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キリストの再来聖書から論じる
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一方,ハルマゲドンの戦争の際,エホバの刑執行者として「人の子が力と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来る」ことについて述べているマタイ 24章30節では,エルコーメノンというギリシャ語が用いられています。中には,この二つのギリシャ語の両方に「来る」という訳語を当てている翻訳者もいますが,もっと注意深い翻訳者たちはこの二つの語の違いを示しています。
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キリストの再来聖書から論じる
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イエスが天に昇られたのと「同じ様で」来るということは何を意味していますか
使徒 1:9-11: 「彼ら[イエスの使徒たち]が見守る中で,イエスは挙げられ,雲に取り上げられて彼らから見えなくなった。そして,イエスが進んで行く間,彼らが空を見つめていると,さらに,見よ,白い衣を着た二人の人が彼らのそばに立って,こう言った。『ガリラヤの人たちよ,なぜ空を眺めて立っているのですか。あなた方のもとから空へ迎え上げられたこのイエスは,こうして,空に入って行くのをあなた方が見たのと同じ様で来られるでしょう』」。(ここでは同じ体ではなく,「同じ様」と言われていることに注目してください。イエスはどんな「様」で昇天なさいましたか。9節で示されているように,イエスは視界から消えてゆきましたが,イエスが去って行かれるのを見守ったのは弟子たちだけでした。一般の世の人々はその出来事に気づきませんでした。キリストの再来についても同じことが言えるでしょう。)
『雲に乗って来る』とか,『すべての目が彼を見る』という表現は何を意味していますか
啓示 1:7: 「見よ,彼は雲と共に来る。そして,すべての目は彼を見るであろう。彼を刺し通した者たちも見る。また,地のすべての部族は彼のゆえに悲嘆して身を打ちたたくであろう」。(マタイ 24:30; マルコ 13:26; ルカ 21:27も参照)
「雲」は何を示唆していますか。目に見えないことを示唆しています。飛行機が厚い雲の中や雲の上を飛んでいる場合,地上の人々にはエンジンのごう音は聞こえるかもしれませんが,その姿は見えないのが普通です。エホバは,モーセに,「わたしは暗い雲のうちにあってあなたに臨む」と言われました。モーセは神を見ませんでしたが,その雲はエホバの見えない臨在を示唆していました。(出エジプト 19:9。また,レビ記 16:2; 民数記 11:25も参照。)キリストが目に見える形で天に現われたとしても,「すべての目」がイエスを見るのでないことは明らかです。例えば,イエスがオーストラリアの上空に現われたとしたら,ヨーロッパやアフリカやアメリカでは見えないのではありませんか。
どのような意味で『すべての目が彼を見る』のでしょうか。人々は地上の出来事から,目に見えないイエスの臨在を認識するのです。また,ヨハネ 9章41節は肉眼の視覚とは別の視覚に関してこう述べています。「イエスは[パリサイ人たち]に言われた,『あなた方が盲目であったなら,あなた方には罪がなかったでしょう。しかしあなた方は今,「わたしたちは見える」と言います。あなた方の罪は残るのです』」。(ローマ 1:20と比較。)キリストの再来に続いて,ある人々は信仰を示し,キリストの臨在のしるしを認めます。他の人々はその証拠を認めようとしませんが,キリストが邪悪な者たちを滅ぼす神の刑執行者として行動を起こされる時には,そのような人々さえも,キリストの力の表明を見て,その滅びが人間からではなく,天からもたらされるものであることを悟るようになります。それらの人々は,事前に警告されていたので,何が起きているかが分かり,自分たちに襲いかかって来る事柄のゆえに,「悲嘆して身を打ちたたく」ことになります。
「彼を刺し通した者たち」とはだれのことですか。文字どおりには,イエスの処刑の時にローマ人の兵士たちがそのことをしました。しかし,彼らは死んで久しくなります。ですから,これは,「終わりの日」の期間にキリストの真の追随者を同様に虐待する,つまり『刺し通す』人たちのことを指しているに違いありません。―マタイ 25:40,45。
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キリストの再来聖書から論じる
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注目すべき点は,来ることと臨在(または,いること)との間に相違があるということです。したがって,人が来ること(到着あるいは帰還と関連がある)はある特定の時に起きますが,その人がいること(または臨在)はその後何年もの期間にわたる場合があります。聖書では,ギリシャ語のエルコーマイ(「来る」の意)という語はまた,イエスがその臨在の期間中の特定の時に重要な仕事,すなわち全能者なる神の大いなる日の戦争でエホバの刑執行者として行なう業にご自分の注意を向けることに関しても用いられています。
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