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ブラジル1997 エホバの証人の年鑑
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[175ページの図版]
他の国々からの自発奉仕者が,支部施設を建設する地元の証人たちを援助した。ここに写っているのはハーリー夫妻(上)とコルウェル夫妻
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ブラジル1997 エホバの証人の年鑑
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インターナショナル・サーバントの援助
工場を拡張するこのプロジェクトを援助し,その後さらに幾つかの宿舎棟を建てるために他の国々から来た,技術を持つ35人の兄弟たちが共にいてくれたのはうれしいことでした。何週間か奉仕した兄弟姉妹もいれば,何か月も奉仕した人もおり,6年以上奉仕した人も少数ながらいます。彼らがいることは励みになり,建設的であり,その専門技術ゆえに生産的でもありました。
これらのインターナショナル・サーバントの中には,若い人もいれば,孫がいる人もいました。先陣をきって1989年3月に到着したキース・コルウェルと妻のレイ・エッタは,後者の部類の人でした。二人は50歳を超えていました。キースはこう語ります。「二人の娘や娘婿,4人の孫たち,母や父から遠く離れているのは容易なことではありません。時々,家に帰ってただの『おじいちゃん,おばあちゃん』になることを考えることもあります。でも,用いていただける限り,また力がある限り,私たちは喜んで,『ここにわたしがおります! わたしを遣わしてください』と言うつもりです」。―イザ 6:8。
ダーウィン・ハーリーと妻のシャーリーも,ブラジルで6年近く奉仕しました。彼らも4人の子供と8人の孫たちのことを考えると郷愁を感じました。それでも生活の中でエホバを第一にし,この点で子供たちに手本を示しつづけることを決意しました。それで,末っ子が結婚した後,ダーウィンとシャーリーは,何をすべきかについて何の迷いもありませんでした。インターナショナル・サーバントとしてずっと奉仕を続けることを申し込んだのです。今では60歳を超えていますが,二人は気持ちを込めて,「このような特別な方法でエホバに奉仕する機会を与えてくださった統治体に感謝しています」と語りました。他の国々から来たこれらの忠実な僕たちに,ブラジルのベテル家族が別れの言葉を告げなければならなかった時,多くの成員は目に涙を浮かべていました。自分の家に帰った人もいましたが,新しい任命地に向かった人たちもいました。
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