ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 鑑88 3–64ページ
  • 1988 エホバの証人の年鑑

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 1988 エホバの証人の年鑑
  • 1988 エホバの証人の年鑑
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 『あなたは歓びを大いなるものとされた』
  • 雑誌 ― 王国を宣べ伝える上での助け
  • 際立つ記念式の出席者!
  • 開拓奉仕学校
  • 「エホバへの信頼」地域大会
  • 『善良さをもって冠を授けられた』結果,拡大がもたらされる
  • 至るところで建つ,速成の王国会館
  • 『良いたよりを法的に確立する』
  • アフリカは声を上げる!
  • アジアは『ヤハを賛美する』
  • ラテンアメリカは『福音宣明者の業を行なう』
  • 北アメリカとカリブ海の島々は『証しを行なう』
  • ヨーロッパは『自由をふれ告げる』
  • 『海の島々の中でエホバの栄光をたたえる』
  • 禁令下にある国々は『神の力について歌う』
  • 1987 エホバの証人の年鑑
    1987 エホバの証人の年鑑
  • 1986 エホバの証人の年鑑
    1986 エホバの証人の年鑑
  • 1985 エホバの証人の年鑑
    1985 エホバの証人の年鑑
  • エホバの証人の1990 年鑑
    1990 エホバの証人の年鑑
もっと見る
1988 エホバの証人の年鑑
鑑88 3–64ページ

1988 エホバの証人の年鑑

その人物が処刑によって命を絶たれたのは,わずか33歳の時でした。しかし,その人物が伝えた音信は,その後1,900年が経過しても,なお生きているのです! その人物の名は,イエス・キリストです。あと三日のうちに非業の死を遂げようとしておられたイエスは,エルサレムが見渡せる丘の頂のオリーブ園で腰を下ろしていた時に,一つの預言を語られました。その預言が成就することにより,今日生きているすべての人は,命か死のどちらかを選択するよう迫られています。イエスは,神の王国の「良いたより」が人の住む全地で宣べ伝えられることを予告されたのです。―マタイ 24:14。

今日,その良いたよりを受け入れることは,とこしえの命を意味し,退けることは,永遠の死をもたらします。(啓示 14:6,7)老年のヨシュアに倣って,命を望む人々はエホバに仕えることを選ばなければなりません。(ヨシュア 24:15)それらの人々の生活において,神の王国に対する関心事は第一の立場を占める必要があります。(マタイ 6:33)しかし,この肝要な音信はどのようにして広められるのでしょうか。

イエスはご自分の追随者たちに,宣べ伝えて,教えなさいという簡潔で,率直な指示をお与えになりました。自らが行なわれたことを,弟子たちにも見倣ってほしいと願われたのです。(マタイ 4:23; 9:35)イエスの弟子たちは,王国の良いたよりの伝道者となるはずでした。そして,霊の導きのもとに王国を宣べ伝える業は,真のキリスト教の中核を成すはずでした。このような理由から,神の王国の音信は,マタイ 24章14節の成就により,地の最も遠い部分にまで押し広められました。

この壮大な業を今日成し遂げているのはだれでしょうか。それはエホバの証人です。このことは,100年以上にわたる,王国を宣べ伝えることに関する証人たちの記録を見れば,おのずと明らかです。証人たちは,宣べ伝え教える業において,1世紀のキリストの弟子たちが示したのと同様の型に従い,彼らが用いたのと同様の主題を用いています。そして証人たちから寄せられた最近の報告は,証人たちがこの業において手を緩めてはいないことをはっきりと示しています。

『あなたは歓びを大いなるものとされた』

エホバの証人たちは歓びの精神をもって収穫を行なっています。イザヤ 9章3節で,「あなたはその国民を多くし,国民のために歓びを大いなるものとされた。彼らは収穫の時に歓ぶように,分捕り物を分けるときの喜びに満ちた者たちのように,あなたのみ前で歓んだ」と言い表わされているとおりです。わたしたちは,エホバが王国の働き人をさらに増し加えて,宣べ伝え弟子を作る業を祝福なさり,それらの働き人を助けるための道具をわたしたちに備えてくださったことを歓んでいます。このようなわけで,わたしたちには,以下に続く報告を読む時に歓喜すべき際立った理由があるのです。

昨奉仕年度中,平均323万7,751人のエホバの証人が宣べ伝える業に活発にあずかり,奉仕者の最高数は339万5,612人に達しました。1年の間に,証人たちは王国を宣べ伝える業に合計7億3,901万9,286時間 ― 8万4,000年に相当する ― という膨大な時間を費やしたのです。

エホバの証人は,教える者でもあります。キリスト教を教える目的は何でしょうか。それはバプテスマを施された,キリストの弟子を生み出すことです。(マタイ 28:19,20)さらに,イエス・キリストはエホバを崇拝されましたから,その弟子たちもエホバの崇拝者となる必要があります。

1987奉仕年度中,23万843人がエホバの証人またイエス・キリストの弟子としてバプテスマを受けました。弟子が増加する見込みは大きいと言えます。証人たちによって毎月,平均300万5,048件の聖書研究が司会されたからです。では,世界の各地を一通り見渡して,神権的に際立っていた幾つかの出来事から,さらに歓びを得ることにしましょう。

昨奉仕年度,フランスでは優れた結果が見られ,5月に以下のような最高数が得られました: 9万6,954人の伝道者。この中には,1万180人の補助開拓者と3,411人の正規開拓者 ― 正規開拓者はこれで22回目の連続最高数 ― が含まれており,5月中,全伝道者の約15%が何らかの形で全時間奉仕にあずかりました。さらに,この同じ月に,伝道者は平均12.9時間を宣教に費やし,聖書研究も6万5,806件という最高数を報告しました。

ポルトガルの奉仕年度は,同支部が王国を宣べ伝える業を監督しているすべての国と地域で伝道者の新最高数が得られて,祝福された年となりました。ポルトガルだけでも伝道者の最高数が7回見られ,伝道者は初めて3万2,000人台に達しました。一つの際立った進展は,ポルトガル支部に報告を提出している五つの国や地域で,現在司会されている家庭聖書研究の数が,伝道者数を上回っていることです。豊かな収穫を示唆する,何とすばらしい見込みが前途にあるのでしょう!

「私たちは,祝福された活動の新たな1年が送れたことをエホバに感謝しています」と,日本支部は伝えています。日本では昨奉仕年度中,125の新しい会衆が発足しました。王国伝道者の数は8月に12万722人となり,104か月連続の最高数を記録しました。特に励みとなったのは,家庭聖書研究の数でした。6月には,昨年の平均を14%も上回る,16万6,277件の家庭聖書研究が司会されました。「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」と題する新しいブロシュアーは,再訪問を行なって家庭聖書研究を取り決める上で,日本において非常に効果的な道具であることが分かりました。

フィジー支部は,国内で軍事クーデターが起きた5月に,伝道者が29回連続の最高数に達するのを目にしました。6月には,野外の伝道者が1,300人を上回り,新たな最高数を記録しました。ある警部は,『以前にエホバの証人から聞いていた事柄がみな,そのとおりになっている』ことを認めた後,「この国の住民すべてがエホバの証人であったなら,このような国家的な騒乱はなかったことでしょう」と,一人のエホバの証人に語りました。

オーストラリアでは,伝道者の数が初めて4万5,000人を超え,正規開拓者もほぼ毎月,新最高数を記録しました。伝道者たちは野外奉仕を熱心に支持し,わけても4月には,伝道者一人につき平均12.1時間の奉仕がなされました。

1947年以降,海外から移住して来た人々の数は,オーストラリアで増加した人口の40%近くを占めています。その大部分は,英国,アイルランド,イタリア,ユーゴスラビア,ギリシャ,ドイツ,オランダ,ポーランドといったヨーロッパの国々から来た人々です。このように大勢の移住者が流れ込んで来たため,民族語を用いる58の会衆と39の群れが設立されました。これらの会衆に交わる人々は,巡回大会や地域大会のプログラムが20の異なる言語で提供される取り決めに加えて,定期的な集会を持てることも喜んでいます。

もっと最近では,ベトナム,ラオス,カンボジア,タイ,その他の東南アジア諸国からの難民がオーストラリアに流れ込んでいます。それら難民の大多数は極度の苦難と窮乏を経験してきましたが,現在では,もっと安定した環境のもとで生活できるようになったため,そのうちの多くの人々が良いたよりにこたえ応じるようになっています。例えば,シドニーのある会衆には,124人の伝道者と24人の開拓者がいますが,その会衆の区域には大勢のアジア人が住んでいます。この会衆は,会衆内で220件の聖書研究が司会されていることを大変歓んでいます。オーストラリア支部は,「まさにすべての国民の中から,大群衆が生き残るために集められています!」と注解しています。

エホバの証人の業がこれまで約20年間禁止されてきた,アフリカのある国では,昨奉仕年度中,17の新しい会衆が設立されました。諸会衆では,補助開拓者の平均数に18%の増加が見られました。これら忙しく奉仕する補助開拓者たちは,どのような結果を刈り取ってきたでしょうか。聖書研究がさらに多く司会されるようになり,22%の増加が見られたのです!

ザンビアでは,4月に6万7,144人の伝道者の新最高数に達しました。これは,昨年の平均を16.5%上回る数字です。開拓奉仕にあずかる人々もさらに増えています。1年前と比べて,正規開拓者は13.5%,補助開拓者は20.5%増加しました。過ぐる1年の間に,1,715番目の会衆が支部に登録され,1987奉仕年度が始まって以来,増加した会衆の数は93となりました。

ザンビアの銅鉱地帯に住む一開拓者は,良いたよりを他の人々にとって魅力的なものとする特異な方法を見いだしました。その開拓者は,こう述べています。「私はこれまでずっと,職場のある同僚に王国の良いたよりについて話をするよう心がけてきました。けれども,その同僚はどんな文書や雑誌も全く受け取ろうとしませんでした。ある日,私がエホバの証人の発行している魅力的なカレンダーを職場に持って行き,それを昼休みにその同僚に見せたところ,この男性は,『実に美しいカレンダーだ!』と感嘆の声を上げました。彼はたいへん感動して,聖書研究にも応じるようになり,霊的に良い進歩を遂げています」。

ブルキナ・ファソで1年を通じて際立っていた事柄は,諸会衆を教えるにあたって,地元の言語であるムーア語をさらに活用する決定がなされたことでした。2月以降,「ものみの塔」誌の中から選定された研究記事が翻訳されて,月に1度発行されています。それに続いて,「わたしたちの王国宣教」も翻訳されるようになりました。それで,フランス語を話す諸会衆のうち九つの会衆が,自分たちの集会をムーア語で司会することを喜んで取り決めました。

雑誌 ― 王国を宣べ伝える上での助け

リベリアの伝道者たちは毎月の野外宣教に平均15.4時間を費やした結果,雑誌配布の面で注目に値する最高数が得られました。リベリア支部は,次のように述べています。「1万7,630冊の雑誌が配布されたことにより,1972年3月以降のどの月よりも多くの雑誌が一般の人々の手に行き渡りました。4色刷りで,魅力的な装丁の雑誌は,この国における雑誌活動を確かに盛り上げました。伝道者たちは,新しい号の雑誌を受け取ってから数日もしないうちに手持ちの雑誌がなくなってしまうことに気づいています。街路にいる伝道者たちに人々が近づいて来て,『どの“聖書”でもいいですけど分けていただけますか』と尋ねることも珍しくありません。それは,『ものみの塔』誌と『目ざめよ!』誌を分けてほしいという意味なのです」。

「1987年4月から4色刷りの雑誌が出版されてきたおかげで,多くの伝道者たちは各自の雑誌活動を驚くほど向上させました」と,ジンバブエ支部は伝えています。この国の田舎の地域に住む一人の兄弟は,これら4色刷りの雑誌の最初のころの号を受け取った後に,次のような手紙を寄せました。「私は手持ちの雑誌を携えて行って,繁華街に立ち,通行人に雑誌を提供しました。何人かの人は雑誌を受け取りましたが,それらの人たちは自宅に帰る途中で雑誌を近所の人たちに見せました。すると,ほどなくして,雑誌を求めようとする人々が近隣の区域から一斉に集まって来ました。数分のうちに,私の持っていた雑誌はなくなってしまいました」。

コートジボアールのある会衆で,二人の兄弟は,1987年3月1日号の「ものみの塔」誌で雑誌の証言について学んだ後,学んだ提案の幾つかを王国会館から自宅に帰る途中で実際に使ってみることにしました。二人は途中で会う人々すべてに雑誌を熱心に提供し始め,家にたどり着くころまでに,20冊の雑誌を配布していました。

ある伝道者たちは,予約を取り決めるために斬新な方法を試みています。アルゼンチンのある兄弟は,「目ざめよ!」誌の製本された合本を自分の聖書研究生のところに持って行き,その年に考慮された様々な論題をその研究生に見せることにしました。その聖書研究生は,提供されたどの情報にも感心しました。その研究生は少し前に,約24㌦を払って,関連のある論題を扱った本を何冊か買い求めたところでした。今度は,同様の情報を,1年の予約購読料がわずか5㌦という,わたしたちの雑誌から得られるのです。言うまでもなく,その兄弟は予約を得ました。

際立つ記念式の出席者!

1987年4月12日には,地球が地軸を中心にして1回転もしないうちに,210の国や土地で,160以上の言語を用いる,896万5,221人のエホバの証人とその招待に応じた人々が,主の晩さんを祝うために集まりました。ものみの塔協会の各支部からは,幾つものすばらしい報告が寄せられています。

エルサルバドルの記念式の出席者は,5万8,933人でした。伝道者の年間最高数が1万6,041人だったことを思うと,エルサルバドルでなされねばならない業はまだ多くあると言えます。エルサルバドルの隣国ベリーズでも,記念式の出席者数は際立っていました。合計で3,928人が集まりましたが,これは最高伝道者数の5倍に相当する数字です! これは,この国の住民44人につきほぼ一人が出席したことを意味します。

ザンビアの記念式の出席者は,昨年の数字を16%上回る,38万1,129人でした。この国には,霊的な援助を願う人々が確かに大勢いるのです。香港では3,583人が記念式に出席し,ベルギーでは4万5,466人が,フランスでは19万8,797人が集まり,3国とも伝道者数の2倍に相当する出席者が見られました。そして米国では,昨年よりも8万6,000人余り多い,合計177万8,066人が今年の記念式に出席しました。22万2,168人の伝道者がいるメキシコでは,記念式の出席者が95万7,081人という驚異的な数字を記録しました!

開拓奉仕学校

新しい開拓者が4万4,000人以上誕生したため,開拓奉仕学校の入学者が不足するといった問題は全くありませんでした。発足以来10年が経過して,同学校では,全時間の福音宣明者にますます効果的な訓練が施されています。ガイアナに住む,74歳の未亡人の一姉妹は,「体調のすぐれない時でしたが,開拓奉仕学校には喜んで出席しました」と述べました。それでも,学校に出席することは姉妹にとって相当の努力を要することでした。姉妹は,こう続けています。「歩くこともおぼつかない状態だったので,学校の教訓者は毎朝私を迎えに来て,授業に連れて行き,午後になると家に連れ帰ってくださいました。開拓奉仕学校から得られた励ましのおかげで,今では奉仕ではるかに多くのことを行なうことができます」。

開拓奉仕学校では,バプテスマに向かって進歩するよう聖書研究生を援助する方法に関して,実際的な提案が与えられます。ガイアナに住む別の開拓者は,このように述べました。「開拓奉仕学校に出席する以前から,私には,集会に出席できないでいた一人の聖書研究生がいました。彼女の弁解によると,いつも家事に追われているということでした。開拓奉仕学校で,他の人々にもっと個人的な関心を示す方法を学んだ後,私は学んだことを実行に移しました。次の聖書研究で,私はその研究生にある提案をしましたが,その提案は効を奏しました。彼女は友人や親族から頻繁に訪問を受けて,家事をこなせないでいたため,私は,それらの訪問客に家事を幾らか手伝ってもらうよう彼女に提案したのです。現在,この研究生は集会に出席するための時間ばかりでなく,野外宣教に出るための時間も持っています」。

レバノンにおいて,1986年12月は,1978年以来初めての開拓奉仕学校が開かれた月となりました。支部事務所は,このように説明しています。「クラスを開設できるほどの大きなグループが一つもなかったのです。しかし,エホバの祝福により,開拓者精神は急速に広まり,一つのクラスを満たせるだけの十分な人数の,資格ある開拓者が備えられました」。

ザンビアのある開拓者は,開拓奉仕学校に出席できたことを感謝して,手紙の中で,「私は開拓奉仕学校に出席して以来,学校の教科書を毎年3回ずつ読み通して,奉仕を大幅に改善することができました」と述べました。

「エホバへの信頼」地域大会

国際間の緊張が高まるにつれて,世界の行く末は,ますます多くの人々にとって暗いものとなっています。なぜでしょうか。それらの人々は,自らの富や,知恵,力,また政治指導者といったものを信頼しているからです。(ルカ 21:25-28)しかし,エホバの証人の見方はそれとは異なります。証人たちは『心をつくしてエホバに依り頼み,自分の理解には頼らない』ので,確固たる態度で将来に立ち向かいます。(箴言 3:5)ですから,1987年6月から始まった一連の,三日間にわたる地域大会で,「エホバへの信頼」という主題が強調されたのは,時宜にかなったことでした。

ドイツ連邦共和国で開かれた24の大会では,出席者が,これまでのどの年よりも8,500人ほど多い,15万9,361人という新最高数に達しました。これらの大会でバプテスマを受けた人々の数も,夏期に開かれる大会としては新最高数の1,455人を記録しました。

米国支部は,このように報告しています。「私たちは,123の『エホバへの信頼』地域大会に128万8,313人が出席し,出席者のおよそ1%を上回る,1万3,562人がバプテスマを受けたのを見て,励まされました。バプテスマの人数が出席者の1%を上回ったのは,ここ5年来初めてのことです」。

世界の一部の地域では,1986奉仕年度の後半から始まった「神の平和」地域大会が1987奉仕年度に入ってから始まりました。そのうちの二つの例として,パナマとガーナを挙げることができます。

パナマの兄弟たちはある問題を抱えていました。政情不安が国を揺るがせている中で,大会を自由に開くことは可能でしょうか。状況はあまり望ましいものではありませんでした。人々は労働ストライキや街頭デモを行なっていたため,政府は鎮圧部隊を差し向け,催涙弾を使ってそれらの人々を散らしました。カトリック教会は,教会の説教壇を用いて教区民を唆し反抗させたとして非難を浴びました。例えば,政府から発行されている一新聞は,大司教が政府に公然と反抗し,民衆を反乱へ駆り立てているという非難の言葉を,一面の見出しに掲げました。一面の下の部分には,大きな文字で,「『宗教が政治に関与する ― それは神のご意志か』(4ページを参照)」という言葉が載っていました。その新聞の4ページには,1987年4月22日号の「目ざめよ!」誌から転載された記事が,上の主題と共に出ていました。記事の中には,ナチの総統アドルフ・ヒトラーと握手をしている僧職者の写真も入っていました。

パナマ支部は,こう述べています。「その新聞記事が掲載された目的は,私たちエホバの証人とカトリック教会との間に見られる著しい対照を示すことにあったようです。その結果,こうした政情不安のただ中で公共の会館を政治的な集会に貸すことは認められていなかったにもかかわらず,私たちはその場所で地域大会を開くことができ,合わせて1万人以上の人々が出席しました」。

ガーナの支部委員会は,ガーナの北部にある未割り当て区域で徹底的な証言を行なうことに関心を持っていました。それで,南部に住む兄弟姉妹たちは,北部の都市タマレで開かれる「神の平和」地域大会に出席するよう勧められました。どのような反応が見られたでしょうか。それはまさに驚くほどのものでした!

ガーナ支部は,このように伝えています。「私たちが予想した出席者数は1,000人ほどで,その中には旅行の手はずを自分で整える人もいるだろうと考えていました。それで私たちは,あるバス会社に手紙を書いて,70人分の座席を備えたバスを10台要請しました。ところが,諸会衆からバスの座席を予約する用紙が送り返されてきたところ,3,000人を上回る人々がタマレの大会に出席するつもりでいたのです! それらの人々全員を大会会場まで運べるだけのバスが果たして見つかるでしょうか」。

ガーナでは,交通の便は不足しています。しかも,支部の所在地である,南部の港湾都市アクラからタマレに至る全長640㌔の道路は,ほとんど整備されていない状態です。それで,各バス会社は取り引きに応じようとしませんでした。それでも二つのバス会社は,支部に28台のバスを貸すことを承諾しました。しかし,まだ4台のバスが必要でした。

支部はさらに,このように報告を続けています。「ガーナの貿易観光省は,ガーナにおける観光事業を発展させる目的で,4台の豪華な,空調設備の整った大型バスを輸入しました。ところが貿易観光省は,それらの大型バスをどの観光団体にも貸そうとしませんでした。私たちはそれらの大型バスを借りるため,申込書を提出しました。当初,望みは全くないように思われましたが,ついに,火曜日の午後,大型バスが必要とされる水曜日の朝を目前にして,大臣は私たちに大型バスの自由な使用を許可する書面にサインしたのです。大臣の事務所で働いている観光関係の責任者は,大臣が使用許可書にサインするのを見て,自分の同僚に,『エホバが働いておられる!』と言いました」。

こうして兄弟たちは,自分の家族と共に,32台から成るバスの一団に乗り込んで大会に出かけました。そのようなバスの一団が走る光景は,タマレに着くまでの道中ずっと,それ自体が大きな証言となりました。一度にこれほど大勢の人々を動員したことのあるグループは,これまで一つもなかったのです。人々は沿道に興奮した様子で詰めかけて,口々に,エホバの証人は驚くような事柄をやってのける,と話していました。

さらに,ガーナの「わたしたちの王国宣教」の中で,タマレに行く兄弟たちは,毎日,大会のプログラムの前かあとに,野外奉仕に少なくとも1時間はあずかるよう勧められていました。それで,ある日の朝7時に,二人の兄弟は,タマレの大会に出席していた支部委員3人が泊まっている宿舎を訪ねて,こう言いました。「兄弟たち,私たちはこの区域で奉仕をしているのですが,文書がなくなってしまいました。私たちが奉仕を続けられるよう,何か出版物を分けていただけるでしょうか」。

こうして,イスラム教が幅をきかせている,人口14万6,000人の都市タマレは,家から家の証言によって徹底的に網羅され,何件かの聖書研究も取り決められました。大会の最高出席者数が4,220人に達したことは,この町から大勢の関心ある人々が大会に出席したことを示しています。支部の報告は,このような結論で締めくくられています。「私たちは,タマレにある二つの会衆が,惜しみなくまかれたこれらの種にきっと十分の水を注いでくれるものと期待しています。そして,エホバは,ご予定のときに,それらの種を必ず成長させてくださることでしょう」。―コリント第一 3:6。

『善良さをもって冠を授けられた』結果,拡大がもたらされる

「あなたはご自分の善良さをもって年に冠を授けられました」と,詩編作者は記しました。(詩編 65:11)野外における兄弟たちの努力は増加をもって『冠を授けられた』ため,王国会館や支部の増築工事が必要とされるようになりました。以下に続く報告は,その幾つかの例です。

過ぐる1年もまたすばらしい活動の年であったメキシコは,胸を躍らせるような1988奉仕年度を心待ちにしています。126の部屋を備えた,新しいベテルの建物群の建設工事はすでに非常に順調な進展を見せています。現在ある印刷施設にも,大きな建物が増設されています。そしてメキシコは,2台の新しい4色刷り印刷機と2台の製本ラインを同時に設置した初めての支部です。これらの建設計画はすべて,新奉仕年度のうちに完了することになっています。

ポルトガルの新しいベテル・ホームの建設は,同支部の建築計画において引き続き主要な部分を占めています。支部の報告は,「現在までのところ,建設費はすべて,地元の寄付によって賄われています」と述べています。こうした寄付の中には,個人の所有する数多くの貴重な物品や資産が含まれていました。さらに,ありとあらゆる建築資材に加えて,ブタやニワトリやヒツジ,またアヒルなども提供されました。

それほど前のことではありませんが,コロンビアでは,1年間に15の新しい会衆が増えれば良いほうだと考えられていました。ところが今や,支部の奉仕部門は,新しい会衆を設立するための申込書をわずか1日で13通も受け取ったのです。しかもそれらの申込書は,沿岸都市バランキヤだけに関するものでした。昨奉仕年度中,コロンビアでは143の新しい会衆が設立されました。

今から30年ほど前に,メデリン市はコロンビアにおけるカトリックの信仰の中心地として知られていました。さらにコロンビアは,国内の人口の99%までがカトリック教徒であることを誇りにしていました。現在のメデリンは,道徳の退廃,麻薬の取り引き,住民の信仰心の欠如などのために,国内でも比較的物騒な都市の一つになっています。こうした変化が原因で,多くの心の正直な人々は良いたよりを宣べ伝える業に好意的に応じるようになりました。現在,メデリン市とその周辺には35の会衆があります。「こうした増加すべてのために,王国会館の建設はますます『緊急を要する事柄』になりました」と,支部の報告は述べています。メデリンから程近い小さな町セゴビアで地元の兄弟たちが行なった事柄は,兄弟たちがこのような緊急事態に意欲的に取り組んでいることを示しています。

地域監督は,このように報告しています。「セゴビアには,少数ながら32人の伝道者がいます。このうち17人は姉妹で,みな非常に熱心な奉仕者です。1年前にこの小さなグループはある土地を購入して,自分たちでセメントの建築用ブロックを作り始め,王国会館の建設に必要な他の資材も集めました。巡回監督が訪問したのは,その土地が取得されて間もないころでした。5か月後にその巡回監督が再び訪問したところ,何と驚いたことに,その王国会館は完成していたのです! 仕事はすべて,土曜日と日曜日,それに夜の時間に行なわれていました」。その王国会館は,小さな巡回大会を開けるほどの広さを有しています。その会館で開かれた最初の巡回大会には263人が出席し,5人がバプテスマを受けました。

コロンビアのアルメロとその周辺の地域は,火山の噴火のあとに続いた,死の泥流によって壊滅状態に陥りました。全世界にいるわたしたちの仲間の兄弟たちは,すぐにこたえ応じました。生存者たちの身体的な必要が顧みられた後,統治体は支部に,残っている基金を兄弟たちの霊的な福祉を顧みるために活用することを承認しました。それで,霊的な教育が引き続き行なわれるよう,火山噴火の影響が及んだ地域に幾つかのふさわしい王国会館が建てられました。

ラドラーダ会衆は,新しい王国会館の建設を手助けするための国際的な援助を受けた三つの会衆のうちの一つです。この会衆にはバプテスマを受けた男性が6人しかいなかったので,建設工事の大部分は,姉妹たちと関心のある人々によってなされました。しかし,ボゴタに住む兄弟たちのグループによって,愛ある援助が差し伸べられました。こうして,1週間もしないうちに,ラドラーダには新しい王国会館ができました。建設工事は木曜日に始まりましたが,次の月曜日の夜には,最初の集会が開かれて,200人が出席しました。マリキータとレリダにも,新しい王国会館を建てる取り決めが設けられました。火山の噴火のために押し寄せた壁のような泥流による大破壊を生き残った後,コロンビアの多くの人々はいま,人をさわやかにする真理の水を求めています。

アルゼンチンでは急増する大勢の崇拝者の世話をするために,昨奉仕年度中,121の新しい会衆が設立されました。一月に平均して10の会衆が誕生したのです! 多くの場所では王国会館が手狭になっており,同じ王国会館で四つか五つの会衆が集会を開いている所もあります。アルゼンチン支部は,王国会館基金の取り決めを設けたので,新しい王国会館のための貸し付けを間もなく開始する予定です。建設中の多くの王国会館を完成させて,次に控えている幾つもの新しい王国会館の建設に着手するため,現在,諸会衆の人力と寄付を統合するための特別な取り決めが設けられています。

スリランカでは昨奉仕年度中,三つの新しい会衆が組織されましたが,そのうちの一つは,政治的な紛争が続いている北部で誕生しました。さらに,五つの会衆がそれぞれ王国会館を建てました。チャイローの王国会館は,ドイツ連邦共和国から訪問していた兄弟たちの援助を受けて完成しました。

インドのケララで働く一人の巡回監督は,最近,二つの会衆が自分たちの王国会館を建てたことを伝えています。そのうちの一つは,約120人を収容することができます。この最初の1年で,出席者は非常に増えたため,会衆では集会を二つのグループに分けて,異なる時間に開くことが必要になっています。

台湾省では,王国会館を備えることが切実な問題となっています。特に都会の諸会衆がふさわしい施設を借りるのに苦労しているからです。多くの場合,場所は見つかっても,最初の1年が過ぎると,地主が賃貸料を大幅に値上げするため,兄弟たちは引っ越さなければなりません。過ぐる1年ほどの間に,全会衆の38%に相当する,八つの会衆が,新しい王国会館に移転したり,自分たちの建物を取得したりしました。比較的大きな都市にある会衆は,ある建物の同じ階にある幾つかの隣接した貸し部屋を買い取って,王国会館に改造しています。

米国では,昨奉仕年度の終わりまでに会衆の数は211増えました。これは平均すると,毎週四つの新しい会衆が誕生したということです! こうした増加に伴い,さらに多くの王国会館が必要とされています。1987年12月までに,協会の王国会館基金から,387の王国会館の建設に対して資金が提供されました。昨奉仕年度中,この基金から108の王国会館が益を得ました。

至るところで建つ,速成の王国会館

わずか数日で王国会館を完成させて集会に使えるようにするというアイディアは,米国で生まれました。過去10年間で,このアイディアは発展して,さらに組織だったものとなり,1987年までに世界中で実を結ぶようになりました。例えば,ニュージーランドの証人たちは,ノース島のケンブリッジで1987年6月26日から28日にかけて,この国で最初の速成の王国会館を建て始め,完成させました。それは人々の注目を集めるものとなりました。

地元の新聞「ケンブリッジ・エディション」の第1面には,「奇跡に近い建設計画」という見出しが掲げられました。関連記事には,さらにこう述べられていました。「金曜日は,世界中がアーノルド通りに引っ越して来たように見えた。800人に上るエホバ[の]証人が,ノース島の各地から一つの地所に押し寄せて,奇跡に近い何かを行ない始めた。彼らは整備された庭付きの王国会館を,二日半で建てることに取りかかったのである。そして,彼らはやり遂げた! 恐らく,彼らが行なった事柄の中で最も驚嘆すべきことは,その組織立った様子と,工事が極めて静かに行なわれたことである」。

ベリーズのある群れには13人の伝道者がいましたが,アンベルグリス・ケイのサンペドロで開かれていたその群れの集会には30人から40人の出席者が見られました。しかし,その群れには王国会館がなかったので,集会は,ある兄弟の家のテラスで開かれていました。そこで,兄弟たちは速成の王国会館を建てることにしました。しかし,途中で障害にぶつかりました。この群れはベリーズ市から58㌔ほど離れた孤島にあったので,王国会館に必要な資材はすべて,島まで運搬する必要があったのです。このような計画がベリーズで実行されたことは,それまでに1度もありませんでした。兄弟たちは,さまざまな自然条件に耐え得る,地元で採れる木材を使うことにしました。ところが,それらの木材は非常に堅かったため,各部を釘でつなぎ止めるには,ドリルで前もって穴を開けておく必要がありました。この建設計画に参加した人は皆,ボートか飛行機で島に渡って来なければなりませんでした。王国会館が建てられて,献堂式に247人が出席したことは,エホバの祝福があった証拠でした。

1986年9月は,デンマークで最初の速成の王国会館が建てられた月となりました。新聞やラジオやテレビはこの出来事を好意的に報道しました。それ以来,さらに七つの速成の王国会館が建てられることにより,この年は『善良さをもって冠を授けられて』きました。

オランダでは長い間,政府による法律や規制のために速成の王国会館を建設するのは不可能であると考えられていました。しかし,当局の協力や,兄弟たちの自発的に物事を行なう態度によって,オランダで最初の速成の王国会館の建設は大成功を収めました。その結果,オランダにおける,王国の音信に対する関心は大いに高まりました。

ルクセンブルクにある20の会衆のうち12の会衆は,昨奉仕年度中,新しい王国会館の建設や,既存の王国会館を拡張する業にあずかりました。これは,ルクセンブルクにある会衆の60%に相当する割合です。ルクセンブルクのちょうど北に位置するベルギーには,いまのところ,地元の建設チームが二つあります。これらのチームはこれまでに六つの速成の王国会館を建てており,さらに多くの計画が実行に移されようとしています。何とすばらしい歓びのいわれなのでしょう。

やはり顕著な増加が見られているカナダでは,1年間に11の王国会館が建てられました。現在のところ,カナダには合計120の速成の王国会館があります。そのうち九つの王国会館は,二つの会館を有しています。モントリオールでは新しい大会ホールが建設されており,1987年の末には使用し始める予定です。カナダには現在,八つの大会ホールがあります。

ドイツ連邦共和国には,11の建設委員会があります。昨奉仕年度中,19の速成の会館が建設されました。このほかにも建設された,もしくは建設中の王国会館は62あります。エホバは,81の手早く建てられた王国会館ばかりでなく,9番目の大会ホールの献堂によっても,今奉仕年度に冠を授けられました。このようなわけで,ドイツ連邦共和国のすべての巡回区は美しい大会ホールを利用でき,それらの大会ホールは外国語の地域大会を開くためにも用いられています。

英国には五つの大会ホールがあり,この国の王国伝道者の75%が利用しています。

ノルウェーのエホバの民は昨奉仕年度中,伝道者が新最高数に達するのを目にしました。もっとも,こうした増加に伴って,王国会館が大いに必要とされるようになりました。「現在までに,ノルウェーでは25の速成の王国会館が完成しましたが,それらの王国会館は報道関係者や一般の人々の関心をひくものとなりました」と,支部事務所は伝えています。例えば,ノルウェーのある都市で,兄弟たちは建設工事に関係した幾つかの事柄をはっきりと説明するために,市の建設関係の責任者のもとに行きました。兄弟たちは帰る前に,自分たちが会館を三日以内に建てる計画であることを話しました。兄弟たちが階段を下りて行く際に,事務所の中から大笑いをしている役人たちの声が聞こえてきました。役人たちは,そのような大きな建物がわずか三日で建つということが,どうしても信じられなかったのです。

王国会館の建設工事は,計画よりも速いペースで進みました。金曜日の午後までに屋根が掛けられ,レンガ職人たちは自分たちの仕事を半分以上終えていました。その後,以前に兄弟たちのことを笑っていた役人たちの一人が車でやって来て,起きていることを目にしました。その役人は興奮した様子で役所に舞い戻り,「おい,本当にやっているよ!」と言いました。

役人たちは皆,きまりの悪い思いをし,何らかの方法で謝るべきだということで意見がまとまりました。その中の一人の責任者は,市役所の職員から成る楽隊の指揮者をしていたので,日曜日にみんなで建設現場まで行進をして,エホバの証人のために演奏をし,そうして“謝る”ことにしようと言いました。みんなはそれに賛成しました。それで,180人の兄弟たちは,通りの向こうから楽隊が行進して来て建設現場に到着し,兄弟たちを喜ばせるために音楽を何曲か演奏するのを見て驚きました。

『良いたよりを法的に確立する』

昨奉仕年度は,数多くの訴訟が起こされた年でした。兄弟たちは良いたよりを宣べ伝える業を法的に確立する挑戦に直面したのです。―フィリピ 1:7。

ニューカレドニアの支部事務所は,南太平洋の島バヌアツに関する報告の中で,王国会館の建設をめぐる問題で際立った法律上の勝利が収められたことを記しています。プロテスタント教会協議会はこの計画に強く反対していました。兄弟たちは,借地権を得,建設許可を受けるための特別な計画をみな作成していたにもかかわらず,諸教会の反対のためにそのような施設を建てることはできないという政府からの書簡を受け取りました。兄弟たちはこの件について首相に手紙を書き,地元の会衆は数か月後に,建設の着工を許可する首相からの返事を受け取りました。

個人の宗教的な信条は,親権をめぐる事件に関する裁判所の判決を左右するくさびとしてますます利用されるようになってきました。例えば,アラスカのある未信者の夫は,息子をエホバの証人として育てたくなかったので,その子に対する親権を要求しました。エホバの証人である姉妹はこのように説明しています。

「私が魂を込めてエホバに仕えることを決意すると,夫は離婚訴訟を起こしました。夫は血のふさわしい用い方に関するエホバの証人の信条に反対していました。[使徒 15:28,29]私の代理人の女性も,血に関するエホバの証人の立場をあまり快く思っていませんでしたが,『聖書から論じる』という本から説明すると,その問題に関してたいへん同情的になり,自分の子供たちに輸血を受けさせる前には自分もよくよく考えるようになるだろうと述べました。代理人の女性は法廷で『論じる』の本を使ってはどうかと尋ねたので,私は証言台に立っている間,ほとんど一語一句に至るまで,『論じる』の本の情報を用いました。その結果,息子の親権は私に与えられました。判事は次の日,息子が父親を訪問している時に事故が起きた場合,父親は,息子がエホバの証人の信者であることと,輸血に代わる治療法を探し求める必要があることを医療関係者に告げなければならない,という法廷命令を出しました」。

米国では,親権をめぐる事件に直面しているそのような王国伝道者たちのために,有利な判例と裁判の進め方に関する種々の提案を掲載した情報集が協会の法律部門によって用意されました。その情報集は,反対する配偶者からの離婚訴訟に直面した一部の伝道者たちが子供に対する親権を保つのに役立ってきました。一人の伝道者はこのような手紙を寄せています。「訴訟事件に関する情報集は励みを与えるものでした。そこには,エホバが地上のご自分の僕たちを養い,その世話をしておられることがとてもはっきり示されています。また,裁判の進め方に関する提案にも感謝します。それらの提案は有益でした」。

カナダ支部は,「裁判所の判決もしくは示談によって,親権をめぐる10の事件で勝利を収めました」と報告しています。事件が争われたのは,一部の未信者の親や下級裁判所の判事が認めようとしなかった権利,すなわち,自分の子供に宗教教育を施し,子供を会衆の集会に連れて行くという信者である親の権利を擁護するためでした。兄弟たちはまた,医師が患者に輸血を強行しようとした11の事件でも勝利を得ました。成人が関係した事件はそのうち一つで,残りは,親が輸血に代わる治療法を望んだ未成年の子供たちに関係していました。

デンマークでは,エホバの証人ではない二人の医師が,「ウーアスクラフト・フォア・レーアー」(医学週間誌)の中で,エホバの証人と輸血に関する問題を取り上げ,責任ある当局からの明確な指針を求めました。保健当局は明確な指針を与えることを控えましたが,たとえ患者が死亡した場合でも,証人たちの輸血拒否を尊重したいと考えた医師を告発しないことを示唆しました。

韓国では,特定の医師や病院との輸血をめぐる厳しい対立が依然として続いていますが,打開の糸口も幾らか見えてきました。1986年10月20日付の医学新聞「厚生<フセン>新報」は,エホバの証人の子供で8歳になる男の子の無血心臓切開手術が成功したことを伝えました。朴永寛<パク ヨンクァン>博士は,「韓国では今日まで,心臓切開手術に余りにも多くの血液が使われてきた。この国では,血をできるだけ,あるいは全く使用しないで心臓切開手術を行なう方法が開発されなければならない」と述べています。そのニュース記事は,富川世宗<ブチョンセジョン>病院がどんな患者に対しても無血心臓切開手術を行なえるよう計画していることに触れました。エホバの証人の子供たちの心臓切開手術が成功してきたことを知るのは励みになります。

裁判所における法律上の闘いでは,負けることもあれば,勝つこともあるかもしれません。しかし,重要なのは,最終的な闘いに勝利を収めるのはだれかということです。その結果に疑問の余地はありません。勝者となり得る方はただひとりエホバ神だけです。エホバ神のみ名とみ言葉の正しさが立証されるのです。

アフリカは声を上げる!

詩編作者は,「あなたは子供や乳飲み子の口から力の基を据えられました」と述べました。(詩編 8:2)シエラレオネに住む8歳のモージスは,その優れた例です。モージスは野外宣教に喜んであずかり,たいてい会衆の他の人たちと共に働くよう自分で取り決めます。ところが,悩みの種がありました。奉仕で用いる雑誌やブロシュアーをいつも借りなければならなかったのです。しかし,両親から小遣いを全くもらえないのに,自分の文書をどのようにして求められるでしょうか。モージスはこのジレンマをだれにも打ち明けず,あることを決意しました。学校の昼食のお金の一部を蓄えることにしたのです! 三日後,3冊のブロシュアーを求められるだけの資金がたまりました。ブロシュアーを配布した場合,お金をどうするのでしょうか。「もちろん王国会館に持って行って,もう何冊か求めます」と,モージスは答えています。

『霊に燃える』という言葉は,リベリアのエホバの民の様子をよく表わしています。(ローマ 12:11)この国では,前年の平均を20%上回る1,576人という伝道者の新最高数が報告されました。記念式の8,254人という出席者数は,王国の音信に対するこの国の関心の度合いを示す,胸の躍るような指標となっています。

奉仕活動を増し加えるきっかけとなったのは,1987年3月に行なわれた支部事務所の献堂式でした。献堂式のプログラムは中国人の建てたある新しい運動競技場を借りて行なわれました。その施設が宗教的な催し物のために使用されたのはそれが初めてでした。神を信じない中国人の管理者側はどのような反応を示したでしょうか。管理者側のある代表者は,2,126人の出席者たちの振る舞いを見て,「皆さんはこのようなことを以前にも行なわれたことが分かります。またいつでも喜んでお貸しします」と述べました。

記念式の二日前になって,リベリアのある会衆は大問題に直面しました。いつもの集会場所が世の催し物のためにふさがっており,椅子のないホールしか借りることができなかったのです。400人を超える出席者が予想されたので,兄弟たちは,以前椅子を借りたことのある地元の教育委員会と交渉しました。ところが,兄弟たちの求めは,にべもなく断わられました。非常に多くの椅子が他の団体に盗まれたことがある,と言われたのです。かつて,ある宗教団体は週末の間ずっと椅子を外に置きっぱなしにしました。

兄弟たちの嘆願もむなしく,当局は一歩も譲りませんでした。最終的に,一群の兄弟たちが野外奉仕の後,最後の嘆願をするためにその教育委員会の女性教育長を訪ねました。そして,一人の兄弟がその教育長に,エホバの証人はよく組織されていて正直であることや,証人たちの大会では10㌣(約15円)を無くした人が,「落とし物部門」でそれを見つける場合も珍しくないことを説明し,今回エホバの証人が椅子を使用しても,何の問題も起きないはずだと論じました。

このような嘆願にもかかわらず,その教育長の態度は変わりませんでした。その時の静けさが破られたのは,一人の兄弟の6歳半になる甥が,庭でお金を見つけたと言って,その教育長の家の前庭から興奮しながら走って来た時でした。その子は自分のおじに5㌦(約750円)差し出し,兄弟は戸惑っているその教育長にそれを手渡しました。「うちの子供たちが見つけていたなら,天の“恵み”と考えてポケットに入れていたでしょう」と,その教育長は正直に語りました。

兄弟たちは,椅子を必要なだけ使ってよいと言われました。その教育長は,この正直な行為について自分の宗教の祈りのグループに話そうと考えており,エホバの証人に椅子の使用を許可した理由について他のどんな宗教の人たちから尋ねられても,エホバの証人は正直で,自分は証人たちが椅子を大切に取り扱うことを知っている,と答えるつもりでいます。474人の出席者が記念式を楽しみ,椅子はすべてその晩のうちに返却されました。

南アフリカでは,以前にエホバの証人を迫害していた人が真理を受け入れました。ある日,この男性とその友人たちが政治について語り合っていると,一人の兄弟がその会話を丁寧にさえぎって,その問題に関する聖書の見方を伝えました。男性たちは,もっと知りたいと思い,その兄弟に質問を浴びせました。そして,その中の一人が聖書からの答えに深い関心を示しました。兄弟がその男性の家を訪問した時,その男性は,「聖書を実際に読んでみたいのですが,だれか助けてくださらないでしょうか」と言いました。兄弟は,ズールー語版の「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という本を用いて,聖書研究を行なうよう取り決めました。程なくしてその男性は,エホバの証人の業が禁じられている国に自分が数年前まで住んでいたことを兄弟に恥ずかしそうに打ち明けました。その国の軍の兵士だった時,証人たちを迫害していたのです。今では真理がその男性の生活を変えました。その男性は熱心な王国宣明者となり,銃の代わりに聖書文書を入れたかばんを喜んで携えています。

アジアは『ヤハを賛美する』

「あなた方はヤハを賛美せよ!」 このような高らかな叫び声をもって詩編の書は終わっています。(詩編 150:6)次の経験を読み,アジアの国々におけるそれぞれの奉仕年が,上記の聖句にあるような喜ばしい叫び声をもって閉じられたことをお調べになってください。

香港支部では昨奉仕年度中,興味深い傾向が観察されました。伝道者たちは真理を語る機会にいっそう目ざとくなっています。結果として人々は,単に耳を傾けるだけでなく,すぐに認識を示すようになっています。関心のある人々は,聖書研究を始めて間もなく集会に定期的に出席しています。一例として,ある若者の父親が亡くなりました。その若者は母親と共に,父親の死と関連のある用事で,父親が勤めていた会社に行きました。その会社で働いていた一人の兄弟は,その若者が悲嘆に暮れていることに気づき,復活の希望があることを若者に話して,「今ある命がすべてですか」という本を渡しました。その後ほどなくして,別の伝道者がこの若者の家を訪問し,「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という本を若者に配布しました。若者はその本を最後まで熱心に読み,王国会館で開かれている集会に行く決意をしました。この若者は王国会館で受けた温かい歓迎に心を打たれ,家庭聖書研究に応じました。研究が始まって1か月が過ぎ,若者は集会に定期的に出席しています。さらに,この若者は,「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」という本をすでに読み終えて,現在は,「『平和の君』のもとで得られる世界的な安全」という本を読んでいます。

日本のある年配の開拓者の姉妹は,病院の待ち合い室を自分の奉仕区域とみなしています。姉妹はどんな神権的手段を用いているでしょうか。姉妹は椅子に座って,協会の出版物を読み,だれか好奇心のある人が立ち止まって,姉妹の読んでいる本について尋ねるのを待つのです。ある日,姉妹の背後から,「どうすればその本が手に入りますか」という声が聞こえました。姉妹が振り返ると,大学生ぐらいの若者がいました。その若者は姉妹の肩越しに,「父を尋ね求めて」と題する小冊子をのぞき見していたのです。「実は,私も自分の父親を捜しているんです」と,その若者は事情を説明しました。姉妹は若者にその小冊子をプレゼントして,その病院でもう一度会う約束をしました。数日後,姉妹はその若者と再び会いました。この度は若者に,別の父親,エホバ神について学んでみるように勧めました。数か月後にこの若者と連絡が取れた時,姉妹は,この若者が二人の父親,つまり,一人は実の父親で,もうひとりは全能の神エホバを捜し当てたことを知り,驚くと同時にたいへん元気づけられました。今や,この若者とその母親ならびに父親は,その小冊子から実際的な諭しを見いだしたのです。結果として,この家族の全員が証人たちと聖書研究を始めました。

「この1年は私たちにとって申し分のない年でした」と,台湾省の支部ははっきり述べています。台湾省の伝道者は平均して13%の増加を示しており,これは台湾省の支部にとって1959年以来最高の増加率です。1年前に幾つかの場所で建てられた王国会館は,今や収容能力の限界に達しています。

新しく交わるようになった人々は,霊的な進歩を遂げるために各自の生活を喜んで調整しなければなりません。このような例があります。同じ工場で働いていた何人かの女性が宣教者たちと研究を始めました。真理の影響はすぐにはっきりと現われました。それらの女性は,集会が開かれる晩に残業することを断わったのです。そのような話は,従業員が長時間働く工場でほとんど聞いたためしがありませんでした。しかし,ほどなくして彼女たちは,その正直さと模範的な働きぶりゆえに一層多くの責任をゆだねられました。彼女たちは,工場の生産記録を取るという,信頼を要する業務に割り当てられたのです。

ある時,この工場で一つの問題が持ち上がりました。先ほどの聖書研究生全員が,地域大会に出席するために同じ日付の休暇を申請したのです。何か解決策はあるでしょうか。それらの女性たちは毎日の大会のあとで工場に戻って,晩に1時間働くことを承諾しました。このような奉仕に対して会社は,1日分の賃金を支払うことをそれらの女性に申し出ましたが,彼女たちは,自分たちは大会に出席するために休暇を申請したので,1時間の労働に対して1日分の賃金をいただくことはできませんと述べて,その申し出を断わりました。

彼女たちはバプテスマを受けた後,開拓奉仕をしたいと思ったので,これまでの全時間の職業を離れて,もっとふさわしい勤務予定の仕事を見いだすように努めました。ところが,かつての上司がこれらの姉妹たちに近づいて,週に三日の仕事をそれぞれの姉妹にあてがうことを申し出,「集会が開かれる晩は残業をせず,大会のときには休暇をいただく」という姉妹たちの条件を受け入れました。姉妹たちをもう一度雇うほうがお金の節約になると,会社は判断したのです。どうしてそのように判断したのでしょうか。姉妹たちなら,監督がいなくてもよく働いてくれます。さらに,盗むこともしません。その上司は,証人たちが自分たちの神に対してあのように忠実であるのなら,会社でもきっと信用できるだろうと結論したのです。

フィリピン支部はこのように伝えています。「自分の職場で忠誠を保った次のような経験がミンダナオ島から寄せられています。ダバオ市に住む一人の若い姉妹は,市長の事務所で秘書として働いていました。姉妹は自分の仕事に良心的で,早めに出勤し,仕事を怠けることもありませんでした。しかし,姉妹の立場は永続的なものではなかったので,一定の期間が過ぎると,見直しが行なわれることになりました。姉妹が働いていた部署の直接の上司は,姉妹をその立場で引き続き働く人として推薦しませんでした。代わりにその上司は,姉妹が自分と不道徳な関係を持つなら,もっと高い地位を与えようと言いました。これに対して姉妹は,職を失うことになる恐れさえあるのに,その申し出をきっぱりと退けました。姉妹はエホバに全幅の信頼を置いた結果,報いを得ました。世俗の仕事における姉妹のりっぱな働きは,他の上司たちの注意を引くようになりました。それらの上司たちは,さらに高い地位と給与が与えられる,政府の別の事務所に姉妹を配属しました」。

マレーシアでは,奉仕のほとんどの分野で新最高数が記録されています。政治的また経済的に不穏な情勢が見られる中で,誠実で羊のような人々がりっぱな羊飼いの声に耳を傾けています。例えば,ユーラシア人の一婦人とその息子たちが聖書研究を始めました。この婦人の夫は家族を支えることができなかったので,婦人と息子たちは貧しい生活をしていました。さらに,この婦人の長男は,子供のころから悪霊にとりつかれていました。この母親は助けを得ようとして,中国人の道教霊媒師とマレー人のまじない師(ボーモー)にしばしば相談しました。事実この家族は,悪霊の攻撃から身を守ろうとして,父親をはじめとする全員が魔よけ(タンカル)を身に着けていました。この家族は,エホバが心霊術を微塵といえども嫌悪しておられることを知ったとき,“身を守るための”魔よけをみんなで直ちに処分しました。ただし,父親は処分しませんでしたが,それは失敗でした。父親は再び悪霊の攻撃にさらされたのです。しかし,この度は,母親が30分にわたってエホバのみ名を大声で叫び,声を出して祈りました。やっとのことで,攻撃は収まりました。その後は父親も自分のタンカル(魔よけ)を処分しました。1週間後,この父親は仕事を見つけたため,家族の経済事情はよくなり始めました。この男性と先ほどの婦人は,自分たちの結婚を合法的なものにする必要があることにも気づきました。そしてこの家族は現在,真理において皆よく進歩しています。

スリランカで平和をかき乱している突発的な激しい戦争も,この国のエホバの証人の熱意をくじくものとはなっていません。スリランカの証人たちは,王国宣明者の平均数が13%増加したことを喜びました。紛争のために所有物を失ったエホバの証人がいることは確かですが,これまでに身体的な危害を被った証人はいません。会衆の集会は,種々の状況や政府による夜間外出禁止令などに合わせて時間や場所を調整することにより,すべて開かれてきました。この中には,戦争にかき裂かれた北部で開かれた巡回大会や地域大会,さらには開拓奉仕学校も含まれています。

とはいえ,北部や東部の交戦地に住む伝道者たちは危ない目に何度も遭ってきました。人々は,爆弾の投下や,ヘリコプターによる機銃掃射が行なわれる際に身を隠すための場所を確保する目的で,ざん壕を幾つも掘って,土嚢でそれらを覆っています。人々が身を守ろうとしてこれらの避難所に飛び込むとき,宗教やカーストなどの違いは瞬時に忘れ去られます。ある時,爆撃がなされていた間,ざん壕の中に群がっていたヒンズー教徒たちは,自分たちの神ムラガーに助けを叫び求めていました。以前にエホバについて学んだことのある人が,エホバは救うことのできる唯一の神なので,エホバに呼びかけるように,とそれらのヒンズー教徒に言いました。すると彼らは皆,すぐさま言われたとおりにしました。

やはりスリランカでのことですが,一人の若い女性の開拓者が,ある年配のメソジスト派の教会員を訪問しました。その人は,「どうしてあなたのような若者がわたしに聖書を教えることができるのか」と言って,その開拓者の訪問を拒絶しました。その開拓者は,このように答えました。「実のところ,私は教えるために来たのではありません。自分が学んだある事柄を,皆さんにお伝えするために来たのです。私はそれを学んでたいへん幸福になったので,他の人に話さずにはいられないのです」。その開拓者の返答に,この老人は興味をそそられ,「では,何を学んだのか,話してみなさい」と言いました。「私は永遠に生きられる方法を学びました」と,その開拓者は答えました。この開拓者は家の中へ招き入れられ,霊的な事柄が詳しく話し合われました。現在,この年配の男性は聖書研究をその開拓者と行なっています。

ラテンアメリカは『福音宣明者の業を行なう』

「活発」という一言が,中央および南アメリカの国々に住む兄弟たちを見事に言い表わしています。それらの兄弟たちは,以下に続く経験がはっきりと示すとおり,昨奉仕年度中,『福音宣明者の業を行なう』ために非常に忙しく働きました。―テモテ第二 4:5。

ブラジルは王国宣明者の数と,さらに重要な,宣教の質という両面で新たな拡大の年を記録しています。記念式の出席者は1986年よりも23%多く,65万7,784人が出席しました。伝道者は6回の新最高数を達成しましたが,一番最後の最高数は21万6,216人で,家庭聖書研究も26万1,423件司会されました。

宣教の質が高まっていることは,全時間奉仕に入る王国宣明者の数が増大し,新しい区域を切り開くために各地へ出かける伝道者が多くなっていることからも明らかです。この1年で正規開拓者は最高数を10回記録しました。750人以上の伝道者は週末や休暇を活用して,これまで奉仕されたことのない,少なくとも110の町村で働き,驚くような結果を得ました。文書が何千冊も配布されて,聖書研究がたくさん取り決まり,公開講演も数多く行なわれました。次に掲載する手紙は,これらの区域に住む関心ある人々が示した典型的な反応です。

「私は,皆さんが私の町に二人の若い婦人を遣わしてくださったことを非常にうれしく思います。おかげで私は,エホバの組織について知ることができました。二人は私にとって,エホバからの紛れもない祝福でした。二人が間もなくこの町から去ることを知って,残念に思います。親愛なる兄弟たち,できることなら,どうか二人を私たちのもとにもうしばらく留まらせてください。―R・M・P」。

ブラジルで今奉仕年度中際立っていた事柄は,新しい大版の「参照資料付き 新世界訳聖書」がポルトガル語で発表されたことでした。幾つかの新聞や雑誌は,この聖書に関する記事を掲載しました。サンパウロでよく知られているニュース雑誌「ベジャ」に掲載された記事には,「エホバの聖書 ― 極めて完璧な聖書の発表」という見出しが掲げられました。その一部はこのように述べています。

「先週エホバの証人は,極めて豊富な欄外注釈と並行聖句とを収めた,史上類例のない聖書をブラジルで発表した。『新世界訳聖書』と題するこの書物は,米国でコンピューターの助けを得て作業が進められ,1,600ページから成る一巻にまとめられた。ブラジルでは手始めに[この新しい聖書が]5万冊印刷されるが,これは並外れた数字である。国内で発行される優れた版の聖書でも,普通は5,000冊である」。

4色刷りの雑誌はブラジルで優れた結果を生み出しています。1か月に4万9,154件もの沢山の予約の申し込みが支部に届いたことは,これまでに一度もありません。列車の機関士をしているビセンテは,列車に乗っている時間が多く,家から家の宣教にあずかる時間が限られています。ビセンテは「ものみの塔」誌の中で,ある姉妹が職場の同僚に雑誌を提供して,59件の予約を得たことを読みました。それでビセンテもそうすることにしました。彼は4月に10件の予約を得ることを目標にしました。ビセンテは,こう記しています。「本当に驚いてしまいました。私は二日間で目標を達成したのです! それで目標を20に増やしたのですが,その目標は七日間で達成してしまいました。30という3回目の目標も,月の半ばには達成しました。それで私は,以前に読んだ経験の姉妹が得たのと同じくらい多くの予約を得ることを目標にしました。私の喜びを想像していただけると思いますが,私はその月に68件の予約を報告できたのです!」

別の兄弟は,補助開拓奉仕にあずかるよう長老たちが励ましているのを聞いて,3月にその奉仕を申し込みました。この兄弟は補助開拓から大きな喜びを得られたので,4月にも補助開拓を継続して行ないましたが,2か月間で79件の予約を得たのです。そのほとんどは自分の職場で得たものでした。

4歳の子供でさえ自分の分を果たしました。この少女の家族に一人の友人が訪ねて来て,数日間滞在しました。ある日,その訪問客は読書をしたくなったので,「この家には読むものが何もないの?」と言ってぐちをこぼしました。先ほどの幼い証人は,手を腰に構えて,「この家には読むものが何もないのね」と皮肉を返して,「ちょっと待ってね」と言いました。少女は母親の部屋に走って行って,椅子によじ登り,母親の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を一束抱えて,その訪問客のところに持って行きました。そして,「ほら,この家に読むものが何もないか見てちょうだい」と言いました。友人はその雑誌をたいへん楽しそうに読んだので,この幼い少女は,「もしそうしたければ,これは郵便で家まで届けてもらえるのよ」と言いました。結果として,二つの予約が得られました。

エクアドルには昨奉仕年度,異なる13の国の代表者たちが同支部の建設計画に参加するためにやって来ました。これらの自発的な建設奉仕者にとってすばらしい一時となったのは,彼らが言語の障壁をものともせず野外奉仕にあずかった時でした。青空市場やバス停や街路などは,彼らが証言を行なうのに打ってつけの場所でした。多くの場合,「わたしの聖書物語の本」などのさし絵の入った書籍や,きれいな色刷りのブロシュアーを見せるだけで,大勢の人々の興味をそそるには十分です。建設メンバーの兄弟8人から成る1グループは,ある日の朝,市場で伝道をして,73冊の書籍と51冊のブロシュアー,それに30冊の雑誌を配布しました。別の時には,4人の建設奉仕者から成るグループがバス停で証言をして,133冊のブロシュアーと13冊の書籍を配布しました。4人はもっと多くの文書を配布することもできたのですが,手持ちの文書が切れてしまいました。

エルサルバドルの首都サンサルバドルは,奉仕年がちょうど始まったころに大地震に見舞われました。関心のある人々のほかに,少なくとも14人の兄弟が亡くなり,多くの王国会館と個人の家が倒壊しました。この地震が人々に及ぼした最大の影響は,物質的な損失による痛手ではなく,地震のために受けた感情的なショックでした。それに加えて,国内で引き続き荒れ狂っている政治的な暴力が人々を苦しめています。さらに,インフレのために国民の貨幣価値が急速に下落する一方で,水や電力の供給は長期にわたる制限を何度も受けています。

しかし,こうした陰うつな雰囲気の中でも,兄弟たちは支部の取り決めのもとに神権的な活動に忙しく従事してきたので,霊的に楽観的な見方を保っています。地震で家を失った会衆の成員たちのために,組織だった援助がなされ,幾つかの王国会館の修理も行なわれました。次いで12月には,四つの「神の平和」地域大会が開かれ,霊的に大きな盛り上がりが見られました。出席者の合計は3万3人で,521人がバプテスマを受けました。記念式には5万8,933人が出席しましたが,これは1万6,041人という伝道者の最高数の4倍近い数字です。

北アメリカとカリブ海の島々は『証しを行なう』

富んでいる者も貧しい者も,小なる者も大なる者も,エホバの地上の僕たちにとって変わりはありません。エホバの僕たちは引き続きすべての人々に『証しを行ない』ます。(使徒 26:22)ある家の人たちは,自分は関心がないと伝えたのに,その後もわたしたちが引き続き訪問するのはなぜだろうかと不思議に思うかもしれません。しかし,わたしたちが繰り返し訪問することには十分の理由があるのです。カナダから寄せられた次の例を考慮してみましょう。

二人の証人から訪問を受けたある女性は,実にはっきりとした口調で,自分は証人たちの宗教と何のかかわりも持ちたくないと言いました。その後,この女性は家事をしながら,証人たちについて考え始めました。証人たちの信条に関する疑問が次々に頭に浮かんできました。そこで彼女は自分の車に乗って,幾つもの通りを行ったり来たりしながら,二人の証人を捜しました。証人たちはどこにも見つかりませんでした。次に彼女は,車で友人の家に向かいました。その友人の家を証人たちが訪問したかもしれないと考えたのです。いいえ,ここには立ち寄らなかった,と友人は彼女に告げました。しかしその友人は,自分はある証人と一緒に働いていたので,彼女をその証人に会わせてあげようと言ったのです。連絡を受けたその姉妹は,このように説明しています。

「初めてその家を訪問すると,たいへん驚いたことに,5人の女性がそこにいました。彼女たちは,『皆さんはどうして自分のことをエホバの証人と呼ぶのですか』とか,『なぜ家から家を訪問するのですか』,『イエスのことは信じているんですか』といった質問を次々と私に浴びせました。私は3時間にわたって彼女たちの質問に答えました。その最初の訪問以来,私は月に3回ほどその家を訪問しましたが,その度に5人ないし15人の人々と会いました」。

半年間でこの姉妹は,313冊の雑誌と171冊の小冊子,それに272冊の書籍をその家で会った人々に配布しました。それでもいま,この姉妹は,「私はあらゆる努力を払って,これらの人々に個人的な家庭聖書研究の取り決めを活用するよう励ましています」と述べています。これからの進展を見守るのは,実に興味深いことでしょう。

学校は,王国の種をまいて成長させるのに肥よくな土地と言えます。カナダのある年若い証人は,「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」という本について,このように述べています。「私は,この本が他の生徒たちの目に間違いなく留まるようにするため,それを自分の机の上に置くことにしました。5人の生徒がやって来て,その本を見ました。私はこの本のさまざまな特色を示しました。3人の生徒はその本を求めたいと私に言いました。次に私は,学校の司書にこの本を図書館に置く意志があるかどうか伺ってみました。彼女は,その本を図書館への寄贈として受け取ることに同意してくださいました。翌日,彼女は私に,その本がすでに貸し出されたことを述べて,自分のために1冊と友人のためにもう1冊その本を求めたいと言われました。最後に,私の理科の先生もこの本を2冊受け取ってくださいました。その後,先ほどの司書がさらにもう2冊求めたいと言ってこられました。私は,一生懸命に努力するなら,エホバがその努力を祝福してくださることを知りました。エホバは私の努力を祝福してくださったので,私は11冊の書籍を配布できました」。

グアドループの年若い証人たちも,自分の学校を区域にして学友や先生に証言することを勧められています。しかし,学校での良い行状もやはり肝要です。昨年の12月,あるクラスの生徒たちに,クリスマスに関係したある教課を暗唱してくるようにという宿題が出されました。一人の年若い姉妹は,自分にはそれができないことを述べて,別の内容の教課を暗唱させてくださいと申し出ました。教師は非常なけんまくで怒り,クラスの生徒たちを煽って姉妹を笑いものにしました。

ところが3学期になるころに,状況は変化したのです。その教師は,その年若い伝道者の母親にこのように打ち明けました。「エホバは皆さんと共にいて,お宅のお嬢さんを守っておられます。お嬢さんは行状が秀でているだけでなく,学業もたいへん立派に果たし,優れた平均点を収めています。本当に喜ばしいことだと思います。お宅のお子さんはしつけが行き届いています。ちょうど今日の午後,私はクラス全体に,お嬢さんの神エホバはまことの神であり,ほかの宗教の神々よりもずっと力があると言いました。というのも,学友たちは騒々しく,いたずらばかりしているのに,お嬢さんの行状は常に敬意のこもったものだからです」。

小アンチルは,幾つもの言語が用いられている地域です。公用語はオランダ語ですが,地元で話されるのはパピアメント語で,商業語には英語が用いられています。さらに小アンチルは,コロンビアとベネズエラの海岸に非常に近い群島の一つであるため,住民の多くはスペイン語も話します。このようなわけで,普通の人なら数か国語を話したり読んだりできます。支部事務所は,こう述べています。「人口17万1,500人のクラサオ島(小アンチル)に,日刊紙が6種類もあるのには驚きます。しかも,各紙ともここ何年来経営が成り立っているのです。この島の住民は読書が好きなので,協会の出版物も読んでいます。人々は,協会が発行している立派な雑誌を本当に感謝しています。この1年を通じて目立った出来事の一つは,4色刷りの,パピアメント語版の『ものみの塔』誌が登場したことです。この雑誌が昨奉仕年度中の雑誌配布を高めるための助けとなったことに疑問の余地はありません」。

マルチニク島の記念式の出席者が伝道者数の3倍近くに達したのも不思議ではありません。この島の人々は真理を適用する面で急速な進歩を遂げているのです。例えば,ある開拓者の姉妹とその夫は,一組の夫婦と聖書研究を始めました。1週間後,この新しく関心を持った夫婦は書籍研究に出席し,そののち間もなく,すべての集会に出席するようになりました。1か月後,二人は地域大会の聴衆の中にいました。夫はある組合の責任者だったので,大会の組織に感銘を受けました。組合で開かれる集会とは何と異なる礼儀正しさなのでしょう。さらに夫は,ヨーガを実践している1グループとつながりを持っていました。しかし今やこの夫は,『聖書は思いと心を平静にするさらに優れた治療効果を持っており,個人的な問題を解決する上で,ヨーガを実践するよりもずっと大きな助けになります』と述べました。最初の研究が始まってから8か月後,この男性はエホバへの献身の象徴として水のバプテスマを受け,彼の妻と長女は現在伝道者となっています。

ヨーロッパは『自由をふれ告げる』

核戦争の脅威が恐怖をもたらす雲のようにヨーロッパを覆っている中で,エホバの証人は,エホバのみがもたらすことのできる自由をふれ告げています。(イザヤ 61:1)この良いたよりは,以下の経験にも示されているように,会うことが困難な人々の耳にも届いています。

オーストリアでは昨奉仕年度中,耳の不自由な人々に接するための集中的な努力が払われました。この国に住む,一人の耳の不自由な青年は,駅の待ち合い室で1冊の「ものみの塔」誌を見つけました。好奇心から彼はその雑誌を拾い上げて,読み始めました。青年は“エホバ”という言葉に戸惑いましたが,『イエスの使徒たちの一人だろう』と思って,そのまま読み進みました。そして,一つの記事に彼は深く感動しました。彼は以前から,人々に神のことを教えたいと思っていたので,ウィーンの支部事務所を訪ねました。支部で青年は,耳の不自由な人々が集会を開いている場所を教えてもらいました。集会場所までは片道90㌔もありましたが,青年はその週のうちに最初の集会に出席しました。青年の熱意は早くも実を生み出しています。耳の不自由な別の夫婦が聖書を学んで,集会に定期的に出席しているのです。

スウェーデンでは,ルーテル国教会が苦戦を強いられています。国民の90%を上回る人々はルーテル教会に属していますが,教会に定期的に通っているのはごく少数にすぎません。毎年,何千人もの人々が教会を脱退しています。スウェーデン南部の牧師たちは不安を募らせており,事態について話し合うため,2回にわたるセミナーを取り決めました。スウェーデンでエホバの証人は,最も急成長を遂げている宗教の一つとして知られているため,そのセミナーの主催者は電話で支部事務所に,エホバの証人の一人を招いて,証人たちの信条や物事の扱い方,さらには組織について教えてもらえるかどうか尋ねました。一人の地域監督が遣わされて,講演を行ない,牧師たちの質問に答えました。

1986年2月に開かれた最初のセミナーには,50人ほどの牧師とルーテル教会の他の代表者たちが出席しました。それらの出席者たちは,温和な礼儀正しい態度で話に注意深く耳を傾けました。セミナーの後,5冊の書籍と25冊のブロシュアー,それに30冊の雑誌が配布されました。

次のセミナーは1987年2月に開かれ,20人ほどの牧師と一人の社会宗教学の教授,それにルンド大学の神学助教授が出席しました。セミナーの司会者である,教会区の一牧師は,話し手の地域監督を紹介するにあたって,こう述べました。「最初に私は,ここにいる我々牧師の中で,我々の招いた話し手と同じ条件で説教を行なう人はまずいないということを皆さんにお伝えしたい。私は,今日の話し手がそのような説教を全時間行ない,しかも給与を受け取らずにそうしていることを知っている。反対に,我々牧師は自分たちの給与について不平をこぼし,四六時中,給与の引き上げを要求している」。

セミナーの中で数多くの質問が提起されましたが,聴衆は,なされた説明に納得している様子でした。セミナーが終わると,出席者のほとんどが兄弟の前に列を作って,文書を求め,25冊ほどのブロシュアーと20冊の雑誌が配布されました。ある若い牧師は,自分は証人たちの組織に敬服していると兄弟に述べました。さらにその牧師は,「皆さんが200以上の国や地域でこのような一致した信条と兄弟関係のもとに固く結ばれているとは,驚嘆すべきことです」と述べて,スウェーデンのルーテル教会が抱えている困難な状況を嘆きました。

スペインのマドリードから80㌔ほど行った所に,警備の厳重な二つの刑務所があります。そこには,凶悪な犯罪者やテロリストたちが収容されています。そのうちの一つの刑務所は改装中ですが,ある部屋は,専ら“王国会館”や,エホバの証人と聖書を考慮したい人々のための研究用の部屋として用いるために準備されています。もう一つの刑務所では,50人もの囚人が定期的に集まって,地元の会衆が開いた集会を,録音したテープで聞いています。

これらの集会に出席している囚人たちを見ると,他の囚人たちとは異なることが分かります。彼らはきちんとした身繕いと装いをし,ネクタイも着けます。ほかの囚人たちはだれもそのようなことをしません。集会の行なわれる場所には,よく見えるように“禁煙”というサインがはっきりと掲げられています。

もっと重要なのは,これらの囚人たちが,自分の学んでいる事柄を行動に取り入れていることです。一人の囚人は,銀行強盗をするために周到な計画を練っていました。自分が釈放されたら,実行に移そうと思っていたのです。自分が学んだ真理のゆえにこの囚人はその計画を捨て去りました。別の囚人は,それまで自分と9年間同棲していた女性と結婚する決意をしました。さらに別の囚人は,集会に姿を見せたとき,片方の目の周りに黒いあざができていました。何があったのかを尋ねられると,その囚人はうれしそうな様子で,ある仲間の囚人に殴られたが,自分はぐっとこらえて,悪に悪を返さないですんだので,たいへんうれしかったと説明しました。

『海の島々の中でエホバの栄光をたたえる』

海の島々の中から,正しくエホバのみ名の栄光をたたえる声が届いています。(イザヤ 24:15)一例として,モーリシャス支部の区域に属し,アフリカ東方のインド洋に浮かぶ島レユニオンからもそのような声が届いています。ある若い兄弟は,宣べ伝える業に忙しく携わっていたときに,エホバの証人の聖書出版物をすでに何冊か持っている一人の演奏家に会いました。この演奏家は,5人から成る,あるロック音楽のバンドに入っていました。彼らは大麻を栽培して,売っていました。それでも兄弟は,その演奏家を1986年の地域大会に招待しました。大会の初日にはバンドの中の3人が訪れ,最終日には5人全員が出席しました。聖書研究がバンドの全員と始まりました。バンドの4人のメンバーは同じ家族の出で,彼らは家族からの反対があったにもかかわらず,自分たちの大麻の栽培農園を取り壊しました。次いで彼らは,自分たちのロック音楽に用いていたマイクを会衆に寄贈しました。3か月のうちに5人は皆,自分たちの生活を変化させて伝道者の資格を身につけるまでになりました。

オーストラリアの東にニューカレドニアがあります。昨奉仕年度中,ニューカレドニアの支部事務所は,ウォリス・フトゥーナの島々に数人の兄弟を遣わしました。ここではカトリック教会が人々の生活を支配し,証人たちの業に強力に反対しています。ニューカレドニアには,これらの島の出身の兄弟たちがかなり多く住んでいます。最近なされた訪問で,兄弟たちは,カトリック教会に所属する一人の大学教授に会いました。その教授が兄弟たちに語ったところによると,先ごろ,他の宗教に関する幾つかのクラス討議が行なわれ,どの学生もエホバの証人の信じている事柄について話したがりました。一人の学生は,少しの調査を行なって,証人たちの出版物に基づく幾つかの話に耳を傾けた後,このような感想を述べました。「驚くべきことに,私たちの部族の出身者で,証人となった人々はずっと偏見が少なく,道理にかなっており,聖書に関する驚くべき知識を有しているように思われます。この運動は人々を変化させる面で効を奏してきたようです。私たちの教会で同様の影響が人々に及んでいる様子は見られません」。

太平洋の島ハワイの支部事務所からは,まだ在学中の若者たちが,やはりエホバの側にいっそう強固な立場を定めているという報告が幾つも伝えられています。「私は級友から否定的な反応を示されるのが怖かったので,世のことを避ける理由としていつも一番簡単な説明しか級友たちにしなかったことを覚えています」と,一人の証人の少女は認めています。彼女はさらにこう述べました。「でも,もうそんなことはしません! 私は個々の圧力にことごとく立ち向かい,それを,さらに証言するための機会として活用することを学びました。そのおかげで私は,自分とエホバとの関係や,自尊心を向上させることができました」。

そのように誠実な努力を払ったために,この少女は多くの文書を配布し,7件もの聖書研究を司会するようになりました。彼女の理科の教師は,彼女にこう述べました。「これまで私の家にやって来たエホバの証人の何人かと話したことはありますが,エホバの証人の組織について理解を深めることができたのは,今年になってからです。それは,あなたとの話し合いや私が読んだ文書のおかげですし,自分が正しいと信じていることをあなたがはっきりと話してくれたからです。先生はあなたの努力とあなたが成し遂げたことにとても感心していますし,今ではあなたの宗教も尊敬することができます。口をつぐむのではなく,時間を取って自分の信仰を先生に説明してくれたことを感謝しています」。

この年若い姉妹は,学校で証言することを自分がどう思っているかを,このように要約しています。「私が学んだ一つのことは,たとえ私たちがほかの伝道者や開拓者たち,それに野外奉仕の集まりから離れた場所にいたとしても,私たちの区域から引き離されることは決してないということです。私たちには,ほかのだれも奉仕することのできない区域が週に30時間分もあるのです」。

禁令下にある国々は『神の力について歌う』

エホバはその影響力を及ぼして反対者たちの悪巧みをくじくことにより,ご自分の地上の僕たちが『神の力について歌う』のを可能にしておられます。(詩編 59:16)王国の業が禁止されている国々に住む兄弟たちが沈黙させられることはありません。それらの兄弟たちは引き続き福音宣明を行なっています。

1986年11月のある日,アフリカのある田舎町で,少人数の兄弟たちから成るグループが逮捕されました。兄弟たちは奉仕会を開くために個人の家に集まっていたのです。このグループの中には,会衆内で業を指導していた一人の特別開拓者も含まれていました。兄弟たちを逮捕した二人の警官のうちの一人は,この特別開拓者をひどく殴打し,足蹴にしました。そして警官は,「この男が,ほかの者たちを禁令下で伝道させているのだ! ほかの者たちが投獄されているのもこいつのせいだ」と大声でわめきました。

殴打されている間,兄弟はエホバに助けと力を叫び求めました。その様子を見ていた看守は,殴打を加えていた警官に,もうよしなさいと述べて,「自分が神の僕たちを虐待していることに気づかないのですか」と言いました。この言葉は効き目がありました。というのも,殴打を加えた警官は翌日兄弟のもとにやって来て,自分のしたことを許してほしいと言ったからです。「自分のしたことは非常に悪いことだった」と,警官は申し訳なさそうに述べました。さらに警官は,自分にはエホバがまことの神であると分かっていた,とも打ち明けました。1週間後,その特別開拓者と他の兄弟たちは釈放されました。警察はいまでは,兄弟たちが宣教にあずかっているのを見かけても,黙って行かせてくれます。

アフリカの別の国では,伝道者がわずか35人の会衆で19人の新しい伝道者がバプテスマを受けました。その中のある男性はバプテスマを受ける前に,「『ものみの塔』誌のおかげで私は命拾いをしました!」と述べました。それには次のようないきさつがありました。

この男性はかつて与党の高官でした。地元のゲリラのあるリーダーは仲間のゲリラと共に,この男性を捕らえに出かけました。ゲリラたちが男性の家に到着してみると,彼は「ものみの塔」誌を読んでいました。ゲリラたちは,お前はこの雑誌を発行している教会の一員なのかと,その男性に尋ねました。男性は,自分はまだ一員ではないが,証人たちと研究をしており,証人になりたいと思っていると答えました。ゲリラたちはこの男性に,我々はお前が与党の地方行政官であることを知っているが,お前の読んでいた“その雑誌に免じて”お前を殺さないことにしようと言いました。ゲリラたちは彼を生かしたままにして去りました。

この関心のある男性は興奮しながら大急ぎで集会場所へ行き,兄弟たちに,自分は「ものみの塔」誌がなかったら死んでいるところだったと説明しました。今やこの男性はエホバの証人の一人になることを決意しました。

広く迫害の見られる国々で,エホバはご自分の僕たちを保護するために,敵の目をくらますことがおできになります。アフリカのある国から寄せられた次の経験はそのことを示しています。ある会衆に巡回監督の次の訪問に関する知らせが届いたとき,ちょうど一人の兄弟が排斥されました。その排斥された人は恨みを抱いて,警察に,自分は巡回監督の訪問の日付を知っているので,警察をある家まで案内し,証人たちの組織の重要人物である,その“大物”を教えることができると伝えました。

当局は深い関心を示し,その機会をてぐすね引いて待ちました。その後,思いもよらないことに,巡回監督はその会衆への訪問を数週間繰り上げました。この排斥された男性は,巡回監督が訪問しているものとばかり思って,ある家に警察を案内しましたが,大きな失望を味わいました。警察が巡回監督を逮捕しようとしていたことを知って,兄弟たちは警察に,その通報者がもはやエホバの証人ではないことを伝えました。その理由を尋ねられると,兄弟たちは,その者はクリスチャンにふさわしい生活を送っていなかったので排斥されたのだと答えました。警察は,これまで抱いていた期待を裏切られ,きまりの悪い思いをしたことに腹を立てて,「よし,この男がそっちでふさわしくないのなら,こっちでもふさわしくない」と言って,その排斥された男性を捕まえて,刑務所に送りました。

アジアのある禁令下の国で,一人の開拓者は戸口で若い男性に会いました。その男性は,聖書に関する話し合いに深い関心を示しました。この開拓者の女性は文書を全く持ち合わせていなかったので,再び訪ねて,その人に何か読む物を持って来ることを約束しました。翌週,彼女はその家を再び訪問しました。1時間半にわたる話し合いの後,その男性は「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という本を受け取り,こう述べました。「実は,私はこの3週間,聖書を理解するための助け手を遣わしてくださるよう神に祈っていたのです。あなたは私の祈りに対する答えだと思います」。現在その姉妹は夫と共に,この関心のある人と聖書研究を行なっています。

中東のある国で,一人の兄弟は自分の家族から迫害を受けていました。家族は兄弟を背教者とみなしたのです。この兄弟は母親に,自分がエホバの証人のある奉仕者と結婚するつもりであることを告げましたが,母親は,結婚式に出席してほしいという兄弟の勧めを断固として受け入れませんでした。母親はその結婚式が自分の教会の外で行なわれるので,息子の結婚は一種の姦淫になると考えたのです。やっとのことで兄弟は,自分の結婚式に出席するよう母親を説得できました。母親はしぶしぶ出かけましたが,ある長老が話した結婚の話を聴いているうちに,涙を流し始めました。その場にいた,彼女の別の息子は驚いて,母親になぜ悲しいのかと尋ねました。母親は,自分は多くの結婚式に出席したことがあるが,自分のこれまでの生涯で,結婚とは一体何か,その理由と意味を理解したのはこの結婚式が初めてだと言いました。母親はうれしさのあまり泣いていたのです。今では,母親と家族の他の成員も真理に入っています。

興味深いことに,ジャマイカのキングストンで発行された1987年3月15日付の「サンデー・グリーナー」紙の中で,一編集者は,「1987 エホバの証人の年鑑」を読んだ後,証人たちの急速な成長について好意的な意見を述べ,自分の論説をこのような言葉で締めくくりました。「伝道をさらに励ます,粘り強い勧めの言葉に今奉仕年度も注意が払われるなら,1988年の年鑑は,よりいっそう感動的なものとなるに違いない」。そうです,わたしたちは昨奉仕年度の報告を考慮して,正にそれが“よりいっそう感動的なもの”であると結論できます。このように,エホバのおかげで,地の一方の果てから他方の果てに至るまで,エホバの証人の福音宣明の業は続いているのです。―詩編 75:1。

[27ページの囲み記事]

国際建設自発奉仕者

1985年11月に,下は26歳の独身の兄弟から上は59歳の祖父母までを含む,11人の自発奉仕者が,米国からアフリカに向けて出発しました。一行の任務は何でしょうか。それは,10万人以上の証人たちに奉仕している,ある国の新しい支部施設の建設を援助することです。そのとき以来,建設の仕事に熟達した,12の支部を代表する800人以上の自発奉仕者が,13の支部の建設計画に援助を差し伸べてきました。少なくとも1年はとどまって自発的に働いた奉仕者もいれば,2週間から3か月の間とどまって働いた自発奉仕者もいます。これらの自発奉仕者やその家族は,こうした割り当てについてどう感じているでしょうか。以下に記すのは,それらの人々が述べた感想の幾つかです。

□ 「私は長年,この世で一生懸命働いてきました。いま,私の全精力はエホバの組織に向けられています。この世とのつながりがないと,ほっとしますし,自分をエホバのために費やすことは,身体的にも,感情的にも,霊的にも喜びです」。

□ 「今回の建設計画で私が奉仕したわずかな期間に,説明し難いほどの強い友情が生まれました」。

□ 「国際建設自発奉仕者として夫が得た特権に対して,私たちは家族として皆さんに感謝したいと思います。家族の者は一人も夫に同行できませんでしたが,夫が経験した事柄は,家族の全員を益するものとなりました。エホバの組織はどこにおいても一致していることを,その経験は示しています。さらに,夫は,私たちが家族としてエホバにいっそう十分仕えるため,各自がそれぞれの生活を簡素化できることを今回の経験から理解するように助けられました」。

[24,25ページの囲み記事/図版]

世界本部の拡張

1983年1月に,協会はニューヨーク市ブルックリンの一区画61㍍四方の土地の半分を購入しました。その地所には9階建ての工場の建物が含まれており,建物の改装はもうすっかり終わっています。その後,協会は1986年12月に,別の9階建ての工場の建物を含む同じ区画の残り半分を購入しました。現在これら二つの建物は,既存の四つの工場の建物群と長さ49㍍幅4㍍の橋で結ばれています。

協会は1978年以来,4色刷りのハリス高速オフセット輪転機を8台ブルックリンの工場に据え付けて稼働させてきました。(ブルックリンから160㌔ほど北にあるものみの塔農場の工場では,同様の輪転機が4台使用されています。)協会は,聖書の印刷の需要増加に応じるため,昨奉仕年度中さらに3台の新しいオフセット輪転機を購入しました。それらは,五つのユニットから成る4色刷りのハンチョー高速オフセット輪転機です。そのうちの2台は,同時に2本の巻紙を印刷できる,書籍や雑誌用の輪転機です。他の1台は,同時に4本の巻紙を印刷できる全長35㍍の輪転機で,聖書紙の印刷に用いられています。現在ブルックリンの工場には,この新しい輪転機を含め,聖書紙を印刷する3台の輪転機があります。

1987年2月にはさらに,ブルックリンのベテル家族の宿舎のための物件が取得されました。コロンビア・ハイツ97番にある11階建てのその建物には,127の部屋が設けられ,地下は30台の車を止められる駐車場になる予定です。建物の躯体は請負業者が完成させており,1988年の9月ごろまでに協会の奉仕者たちが内装工事を終わらせることになっています。

[図版]

最近購入された,一区画の土地を占める二つの9階建ての工場の建物

[図版]

コロンビア・ハイツ97番にある11階建ての新築のベテル・ホーム

[34-41ページの図表]

全世界のエホバの証人の1987奉仕年度の報告

(出版物を参照)

[7ページの図版]

ポルトガルでは伝道者の最高数が7回見られ,伝道者は初めて3万2,000人台に達した。

[15ページの図版]

「エホバへの信頼」地域大会には,記録的な数の人々が出席した

[18ページの図版]

インドのケララで新しく建てられた王国会館

[26ページの図版]

国際建設自発奉仕者の援助を得て建てられた支部

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする