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公にも家から家にも宣べ伝えるエホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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聖書研究者たちが人々を助けることに純粋な関心を払っていたことは,やがて彼らの伝道活動の特色となった徹底的な取り組み方に現われていました。「ものみの塔」誌(英文),1917年3月1日号は,その計画の概略を次のように説明しています。まず聖書文書頒布者<コルポーター>が地域の家庭を訪問して「聖書研究」を何巻か勧める。それから,聖書文書頒布者<コルポーター>が名前を書き留めた人々や公開集会で名前を残していった人々を継続的に援助するために,牧羊の働き人が訪問する。a 彼らは文書を読みたいという気持ちを高めるよう努力し,特別に取り決めた講演会に来るよう関心のある人々に勧め,ベレア人聖書研究クラスを作るよう努める。できるなら,聖書文書頒布者<コルポーター>はもう一度同じ地域を回る。それから牧羊の働き人が,関心を示した人々と引き続き連絡を取るために援助を継続する。その後,クラスの他の働き人が,自発奉仕文書(彼らは自分たちが勧めていたパンフレットや他の無償の文書をそう呼んでいた)を持って同じ家庭を訪問する。こうしてすべての人が,神の目的についてもっと学びたいという気持ちを高めてくれるものを何かしら受け取ることができました。
一人か二人の聖書文書頒布者<コルポーター>だけが奉仕していて,会衆がまだなかった地域では,聖書文書頒布者<コルポーター>が自分たちで継続的な援助を行なうことがよくありました。例えば,ヘルマン・ヘルケンデルとそのパートナーは,1908年に聖書文書頒布者<コルポーター>としてドイツのビーレフェルトに行った時,地元の関心のある人々を互いに引き合わせて,会衆を作るようにという特別な指示を受けました。数年後に「ものみの塔」誌は,他の聖書文書頒布者<コルポーター>たちのことに触れました。彼らは,奉仕を行なったすべての町や市で聖書研究者のクラスを設立するほど,関心のある人々に個人的な配慮を示していました。
この活動のための貴重な助けが,1921年に(英文の)「神の立琴」という本の形で備えられました。特に学びはじめたばかりの人のために書かれたこの本は,最終的に22の言語で581万9,037冊配布されました。協会はその本を入手した人々を援助するために,項目ごとに行なう聖書研究の通信講座を設けました。これは,12週にわたって送られる12の質問集で成り立っていました。また,この本を使って関心のある人々の家庭で行なう聖書のグループ討議の取り決めも設けました。普通,聖書研究者が何人かそのような研究に参加しました。
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公にも家から家にも宣べ伝えるエホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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a 牧羊の業はまず1915年から1916年にかけて,ラッセル兄弟をパスターに選出していた500ほどの会衆で計画されました。ラッセル兄弟はパスターとして,その業の概略を説明した手紙をそれらの会衆に送りました。その牧羊の業は当初,姉妹たちだけに限られていましたが,翌年には兄弟たちもその活動に加わることになりました。この牧羊の業は選抜グループによって行なわれ,1921年まで続けられました。
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