残るような探検をしたいという考えに動かされていたのです。
その年,つまり1542年に,それらヨーロッパ人の探検家たちが石弓や火縄銃を誇示しながら,南米の熱帯雨林の奥へさらに侵入するにつれて,インディオの部族は次々に同様の衝撃を受けました。
それら征服者のスペイン人隊長フランシスコ・デ・オレリャーナはやがて,一行が略奪したり住民を射殺したりした話のほうが,自分たちの2隻のブリガンティンよりも速い速度で広まっていたことに気づきました。もっと下流の地域(現在のブラジルのマナウス市付近)に住むインディオの幾つかの部族は,矢を射る態勢を整えて,それら50人余りの侵略者たちを待ち構えていました。
それに,隊員の一人ガスパル・デ・カルバハルが述べているように,それらのインディオは弓が得意でした。彼は体験に基づいて語りました。というのは,インディオの放った矢の1本がカルバハルの肋骨の間に突き刺さったからです。負傷したこの修道士は,「わたしの僧衣が分厚いものでなかったなら,わたしは死んでいただろう」と走り書きしています。
『男10人分の戦いをした女たち』
さらにカルバハルは,それらの勇敢なインディオの後ろで士気を高めた戦士のことをこう説明しています。『わたしたちは女たちが男たちの前で女隊長として戦うのを見た。それらの女性は色白で背が高く,長い髪を編んで頭に巻き付けていた。彼女たちはたくましい戦士で,弓矢を手にして男10人分の戦いをしている』。
それらの探検家が女性戦士を本当に見たのか,それともある資料が述べているように,それは「ジャングル熱のために生じた単なる幻覚」だったのかは分かりません。しかし少なくとも幾つかの記述によれば,オレリャーナとカルバハルは大きな川の河口にたどり着き,大西洋に出帆したころには,ギリシャ神話に描かれている勇猛な女性戦士アマゾンの新世界版をかいま見たと考えていました。a
修道士カルバハルは後世の人々のために,8か月間にわたるオレリャーナの探検に関する目撃記事を書き,その中にアメリカ・アマゾンに関する話を含めています。隊長のオレリャーナのほうは,船でスペインに行き,そこでリオ・デ・ラス・アマソナスという伝奇的な名称で呼んだ川,つまりアマゾン川に沿って旅行した時のことを生き生きと話しました。やがて,16世紀の地図製作者たちは,製作の初期段階にあった南米の地図にアマゾンという斬新な名称を書き込むようになりました。そういうわけで,アマゾンの森林地帯は神話のベールに包まれるようになりましたが,今その森林地帯は不穏な現実に直面しています。
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アマゾン雨林 ― 神話のベールに包まれた地域目ざめよ! 1997 | 3月22日
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a 「アマゾン」という言葉は,「……がない」という意味のギリシャ語のアと,「乳房」という意味のマゾスという二語から来ているようです。伝説によれば,アマゾンたちは弓矢を扱いやすくするため,右側の乳房を切り取りました。
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