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「ノアの日」のような日ものみの塔 1986 | 1月1日
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イエスの弟子たちが述べた明確な警告を無視し,キリスト教世界の多くの人は同性愛行為にふけっています。
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「ノアの日」のような日ものみの塔 1986 | 1月1日
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「ノアの日」のように ―
「未婚の男女が性関係を持つことを不道徳と考えているのは……大学の宗教の教師の40%にすぎない」― 1984年12月29日付,「サタデー・オクラホマ・アンド・タイムズ」紙。
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聖書の原則には価値がありますか
監督派教会の一司祭が,一人のエホバの証人が行なった葬式の話を聴きました。その後ものみの塔協会の二人の奉仕者がその司祭の招待を受け,ニューヨーク市ブルックリンハイツで数人の僧職者と共に行なう話し合いに参加しました。
同性愛の問題が持ち出されました。エホバの証人たちは,聖書はそれを禁じていることと,どのような種類の不道徳行為であれ,そうしたことを習わしにする人は排斥されることを明らかにしました。(ローマ 1:24-27。コリント第一 6:9,10。ユダ 7)証人たちはこの問題に関する僧職者たちの立場を尋ねました。そして次のような答えを得ました。
組合教会の僧職者: 「我々の教会の内規のどこかに破門に関する規則があるとは思うが,これまで,その法規を実施したことは思い出せない」。
監督派教会の司祭: 「もしその法規を実施したら,教会区の信者は一人も[残らなくなってしまう]」。
カトリックの法王庁の高官: 「もしその法規を実施したら,司祭は一人も[残らなくなってしまう]」。
僧職者たちのこれらの言葉は問題を誇張しているかもしれませんが,エホバの証人は会衆を清く保つ面で自らの立場を堅く保つことを喜びとしています。彼らは「世のものではない」のです。―ヨハネ 15:19。
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