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  • その1 ― 地の最も遠い所にまで証人となる
    エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
    • ラッセル兄弟は国際聖書研究者協会の委員会による4か月にわたる世界旅行を終える前に,R・R・ハリスターが東洋における協会の代表者となって,メシアの王国という神の愛ある備えに関する音信を東洋の人々に広める業を続けるよう取り決めました。10の言語で特別なパンフレットが準備され,インドと中国と日本と朝鮮の全土で地元の配布者たちによって非常に大量に配布されました。その後,関心を示した人々にさらに霊的な食物を供給するため,幾つかの本がそのうちの四つの言語に翻訳されました。

  • その1 ― 地の最も遠い所にまで証人となる
    エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
    • 東洋と太平洋の島々へ

      C・T・ラッセルの準備した聖書出版物は,英国で配布されるようになってから間もなく東洋にも達しました。1883年,中国の芝罘<チーフー>(煙台<イエンタイ>)にいた長老派教会の宣教師であるC・B・ダウニングという独身女性が「ものみの塔」誌を1部受け取りました。彼女は革新に関して学んだ事柄の価値を認め,他の宣教師たちにもその雑誌を見せました。その中にバプテスト教会の宣教局とつながりのあるホラス・ランドルがいました。後にランドルは,ロンドンのタイムズ紙に載った「千年期黎明」の広告によってさらに関心を高められ,次いで実際にその本を受け取ることになりました。ダウニングから1冊,そして英国にいた彼の母からも1冊送られてきたのです。最初,彼は本の内容からショックを受けました。しかし,三位一体が聖書の教えではないとひとたび確信すると,バプテスト教会を脱退し,学んだ事柄を他の宣教師たちに伝え始めました。1900年に彼は,中国と日本と朝鮮とシャム(タイ)の宣教師たちに2,324通の手紙と約5,000部のパンフレットを送ったと報告しています。

  • その1 ― 地の最も遠い所にまで証人となる
    エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
    • 1911年から1912年にかけて,東洋の人々を援助するためにさらに大きな努力が払われました。東洋の状況をじかに調査するため,国際聖書研究者協会は,C・T・ラッセルを委員長とする7人の男子から成る委員会を派遣しました。行く先々で彼らは,メシアの王国によって人類に祝福をもたらすという神の目的について語りました。聴衆が少ないこともありましたが,フィリピンやインドでは何千人も集まりました。委員たちは,当時のキリスト教世界で広く行なわれていた世界的な改宗のための資金集めの運動を支持しませんでした。キリスト教世界の宣教師たちの努力の大半が世俗の教育を促進するために費やされていることを見て取っていたのです。しかし,ラッセル兄弟は,人々が必要としているのは「来たるべきメシアの王国という,神の愛ある備えに関する福音」であることを確信していました。聖書研究者は,世界の人々を改宗させることを期待する代わりに,当時のなすべき仕事は証言することであり,そうすることが,「1,000年間キリストと共にキリストの座に着いて人類全体を向上させる業に共にあずかる[キリストの]花嫁級の成員として,すべての国民と民と部族と国語から選ばれた少数の者」を集める業に貢献することを聖書から理解していました。a ―啓示 5:9,10; 14:1-5。

      日本,中国,フィリピンなどで時を過ごした後

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