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あなたはエホバのもとに避難しますかものみの塔(研究用)2017 | 11月
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12. 神の憐れみを受け続けるため,何を犠牲にする必要がありますか。
12 神の憐れみを受け続けるために,何を犠牲にする必要がありますか。たとえ愛着を感じることでも,それが罪につながりかねないなら,避ける必要があります。(マタ 18:8,9)例えば,神に喜ばれないことをさせようとする友達がいるなら,付き合いをやめますか。飲酒の面で節度を保とうと努力しているなら,つい飲みすぎてしまう状況に身を置かないようにしますか。不道徳な欲望と闘っているなら,汚れた考えを引き起こす映画やウェブサイトなどを避けますか。神への忠誠を保つためにどんな犠牲を払うとしても,その犠牲には価値があります。もし罪を犯して,「エホバに見捨てられた」と感じるとしたら,それ以上につらいことはないでしょう。他方,エホバの「忠節な愛」をいつまでも感じられるとしたら,それ以上に幸せなことはありません。(イザ 54:7,8,脚注)
「それはあなた方のため……避難所となる」
13. 避難都市に入った人が安全で幸せな生活を送れたのはなぜですか。
13 避難都市にいれば安全でした。エホバも「それはあなた方のため……避難所となる」と述べておられます。(ヨシュ 20:2,3)神は,避難都市に入った人が同じ件で再び裁かれることを求めたりされませんでした。血の復しゅう者が避難都市に入って,その人を殺すことも許されていませんでした。避難した人は報復を恐れる必要はなかったのです。都市にいる間は神の保護を受け,安全でした。そこは刑務所ではありませんでした。平穏な環境で仕事をし,他の人を助け,エホバに仕えることができました。充実した幸せな生活を送れたのです。
エホバが許してくださることを確信してください。(14-16節を参照。)
14. 悔い改めたクリスチャンはどんなことを確信できますか。
14 重大な罪を犯したクリスチャンの中には,悔い改めた後も罪悪感に苦しむ人がいます。エホバから永遠に罪で汚れた者と見られるのではないか,と思う人もいます。でも,エホバから許していただいたなら,もう心配する必要はありません。先ほどのダニエルも,長老たちの援助を受けて清い良心を取り戻しました。こう述べています。「これでやっと息ができる,と思いました。問題がきちんと扱われた後は,罪悪感から解放されました。もうくよくよ考える必要はないのです。エホバは約束どおり,罪という重荷を取り去り,遠くに追いやってくださいます。もう苦しむ必要はありません」。避難都市に入った人は,血の復しゅう者を恐れる必要はありませんでした。わたしたちも,エホバからひとたび罪を許していただいたなら,心配する必要はありません。神はその件を再び持ち出したり,その罪のゆえに処罰したりはされないからです。(詩編 103:8-12を読む。)
15,16. イエスが贖い主また大祭司であることを考えると,神の憐れみに対する確信が強まります。なぜですか。
15 わたしたちには,エホバの憐れみをイスラエル人よりも強く確信できる根拠があります。パウロは神に完全に従えない惨めさを嘆いた後,こう述べました。「わたしたちの主イエス・キリストを通してただ神に感謝すべきです!」(ロマ 7:25)パウロは罪と闘っていました。悔い改めたとはいえ,過去に悪行も犯しました。しかし,神がイエスを通して許してくださることを確信していました。わたしたちは贖い主であるイエスのおかげで,清い良心を持ち,平安な思いを保てます。(ヘブ 9:13,14)大祭司イエスは「自分を通して神に近づく者たちを完全に救うこともできます。常に生きておられて彼らのために願い出てくださるからです」。(ヘブ 7:24,25)イスラエル人は大祭司の奉仕によって罪が許されることを確信できました。そうであれば,わたしたちは大祭司イエスの奉仕によって罪が許されることを一層強く確信できるはずです。「時にかなった助けとして憐れみを得,また過分のご親切を見いだす」ことができるのです。(ヘブ 4:15,16)
16 エホバのもとに避難するには,イエスの犠牲に信仰を働かせる必要があります。贖いが全人類に益をもたらすだけでなく,あなたに益をもたらすという信仰を持ってください。(ガラ 2:20,21)贖いに基づいてあなたの罪が許されるという信仰を持つのです。贖いによってあなたが永遠に生きる機会が開かれたという信仰を持ってください。イエスの犠牲はエホバからあなたへの贈り物なのです。
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