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  • その1 ― 地の最も遠い所にまで証人となる
    エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
    • 英領ギアナで神の目的を理解するよう援助を受けたジョセフ・ブラスウェイトは,全時間を費やしてバルバドスの人々に神の目的を教えるため,1905年にそこへ赴きました。コスタリカで働いている時に良いたよりを聞いたルイス・フェイシーとH・P・クラークは,新たに見いだした信仰を母国の人々に伝えるため,1897年にジャマイカへ戻りました。ジャマイカで真理を受け入れた人々は熱心に働くようになりました。1906年だけで,ジャマイカのグループはパンフレット約120万部と他の文書を配布しました。パナマで真理を学んだ別の移民労働者は,聖書の希望の音信を携えてグレナダへ帰りました。

  • その1 ― 地の最も遠い所にまで証人となる
    エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
    • カリブ海一帯のもっと多くの国や地域で聖書の真理を宣べ伝えるための道を開き,研究のための定期的な集会を組織する目的で,ラッセル兄弟はE・J・カワードを1911年にパナマに,そして後にカリブ海の島々に遣わしました。カワード兄弟は力強く生き生きとした話をしました。地獄の火の教理や人間の魂は不滅であるとする教理の誤りを指摘し,地球の輝かしい将来を説明する彼の話を聞くために,何百人もの聴衆が集まることもよくありました。カワード兄弟は町から町へ,またセントルシア,ドミニカ,セントキッツ,バルバドス,グレナダ,トリニダードといった島から島へと移動して,できる限り多くの人々に接し,英領ギアナでも話をしました。パナマで彼は,W・R・ブラウンという熱心な若いジャマイカ人の兄弟と出会いました。ブラウン兄弟はそれ以後,カワード兄弟と共にカリブ海の幾つもの島で奉仕し,後には他の畑を切り開くのを援助しました。

      1913年,ラッセル兄弟は自らパナマとキューバとジャマイカで話を行ないました。ジャマイカのキングストンでの公開講演の際には,二つの講堂が満員になり,さらに2,000人ほどの人の入場を断わらなければなりませんでした。講演者が金銭について何も述べず,寄付集めも行なわれなかったことは,報道関係者の注目を集めました。

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