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公にも家から家にも宣べ伝えるエホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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熱心な聖書文書頒布者が率先する
その奉仕にかなりの時間を費やせる献身した男女に対する呼びかけが最初に行なわれたのは,1881年4月のことでした。彼らは家の人や商店の人に,聖書の真理を説明した小さな本と,「ものみの塔」誌の予約を勧めました。その目的は,真理に飢えている人々を捜し出し,啓発的な教えを分かつことでした。しばらくの間,彼らは関心を高める程度のことを言い,家の人に調べてもらうために文書の入った包みを各家庭に残してから,数日後に再び訪問するという方法を試みていました。文書を返す家の人もいましたが,買い取ることを望む人もいました。大抵は会話する機会がありました。「ものみの塔」誌は彼らの目的について,「それは文書の包みを売ることや予約を取ることではなく,人々に読んでもらうことによって真理を広めることである」と述べました。
この聖書文書頒布者<コルポーター>による福音宣明に参加した人は比較的少数でした。最初の30年間の数は,数人から600人ぐらいの間を変動していました。この聖書文書頒布者<コルポーター>たちは,新しい区域を切り開くという文字通りの意味での開拓者でした。アンナ・アンデルセンは,ほとんど自転車で旅行しながら,何十年もたゆまずその奉仕を行なった女性です。彼女は自分でノルウェーのほぼすべての町に良いたよりを伝えました。外国に出かけて行った聖書文書頒布者<コルポーター>もいます。フィンランド,バルバドス,エルサルバドル,グアテマラ,ホンジュラス,ビルマ(現在のミャンマー)などの国に最初に音信を伝えたのは,そういう聖書文書頒布者<コルポーター>たちでした。ほかの地域に自由に出かけて行けなくても,地元の区域で聖書文書頒布者<コルポーター>として福音宣明を行なった人たちもいます。
聖書文書頒布者<コルポーター>は非常に優れた働きをしました。米国西海岸で奉仕していた人が1898年に書いた手紙によると,その人はそれまでの33か月間で,1万2,800㌔を馬車で旅行し,72の町で証言し,1万8,000回の訪問を行ない,4,500冊の本を配布し,125件の予約を取り,4万枚のパンフレットを配りました。またこの人は,40人の人が音信を受け入れただけでなくそれを他の人に伝え始めるのを見ました。さらに,オーストラリアで一緒に奉仕していた夫婦は,わずか2年半の間に関心のある人に2万冊の本を配布することができました。
非常に多くの出版物が配布できるのは,いつものことというよりは例外的なことだったのでしょうか。1909年の報告によれば,625人ほどの聖書文書頒布者<コルポーター>(当時名簿に載っていた全員)は,大量の無償の文書のほかに,一般配布用の62万6,981冊の書籍(聖書文書頒布者<コルポーター>一人当たり平均1,000冊余り)を協会から受け取りました。大抵は十分の量の本を家から家に持って行くことができなかったため,注文を取ってから,あとで届けに戻りました。
とはいえ,「そんなものは伝道ではない」と反論する人がいるかもしれません。しかし実際のところ,それはラッセル兄弟が説明したように,極めて効果的な伝道でした。人々はたった一つの訓話を聞く代わりに,印刷物の形で多くの訓話を受け取っていました。ですから,何度も読み返すことや,内容を自分の聖書と照らし合わせることができました。これは,一般教育のおかげで人々が本を読めるという事実を考慮に入れた福音宣明です。「新しい創造物」という本は次の点を指摘しています。「その福音宣明者たちが昔ながらの方法ではなく,現代的な方法を用いて働いているという事実は,この活動に対する反論とはならない。それは,彼らが徒歩で,あるいはラクダに乗って旅行する代わりに,汽車や電車で旅行しているという事実がそのような反論にならないのと同じである。福音宣明は,真理……つまり神の言葉を提示することによって行なわれる」。
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公にも家から家にも宣べ伝えるエホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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[558ページの図版]
福音宣明を行なう聖書文書頒布者は聖書について説明する本を配布した
[559ページの図版]
アンナ・アンデルセンは聖書文書を持ってノルウェーのほとんどすべての町に出かけて行った
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