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  • エホバは神権政治によって支配しておられる
    ものみの塔 1994 | 1月15日
    • ひとつの新しい神権政治体制

      18 1世紀に,どんな新しい神権政治体制が生まれましたか。説明してください。

      18 しかし神が肉のイスラエルを退けたからといって,地上での神権政治が終わったわけではありません。エホバはイエス・キリストによってひとつの新しい神権政治体制を確立されました。それは油そそがれたクリスチャンの会衆であって,その会衆は実際新しい国民でした。(ペテロ第一 2:9)使徒パウロはその国民のことを「神のイスラエル」と呼びましたし,その成員は結局,「あらゆる部族と国語と民と国民の中から」来ました。(ガラテア 6:16。啓示 5:9,10)この新しい神権政治体制の成員は,自分たちの住んでいる国の人間の政府に服してはいても,実際には神によって支配されていました。(ペテロ第一 2:13,14,17)その新しい神権政治体制が生まれた後,間もなく,肉のイスラエルの支配者たちは何人かの弟子たちに,イエスから与えられた命令に従うことを強制的にやめさせようとしました。弟子たちはどのように反応しましたか。「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」と答えました。(使徒 5:29)これは確かに神権的な見方です。

      19 どのような意味で1世紀のクリスチャン会衆は神権政治のもとにあったと言うことができましたか。

      19 それにしても,その新しい神権政治体制はどのように機能したのでしょうか。そうです,偉大な神権統治者であられるエホバ神を代表する王イエス・キリストがおられました。(コロサイ 1:13)その王は天におられたので目に見えませんでしたが,この方による支配はその臣民にとって現実の事柄で,その方の言葉は彼らの生活を律するものでした。目に見える仕方で行なわれる監督に関しては,霊的に資格のある年長者たちが任命されました。エルサレムでは,そのような男子から成る一つのグループが統治体として機能していました。その統治体を代表していたのは,パウロやテモテやテトスなど,旅行する長老たちでした。そして,各会衆は年長者たち,つまり長老たちの一団によって世話されていました。(テトス 1:5)難しい問題が生じた時,長老たちは統治体か,その代表者の一人であるパウロのような人に相談しました。(使徒 15:2; コリント第一 7:1; 8:1; 12:1と比較してください。)さらに,会衆の成員は神権政治を支持する点で各々役割を果たしました。聖書の種々の原則を各々自分の生活に当てはめる責任をエホバのみ前で負っていました。―ローマ 14:4,12。

      20 使徒時代以後の神権政治については何と言うことができますか。

      20 パウロは,使徒たちの死後に背教が起きると警告しましたが,確かにその通りのことが生じました。(テサロニケ第二 2:3)時が経過するにつれて,クリスチャンと自称する人々の数は幾千万人に,次いで幾億人にも増えました。彼らは位階制,長老制,組合教会制など,色々な教会政治を考え出しました。しかし,それらの教会の行動や信条はいずれもエホバの支配権を反映したものではありませんでした。確かに,教会は神権政治のもとにはありませんでした。

      21,22 (イ)終わりの時の期間中に,エホバはどのようにして神権政治を回復させてこられましたか。(ロ)次に,神権政治に関するどんな質問の答えが得られますか。

      21 この事物の体制の終わりの時の期間中に,真のクリスチャンは偽りのクリスチャンから分けられることになっていました。(マタイ 13:37-43)このことは神権政治の歴史上の要となる年である1919年に起きました。その時,イザヤ 66章8節の次のような輝かしい預言が成就しました。「だれがこのような事柄を見ただろうか。地が一日のうちに陣痛と共に産み出されるだろうか。あるいは,国民が一時に生まれるだろうか」。これらの問いに対して,明確な肯定の答えが出されました。1919年には,クリスチャン会衆がもう一度単独の「国民」として存在するようになりました。実際,神権的な「地」が一日のうちに産み出されたのです。終わりの時が経過するにつれて,この新しい国民の組織は1世紀に存在した組織にできるだけ近いものになるよう調整されました。(イザヤ 60:17)しかし,その組織は常に神権政治のもとにありました。それは行動や信条の点で,神の霊感を受けて記された聖書中の種々の律法や原則を常に反映しました。また,即位された王イエス・キリストに常に服してきました。―詩編 45:17; 72:1,2。

      22 あなたはこの神権政治と結ばれていますか。その中で権威を行使する立場に就いておられますか。もしそうであれば,神権的な行動を取るとはどういう意味かをご存じですか。どんなわなを避けるべきかをご存じですか。この最後の二つの質問は次の記事で取り上げられています。

  • 神権政治のもとでの牧者と羊
    ものみの塔 1994 | 1月15日
    • 神権政治のもとでの牧者と羊

      『エホバはわたしたちの裁き主,エホバはわたしたちの法令授与者,エホバはわたしたちの王である。神ご自身がわたしたちを救ってくださる』― イザヤ 33:22。

      1 1世紀のクリスチャンも今日のクリスチャンも神権政治体制を取っていると言えるのはどうしてですか。

      神権政治とは神による支配を意味しています。それにはエホバの権威を受け入れ,生活の中で大小様々な決定をする際にエホバの指針や教えに従うことが関係しています。1世紀の会衆は純粋な神権政治体制を取っていました。したがって,クリスチャンは本当に,『エホバはわたしたちの裁き主,エホバはわたしたちの法令授与者,エホバはわたしたちの王である』と言うことができました。(イザヤ 33:22)今日,油そそがれた残りの者を中核とするエホバ神の組織も同様に真の神権政治体制を取っています。

      わたしたちは今日,どのような意味で神権的か

      2 エホバの証人はエホバの支配に服していますが,その一面を述べてください。

      2 エホバの地上の組織はどうして神権政治体制を取っていると言えますか。なぜなら,その組織に属している人たちは確かにエホバの支配に服しているからです。また,それらの人はエホバにより王として即位させられたイエス・キリストの指導に従っています。例えば,この終わりの時には,偉大な神権統治者からの直々の次のような命令がイエスに伝えられています。「あなたの鎌を入れて刈り取ってください。刈り取る時が来たからです。地の収穫物はすっかり熟しているのです」。(啓示 14:15)イエスはその命令に従って地の収穫の業に着手しておられます。クリスチャンは熱心に良いたよりを宣べ伝えて人々を弟子にすることにより,この偉大な業の面で自分たちの王を支持しています。(マタイ 28:19。マルコ 13:10。使徒 1:8)そのようにして,偉大な神権統治者であられるエホバと共に働く者ともなっているのです。―コリント第一 3:9。

      3 クリスチャンは道徳に関する事柄で神権政治にどのように従っていますか。

      3 クリスチャンは行ないの面でも神の支配に服しています。イエスはこう言われました。「真実なことを行なう者は光に来て,自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにします」。(ヨハネ 3:21)今日,道徳規準を巡って果てしない論争が続いていますが,クリスチャンの間にそのような論争はありません。クリスチャンはエホバが不道徳と言われる事柄を不道徳とみなし,それを疫病のように避けるのです。クリスチャンはまた,家族を顧み,親に従い,上位の権威に服しています。(エフェソス 5:3-5,22-33; 6:1-4。テモテ第一 5:8。テトス 3:1)ですから,クリスチャンは神と一致して神権的な仕方で行動します。

      4 アダムとエバやサウルはどんな間違った態度を表わしましたか。クリスチャンはそれとは異なった態度をどのように示しますか。

      4 アダムとエバは物事の正邪を自分で決めたいと考えたために楽園<パラダイス>を失いました。イエスはその正反対のことを望まれました。それで,『わたしは,自分の意志ではなく,わたしを遣わした方のご意志を求めます』と言われました。クリスチャンも同様のことを求めます。(ヨハネ 5:30。ルカ 22:42。ローマ 12:2。ヘブライ 10:7)イスラエルの初代の王であったサウルは確かにエホバに従いましたが,ある程度そうしたにすぎませんでした。そのために,サウルは退けられました。サムエルはサウルに,「従うことは犠牲に勝り,注意を払うことは雄羊の脂肪に勝ります」と告げました。(サムエル第一 15:22)では,恐らく定期的に宣べ伝える業に参加したり集会に出席したりすることによってエホバのご意志にある程度従っていても,道徳に関する事柄や他の何らかの面で妥協するのは神権的なことでしょうか。もちろん,そうではありません。わたしたちは『神のご意志を魂をこめて行なう』よう努力します。(エフェソス 6:6。ペテロ第一 4:1,2)サウルとは違って,わたしたちは神の支配に全面的に服します。

      現代の神権政治

      5,6 エホバは今日,人類をどのように扱っておられますか。この取り決めに協力すると,結果はどうなりますか。

      5 昔,エホバは預言者や王や使徒などの個人を通して支配したり,真理を啓示したりされました。今日では,もはやそうではありません。霊感を受けた預言者や使徒はいません。とはいえ,イエスはご自分が王として臨在する期間中,忠実な追随者の一団,つまり「忠実で思慮深い奴隷」を見分け,その奴隷を任命してご自分のすべての持ち物をつかさどらせると言われました。(マタイ 24:45-47。イザヤ 43:10)1919年に,その奴隷は油そそがれたクリスチャンの残りの者であることが明らかになりました。その時以来,エホバの証人の統治体によって代表されるその奴隷は,地上の神権政治体制の中枢となってきました。その統治体を代表するのは,世界各地の支部委員会,旅行する監督たち,および会衆の長老たちです。

      6 神権組織と協力することは神権政治に従う生き方の肝要な一面です。そのような協力は,「仲間の兄弟全体」の中で世界的な一致と秩序をもたらすのに寄与します。(ペテロ第一 2:17)そしてそれは,「無秩序の神ではなく,平和の神」であられるエホバに喜ばれるものとなります。―コリント第一 14:33。

      神権政治のもとでの長老たち

      7 クリスチャンの長老たちはどうして神権的な方法で任命されていると言えますか。

      7 任命された年長者たちは権威を伴うどんな立場にある人も皆,監督もしくは年長者の職に就けられる人々に求められる,聖書に略述されている資格にかなっています。(テモテ第一 3:1-7。テトス 1:5-9)それに,エフェソスの長老たちに対するパウロの言葉,すなわち,「あなた方自身と群れのすべてに注意を払いなさい。……神の会衆を牧させるため,聖霊があなた方をその群れの中に監督として任命したのです」という言葉はすべての長老に当てはまります。(使徒 20:28)そうです,長老たちはエホバ神から来る聖霊によって任命されています。(ヨハネ 14:26)その任命は神権的な任命です。その上,長老たちは神の羊の群れを牧しています。その群れは長老たちにではなく,エホバに属しています。それは神権政治のもとにあります。

      8 今日の長老たちにはどんな全般的な責務がありますか。

      8 使徒パウロはエフェソス人への手紙の中で長老たちの全般的な責務を略述し,「彼は,ある者を使徒,ある者を預言者,ある者を福音宣明者,ある者を牧者また教える者として与えました。それは,奉仕の業のため,またキリストの体を築き上げるために聖なる者たちをさらに調整することを目的とし(たものです)」と言いました。(エフェソス 4:11,12)使徒や預言者たちは「キリストの体」の揺らん期が終わるころには世を去っていました。(コリント第一 13:8と比較してください。)しかし,長老たちは今でも非常に忙しく福音を宣明し,羊を牧し,また教えています。―テモテ第二 4:2。テトス 1:9。

      9 長老たちは会衆で神のご意志を説明するため,どのように備えるべきですか。

      9 神権政治とは神の支配のことですから,有能な長老たちは神のご意志に十分通じています。ヨシュアは“律法”を毎日読むよう命じられました。長老たちもまた,聖書を定期的に勉強し,調べ,そして忠実で思慮深い奴隷の出版する聖書文書に十分通じている必要があります。(テモテ第二 3:14,15)そのような文書には,「ものみの塔」や「目ざめよ!」誌その他,聖書の原則が特定の状況にどのように適用されるかを示した出版物が含まれます。a しかし,長老たちはものみの塔協会の文書の中で公表されている指針について知り,その指針に従うのは大切なことですが,そのような指針の背後にある聖書の原則にも十分通じているべきです。そうすれば,理解を示し,同情心を抱いて聖書の指針を当てはめることができます。―ミカ 6:8と比較してください。

      キリストの教えにかなう精神を抱いて仕える

      10 長老たちはどんな悪い態度を取らないように用心すべきですか。どのようにそうすべきですか。

      10 西暦55年ごろ,使徒パウロはコリント会衆への最初の手紙を書きました。パウロが扱った問題の一つは,会衆の中で目立った存在になりたがっていたある人々と関係がありました。パウロはこう書きました。「あなた方はすでに存分に持っているのですか。あなた方はすでに富んでいるのですか。あなた方はわたしたちを抜きにして王として支配しはじめたのですか。いや,あなた方が王として支配しはじめていてくれたらと願うのです。わたしたちもあなた方と一緒に王として支配するためです」。(コリント第一 4:8)西暦1世紀のクリスチャンはすべて,イエスと共に天的な王ならびに祭司として支配する希望を抱いていました。(啓示 20:4,6)しかし,地上のクリスチャンの神権政治体制のもとに王はいないことをコリントの一部の人々は忘れていたようです。クリスチャンの牧者たちはこの世の王たちのように行動するのではなく,エホバに喜ばれる特質である謙遜さを培うのです。―詩編 138:6。ルカ 22:25-27。

      11 (イ)謙遜さの際立った模範を幾つか挙げてください。(ロ)長老たちも他のクリスチャンも皆,自分のことをどのように見るべきですか。

      11 謙遜さは弱さですか。決してそうではありません。エホバご自身,謙遜な方として述べられています。(詩編 18:35)イスラエルの王たちは軍隊を率いて出陣しましたし,エホバの治める国民を支配しました。しかし,王たちは各々『その心が兄弟たちの上に高ぶることがない』ように気をつけなければなりませんでした。(申命記 17:20)復活させられたイエスは天的な王です。しかし,地上にいた当時,弟子たちの足を洗われました。何と謙遜であられたのでしょう。そこでイエスは,使徒たちにも同様に謙遜になってもらいたいと願っていることを示して,「わたしが,主また師でありながらあなた方の足を洗ったのであれば,あなた方も互いに足を洗い合うべきです」と言われました。(ヨハネ 13:14。フィリピ 2:5-8)栄光と賛美はすべて,どんな人間にでもなく,エホバに帰せられるべきです。(啓示 4:11)クリスチャンは長老であろうとなかろうと皆,「わたしたちは何の役にも立たない奴隷です。わたしたちのしたことは,当然すべきことでした」というイエスの言葉に照らして自分のことを考えてみるべきです。(ルカ 17:10)それ以外の見方はすべて,非神権的な見方です。

      12 愛はなぜクリスチャンの長老たちが培うべき肝要な特質ですか。

      12 クリスチャンの長老たちは謙遜さと共に愛を培います。使徒ヨハネは愛の重要性を示し,「愛さない者は神を知るようになっていません。神は愛だからです」と述べました。(ヨハネ第一 4:8)愛情のない人は神権的な人ではありません。そのような人はエホバを知らない人です。神のみ子に関して,聖書は,「イエスは……世にあるご自分の者たちを愛してこられたのであるが,彼らを最後まで愛された」と述べています。(ヨハネ 13:1)イエスはクリスチャン会衆の統治体の一部になろうとしていた11人の人々に話をして,「わたしがあなた方を愛したとおりにあなた方が互いを愛すること,これがわたしのおきてです」と言われました。(ヨハネ 15:12)真のキリスト教を見分ける印は愛です。それは心の打ちひしがれた人たち,嘆き悲しむ人たち,および自由を切望する霊的な捕らわれ人を引き付けます。(イザヤ 61:1,2。ヨハネ 13:35)長老たちはそのような愛を示す点で模範的でなければなりません。

      13 今日,問題は難しい場合もありますが,長老はどうすれば,どんな状況のもとでも有益な影響力のある人になれますか。

      13 今日,長老たちは複雑な問題を扱うのを助けてほしいと頼まれることが少なくありません。結婚生活に関する難しい問題は根深くて,なかなか解決できない場合があります。若い人々には大人にとって理解し難いような問題があります。感情障害は理解しにくい問題である場合が少なくありません。長老はそのような事柄に直面して,どうすべきかが分からないこともあります。しかし,もし祈りのうちにエホバの知恵に頼り,実際に聖書や忠実で思慮深い奴隷が公表している情報を調べるなら,また謙遜な態度で愛をこめて羊を扱うなら,非常に難しい状況のもとでさえ,長老は有益な影響力のある人になれる,ということを確信できます。

      14,15 エホバは立派な長老たちを大勢与えてご自分の民を祝福してこられましたが,このことを示す言葉を幾つか挙げてください。

      14 エホバは「人々の賜物」を与えてご自分の組織を豊かに祝福してこられました。(エフェソス 4:8)ものみの塔協会は時々,同情心をもって神の羊を牧する謙遜な長老たちから示された愛について証言する,心温まる手紙を受け取ります。例えば,ある会衆の長老から次のような手紙が寄せられています。「私にとってこれまでにあれほど心を打たれた,また今なお会衆内でよく話題に上る巡回監督の訪問はなかったように思います。その巡回監督のお陰で,私は兄弟たちに接する際,ほめることに力を入れる積極的な態度の大切さをよく理解できました」。

      15 治療を受けるために遠くの土地へ旅行して病院に行かなければならなかった一人の姉妹からは次のような手紙が寄せられています。「家から遠く離れた病院でのあの不安な最初の夜,長老にお会いできてどんなに元気づけられたかしれません。その長老と他の兄弟たちは私と共に多くの時間を過ごしてくださいました。私の遭遇している状況をよく知っていた世の人々でさえ感じたことですが,それら愛ある献身的な兄弟たちによる慰めや気遣いや祈りがなかったなら,私は決して助からなかったと思います」。別の姉妹はこう書いています。「私が今生きているのは,重症のうつ病と闘っていた間ずっと,長老団が忍耐強く私を導いてくださったお陰です。……ある兄弟とその奥さんは私に何と言っていいのか分かりませんでした。……でも,私が一番心を動かされたのは,お二人が私の遭遇していた状況を十分理解していたわけではなかったのに,優しく気遣ってくださったことです」。

      16 ペテロは長老たちに対してどんな勧めの言葉を述べていますか。

      16 そうです,多くの長老たちは使徒ペテロのこの勧めの言葉を当てはめています。「あなた方にゆだねられた神の羊の群れを牧しなさい。強いられてではなく,自ら進んで行ない,不正な利得を愛する気持ちからではなく,真剣な態度で牧しなさい。また神の相続財産である人々に対して威張る者のようにではなく,かえって群れの模範となりなさい」。(ペテロ第一 5:1-3)そのような神権的な長老たちは何という祝福のいわれなのでしょう。

      神権政治のもとでの羊

      17 会衆の成員すべてが培うべき特質を幾つか挙げてください。

      17 しかし,神権政治体制は長老たちだけで構成されているわけではありません。牧者たちが神権的な人でなければならないのであれば,羊もそうでなければなりません。どんな点でそうでなければなりませんか。そうです,牧者が導きとするのと同じ原則を羊も導きとしなければなりません。長老たちだけでなく,クリスチャンはだれでも,エホバの祝福を受けたいと思うなら,謙遜でなければなりません。(ヤコブ 4:6)だれもが愛を培わなければなりません。なぜなら,愛がなければ,エホバへのわたしたちの犠牲はこの方に喜ばれるものとはならないからです。(コリント第一 13:1-3)それに,長老たちだけでなく,わたしたちは皆,「あらゆる知恵と霊的な把握力とにより,[エホバ]のご意志に関する正確な知識に満たされ」ているべきです。―コロサイ 1:9。

      18 (イ)真理に関する表面的な知識ではなぜ不十分ですか。(ロ)わたしたちは皆,どうすれば正確な知識で満たされるようになりますか。

      18 若い人も年取った人も,サタンの世で生活しながら,忠実を守ろうとする時,絶えず難しい決定を迫られます。服装,音楽,映画,文学作品などに見られる世の傾向は,一部の人々の霊性を試すものとなっています。真理に関する表面的な知識では,平衡を保つ助けとするには不十分です。確実に忠実を保つには,正確な知識に満たされる必要があります。わたしたちは神のみ言葉だけが与え得る識別力と知恵を必要としています。(箴言 2:1-5)これは,研究をする良い習慣を身に着け,学ぶ事柄を黙想し,実践することを意味しています。(詩編 1:1-3。啓示 1:3)パウロは長老たちだけでなく,すべてのクリスチャンにあてて手紙を書き,「固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです」と述べました。―ヘブライ 5:14。

      牧者と羊は一緒に働く

      19,20 長老たちと協力するように勧めるどんな言葉がすべての人に対して述べられていますか。そう述べられているのはなぜですか。

      19 終わりに,真の神権的な精神は長老たちと協力する人たちによって示されると言わなければなりません。パウロはテモテにあててこう書きました。「りっぱに主宰の任を果たす年長者たち,とりわけ,話すことや教えることに骨折っている人たちを,二倍の誉れに値するものとみなしなさい」。(テモテ第一 5:17。ペテロ第一 5:5,6)長老の職に就くことはすばらしい特権ですが,大抵の長老は家族を持っており,毎日世俗の仕事に出かけ,また妻子を顧みなければなりません。長老たちは喜んで仕えますが,会衆があまり批判的になったり要求しすぎたりすることなく,支持するようにすれば,長老たちの奉仕はもっと容易で,もっと報いの多いものになります。―ヘブライ 13:17。

      20 使徒パウロはこう述べました。「あなた方の間で指導の任に当たっている人々,あなた方に神の言葉を語った人々のことを覚えていなさい。そして,その行ないがどのような結果になるかをよく見て,その信仰に倣いなさい」。(ヘブライ 13:7)ここで,パウロが長老たちに追随することを兄弟たちに勧めたのではありません。(コリント第一 1:12)人間に追随するのは神権的なことではありません。しかし,福音宣明の業に活発に参加し,集会に定期的に出席し,また謙遜な態度で愛をこめて会衆を扱う神権的な長老の証明済みの信仰に見倣うのは,確かに賢明なことです。

      信仰の証

      21 クリスチャンはモーセのような強い信仰をどのように表明していますか。

      21 人類史上非常な堕落の見られるこの時代に神権組織が存在することは,確かに偉大な神権統治者の力が働いていることの証です。(イザヤ 2:2-5)それはまた,日常生活の諸問題と闘いながらも,エホバが自分たちの支配者であることを決して忘れない,ほぼ500万人のクリスチャンの男女子供の信仰の証です。忠実なモーセが「見えない方を見ているように終始確固としていた」のと同じように,今日,クリスチャンは同様の強い信仰を抱いています。(ヘブライ 11:27)それらのクリスチャンは神権政治のもとで生活する特権に恵まれており,そのことを毎日エホバに感謝しています。(詩編 100:4,5)それらの人々は救いをもたらすエホバの力の働きを経験しながら,喜んでこうふれ告げます。『エホバはわたしたちの裁き主,エホバはわたしたちの法令授与者,エホバはわたしたちの王である。神ご自身がわたしたちを救ってくださる』― イザヤ 33:22。

      [脚注]

      a そのような出版物の一つに,「あなた方自身と群れのすべてに注意を払いなさい」と題する本があります。聖書的な指針が載せられているその本は,任命された会衆の監督たち,つまり長老たちのために用意されています。

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