ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目98 9/8 14–18ページ
  • ブラジリア ― 若く,斬新で,成長の速い都市

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • ブラジリア ― 若く,斬新で,成長の速い都市
  • 目ざめよ! 1998
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 引き延ばされたプロローグ
  • コンテストとプラン
  • 土ぼこりから飛び立つ“飛行機”
  • テント小屋からコンクリートへ
  • 最初で,唯一のもの
  • 市の全景
  • 迷子にならない理由
  • 成長に伴う痛み
  • 「ブラジルの心臓」?
  • バスで密林を通ってゆく,ブラジリアへの旅
    目ざめよ! 1970
  • 「真の土台を持つ都市」
    目ざめよ! 1994
  • 『すべての都市を回る旅』
    目ざめよ! 1994
  • 「多様性に富んだ土地」の劇的な歴史
    目ざめよ! 2000
もっと見る
目ざめよ! 1998
目98 9/8 14–18ページ

ブラジリア ― 若く,斬新で,成長の速い都市

ブラジルの「目ざめよ!」通信員

国の首都を設計し,その原案を作成した人に電話をかけられるのはいったいどこでしょうか。首都の最初の官庁街を設計し,建設の指揮をとった建築家に会える所とはどこですか。首都を歩いていて出会った人が40歳以上なら,決してそこで生まれた人でないと言えるのはどこでしょうか。それは,つぶさに調べてみる価値のある若くてユニークな都市 ― ブラジルの首都ブラジリアです。a

引き延ばされたプロローグ

サンパウロからブラジリアまでは飛行機で約1時間半です。快適なバスなら,およそ12時間の旅行です。わたしはバス旅行のほうを選びました。おかげで,この都市の歴史について読む時間をたくさん持てました。

18世紀の終わり,ポルトガルの支配に対して最初の組織的な反乱が起きて以来,ブラジルに新しい首都を建設したいという願いが高まっていました。1822年のブラジル独立後まもなく,ブラジルの政治家ジョゼ・ボニファシオ・デ・アンドラーダ・イ・シルバは,この将来の首都をブラジリアと名づけようと提案しました。この名前は,17世紀の地図製作者たちがこの国全体を表わすためにすでに使っていたものでした。

1891年,国の新しい憲法は,中央高原部の熱帯草原<サバンナ>1万4,000平方㌔を区画することを規定しました。海岸からおよそ1,000㌔のその場所に,新しい首都が建設されることになったのです。政治家は,首都をリオデジャネイロから奥地に移転すれば,この国の広大な内陸部の開発に拍車がかかるだろうと考えました。ところが,その後何の動きもないまま50年が過ぎました。ついに1955年,引き延ばされていたブラジリア建設へのプロローグは終わり,活動に満ちた第1章がまさに始まることになりました。

コンテストとプラン

この年,大統領候補者ジュセリノ・クビチェックは,自分が当選したら,大統領としての5年の任期が終わるまでに,新しい首都は現実になるだろうと約束しました。1956年4月に,クビチェックは当選しました。

それより数か月前,政府はコンテストを行なうと発表していました。ブラジルの建築家,土木技師,都市計画家などは,新首都の構想プランを立てるように促されました。数か月の間に,26人がそれぞれ理想の首都案を提出しました。1957年3月,国際的な審査会で入選者が発表されました。都市計画家ルシオ・コスタです。

他の応募作品とは違い,コスタのものは数枚のスケッチと,大ざっぱな手書きの文書数ページで成っていました。普通の茶封筒一つの中に,都市全体がまとめられていたのです。コスタは,わずかな略図だけだったことを審査団にわびつつ,「これが大したものでなければ,はねるのは簡単だろうし,自分の時間も他の人の時間も,無駄にしたことにはならないだろう」と言いました。それでも審査団はコスタの計画が気に入って,「明快で,直截的で,基本的に平明だ」と評価しました。それはどのような案だったのでしょうか。実際の都市へと,どのように姿を変えましたか。

土ぼこりから飛び立つ“飛行機”

それを知るには,ムゼウ・ヴィーヴォ・ダ・メモーリャ・カンダンガ(カンダンゴ記念実物博物館)を訪ねてみるのが一番です。その博物館は,この首都における最初の病院に収められているので,その建物は文字どおりブラジリアのゆりかごです。40年前にブラジリアで最初に生まれた赤ちゃんたちは,まさにこの場所で命の日を開始しました。しかし,かつての病院は今,ブラジリアの誕生と幼年時代について語ってくれます。博物館の展示の一つに書かれているように,それは,「土ぼこりと,テント小屋と,コンクリート」の物語です。

博物館の女性職員ラウレッチ・マッシャドさんはまず,“土ぼこり”の時代の案内をしてくれます。彼女は1枚の写真の前で少し立ち止まりました。撮影されたのは1957年です。サバンナを切り裂くように2本の未舗装の道が見え,人気のない所で交差しています。「この写真は,都市建設の最初の段階をとらえたものです」とラウレッチさんは説明します。その後にコスタのスケッチを見ると様子が分かります。この都市計画専門家は,片方の道が弧を描くようにしました。そしてカンダンゴスbと呼ばれた作業者たちが,その湾曲をサバンナに刻み出すと,土ぼこりの中から飛行機の形が浮かび上がったのです。

この一風変わった形状の中に,ブラジリアの基本構図が残されています。飛行機の操縦室の部分は東向きで,湾曲した翼は南北に向かって延びています。国家の三権を収める建物群が操縦室にあたる部分を占め,商業地区が胴体を,住宅地域が両翼を形作っています。

テント小屋からコンクリートへ

博物館の“テント小屋”と“コンクリート”の区分では,ブラジルじゅうから来た作業者たちが,自分の持ち物を売って,この建設現場に旅をしてきた様子を語ってくれます。『わたしの父はトラックを購入して,家族の全員,20人以上を荷台に乗せ,19日間をかけてここにやってきました』と,1957年8月に到着した一人の作業者は思い出を語っています。バスで,牛車で,またヒッチハイクをして来た人もいます。合計6万人もの作業者が到着しました。

テント小屋に住んだこれら建設者の一団は,大いに必要とされていました。竣工の日は1960年の4月21日と決められていたからです。つまり,土木技師,技術者,建設作業者は,一つの首都を1,000日間で完成させる必要がありました。とてつもない大事業です! それでも,竣工の日が来た時,作業は予定よりも速く進んでいました。世界でいちばん若い首都が,サバンナの土ぼこりの中に立ち上がっていたのです。

最初で,唯一のもの

この都市とその建設者たちは,国連教育科学文化機関(ユネスコ)のブラジリア事務所において,今でも大きな賞賛の的となっています。ユネスコの文化担当官ブリアーニ・E・ビカ博士はこう話してくれました。「ここではコスタのプランのとおりに行なわれましたが,一つの都市計画がこれほど忠実に実行された例はほかにありません。ブラジリアが20世紀の都市として世界で最初に,そしてただ一つユネスコの世界遺産一覧表に挙げられている理由の一つはそこにあります」。c

ブラジリアは,建設途上にありながらその表に載った唯一の都市でもあります。このことで難しい問題も起きるんです,とビカ博士は言います。「都市が変わってゆく中で,どうすれば都市の原型を保存してゆけるでしょうか」。建築家ルシオ・コスタは生きていた時,90代になってもこの難しい問題と取り組んでいました。彼は新規の建設工事からも目を離さず,自分の構想が乱されてしまわないように見届けたのです。例えば,ブラジリアに都市鉄道を敷設する計画のあることを知って,その列車は地下を走らせるようにとコスタは強く主張しました。

市の全景

では,市内のツアーに出かけましょう。初めてここを訪れた人でも,迷うことはまずありません。二つの大通りがあって,市バスのターミナルはその大通りが交差する所にあります。一本の大通りは西から東に(“飛行機”の尾翼から操縦室方向へ)走り,ホテル,劇場,銀行,ショッピング街に行くことができます。もう一本は北から南に(翼の一方の端から他の端へ)走っており,住宅地区を通り抜けています。

ブラジリアの形状がいちばんよく見える場所はテレビ塔です。高さ224㍍のこの建造物は飛行機の胴体部分,ちょうど翼の付け根にあたる部分にあります。無料のエレベーターで地上から75㍍の高さに上がると,プラノ・ピロトと呼ばれる,市の主要部の全景が見えます。この都市一面に広がる芝生地帯に目を移すと,そこはあまりに広くて,さえぎるものがないため,空が芝生に接しているように見え,ブラジリアの広大さに圧倒されそうです。実際に,風景デザイナーのホベルト・ブーレマークスは,ブラジリアの公園と芝生を非常にゆったりと設計しました。そのためこの都市は,世界の他のどの首府よりも,住民一人あたりの緑地の割合が高くなっています。

東の方向には,幅の広い緑地帯が延びていて,その両側を道路が走っています。その二つの道路に面して,同じような形の17棟の建物が並んでいます。その箱型の建造物それぞれに政府の各部局が入っています。中心街の終わりにそびえているのは,ブラジリアのシンボルです。28階建ての建物2棟で,その土台の部分には同じ形の二つのドームが,一つは上向きに,もう一つはさかさに設置されています。ここは国会議事堂,ブラジルの立法府です。

国会議事堂の形は,ニューヨークにある国際連合の本部を多少とも連想させるかもしれません。それもそのはずです。国連ビルの企画に携わった建築家の一人はオスカー・ニーマイヤーですが,その同じブラジルの建築家が,国会議事堂,およびブラジリアの他のほとんどの主要なビルを設計したのです。この人が設計した傑作としては,外務省(パラシィオ・イタマラチ)や法務省(パラシィオ・ダ・ジュスチーサ)などがあり,国会議事堂のツインタワーの近くに立っています。

迷子にならない理由

しかしブラジリアは,建築物を並べた単なる公園ではありません。ここは多くの人にとって,よく整えられた住まいでもあります。市の住宅地区を車で走りながら,ブラジリアに住む弁護士のパウロは「ブラジリアに移って来るたいていの人は,ここの整然としたたたずまいに安らぎを見いだします。それまで他の都市で経験してきた,雑然とした様子とは違うからです」と話してくれました。

ブラジリアの人々はアパートに住んでいます。こうしたアパート群は広場を取り巻くようにして並んで,大街区を形成しています。幾列にもなった大街区が,市の南北の両翼を埋めています。人の住所はすぐ分かります。例えば,“N-102-L”は,市の北ウイング,102番大街区,住宅ビルLにあります。ウイングの先端に進むにしたがって,街区番号が大きくなる(102から116など)ことを覚えていれば,道を間違えることはまずありません。

秩序だけでなく,それに居心地の良い温かみを添えるため,住宅用建物に6階より高いものはありません。コスタ氏が言うには,このようにしておくことによって,中庭で遊んでいる子供たちにも,「マノエウ,ベン カ!」(マヌエル,ちょっと来て!)と,アパートの窓から呼ぶお母さんの声が聞こえるのです。

成長に伴う痛み

ブラジリアは計画的に建設された都市であることを誇りにしていますが,市の青写真で見過ごしていたものがありました。それは,セメントまみれになってブラジリアを建設した作業者たちのことです。この首都の竣工の後,作業者たちは自分のハンマーやタオルをまとめて元いた場所へ戻るものと想定されていました。しかし,病院も,学校も,勤め口もない地方に帰りたいと思った作業者たちはいなかったようです。ブラジリアにとどまるほうを選んだのです。しかし,どこにとどまるのでしょうか。

作業者たちは,自分たちが建てた家賃の高いアパートに入る余裕はありませんでした。そのため,ブラジリアを囲む緑地帯の周りに住むようになったのです。やがて,ブラジリアよりも大きな都市が幾つも出現しました。現在,計画された都市の中に住んでいるのはわずかに40万人で,非常に多くのアパートが空いたままです。それに対し200万人に近い人々が,計画外の幾つかの近郊の町々に住み着いています。平等主義を目ざした都市計画にもかかわらず,住民は所得の違いで完全に別個の都市に分けられています。

予想以上に爆発的な人口の増加や階級間の障壁などは,どこの都市でも犯罪その他の社会経済的問題を助長しています。ブラジルのこの若い首都も成長に伴う痛みに苦しんでいるのです。整備の行き届いた市街と革新的な建築だけで,人々の心や振る舞いを変えられないのは明らかです。

「ブラジルの心臓」?

ブラジリアを囲む環状道路に並ぶ看板を見ると,そこへ来る旅行者は,まさに「ブラジルの心臓」に足を踏み入れようとしていることに注意を促されます。この言い回しには一理あります。地理的には国の中央部ではありませんが,ブラジリアは,この国のどの主要都市からもほぼ等距離のところにあるからです。では,この言い回しのさらに深い意味についてはどうでしょうか。ブラジリアは本当にブラジルの心でしょうか。見方は様々です。この特異な都市を訪ねてみなければ,この問いに結論は出せないでしょう。しかしブラジリアを性急に評価してしまわないでください。この都市が自然と姿を現わしてくるのを少し待ちましょう。ここに住むある人が言ったとおりです。「ブラジーリャ セドゥス グラドゥアウメンチ」(ブラジリアはだんだんと引きつける)。

[脚注]

a この首都の設計者ルシオ・コスタは1998年6月,この記事が準備されてまもなく96歳で亡くなりました。

b アンゴラ起源の言葉(かつてアフリカ人がポルトガル人をさして用いた)で,ブラジリアの建設作業者たちの愛称となりました。

c ユネスコがまとめたこの一覧表には,「自然もしくは文化の面で類例のない重要性」を備えた,世界の552の場所が挙げられています。

[15ページの写真]

「土ぼこりと,テント小屋と,コンクリート」の物語

「カンダンゴたち」のパレード

[クレジット]

Arquivo Público do Distrito Federal

Arquivo Público do Distrito Federal

[16,17ページの写真]

ブラジリアの全景

1. 官庁街

2. 議会関連の建物

3. 最高裁判所

4. 三権広場

5. 大統領府

[クレジット]

Secretaria de Turismo, Brasília

[18ページの写真]

世界の首都の中で緑地空間は第一位

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする