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    神の王国について徹底的に教える
    • 「自分の弁明のために喜んでお話しいたします」(使徒 23:35–24:21)

      10. パウロはどんな重大な罪で訴えられましたか。

      10 カエサレアでパウロは,「ヘロデ宮殿内で監視」下に置かれ,エルサレムから告訴人たちが到着するのを待ちます。(使徒 23:35)5日後,大祭司アナニア,弁士テルトロ,長老たちがやって来ます。テルトロが話し始めます。テルトロはまず,フェリクスがユダヤ人のためにしている事を称賛します。フェリクスの機嫌を取って,良く思われようとしているのでしょう。b テルトロはそれから本題に入り,パウロについて「この男は厄介者で,世界の至る所でユダヤ人の間に暴動を起こし,ナザレ人一派の先頭に立ち,神殿も汚そうとしましたので,私たちが捕らえました」と言います。すると,「ユダヤ人たちも訴えに同調し,その通りだと主張し」ました。(使徒 24:5,6,9)暴動を起こすこと,危険な一派を率いること,神殿を汚すこと,これらは死刑になりかねない重大な罪でした。

      11,12. パウロは,訴えられた罪状をどのように否定し,反論しましたか。

      11 次にパウロが話します。パウロは,「自分の弁明のために喜んでお話しいたします」と言ってから,訴えられた罪状をきっぱり否定します。神殿を汚してはいませんし,暴動を起こしてもいません。エルサレムに来たのは「何年かぶり」で,飢饉や迫害のせいで生活に困っているクリスチャンに寄付金を届けるためにやって来ました。「儀式上の清めをして」から神殿に入りましたし,「神と人の前で良心にやましいところがないよう,絶えず励んで」きました。(使徒 24:10-13,16-18)

      12 パウロはこう続けます。「私は,このことはあなたの前で認めます。私はこの方たちが一派と呼んでいるやり方に従って,父祖たちの神に神聖な奉仕をしています」。「律法の中で述べられていることと,預言者の書に記されていることを全て信じています」。「この方たちと同じ[ように,]神が正しい人も正しくない人も復活させてくださるという希望[を持っています]」。そう言ってから,こう問い掛けます。「ここにいる方たちが,私がサンヘドリンの前に立った時にどんな悪い点を見つけたのか,自分で述べていただきたいと思います。もっとも,私はそこに立っていた時にこう叫びはしました。『死者の復活に関して今日皆さんの前で裁かれているのです』」。(使徒 24:14,15,20,21)

      13-15. 当局者の前に連れていかれるとき,パウロにどのように倣えますか。

      13 私たちも,信仰の生き方をしたために当局者の前に連れていかれるかもしれません。騒動を起こしているとか,治安を乱しているとか,危険な一派だとか言われるかもしれません。そういうとき,パウロに倣えます。パウロはテルトロとは違い,こびを売って総督に気に入られようとはしませんでした。敬意を込めて,穏やかに話しました。正直にはっきりと語り,真実を上手に伝えました。神殿を汚したとパウロを訴えた「アジア州から……来ていた」ユダヤ人はその場にいませんでした。パウロはそれを指摘し,法的にはその人たちがここに来て話をするべきだということを伝えました。(使徒 24:18,19)

      14 パウロは,自分が信じていることを話すのをためらいませんでした。復活を信じていると何度も堂々と言いました。そのせいで以前サンヘドリンで騒動が起きたことがあっても,そうしました。(使徒 23:6-10)弁明の時に,パウロが復活の希望についてそこまで語ったのはどうしてでしょうか。パウロはイエスについて伝道し,イエスが死んで生き返ったことを教えていたからです。それを信じない人がたくさんいました。(使徒 26:6-8,22,23)論点は,復活を信じるかどうか,特にイエスが復活したことを信じるかどうかでした。

      15 私たちもイエスの言葉から力をもらって,パウロのように勇敢に語れます。イエスは弟子たちにこう言いました。「あなたたちは,私の名のために全ての人から憎まれます。しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われます」。何を語るべきか心配になるかもしれませんが,イエスはこうも言ってくれています。「人々があなたたちを引き渡すために連れていくとき,何を言おうかと心配してはなりません。何でもその時に与えられること,それを言いなさい。話すのは,あなたたちではなく,聖なる力だからです」。(マル 13:9-13)

      「フェリクスは恐れを感じ[た]」(使徒 24:22-27)

      16,17. (ア)フェリクスはパウロの件をどう扱うことにしましたか。(イ)フェリクスが恐れを感じたのはどうしてだと考えられますか。その後もパウロに会い続けたのはどうしてですか。

      16 総督フェリクスがクリスチャンの信条について聞いたのは,これが初めてではありませんでした。こう書かれています。「フェリクスはこの道[初期のキリスト教のこと]に関する事柄をかなりよく知っていたので,この件を先送りにし,『軍司令官ルシアスが下ってきた時に,本件を裁決しよう』と言った。そして士官に命令してパウロを留置させたが,パウロに幾らかの自由を与え,仲間の者が世話をするのを許した」。(使徒 24:22,23)

      17 数日後,フェリクスはパウロを呼び出し,ユダヤ人の妻ドルシラと一緒に,「キリスト・イエスを信じること」について話を聞きます。(使徒 24:24)しかし,「パウロが正しい行いと自制と将来の裁きについて話すと,フェリクスは恐れを感じ」ます。きっと,それまでの人生でしてきた悪い行いを思い出して,心がざわついたのでしょう。フェリクスはパウロを帰らせることにし,こう言います。「もう下がってよい。機会があれば,また呼ぶことにする」。その後もフェリクスはパウロに何度も会いましたが,それは神やキリストについて学ぶためではなく,パウロから賄賂をもらうことを期待してのことでした。(使徒 24:25,26)

      18. パウロがフェリクスとドルシラに,「正しい行いと自制と将来の裁き」について話したのはどうしてですか。

      18 パウロがフェリクスとドルシラに,「正しい行いと自制と将来の裁き」について話したのはどうしてでしょうか。彼らが知りたかったのは,「キリスト・イエスを信じる」とはどういうことかでした。パウロは彼らの不品行,残虐行為,不正について知っていたので,キリストの後に従うには何をしなければいけないかをはっきり伝えました。2人の生き方は,神から見て正しい行いとはかけ離れていました。人は皆,考えたこと,話したこと,行ったことについて神から裁かれます。フェリクスはパウロを裁く立場にあるかもしれませんが,フェリクス自身も神から裁かれることになります。パウロの話によってそういうことに気付かされ,フェリクスは「恐れを感じ」ました。

      19,20. (ア)宣教で,聖書の教えに関心があっても自分のしたいように生きていきたい人に会うことがあります。その人のためにどんなことができますか。(イ)フェリクスがパウロのことを大切には思っていなかったことは,どんなことから分かりますか。

      19 私たちも宣教でフェリクスのような人に会うことがあります。聖書の教えに関心はあっても,自分のしたいように生きていきたい人です。そういう人には慎重に対応しますが,パウロのように神から見て正しい行いとは何かを上手に伝えることができます。そうすれば,心を入れ替えるかもしれません。でも,生き方を変えるつもりがないようであれば,その人との話し合いはいったんやめて,本当に正しい生き方をしたいと思っている人を探します。

      20 フェリクスが本当のところどんな人だったかが,次の記録から分かります。「2年が経過すると,ポルキオ・フェストがフェリクスの後を継いだ。フェリクスはユダヤ人に良く思われたかったので,パウロを拘束しておいた」。(使徒 24:27)フェリクスはパウロのことを大切には思っていませんでした。フェリクスは,「この道」の人たちが暴動や革命を起こしたりするような人たちではない,と分かっていました。(使徒 19:23)パウロがローマ法に違反するようなことを何もしていないことも知っていました。それでも,「ユダヤ人に良く思われたかったので」,パウロを拘束し続けました。

      21. ポルキオ・フェストが総督になってから,パウロはどんなことを経験しましたか。何が支えになっていたはずですか。

      21 使徒 24章の最後の節から分かるように,ポルキオ・フェストがフェリクスに代わって総督になった時も,パウロはまだ拘束されていました。それ以降,役人から役人へと引き渡され,何度も尋問されます。イエスが予告していた通り,「王や総督の前に連れていかれ」ました。(ルカ 21:12)やがてはローマ皇帝にも話すことになります。その間ずっと,信仰が揺らぐことはありませんでした。「勇気を出しなさい!」というイエスの言葉が支えになっていたはずです。

      フェリクス ユダヤの行政長官

      52年ごろ,ローマ皇帝クラウディウスは,気に入っていたアントニウス・フェリクスをユダヤの行政長官つまり総督に任命しました。フェリクスはもともと皇帝一家の奴隷で,解放されて自由民になった人でした。兄のパラスもそうでした。軍事指揮権を持つ行政長官の職に解放奴隷が任命されるのは前例のないことでした。

      フェリクス

      フェリクスは,兄が皇帝に影響力を持っていたので,「どんな悪行を犯しても罰せられないと考えていた」と,ローマの歴史家タキトゥスは言っています。行政長官フェリクスは,「残虐で肉欲を満たすことなら何でも行い,奴隷根性を丸出しにして王の権力を振るった」人物でした。在任中に,ヘロデ・アグリッパ1世の娘ドルシラと結婚しました。夫がいるドルシラに言い寄って,夫と別れさせて結婚しました。また,使徒パウロへの対応は明らかに違法で,パウロから賄賂を取ろうと考えていました。

      フェリクスの政治は非常に腐敗していて圧制的だったので,58年に皇帝ネロに呼び戻されます。ユダヤ人の代表団もローマに行ってフェリクスの悪政を訴えましたが,兄パラスのおかげでフェリクスは処罰を免れたと言われています。

      a 「フェリクス ユダヤの行政長官」という囲みを参照。

      b テルトロは,フェリクスのおかげで「平和を存分に楽し」めていると言って,感謝しました。しかし実際には,ローマへの反乱が起こるまでの期間のうち,フェリクスの総督在任中ほどユダヤが平和でなかった時はありませんでした。フェリクスがした改革にユダヤ人が「この上ない感謝の気持ちを抱いて」いる,というのも全くのうそでした。フェリクスは,ユダヤ人の生活を抑圧し,暴動を強硬な手段で鎮圧したため,ほとんどのユダヤ人からひどく嫌われていました。(使徒 24:2,3)

  • 「カエサルに上訴します!」
    神の王国について徹底的に教える
    • 25章

      「カエサルに上訴します!」

      良い知らせのために闘ったパウロから学ぶ

      使徒 25:1–26:32

      1,2. (ア)パウロは今どんな状況に置かれていますか。(イ)パウロがした上訴について,どんなことを知りたいと思いますか。

      パウロは,まだカエサレアで厳重な監視下に置かれています。2年前にユダヤ地方に戻ってきましたが,戻って何日もたたないうちに少なくとも3回殺されそうになりました。(使徒 21:27-36; 23:10,12-15,27)これまでのところ難を逃れ,生き延びていますが,ユダヤ人たちは諦めていません。彼らが再び訴えてきて,パウロは命を失う恐れがあったので,ローマ総督のフェストに「カエサルに上訴します!」と言います。(使徒 25:11)

      2 ローマ皇帝に上訴するというのは,エホバの考えに合った決定だったでしょうか。それをぜひ知りたいと思います。私たちも今の終わりの時代に,神の王国について徹底的に伝えているからです。「良い知らせを擁護し,その知らせを広める法的権利を得るために」どんなことができるか,パウロの例から学びましょう。(フィリ 1:7)

      「裁きの座の前に立って」(使徒 25:1-12)

      3,4. (ア)パウロをエルサレムに呼んでほしいというユダヤ人たちの要望には,どんな裏がありましたか。どんなことがあって,パウロは難を逃れることができましたか。(イ)パウロを支えたエホバは,私たちのことも支えてくれます。どのようにしてですか。

      3 フェストはユダヤの総督になって3日後,エルサレムに行きます。a そこで,祭司長とユダヤ人の主立った人たちから,ある訴えを聞きます。パウロが重大な罪を犯したと言うのです。彼らは,フェストがローマから,ユダヤ人とうまくやっていくよう指図されているのを知っています。そこで,それに付け込んで相談を持ち掛け,パウロをエルサレムに呼んで,ここで裁判にかけてほしい,と言います。でもその要望には裏がありました。カエサレアからやって来る道の途中でパウロを殺す計画でした。フェストは要望には応じず,こう言います。「その男に悪い点が本当にあるなら,あなた方のうちの有力な人たちが私と一緒に[カエサレアに]来て,彼を訴えなさい」。(使徒 25:5)パウロはまたも難を逃れ,生き延びました。

      4 エホバはイエス・キリストを通して,パウロを試練の間ずっと支えました。例えば,幻の中でイエスがパウロに「勇気を出しなさい!」と言ったことがありました。(使徒 23:11)私たちも大変な目に遭ったり迫害を受けたりすることがあります。エホバは,問題を全部なくしてくれるわけではありませんが,やっていくための知恵や力をくれます。エホバは私たちのことを愛していて,「普通を超えた力」を必ず与えてくれます。(コリ二 4:7)

      5. フェストはパウロの件をどう扱いましたか。

      5 何日かたってから,フェストはカエサレアに戻り,「裁きの座に座」ります。b 前には,パウロと,パウロを訴えた人たちがいます。告訴人たちは根拠のない訴えをし,パウロはこう答えます。「私は,ユダヤ人の律法に対しても,神殿に対しても,カエサルに対しても,何の罪も犯しておりません」。パウロは無実です。釈放されるべきです。フェストはどうするでしょうか。ユダヤ人の機嫌を取ろうとして,パウロにこう尋ねます。「エルサレムに上って,そこでこの件に関して私の前で裁きを受けることを望むか」。(使徒 25:6-9)なんとひどい提案でしょう。もしエルサレムに戻されれば,パウロは,この告訴人たちに裁かれることになります。確実に死刑になるでしょう。フェストにとっては,正しく裁くことよりも,自分の都合の方が大切でした。何年も前,別の総督ポンテオ・ピラトも,イエスに対して同じようなことをしました。(ヨハ 19:12-16)現代でも,裁判官たちが政治的な圧力に屈することがあります。それで,エホバの証人が何の根拠もなく有罪の判決を受けることがあっても,驚くには当たりません。

      6,7. パウロがカエサルに上訴したのはどうしてですか。パウロに倣って,現代のエホバの証人もどんなことをしますか。

      6 フェストがユダヤ人の好きにさせようとしていたので,パウロは命を失う恐れがありました。それで,ローマ市民として持っている権利を行使することにします。フェストにこう言います。「私はカエサルの裁きの座の前に立っており,ここで裁かれるのが当然です。ユダヤ人に悪いことは何もしていません。あなたも十分ご存じの通りです。……カエサルに上訴します!」いったんカエサルに上訴すると,まず取り消せません。それを踏まえてフェストは,「あなたはカエサルに上訴した。カエサルのもとに行くように」と言います。(使徒 25:10-12)パウロが上位の司法機関に訴えたことから,私たちも同じようにできることが分かります。反対者たちが「法の名の下に問題を巻き起こしている」とき,エホバの証人は法制度を活用して,宗教活動の自由を守ろうとします。c (詩 94:20)

      7 こうしてパウロは,事実無根の罪で2年以上拘束された後,ローマに行って弁明することになりました。でも出発前に,別の政治家がパウロに会いたがります。

      法廷で判決を聞いた場面。兄弟や弁護士たち,傍聴席のエホバの証人たちが険しい表情をしている。勝訴した側の,エホバの証人ではない人たちは喜び,法廷に立った人たちをねぎらっている。

      裁判に敗れたとき,上訴する。

      「私は……背くことなく……知らせていきました」(使徒 25:13–26:23)

      8,9. アグリッパ王がカエサレアにやって来たのはどうしてですか。

      8 パウロがカエサルに上訴してから何日か後のことです。総督に就任して間もないフェストを,アグリッパ王と妹のベルニケが「表敬訪問」します。d ローマ時代,役人が新任の総督にそうした訪問をするのは,よくあることでした。アグリッパは,フェストの就任を祝うことで,政治的にも個人的にもパイプをつくっておこうと思ったのでしょう。(使徒 25:13)

      信教の自由のために上訴した現代の例

      エホバの証人は,神の王国の良い知らせについて伝道する自由を求めて,上位の裁判所に上訴することがあります。2つの例を見てみましょう。

      1938年3月28日,アメリカ合衆国最高裁判所は,ジョージア州グリフィンで聖書出版物を配布したことで逮捕されたエホバの証人たちについて,無罪の判決を下しました。州裁判所の判決を覆しての判決でした。この判決以降,良い知らせについて伝道する権利を巡って,幾つもの件がアメリカ合衆国最高裁判所に上訴されました。g

      もう1つの例は,ギリシャのエホバの証人ミノス・コキナキスの件です。兄弟は,「改宗の勧誘」をしたとして48年間に60回以上逮捕され,18回起訴されました。刑務所での服役やエーゲ海の離島への流刑を何年も経験しました。コキナキス兄弟が最後に有罪宣告を受けたのは1986年のことです。その後,兄弟はギリシャの上位の裁判所に訴えますが,認められませんでした。それでヨーロッパ人権裁判所に救済を求めます。1993年5月25日,ヨーロッパ人権裁判所は,ギリシャがコキナキス兄弟の信教の自由を侵害したという判決を下しました。

      エホバの証人は,救済を求めてヨーロッパ人権裁判所に何十件もの申し立てをしてきました。その大半で,エホバの証人の側を支持する判決が下っています。ヨーロッパ人権裁判所で基本的人権を擁護することにこれほど成功しているグループは,宗教以外の団体も含め,ほかにありません。

      学者のチャールズ・C・ヘインズによれば,エホバの証人の法的勝利によって,ほかの人たちにも恩恵が及んでいます。こう書いています。「われわれは皆,エホバの証人に恩義がある。彼らは,何度侮辱されても,町から追い出されても,さらには暴力を振るわれても,自分たちの(ひいてはわれわれの)信教の自由のために闘い続ける。彼らの勝利は,われわれ全ての勝利でもある」。

      g 言論の自由に関するアメリカ合衆国最高裁判所の判決については,「目ざめよ!」2003年1月8日号3-11ページを参照。

      9 アグリッパはフェストからパウロのことを聞き,興味をそそられます。次の日,フェストとアグリッパは裁きの座に着き,パウロが連れてこられます。仰々しく出てきて腰を下ろした2人でしたが,パウロの堂々とした話を聞いて圧倒されることになります。(使徒 25:22-27)

      10,11. パウロはアグリッパにどのように敬意を表しましたか。過去のどんな行いについて,アグリッパに話しましたか。

      10 パウロは敬意を込めて話し始め,弁明させてもらえることをアグリッパ王に感謝します。そして,王がユダヤ人の習慣や論争に通じていることを認めます。それから,自分の以前の生き方について話し,「崇拝に関して最も厳格なパリサイ派として生活していた」と言います。(使徒 26:5)パウロはパリサイ派として,メシアの到来を待ち焦がれていました。今はクリスチャンとして,イエス・キリストがその待望のメシアだと熱心に知らせています。パウロは,これまでユダヤ人みんながずっと信じてきた,メシアに関する神の約束について語ったために,こうして裁判にかけられています。これを聞いてアグリッパはますます興味を持ちます。e

      11 パウロは,自分がクリスチャンたちにしていたひどい仕打ちについて話します。「私自身,どんな手段を使ってでもナザレ人イエスの名に敵対すべきだと確信していました。……彼ら[クリスチャンたち]のことでひどく激怒してほかの町々でも迫害するほどでした」。(使徒 26:9-11)パウロは大げさに言っていたわけではありません。パウロがクリスチャンたちを苦しめていたことは広く知られていました。(ガラ 1:13,23)アグリッパは,「そんな人がどうしてクリスチャンになったのか」と思ったでしょう。

      12,13. (ア)パウロはクリスチャンになった経緯をどのように説明しましたか。(イ)パウロがしていたことは,「突き棒を蹴り返」すことにどう似ていましたか。

      12 パウロが続けて話したのは,まさにそのことでした。「祭司長たちから権限と委任を受けてダマスカスに旅をしていた時,王よ,私は真昼に路上で天からの光を見ました。それは太陽の輝きより明るく,私の周りと,一緒に旅をしていた者たちの周りを照らしました。私たちが皆,地面に倒れてしまった時,ヘブライ語で私にこう言う声が聞こえました。『サウロ,サウロ,なぜ私を迫害しているのですか。あなたは突き棒を蹴り返しては,自分を傷つけています』。私は,『主よ,あなたはどなたですか』と言いました。すると主は言いました。『イエスです。あなたは私を迫害しています』」。f (使徒 26:12-15)

      13 イエスの声を聞く前まで,パウロは「突き棒を蹴り返して」いました。パウロがしていたことは,荷物を運ぶ動物が先のとがった突き棒を蹴り返して,自分の体を傷つけるのに似ていました。神の考えに反発した行動を取って,自分と神との関係を台無しにしていたのです。パウロは真っすぐな人でしたが,間違ったことに力を注いでいました。復活したイエスは,ダマスカスへの道でパウロの前に現れ,考えを正しました。(ヨハ 16:1,2)

      14,15. パウロは,自分の生き方がどう変わったと話しましたか。

      14 パウロは生き方を180度変えました。アグリッパにこう言います。「私は天からのその幻に背くことなく,まずダマスカスの人たちに,次いでエルサレムの人たちに,またユダヤ地方全体に,さらには異国の人々にも,悔い改めるように,そして悔い改めたことを示す行動を取って神を崇拝するようにと知らせていきました」。(使徒 26:19,20)真昼の幻の中でイエス・キリストから与えられた任務に,パウロはこれまで何年も取り組んできました。どんな成果があったでしょうか。良い知らせを聞いて喜んだ人たちは,それまでの良くない行いを反省し,心を入れ替え,神の考えに合わせた生き方をするようになりました。今は,法律を守って穏やかに生活する,善良な市民になっています。

      15 でも,ユダヤ人たちはそういう良い面には見向きもしませんでした。パウロはこう話します。「ですからユダヤ人たちは私を神殿で捕らえ,殺そうとしたのです。しかし,私は神の助けを得てきましたので,今日までずっと,身分が低い人にも高い人にも伝道し続けています」。(使徒 26:21,22)

      16. 裁判官や役人たちに自分の信仰について話すときは,パウロにどのように倣えますか。

      16 私たちも,「いつでも弁明できるよう,準備しておき」たいものです。(ペテ一 3:15)裁判官や役人たちに自分の信仰について話すときは,パウロに倣いたいと思います。パウロがアグリッパとフェストに話した時と同じように,聖書の教えを学んで自分の人生がどう変わったかを話せます。私たちが聖書について教えた人たちの人生がどう良くなったかも話せます。敬意を込めてそうしたことを伝えれば,役人たちの心に訴え掛けられるかもしれません。

      「あなたは……私を説き伏せてクリスチャンにならせようとしている」(使徒 26:24-32)

      17. フェストはパウロの弁明を聞いて,どう反応しましたか。現代でも,どんな反応をする人たちがいますか。

      17 客観的に聞いていたはずの2人も,パウロの話に引き込まれ,黙っていられなくなります。こう記録されています。「パウロがこう弁明していると,フェストが大声で言った。『パウロ,あなたは気が狂っている! 博学のためにおかしくなっているのだ!』」(使徒 26:24)現代でも,フェストと同じような反応をする人がいます。聖書に書かれている通りのことを教えると,狂信的だと思われるかもしれません。例えば,たいていの人は,死んだ人が復活するという教えは信じ難いと感じます。

      18. パウロはフェストにどう答えましたか。アグリッパはどう反応しましたか。

      18 パウロはフェストにこう答えます。「気が狂ってなどいません,フェスト閣下。真実で理にかなった言葉を述べているのです。実際,私が気兼ねなくお話ししております王が,これらのことについてよくご存じです。……アグリッパ王,預言者たちを信じておられますか。信じておられることを知っております」。アグリッパ王はこう答えます。「あなたはわずかな時間で私を説き伏せてクリスチャンにならせようとしている」。(使徒 26:25-28)本心でそう言ったかどうかは分かりませんが,パウロの話が王にかなりのインパクトを与えたのは確かです。

      19. アグリッパとフェストはどんな結論に至りましたか。

      19 その後,アグリッパとフェストは立ち上がり,聴聞が終わります。記録はこう続いています。「[彼らは]そこを去っていき,互いに,『この人は死刑や拘禁に値することは何もしていない』と言うのだった。また,アグリッパはフェストに,『この人はカエサルに上訴していなければ釈放されただろうに』と言った」。(使徒 26:31,32)2人はパウロが無実だということが分かりました。以後,クリスチャンたちにより理解を示すようになったかもしれません。

      20. パウロがアグリッパやフェストと話したことには意味があった,といえるのはどうしてですか。

      20 アグリッパもフェストも,神の王国の良い知らせについて学ぼうとはしなかったようです。パウロが2人と話したことには意味があったのでしょうか。もちろんありました。パウロがユダヤの「王や総督の前に連れていかれ」たことで,普通なら会えなかったローマの役人たちに伝道できました。(ルカ 21:12,13)兄弟姉妹は,大変な中でもパウロが行った先々で奮闘していることを聞いて,自分も頑張ろうと思ったはずです。(フィリ 1:12-14)

      21. 逆境の中でも伝道を続けることで,どんな良いことが起きていますか。

      21 現代でも,同じことが言えます。逆境の中でも伝道を続けることで,いろんな良いことが起きています。普段は会えない役人たちに話せることがあります。兄弟姉妹も仲間の頑張りについて聞いて,元気をもらえます。自分も決して諦めずに,神の王国について徹底的に知らせていこうという気持ちになります。

      ローマの行政長官ポルキオ・フェスト

      ポルキオ・フェストについて書かれている資料として残っているのは,「使徒の活動」とフラウィウス・ヨセフスの著作だけです。フェストは58年ごろ,フェリクスの後を継いでユダヤの行政長官になりました。職務に就いてわずか2,3年後に亡くなったようです。

      ポルキオ・フェスト

      フェストは,前任のフェリクスや後任のアルビノスとは違い,おおむね理性的で有能な行政長官だったようです。フェストが着任した時,ユダヤには無法者が多くいました。「フェストは,その地方で治安を乱す者たちを正すことにした。それで,盗賊の大半を捕らえ,かなりの数の者を処刑した」とヨセフスは書いています。フェストの在任中,ユダヤ人は,神殿域の様子をアグリッパ王に見られないよう壁を建設しました。フェストは当初,それを取り壊すよう命じました。しかし後になってユダヤ人の要望に応じ,壁を残してよいかローマ皇帝ネロに尋ねることを許可しました。

      フェストは,犯罪者や反乱を起こす人たちに断固とした措置を取ったようです。とはいえ,ユダヤ人と良い関係でいようとして,正義に反することもしました。少なくとも使徒パウロへの対応について,そういえます。

      ヘロデ・アグリッパ2世

      使徒 25章に出てくるアグリッパ王はヘロデ・アグリッパ2世です。ヘロデ大王のひ孫で,14年前にエルサレム会衆を迫害したヘロデの息子です。(使徒 12:1)ヘロデ家の最後の王でした。

      ヘロデ・アグリッパ2世

      44年に父親が死んだ時,アグリッパは17歳でした。ローマにいて,ローマ皇帝クラウディウスの宮廷で教育を受けていました。父親の領土を受け継ぐには若すぎると皇帝の顧問官たちが考えたので,代わりにローマ総督が任命され,その領土を治めました。とはいえ,フラウィウス・ヨセフスによれば,アグリッパはローマにいる間も,ユダヤ人のために物事に介入し,ユダヤ人に配慮した発言をしました。

      50年ごろ,クラウディウスはアグリッパをカルキスの王に任命し,53年には,イツリア,テラコニテ,アビレネの統治権も与えました。さらにアグリッパは,エルサレムの神殿の監督を任され,ユダヤ人の大祭司を任命する権限を委ねられました。彼の領土はクラウディウスの後継者ネロによって拡大され,ガリラヤやペレアの一部も含むようになりました。アグリッパは,カエサレアでパウロと会った時,妹のベルニケと一緒でした。ベルニケは,キリキアの王だった夫と離縁していました。(使徒 25:13)

      66年,アグリッパはユダヤ人のローマへの反逆を鎮めようとして失敗します。ユダヤ人たちの怒りの矛先が自分に向けられたため,ローマの側に付くしかありませんでした。ユダヤ人の反乱が鎮圧された後,新皇帝ウェスパシアヌスがアグリッパに褒美としてさらに領土を与えました。

      a 「ローマの行政長官ポルキオ・フェスト」という囲みを参照。

      b 「裁きの座」とは,壇上に置かれた椅子のことでした。裁判官の判決は,高い場所から言い渡されることによって重みが増し,変更できないものであることが印象付けられました。ピラトも,イエスについての訴えを審理した時,裁きの座に着いていました。

      c 「信教の自由のために上訴した現代の例」という囲みを参照。

      d 「ヘロデ・アグリッパ2世」という囲みを参照。

      e クリスチャンになったパウロは,イエスがメシアだと信じていました。イエスを信じないユダヤ人たちは,パウロのことをユダヤ教を捨てた背教者と見ていました。(使徒 21:21,27,28)

      f パウロが「真昼に」旅をしていたことに注目して,ある聖書学者はこう言っています。「旅人はよほど急いでいない限り,真昼の暑い時間は休息を取った。それゆえ,パウロが,迫害するというこの使命にどれほど燃えていたかが分かる」。

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