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  • 研究4 ― 聖書とその正典
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • 18 クリスチャン・ギリシャ語聖書の初期の目録を示す表から,どんな重要な結論を下せますか。

      18 初期の目録に関する証拠。次に掲げた表を一見すれば明らかな通り,前述の宗教会議以前の年代のものであるクリスチャン聖書の4世紀の目録の多くは,現代の正典のそれと正確に合致しており,ただ「啓示」だけを省いた目録が二,三あります。2世紀の終わり以前に,四福音書,使徒たちの活動および使徒パウロの12通の手紙が一般に受け入れられていました。ただ二,三の小さな書だけが,ある地域で疑問視されていたにすぎません。これは,それらの書が最初に流布された時,様々な理由でその範囲が限られていたので,正典として受け入れられるのにより長い時間がかかったためと思われます。

      19 (イ)どんな優れた文書がイタリアで探し出されましたか。それはどの時期のものと推定されていますか。(ロ)それは当時受け入れられていた正典をどのようにはっきり示していますか。

      19 初期の最も興味深い目録の一つは,イタリア,ミラノのアンブロシウス図書館のL・A・ムラトーリによって発見され,1740年に彼によって出版された断片です。その初めの部分は欠けていますが,それがルカによる書を3番目の福音書と呼んでいることは,マタイおよびマルコによる書が最初に指摘されていたことを示唆しています。ラテン語で書かれているそのムラトーリ断片の年代は西暦2世紀の後半とされています。次に掲げるその翻訳文の一部が示す通り,これは極めて興味深い文書です。「福音書の3番目はルカによる書である。著名な医師ルカはこれを自分自身の名において書き記した。……福音書の4番目は弟子の一人ヨハネによる書である。……また,それゆえに,たとえ福音書のそれぞれの書の中で諸事実が違った仕方で選択され,述べられてはいても,信者たちの信仰にとって不一致を来たすものは何もない。なぜなら,[それらの書]すべての中では,人を導く唯一の霊のもとに,その降誕,受難,復活,弟子たちとの会話,二つの部分から成るその降臨などに関するすべての事柄が明らかにされているからである。屈辱から身を起こして恥辱に終わったその最初の降臨はすでに起きたが,王としての力の栄光を伴う2度目の降臨はやがて起こるのである。したがって,ヨハネが自ら,『我々が自分の目で見,自分の耳で聞き,自分の手で扱ったもの,それらのことを我々は書いたのである』と言って,これら幾つかの事柄をその何通かの書簡の中で同様に終始提示しているとしても,それは何か驚くべきことであろうか。というのは,こうして彼は自分が単に目撃証人であるだけでなく,主のくすしい事柄すべてを聞いた者であり,またそれをその順序に従って述べる語り手でもあることを公言しているからである。その上,すべての使徒たちの活動は一つの書の中に書き記されている。ルカはそれをきわめて優れたテオフィロ様のために[そのように]構成したのである。……さて,パウロの書簡はそれ自体,それがどういう性質のものか,どうして,つまりどんな理由で書き送られたのかを,これを理解しようとする人に明らかにしている。まず第一に,彼は異端の分派を禁ずることをコリント人に詳しく書き送り,次いでガラテア人に対しては割礼[に反対する立場について],またローマ人に対しては聖書の物事の順序について書き送り,さらにキリストが聖書の中で主要な事柄であることをほのめかしている ― その各々について我々は論ずる必要がある。恵まれた使徒パウロ自身,先輩のヨハネの模範に従って,次のような順序で名を挙げて七つほどの教会に書き送っている。すなわち,コリント人(第一),エフェソス人(第二),フィリピ人(第三),コロサイ人(第四),ガラテア人(第五),テサロニケ人(第六),ローマ人(第七)に対してである。しかし,彼はコリント人やテサロニケ人に対して矯正のために2度書き送ってはいるが,ただ一つの教会が全地の至る所に行き渡っていることが示されている[すなわち,この7部から成る書によって示されている?]のである。また,ヨハネも黙示録の中で七つの教会にあてて書いてはいるが,それでも教会全体に語りかけているのである。しかし,[パウロは]愛情と愛の気持ちから1通をフィレモンにあてて,また1通をテトスにあてて,そして2通をテモテにあてて[書き送った]。[そしてこれらの手紙]は教会により神聖なものとして尊ばれている。……さらに,ユダの書簡とヨハネの名を帯びている2通の書簡が数えられている……我々はただヨハネとペテロの黙示録のみを受け入れているが,我々のうちの一部の者はこれ[後者]が教会で読まれることを望んではいない」― 新シャフ-ヘルツォーク宗教知識百科事典(英文),1956年版,第8巻,56ページ。

      20 (イ)ヨハネの手紙の一つとペテロの手紙の一つが漏れていることは,どのように説明されていますか。(ロ)それで,この目録は現代の目録とどれほど厳密に合致しますか。

      20 ムラトーリ断片の終わりのほうでは,ヨハネの2通の書簡のことしか述べられていない点が注目されます。しかし,この点について前述の百科事典はその55ページで次のように述べています。ヨハネのそれら2通の書簡は,「第二および第三の書簡であるに違いない。その筆者は自分のことを単に『長老』と呼んでいる。その第一の書を,単に付随的にせよ,4番目の福音書に関連してすでに扱っており,それがヨハネによって書かれたものであるとの絶対的な信念をそこで表明したので,著者はここでは注解をより小さいほうの2通の手紙にとどめることができると感じたのである」。ペテロの第一の書簡について何も述べられていないように見えることについて,この資料はこう続けています。「最も確からしい仮説は,ペテロ第一とヨハネの黙示録を受け入れられたものとして名を挙げて示している数語,恐らくは一行が失われたとする見方である」。ですから,ムラトーリ断片の見地に立って,この百科事典は56ページでこう結論しています。「新約聖書は確かに四福音書,使徒たちの活動,パウロの13通の書簡,ヨハネの黙示録,それに恐らく彼の3通の書簡,ユダの手紙そして恐らくペテロの第一の手紙で構成されていたものとみなされるが,もう一つのペテロの書に対する反対意見はまだ沈黙させられてはいない」。

      21 (イ)霊感を受けて記された書に関するオリゲネスの注解はどんな点で興味深いものがありますか。(ロ)後代の著述家たちは何を認めましたか。

      21 西暦230年ごろのオリゲネスは,ムラトーリ断片ではいずれも欠けている,ヘブライ人への手紙とヤコブの手紙を霊感による聖書の一部として受け入れていました。彼は一部の者がそれらの書の正典としての特性を疑っていたことを示唆していますが,これもまた,そのころまでにギリシャ語聖書の大半の書の正典性が受け入れられており,ただごく少数の者だけが余りよく知られていない書簡の幾つかについて疑っていたにすぎないことを示しています。後に,アタナシウス,ヒエロニムスおよびアウグスティヌスは,今わたしたちが持っているのと同じ27冊の書を正典であると明示することにより,初期の一覧表に関する結論を認めました。b

      22,23 (イ)この表の目録のリストはどのようにして用意されましたか。(ロ)ムラトーリ断片以前にこのようなリストがなかったように思われるのはなぜですか。

      22 ここの表に掲げた目録の大半は,どの書が正典として受け入れられたかをはっきり示したリストとなっています。イレナエウス,アレクサンドリアのクレメンス,テルトゥリアヌスおよびオリゲネスの目録は,彼らが引き合いに出した引用文を基にして完成されたものですが,それらの引用文は彼らが自分たちの言及した書をどのようにみなしていたかを明らかにするものです。それらの目録はさらに,初期の歴史家エウセビオスの記録によって補足されています。しかし,これらの著述家がある正典の書に言及していないという事実は,その正典性に反論を唱えるものではありません。それはただ彼らが自分たちの著述の中でそれらの書に言及しなかっただけのことで,論議されている主題のゆえに,あるいは選択の問題のゆえにそうしなかったにすぎません。しかし,ムラトーリ断片よりも早い時期の正確なリストが見つからないのはなぜでしょうか。

      23 クリスチャンがどの書を受け入れるべきかに関して論争が生じたのは,西暦2世紀の半ばにマルキオンのような批評家が出てからのことでした。マルキオンは自分の教理に合った独自の正典を作り上げ,使徒パウロの手紙の幾つかと,一部を削除したルカの福音書だけを取り上げました。これと共に,そのころまでに世界中に広まっていた多数の外典的な文献のために,目録作成者は自分がどの書を正典として受け入れているかを述べることが必要となりました。

  • 研究4 ― 聖書とその正典
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • [303ページの図表]

      クリスチャン・ギリシャ語聖書の初期の重要な目録

      A - 少しの疑いもなく聖書の一部また正典として受け入れられていた

      D - 一部の地域では疑いを持たれていた

      DA - 一部の地域では疑いを持たれていたが,目録作成者は聖書の一部また正典として

      受け入れていた

      ? - 本文の解読,あるいは,言及されている書がどのようにみなされていたかが学者の

      間でもはっきりしていない

      □ - 空白箇所は典拠として掲げられているものによってその書が用いられていないか,

      あるいは言及されていないことを示す

      名前と場所

      ムラトーリ断片, イレナエウス, アレクサンドリア テルトゥリアヌス,

      イタリア 小アジア のクレメンス 北アフリカ

      おおよその年代

      西暦 170 180 190 207

      マタイ A A A A

      マルコ A A A A

      ルカ A A A A

      ヨハネ A A A A

      使徒 A A A A

      ローマ A A A A

      コリント第一 A A A A

      コリント第二 A A A A

      ガラテア A A A A

      エフェソス A A A A

      フィリピ A A A A

      コロサイ A A A A

      テサロニケ第一 A A A A

      テサロニケ第二 A A A A

      テモテ第一 A A A A

      テモテ第二 A A A A

      テトス A A A A

      フィレモン A A

      ヘブライ D DA DA

      ヤコブ ?

      ペテロ第一 A? A A A

      ペテロ第二 D? A

      ヨハネ第一 A A DA A

      ヨハネ第二 A A DA

      ヨハネ第三 A?

      ユダ A DA A

      啓示 A A A A

      名前と場所

      オリゲネス, エウセビオス, エルサレムの チェルテンハム・

      リスト,

      アレクサンドリア パレスチナ キュリロス 北アフリカ

      おおよその年代

      西暦 230 320 348 365

      マタイ A A A A

      マルコ A A A A

      ルカ A A A A

      ヨハネ A A A A

      使徒 A A A A

      ローマ A A A A

      コリント第一 A A A A

      コリント第二 A A A A

      ガラテア A A A A

      エフェソス A A A A

      フィリピ A A A A

      コロサイ A A A A

      テサロニケ第一 A A A A

      テサロニケ第二 A A A A

      テモテ第一 A A A A

      テモテ第二 A A A A

      テトス A A A A

      フィレモン A A A A

      ヘブライ DA DA A

      ヤコブ DA DA A

      ペテロ第一 A A A A

      ペテロ第二 DA DA A D

      ヨハネ第一 A A A A

      ヨハネ第二 DA DA A D

      ヨハネ第三 DA DA A D

      ユダ DA DA A

      啓示 A DA A

      名前と場所

      アタナシウス, エピファニオス, ナジアンズスの アンフィロキオス,

      アレクサンドリア パレスチナ グレゴリウス, 小アジア

      小アジア

      おおよその年代

      西暦 367 368 370 370

      マタイ A A A A

      マルコ A A A A

      ルカ A A A A

      ヨハネ A A A A

      使徒 A A A A

      ローマ A A A A

      コリント第一 A A A A

      コリント第二 A A A A

      ガラテア A A A A

      エフェソス A A A A

      フィリピ A A A A

      コロサイ A A A A

      テサロニケ第一 A A A A

      テサロニケ第二 A A A A

      テモテ第一 A A A A

      テモテ第二 A A A A

      テトス A A A A

      フィレモン A A A A

      ヘブライ A A A DA

      ヤコブ A A A A

      ペテロ第一 A A A A

      ペテロ第二 A A A D

      ヨハネ第一 A A A A

      ヨハネ第二 A A A D

      ヨハネ第三 A A A D

      ユダ A A A D

      啓示 A DA D

      名前と場所

      フィラストリウス, ヒエロニムス, アウグスティヌス, カルタゴ第三会議,

      イタリア イタリア 北アフリカ 北アフリカ

      おおよその年代

      西暦 383 394 397 397

      マタイ A A A A

      マルコ A A A A

      ルカ A A A A

      ヨハネ A A A A

      使徒 A A A A

      ローマ A A A A

      コリント第一 A A A A

      コリント第二 A A A A

      ガラテア A A A A

      エフェソス A A A A

      フィリピ A A A A

      コロサイ A A A A

      テサロニケ第一 A A A A

      テサロニケ第二 A A A A

      テモテ第一 A A A A

      テモテ第二 A A A A

      テトス A A A A

      フィレモン A A A A

      ヘブライ DA DA A A

      ヤコブ A DA A A

      ペテロ第一 A A A A

      ペテロ第二 A DA A A

      ヨハネ第一 A A A A

      ヨハネ第二 A DA A A

      ヨハネ第三 A DA A A

      ユダ A DA A A

      啓示 DA DA A A

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