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    「平和の君」のもとで得られる世界的な安全
    • 5章

      「事物の体制の終結」に関する啓発

      1 「平和の君」は現在の「事物の体制の終結」に関し,どんなたとえ話の中で,注目に値するどんな婚礼について予告されましたか。

      「平和の君」は,「事物の体制の終結」に関してマタイ 24章38節で,『人々はめとったり嫁いだりして』いるであろうと言われました。しかし,その同じ期間に,婚礼の中の最大の婚礼が天で始まります。それは,十のともしびを携えた十人の処女に関するイエスの例えの中で言及されている婚礼のことです。―マタイ 24:3; 25:1-12。

      2 (イ)このたとえ話の婚礼は,一日のいつ行なわれますか。(ロ)結婚式に続いて何が行なわれますか。だれが灯火をともしますか。

      2 この婚礼の場面は中東で見られるものです。婚礼は夜遅く行なわれ,真夜中にまで及びます。まず,花婿と花嫁の結婚式が執り行なわれ,次いで婚宴の行なわれる家まで行列が進みますが,道は街灯で照らされていません。特別の行列に参加する人々が灯火をともし,見物人は行列が進んで行くのを見守りながら新郎新婦の幸せを祈ることができます。

      3,4 (イ)続いて行なわれる行列に,だれが関心を抱いていますか。何を用意していますか。(ロ)このたとえ話の成就は,どんな事柄を示す,もう一つの証拠ですか。(ハ)わたしたちは,何をしたら,幸福になれますか。

      3 処女たちは,女性特有の性向にたがわず,結婚式に関心を抱いています。ですから,十人の処女たちは婚礼の行列が自分たちの所に到着するまで,その進む道の傍らで待機します。彼女たちは行列が着いた時,その場を明るく照らしたいと願い,そのために全員火をともしたともしびを手に持っていますが,そのうちの五人だけが緊急の時のための灯油を用意しています。その五人は思慮深い処女たちです。今日,わたしたちはこのたとえ話の成就に関心を抱くべきです。というのは,イエス・キリストによれば,その成就は今がこの古い体制の終結の時であることをさらに確証しているからです。―マタイ 25:13。

      4 わたしたちは,もし思慮深くて,あらゆる婚礼の中で最も重要なこの婚礼とそれに付随する特色の成就を識別するなら,確かに幸福になれます! 今日,その宴にあずかることを許される恵まれた人々とはだれですか。わたしたちのうちのだれかがそのような人でしょうか。調べてみましょう!

      5 それらの処女を構成する人たちの間の相違を示すものとなったのは何でしたか。花婿が遅れていた間に何が起きましたか。

      5 イエスの話された,十人の処女の例えは,「天の王国」,つまり全人類を祝福する世界政府と関係があります。ですから,イエス・キリストはさらにこう言われました。「天の王国は,自分のともしびを持って花婿を迎えに出た十人の処女のようになります。そのうち五人は愚かで,五人は思慮深い者でした。愚かな者たちは自分のともしびを持ちましたが,油を携えていかず,一方,思慮深い者たちは,自分のともしびと共に,油を入れ物に入れて持って行きました。花婿が遅れている間に,彼女たちはみな頭を垂れて眠り込んでしまいました」― マタイ 25:1-5。

      6 (イ)十人の処女はだれを表わしていますか。(ロ)たとえ話の中ではなぜ花嫁のことが述べられていませんか。

      6 さて,それら十人の処女はだれのことを例示していますか。霊的な花婿イエス・キリストの花嫁の成員となる見込みのある人たちのことを例示していました。確かにこのような理由で,イエスの例えの中では花嫁のことが述べられておらず,ただ花婿だけが出てきます。ですから,処女たちがさらにほかの級の者を表わしているかのような混乱した説明をする余地はありません。

      7 どんな期間中,花嫁にとって花婿の来るのが遅れているように思えましたか。それはどうしてですか。

      7 花嫁級の成員となる見込みのある人たちが天の花婿と共になって結婚することは,それまで期待されていたように,1914年における「諸国民の定められた時」の終わりには起きませんでした。(ルカ 21:24)当然,それらの人々にとって,花婿の来るのがあたかも遅れたように思えました。しかし,天の王国における花婿の臨在は,確かに1914年にすでに起きていたのです。第一次世界大戦中の陰うつな年月は,処女級の経験の中で真っ暗やみの夜のようでした。

      8 (イ)比喩的に言って,処女たちは,どうして頭を垂れて眠り込んでしまいましたか。(ロ)花婿は何のために神殿に来ておられましたか。それは花嫁級にとってどうして重大な問題でしたか。

      8 比喩的に言って,処女たちは頭を垂れて眠り込んでしまいました。全人類を祝福するキリストの千年統治に関する良いたよりを公に宣べ伝える業は,事実上途絶えました。第一次世界大戦の最後の年から,それら比喩的な処女たちに対する重大な裁きの期間が始まりました。というのは,統治中の王イエス・キリストが,霊的な神殿に来られたからです。神殿に到着するや,キリストは,エホバ神のために神殿で奉仕を行なうよう任命された人たちを清めるために裁きを開始されました。(マラキ 3:1-3)それは,天の花婿であるキリストが現われて,当時すでに死んでいた花嫁級の是認された成員を天でご自分のもとに迎えるべき時だったのです。

      9 処女級が無活動状態から目覚めるべき時が来たのは,いつでしたか。それはどうしてですか。

      9 1919年,不当にも投獄されていた,ものみの塔聖書冊子協会の8人の著名な成員が釈放された後,なお地上に生存していた処女級が,無活動という眠りから覚めるべき時が来ました。世界的な啓発の業が前途に控えていました。それは,霊的な神殿に来ておられた花婿を,火をともしたともしびを携えて迎える時でした。それは,あらゆる国からの人々が,あたかも山々の頂の上に高められた「エホバの家」に流れて来るようになるためでした。―イザヤ 2:1-4。

      自分たちのともしびを整える

      10 思慮深い処女たちの入れ物からくみ出された油は,何を表わしていましたか。

      10 処女級の中の思慮深い者たちは,緊急の時のための灯油を入れ物に入れて携えていました。彼らはともしびに油を補充するために遅れたりはしませんでした。啓発をもたらすためのその液体燃料は,啓発を与えるエホバのみ言葉とその聖霊を表わしていました。では,思慮深い処女たちの入れ物からくみ出された油は,何を表わしていましたか。それは,書き記されたみ言葉に解明の光を投げかけるエホバの霊の蓄えを表わしていました。霊によって生み出された,花婿の弟子たちの油そそがれた残りの者は,「天の王国」に関し啓発を行なう世界的な業が大戦後開始されることになっていた時,その蓄えを自分自身の内に持っていました。

      11 油の入った象徴的な入れ物とは何でしたか。

      11 入れ物は,象徴的な啓発の油を持っている者としての比喩的な思慮深い処女たち自身を表わしていました。これは,処女級がその時に初めてエホバの霊で油そそがれたことを意味しているわけではありません。そうです,処女たちはエホバの霊で自分自身に油をそそぐのではなく,エホバがそうなさるのです!―イザヤ 61:1,2。ルカ 4:16-21。

      12 (イ)ヨエルのどんな預言が思慮深い処女たちの上に成就しようとしていましたか。(ロ)彼らがそのともしびによって啓発の光を輝かせる時は,いつ到来しましたか。

      12 思慮深い処女たちは,「天の王国」に関して啓発を行なう世界的な大規模な業が自分たちに割り当てられていることを支持するものとして,自分たちの上にヨエル 2章28,29節が成就するのを見るという恵みを得ました。使徒ペテロはその節をこのように引用しています。「神は言われる,『そして終わりの日に,わたしは自分の霊の幾らかをあらゆるたぐいの肉なる者の上に注ぎ出し,あなた方の息子や娘たちは預言し,あなた方の若者たちは幻を見,老人たちは夢を見るであろう』」。(使徒 2:17)それで,1919年以降,比喩的な処女級の思慮深い者たちは,光を照らす手だてである象徴的なともしび,すなわち自分自身を手に取りました。そして,依然,霊的な闇の中にいる人々すべてに啓発を分かち与えるためにそうしました。彼らは神のみ言葉と霊の影響を受けた生活をするゆえに,「世を照らす者」となるのです。(フィリピ 2:15)こうして花婿が,花嫁級の成員すべてを彼らが地上で死んだ後に天の王国で迎える用意をされた時,それら花嫁級の人々は花婿の足跡に従って行きました。―マタイ 5:14-16。

      霊的な愚かさのもたらす結果

      13 思慮深い処女たちは愚かな者たちの願いにどのように応じましたか。

      13 では,処女級の中の愚かな者たちについてはどうですか。イエスはさらにこう言われました。「愚かな者たちは思慮深い者たちに言いました,『あなた方の油を分けてください。わたしたちのともしびはいまにも消えそうですから』。思慮深い者たちはこう答えました。『わたしとあなた方に足りるほどはないかもしれません。むしろ,油を売る者たちのところに行って,自分のために買いなさい』」― マタイ 25:8,9。

      14 自分の油を分け与えようとしなかった処女たちは,どうして利己的だったのではなく,むしろ思慮深かったのでしょうか。

      14 愚かな者たちに分け与えようとしなかった人たちは,利己的だったのではなく,思慮深かっただけでした。花婿のために暗い周囲を明るくして上げたいという,他の人の幸せを願う当初の目的をあくまで果たそうとしていたのです。妥協して,霊的に愚かな者たちの願いをいれるために,自分たちが持ち合わせていたエホバの聖霊の量を減らすべき義務はありませんでした。それら愚かな者たちは,1919年に自分たちに差し伸べられた奉仕の特権を直ちに受け入れる用意ができていませんでした。

      15 (イ)平和な時期が始まった時,処女級の中のどんな人々が霊的な愚かさを示す傾向を表わしましたか。(ロ)思慮深い処女たちはどうして霊的に愚かな処女たちを助けることができませんでしたか。

      15 平和な時期が始まるにつれ,献身してバプテスマを受けた仲間であると唱えていた人々のうちの一部の人たちは,霊的な愚かさを示し始めました。ものみの塔協会の初代会長チャールズ・テイズ・ラッセルの死後,それらの人々は,新しい会長J・F・ラザフォードの監督する,エホバ神の見える機関と共に新事態に即応した精神を十分くみ取ろうとはしませんでした。彼らの心は確かに,物事が行なわれていた仕方と一致していませんでした。彼らは,エホバがご自分の民を扱っておられた仕方に対する正しい認識に欠けていることを表わしました。ですから,思慮深い処女たちのような人々は,遠ざけられてゆく一方のそれら愚かな者たちに,心からの真の協力の精神を吹き込むことはできませんでした。

      16 愚かな処女たちの霊的な愚かさはどのようにして表面化しましたか。

      16 ですから,霊的な愚かさは表面化しました。どのようにして表面化しましたか。それは,新しい事態が進展し,花婿が居合わせていることが示されて,霊的な啓発をすぐ必要としていた重大な時に,象徴的な油を持っていなかったためでした。ですから,それは比喩的に言って,ともしびをあかあかと十分にともして花婿を出迎えに出て行くべき時でした。ところが,ともしびが消えかけていた愚かな処女たちのような人々は,思慮深い者たちから別れて行きました。

      17 マタイ 25章10節で示されているように,愚かな処女たちで表わされている人たちは,どんな取り返しのつかない損失を被りますか。

      17 それら処女級の一人に数えられていると称する人が,霊的な花婿イエス・キリストを歓迎するという,二度と繰り返されることのない特権と機会を逸するなら,取り返しのつかない何という損失を被るのでしょう。現代の処女級の中の愚かな人たちは,そのような損失を被ります。それはイエスが例えの中でさらに次のように述べた言葉からも分かります。「彼女たちが買いに行っている間に花婿が到着し,用意のできていた処女たちは,婚宴のため彼と共に中に入りました。それから戸が閉められたのです」― マタイ 25:10。

      18 (イ)今世紀の愚かな処女たちは,どんな特権にあずかり損なっていますか。(ロ)愚かな人たちは遅れ過ぎて,婚礼の行列に加わって宴の部屋に入ることができないのは,どうしてでしょうか。

      18 現代の愚かな処女たちは,何という悲痛な経験をするのでしょう。それらの人たちは人類史上最も暗たんたるこの時期に,霊的な闇の中や,「全能者なる神の大いなる日の戦争」における死の陰に座している人々を啓発する業に加わっていません!(啓示 16:14)自分たちの道を照らすための比喩的なともしびには油が入っていないので,去って,真夜中の闇の中を進んで行かなければなりません。そのようなわけで,時をたがえずに楽しい行列の中の花婿の足跡に従い,戸口を通って,ともしびがあかあかと輝く婚宴の部屋に入ることはできません。天の王国で花婿と結ばれる見込みのある,その追随者としての身分の証明となるものを失いました。指定されていた時に,『用意ができて』いないのです。これは何という戒めの例なのでしょう。

      19 この問題をその結末まで論じてゆくと,どんな経験が待ち受けていますか。

      19 この悲痛な出来事は,特に「事物の体制の終結」の時期に生きているわたしたちのために,花婿イエス・キリストが話された例えの終わりの箇所で生々しく描写されています。それでは,この問題をさらに論じてゆくことにいたしましょう!次の章から分かるとおり,そうする人には,深い喜びを抱かせる啓発が待ち受けています。

  • 「事物の体制の終結」の期間中,見張っていなさい
    「平和の君」のもとで得られる世界的な安全
    • 6章

      「事物の体制の終結」の期間中,見張っていなさい

      1 わたしたちはどうしてずっと見張っていなければなりませんか。

      「事物の体制の終結」の時期はもう随分経過しましたが,命を救う啓発を与える業の終わる「その日もその時刻も」わたしたちには分かりません。ですから,イエスは,「それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,その日もその時刻も知らないからです」と言われました。―マタイ 24:3; 25:13。

      2 がっかりさせられるどんな経験はしないようにすべきですか。

      2 婚宴の催される場所に遅れて到着してみると,扉が閉まっていたとしたら,大変がっかりさせられることでしょう。ところが,それこそ自称クリスチャンの大多数が近い将来に遭遇するよう定められている事柄なのです。「平和の君」はそのことを次のように例証して言われました。「後に,残りの処女たちも来て,『だんな様,だんな様,開けてください』と言いました。彼は答えて言いました,『あなた方に真実を言いますが,わたしはあなた方を知りません』」― マタイ 25:11,12。

      3 (イ)1919年は何をする時となりましたか。(ロ)キリスト教世界の宗教家は必要な霊的な油を供給できましたか。

      3 1919年以来,エホバのみ言葉と聖霊という「油」の助けで,思慮深い者たちによる霊的な啓発を受けられるようになりましたが,愚かな者たちは,霊的な油を売っていると唱えるキリスト教世界の者たちからそれを買おうとしています。(マタイ 25:9)しかし,キリスト教世界の宗教家にはふさわしい油がありません。彼らは天の花婿としてのイエス・キリストの臨在を示す明かりを供給することはできませんでした。彼らは現在の「事物の体制の終結」の期間になされる啓発を与える業にはあずからずに,死んだら直ちに天に行って,キリストに会うことを期待しています。

      4 愚かな処女たちによって表わされていた人たちは,今日まで何を行なっていませんか。それはどうしてですか。

      4 一方,霊的な処女たちのように,「王国」に関して世界中で啓発を行なう戦後の業に携わるための聖霊と神のみ言葉という「油」の蓄えを持っていた人々がいました。(マタイ 24:14)イエスのたとえ話の中で愚かな処女として表わされている人たちは,国際的に重要なこの良い知らせに光を当てて啓発を行なう,その業にあずかってはいません。彼らは啓発を与える神のみ言葉と聖霊という「油」を持っていなかったので,霊的な神殿に臨んだ審判者である花婿は,彼らのその失態を見抜かれました。彼らは,時と業の両方を識別する点で思慮深かったクリスチャンの処女たちが1919年に直ちに開始した戦後の業を心から支持しようとはしませんでした。

      5 愚かな処女たちは,王なる花婿と結ばれるのに肝要などんな業の一端にあずかっていませんか。

      5 エホバの見える組織を支持していた人たちから別れた愚かな者たちは,全世界で王国の証言を行なう業にあずかりませんでした。彼らは最後には宗教的な啓発という「油」を得ましたが,それはふさわしい油ではありませんでした。それはふさわしい時におけるふさわしい出来事を照らす明かりを出すものではありませんでした。ですから,彼らは王国の音信や「わたしたちの神の側の復しゅうの日」を宣べ伝えていません。(イザヤ 61:1-3)彼らは処女級の油そそがれた残りの者のように,王なる花婿を歓呼して迎えていません。

      真夜中のともしびの効果

      6,7 (イ)1930年代の半ばに,花嫁級の成員数を満たす十分の人数の処女がいたことを示唆する,どんな事が起きましたか。(ロ)今や集められなければならない,どんな級の人々に注意が向けられましたか。

      6 1930年代の半ばに,ある重要な事が起きました。それは,キリストの霊的な花嫁の成員の数が満たされたこと,つまり天の花嫁の全成員を構成する,霊によって生み出された,花婿の十分の人数の弟子たちが地上にいることを示唆する事柄でした。

      7 1935年の当時,イエスの羊のような弟子たちのもう一つの級に注意が向けられるようになりました。それこそ第一次世界大戦中に一般の人々の注意が向けられた級でした。「現存する万民は決して死することなし」と題する講演が,好奇心を抱きながらも,多くの疑問を持っていたと思われる聴衆を前にして行なわれたのは,1918年2月24日のことでした。米国ワシントン特別区で開かれたエホバの証人の1935年の大会では,キリストの「ほかの羊」のそれら何百万もの人々を「一人の羊飼い」であるイエス・キリストのもとにある一致した「群れ」に集めることに関する明確な事柄が紹介されました。(ヨハネ 10:16)啓示 7章9節から17節で予告されていた,「ほかの羊」のこの区分の人々の実体が指摘されたのです。

      8 思慮深い処女たちは,1935年に,それまで予想しなかったどんな責務を負うことになりましたか。

      8 「小さな群れ」の残りの者は今や,「ほかの羊」のこの「大群衆」を集める業を開始する責務を負うようになりました。(ルカ 12:32)というのは,イエスの花嫁の成員をそろえるのに必要な思慮深い処女の人数は今や満たされたからです。しかし,それら処女たちは直ちに天に取られたのではありません。それらの人たちはこれから,自分たちの神エホバの忠実を保つ証人として地上での歩みを終える時,天の宴の間に迎え入れられるのです。彼らは啓発を与える業を1935年まで忠実に行なったので,1930年代の半ば以前は決して予想もしなかった格別の特権にあずかるよう招かれました。

      9 思慮深い処女級の残っている者たちの人数は,今日,どれほどに変わりましたか。

      9 1935年以来,半世紀余りの年月がたつ間に,処女級の思慮深い者たちの人数は減少しました。一方,証言の業は世界的な規模の拡大を遂げ,実際,200以上の異なった土地を包含するようになりました。今日,処女級の人数は9,000人ほどに減少しました。

      光を掲げる者たちの有用な仲間

      10 業の膨大さからすれば,思慮深い処女たちの残りの者は,働き人の必要にこたえ応じることができるでしょうか。

      10 比喩的な処女級の油そそがれた残りの者の姿は,世界中のエホバの証人の4万9,000余りの会衆と交わる300万人以上の王国伝道者のために,ほとんど見えない程になりました。ごく少数の油そそがれた残りの者は,それら幾万もの会衆のある,200以上の土地の証言の業を,一体どのようにして世話することができるでしょうか。それはできません。

      11 (イ)「忠実で思慮深い奴隷」の実体が明らかにされた結果,処女であると称する人たちの中で何が生じましたか。(ロ)十分の霊的な明かりがないために,「よこしまな奴隷」級の人たちは何を見分けることができませんか。

      11 もちろん,それら残りの者は確かに聖書的な意味では,「忠実で思慮深い奴隷」という,予告された立場で仕えています。主人である花婿は裁きを行なうために神殿に来た時,その奴隷が忠実に仕えていることを知りました。その時,比喩的な処女級の中の思慮深い処女たちと愚かな処女たちとの分離が生じ始めました。「そのよこしまな奴隷」級とみなされる人たちは自分たちの入れ物の中に,ともしびをともすための,啓発を与える神のみ言葉と聖霊という油を持っていません。ですから,彼らは,すでに1935年以来,「一つの群れ」の一部として集められている「ほかの羊」の「大群衆」を見分けるに足る十分の霊的な明かりを持っていませんでした。―マタイ 24:45-51。

      12 だれが花嫁級の残りの者の不可分の仲間になりましたか。

      12 第二次世界大戦以来,「事物の体制の終結」に関するイエスの預言の成就は,おおかた,「ほかの羊」の「大群衆」が果たす役割に依存しています。残りの者の火のともされたともしびの明かりはそれら「大群衆」の心の目を照らし,この世の闇の中になおとどまっている他の人々に光を反射するよう「大群衆」を助けてきました。(エフェソス 1:18と比較してください。)王なる花婿と全成員のそろった花嫁級との結婚の日が近づくにつれて,それら「大群衆」は王なる花婿の臨在を悟るよう,この地の何百万もの住民を助けてきました。それらの人々は,花嫁級の残りの者の不可分の仲間となっています。

      13,14 (イ)啓示 7章9,10節には,残りの者の仲間に関する,どんな喜ばしい状態が比喩的に述べられていますか。(ロ)その預言の説明が行なわれた直後,どんな反応がありましたか。

      13 1935年以来,花嫁級の残りの者のそれらの仲間の受ける分は,喜ばしいものでした。彼らは,残りの者がすでにあずかっている,すばらしい特権だけでなく,自分たちも花嫁級の残りの者に導かれてあずかっている祝福された特権に関して大いに喜んでいます。

      14 エホバの民は1935年に米国ワシントン特別区で開かれた大会で,あるすばらしい聖句を理解できるようになりました。その句は,油そそがれた者の仲間の「大群衆」の喜ばしい状態を予告していました。ご覧なさい。それらの人々はその大会で,「白くて長い衣を着て,[エホバ神の]み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった」のです! 彼らが一般の人々すべてに聞こえるように,「救いは,み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とによります」と,大声で叫んでいるのを聴いてください!(啓示 7:9,10)それらの人々はすでに「世の罪を取り去る,神の子羊」に対する信仰を働かせ,その方を通してエホバ神に献身し,その献身の象徴としてバプテスマを受けました。(ヨハネ 1:29)それで,1935年5月31日,金曜日に,啓示 7章9節から17節の説明を聞いた後,それら840人の人々はその日にバプテスマを受けました。

      15 その時以来,どれほどの人々がバプテスマを受けてきましたか。彼らは啓示 7章14-17節でどのように描写されていますか。

      15 1935年のそのワシントン大会以来,300万人以上の人々が同様のことをしてきました。こうして,それらの人々は罪を清める子羊の血で長い衣を洗ったので,白くて長い衣を着た姿で描かれています。そして彼らには,人類の世全体が前途に控えている大患難に際して神の保護を受け,無事にそれを切り抜けて出て来る見込みがあります。(マタイ 24:21,22)ですから,彼らはエホバの霊的な神殿にいて,そこで処女級の残りの者と共に神を崇拝している者として劇的な手法で表現されています。―啓示 7:14-17。

      16 それで,マタイ 24章14節の成就に関連して,だれが演じている役割は本当に感謝されていますか。

      16 ですから,マタイ 24章14節の花婿の預言を成就する点で,圧倒的な役割を演じている,多国語を用いるこの国際的な「大群衆」に本当に感謝いたします!

      「それから戸が閉められたのです」

      17 (イ)婚宴の間の戸はいつ閉じられますか。(ロ)処女級の残りの者とその仲間の「大群衆」は今,何をしなければなりませんか。

      17 処女級の残りの者が正確にいつ婚礼の宴の間に入って,それから戸が閉められるのかは分かりません。しかし,それがかつてないほど近づいていることは疑問の余地がありませんし,時はまさに尽きようとしています! ですから,イエスが処女たちのたとえ話を,「それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,その日もその時刻も知らないからです」という警告の言葉で結ばれたのも,もっともなことです。―マタイ 25:13。

      18 (イ)愚かな処女たちは今や,だれと同じ者であることを示していますか。(ロ)彼らはイエスのたとえ話のどんな事柄をまもなく経験するはずですか。

      18 そのようなわけで,愚かな処女たちは不意を突かれることになります。それらの人々は思慮深い処女たちから別れたため,滅びに定められたこの世の一部となり,外の深まる世界的な闇の中にいる他のすべての宗教家と同類の者であることを示しています。ですから,彼らは,花婿イエス・キリストがたとえ話の中で次のように描かれた事柄を経験するように定められています。「後に,残りの処女たちも来て,『だんな様,だんな様,開けてください』と言いました。彼は答えて言いました,『あなた方に真実を言いますが,わたしはあなた方を知りません』」 ― マタイ 25:10-12。

      19 ですから,愚かな処女たちはだれを表わしていますか。彼らはどうして自分たちが大いなるバビロンと同類の者であることを示していますか。

      19 ですから,宴の間に通ずる戸は,それら愚かな処女たちには開かれません。それら処女たちは,「事物の体制の終結」の期間中に「天の王国」に入れない人たちのことをよく表わしていました。(マタイ 24:3; 25:1)ほかの油を買うために市場に行くことにより示唆されているとおり,彼らは自ら選んだ形態の宗教にしがみついているゆえに,大いなるバビロンと同類の者であることを示しています。

      20 (イ)「野獣」の「十本の角」が大いなるバビロンに襲いかかるのを見る時,愚かな処女たちは,どんな主張に基づいて,だれに訴えますか。(ロ)それにもかかわらず,彼らはなぜ滅びを被るのでしょうか。

      20 したがって,宗教上の娼婦が乗る,象徴的な「野獣」がその十本の角をもって娼婦に襲いかかる時,それらの人々はその娼婦と運命を共にしなければならなくなります。(啓示 17:16)五人の愚かな処女たちで表わされている,それら宗教家たちは,政治上の分子の強力な勢力によってバビロン的な宗教がそのようにして退けられるようになるのを見ると,王なる花婿に向かって,自分たちは「天の王国」に入る者で,思慮深い処女たちと共に霊的な婚宴に招じ入れてもらうに値する者であると主張します。しかし驚くべきことに,彼らが「だんな様」と呼びかける花婿イエス・キリストは,彼らを天の王国に入るのを許されるに値する者であると認めようとはなさらないでしょう。それに彼らは,地上でとこしえの命を受ける何らかの希望を「大群衆」と共にしてきませんでした。それら愚かな宗教家たちは,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンと共に滅びる以外,どうすることもできません!

      21 (イ)その恐るべき見通しを考えて,思慮深い処女たちとその仲間は,どんな道を進みますか。(ロ)「大群衆」の成員はどんな奉仕の特権を享受することを望んでいますか。

      21 それら宗教家たちにとって,それは何と恐るべき見通しでしょう。このことに気づいている,残りの者とその大勢の仲間は,「ずっと見張っていなさい」というイエスの忠告に絶えず留意してゆきます。これらの人々は常に神の聖霊で満たされ,エホバ神とイエス・キリストに栄光をもたらすため恐れることなく光を輝かせます。その報いとして,彼らの保証された分となるのは,喜びです! また,結婚する花婿である王によって任命される「新しい地」における君としての立場が,「大群衆」の成員を待ち受けています。―イザヤ 32:1。詩編 45:16と比較してください。

      22 (イ)この処女のたとえ話の成就は,どんな事実を確証するものとなりますか。(ロ)花婿なる王とその処女のこの結婚をだれが喜びますか。

      22 それで,十人の処女のたとえ話が長期間にわたって成就してきたことは,わたしたちが「事物の体制の終結」の時期に生活していることを確証するものとなります。わたしたちは,イエス・キリストと全成員のそろった花嫁級との結婚が近いことを示す,この証拠に注目するよう啓発されたことを何と深く感謝できるのでしょう。天と,義の宿る「新しい地」とは共に,天におけるこの結婚に対して言い知れぬ深い喜びを抱くことでしょう。―啓示 19:6-9。

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