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割礼聖書に対する洞察,第1巻
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神は心の割礼を,すでに肉において割礼を受けていたイスラエル人にさえ要求しておられました。モーセはイスラエル人にこう告げました。「あなた方は自分の心の包皮に割礼を施し,これ以上うなじを固くしてはならない」。「あなたの神エホバは,あなたの心とあなたの子孫の心に割礼を施されることになる。あなたが,自分の命のために,心をつくし魂をつくしてあなたの神エホバを愛するようになるためである」。(申 10:16; 30:6)エレミヤは強情な当時の同国民に同じことを思い起こさせました。(エレ 4:4)『心の割礼』とは,自分の思い,愛情,動機の中にある,エホバの目に喜ばれない,汚れたもの,また心を無反応にするものをすべて取り除くことを意味します。同様に,敏感でない,つまり反応のない耳は『割礼を受けていない』と表現されています。―エレ 6:10; 使徒 7:51。
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割礼聖書に対する洞察,第1巻
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クリスチャンには要求されていない エホバが異邦人をクリスチャン会衆の中に受け入れることを示された後,諸国民の中から多くの人々が良いたよりの伝道にこたえ応じていたため,異邦人のクリスチャンは肉において割礼を受けなければならないか,という質問に関する決定がエルサレムの統治体によって下されなければなりませんでした。その結論は,異邦人とユダヤ人双方に「必要な事柄」の中に割礼は含まれない,というものでした。―使徒 15:6-29。
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