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十字架はクリスチャンのためのものですかものみの塔 1987 | 8月15日
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キリスト教の象徴?
もしかしたら読者は,十字架を最初に用いたのはクリスチャンである,と思っておられるかもしれません。しかし,アメリカーナ百科事典は,「インドや中国のヒンズー教徒や仏教徒も,ペルシャ人,アッシリア人,バビロニア人なども古くからそれを用いていた」ことについて述べています。同様に,チェンバーズ百科事典(1969年版)も,十字架は「キリスト教時代の始まるずっと前から,宗教的また神話的な意味を帯びた表象であった」と述べています。
もっとも,初期クリスチャンが崇拝に十字架を用いたという証拠はありません。キリスト教の揺らん期に十字架を用いていたのは異教徒のローマ人だったのです。「コンパニオン・バイブル」はこう述べています。「これらの十字架は,バビロニアの太陽神の象徴……として用いられた。それが最初に見られるのは,ユリウス・カエサル(西暦前100-前44年)のコインであり,その後,西暦前20年にカエサルの後継者(アウグスツス)によって鋳造されたコインにも見られる」。ローマ人の自然神バッカスは,多くの十字の記された頭帯を締めた姿で描かれることがありました。
では,十字架がキリスト教世界の象徴になったのはどうしてでしょうか。
コンスタンティヌスと十字架
西暦312年,今のフランスと英国の地域を支配していたコンスタンティヌスは,義兄弟に当たるイタリアのマクセンティウスと戦うために出かけました。その途中,「これによって征服せよ」という意味の「ホック・ウィンケ」という語が記された十字架の幻を見たと言われています。そして勝利を得た後,その十字架を自分の軍隊の軍旗にしました。後にキリスト教がローマ帝国の国教となったとき,十字架は教会の象徴となりました。
しかし,実際にそのような幻が現われたのでしょうか。その言い伝えの記述は,せいぜい受け売り程度のもので,食い違う点がたくさんあります。率直に言って,神からの啓示を受けたと自称する人のうち,コンスタンティヌスほど神からの啓示を受けそうにない人を見つけるのは難しいでしょう。コンスタンティヌスは,その出来事が起きたとされる時点では,熱心な太陽神の崇拝者で,日曜日を太陽崇拝のための日として献げていたほどでした。そして,いわゆる改宗後の行ないにも,正しい原則に本当に献身していた証拠はほとんど見られませんでした。コンスタンティヌスにとってキリスト教は,分裂した帝国を統一するための政治的な道具にすぎなかったように思われます。
また,コンスタンティヌスの“見た”十字形が,実際にキリストの処刑に用いられた道具を表わしていたとする証拠もありません。コンスタンティヌスがすぐ後に鋳造した多くのコインに刻まれていたのは,“P”を上に重ねたX形の十字印でした。(挿絵をご覧ください。)W・E・バインの「新約聖書用語解説辞典」は,「コンスタンティヌスがキリスト教の擁護者となるきっかけになった幻の中で見たと言ったキーという文字,すなわちXは,[ギリシャ語の]『キリスト』という語の頭文字であり,[処刑用の道具としての]『十字架』とは関係がなかった」と述べています。しかし実際には,この型の十字印は,太陽を表わす異教の象徴とほぼ同じです。
では,“キリスト教徒”がやすやすと十字架を受け入れたのはなぜでしょうか。バインの「辞典」は続けて次のように述べています。「西暦3世紀の半ばまでに,諸教会はキリスト教の幾つかの教理から逸脱するか,それをこっけいなものにしてしまった。背教した教会制度の威信を高めるため,異教徒が,信仰による再生なしに教会に受け入れられた。それらの者には異教の印や象徴を引き続き用いることが大幅に認められた。こうして,タウつまりTがキリストの十字架を表わすのに用いられるようになり,多くの場合に横棒を下にずらした形が使われた」。
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十字架はクリスチャンのためのものですかものみの塔 1987 | 8月15日
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[22ページの図版]
十字架は何世紀もたつうちに多くの形や形態へと発展した
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