ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • カナン
    聖書に対する洞察,第1巻
    • アブラハム,そして後にはイサクやヤコブが牛や羊の大きな群れを率いて,この地を比較的容易に動き回れたことは,この地域の人口密度がまだ高くなかったことを示唆しています。(創 34:21と比較。)また,考古学的調査による証拠も,当時は集落の数がかなり少なく,町のほとんどは海岸沿いの地区,死海地域,ヨルダン渓谷,エズレル平原などに位置していたことを示しています。西暦前2千年紀初頭のパレスチナに関し,W・F・オールブライトは,概して丘陵地方にはまだ定住者がいなかったので,族長たちが自分たちのための場所がまだ十分あった中央パレスチナの丘陵地や南部の乾燥地帯を放浪したという聖書の伝承は確かに間違っていないと述べています。(「パレスチナの考古学と聖書」,1933年,131-133ページ)

  • カナン
    聖書に対する洞察,第1巻
    • カナンの諸部族の分布状況 カナン人の11部族(創 10:15-19)のうち,アモリ人はこの地で主要な地位を占めていたようです。(「アモリ人」を参照。)ヨルダン川の東のバシャンやギレアデにあるアモリ人が征服した土地を別にすれば,アモリ人に言及している箇所は,この民がカナン本土の山岳地方において北部でも南部でも強かったことを示しています。(ヨシュ 10:5; 11:3; 13:4)二番目に強かったのは,恐らくヒッタイト人でしょう。ヒッタイト人はアブラハムの時代には南はヘブロンにもいましたが(創 23:19,20),後にはおもに北方のシリア方面にいたようです。―ヨシュ 1:4; 裁 1:23-26; 王一 10:29。

      他の部族のうち,征服が行なわれた時代の事柄の中で上記2部族に次いで頻繁に言及されているのは,エブス人,ヒビ人,およびギルガシ人です。エブス人はエルサレム周辺の山地を中心に住んでいたものと思われます。(民 13:29; ヨシュ 18:16,28)ヒビ人は南はギベオンから(ヨシュ 9:3,7),北はヘルモン山ろくまで散在していました。(ヨシュ 11:3)ギルガシ人の領地は言及されていません。

      残る六つの部族,つまりシドン人,アルワド人,ハマト人,アルキ人,シニ人,およびツェマル人は,他の特定の部族名に関連してしばしば使われている“カナン人”という包括的な用語の中に多分含まれているのでしょう。ただし,この表現が単にカナン人の入り混じった住民から成る諸都市や諸集団を指して使われている場合は別です。(出 23:23; 34:11; 申 7:1; 民 13:29)これら六つの部族はすべて,イスラエルが最初に征服した地区のおもに北方に位置していたようで,征服に関する記述の中では特に指摘されていません。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする