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    1990 エホバの証人の年鑑
    • ボゴタ会衆での王国の業を世話するため,地元の兄弟であるポルフィリオ・カイセドが会衆の監督に任命されました。彼は腕の立つ大工で,鋳物の型を製作していました。1950年に真理を知ったポルフィリオは,持ち前の進取の気象を発揮し,多くの育ち盛りの子供たちを「エホバの懲らしめと精神の規整とをもって」育てました。―エフェソス 6:4。

      ポルフィリオの次男,ラウルは,1960年代の初めに高校を出るとすぐに開拓奉仕を始めました。そして,自分の奉仕の務めに真剣に取り組み,巡回および地域の奉仕を行なった後,ギレアデ学校に出席しました。やがて宣教者としてコロンビアに戻ったラウルは,最後に支部委員会の一員となる割り当てを受けました。ラウル・カイセドはガンのため1981年に38歳で亡くなり,皆が悲しい一日を経験しました。彼の父親であるポルフィリオはその2年後に亡くなりました。

      ポルフィリオ・カイセドとその大家族に関する忠実の記録は今日も続いています。b 残っている17人の子供たちはみな献身した,活発な証人です。そして約50人いる孫のうち,20人はバプテスマを受け,ほかの年下の孫たちも真理のうちに育っています。

  • コロンビア
    1990 エホバの証人の年鑑
    • b ポルフィリオ・カイセドの家族に関する経験談については,「ものみの塔」誌,1977年7月15日号,440-444ページをご覧ください。

  • コロンビア
    1990 エホバの証人の年鑑
    • 献身した18人の子供を持つ父親,ポルフィリオ・カイセド。息子のラウルはギレアデ卒業生で,1981年に亡くなるまで支部委員会の一員だった

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