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第7部 ― 1960-1969 1960年代 ― 騒然たる抗議の時代目ざめよ! 1987 | 6月8日
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1914年以降の世界
第7部 ― 1960-1969 1960年代 ― 騒然たる抗議の時代
その飛行機は墜落し,それと共に,冷たい戦争に伴う緊張が間もなく緩和されるという希望もすべて潰えました。墜落したのは米国のU2型偵察機で,1960年5月1日にソ連上空で撃墜されたのです。
ソ連の指導者ニキータ・フルシチョフは謝罪を要求し,そのような偵察飛行をやめるよう米国に求めましたが,アイゼンハワー大統領の回答に満足できなかったフルシチョフは,5月16日からパリで開かれる予定であった東西首脳会談への出席を拒んで抗議しました。
このように1960年代は前途多難なスタートを切りました。しかしこれは,反抗の精神と,人々がほとんど何事にも同意できない傾向とを特色とする一つの時代を象徴する出来事にすぎませんでした。
平和でありながら3種類の戦争
冷たい戦争は相変わらず猛威を振るっていました。その後に生じた出来事もそうした状態を継続させる原因となりました。1961年8月にソ連はベルリンの壁を築いて同市内のソ連占領地区を西側の占領地区から切り離しました。1年後にソ連は自国のミサイルをキューバに配備する計画を立てましたが,米国海軍の“検疫政策”つまり封鎖に遭ってその計画は挫折しました。チェコスロバキアの学生暴動は新政府樹立の機運を高めました。しかし,1968年には,政府改革でいわゆるプラハの春が盛夏に変わるのを恐れたソ連がこれに介入しました。
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第7部 ― 1960-1969 1960年代 ― 騒然たる抗議の時代目ざめよ! 1987 | 6月8日
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1946年にはインドシナでフランスの植民地勢力に反対する独立戦争が起きましたが,ベトナムはそのインドシナの一部でした。8年後には休戦協定が結ばれ,国の再統一を図る投票が行なえるようになるまでの暫定的な取り決めとして,ベトナムは二つに分断されることになり,一方は共産主義者,他方は非共産主義者の支配下に置かれました。いつしか超大国は,ドイツや朝鮮半島の場合と同様,政治上の便宜的な国境を隔てて行なわれる冷たい戦争に関係するようになりました。b
冷たい戦争による緊張はついに爆発して公然たるベトナム戦争となりました。
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