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カナン聖書に対する洞察,第1巻
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また,考古学的調査による証拠も,当時は集落の数がかなり少なく,町のほとんどは海岸沿いの地区,死海地域,ヨルダン渓谷,エズレル平原などに位置していたことを示しています。西暦前2千年紀初頭のパレスチナに関し,W・F・オールブライトは,概して丘陵地方にはまだ定住者がいなかったので,族長たちが自分たちのための場所がまだ十分あった中央パレスチナの丘陵地や南部の乾燥地帯を放浪したという聖書の伝承は確かに間違っていないと述べています。(「パレスチナの考古学と聖書」,1933年,131-133ページ)
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カナン聖書に対する洞察,第1巻
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一般の歴史によれば,イスラエル人が征服を行なう以前のおよそ2世紀間はエジプトがカナンに対して宗主権を行使していたようです。ファラオであるアメンホテプ3世やアクナトンに対して,シリアやパレスチナを治める属国の支配者たちが送った書信(アマルナ文書として知られるもの)は,当時その地域で諸都市の間の抗争や政治的策略が相当行なわれていた様子を示しています。
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