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「すべての慰めの神」エホバに依り頼むものみの塔 2011 | 10月15日
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「すべての慰めの神」エホバに依り頼む
「わたしたちの主イエス・キリストの神また父,優しい憐れみの父またすべての慰めの神がほめたたえられますように」。―コリ二 1:3。
1. 人は年齢にかかわりなく何を必要としていますか。
人は生まれた時から,安らぎや慰めを必要とします。赤ちゃんは,抱き上げてもらいたい時や,おなかがすいている時,泣いて知らせます。大人にもしばしば慰めが必要です。困難に直面した時は特にそうです。
2. エホバは,ご自分に依り頼む人を慰めることをどのように保証しておられますか。
2 家族や友人は幾らかの慰めを与えてくれるものです。でも時に,人では十分にいやせないような苦難に遭うことがあります。どんなに苦しい状況でも慰めることができるのは,神だけです。神の言葉はこう保証しています。『エホバは,ご自分を呼び求めるすべての者の近くにおられます。助けを求めるその叫びを聞いてくださいます』。(詩 145:18,19)「エホバの目は義なる者たちに向けられ,その耳は助けを求める彼らの叫びに向けられる」のです。(詩 34:15)とはいえ,神からの支えと慰めを得るには,神に依り頼まなければなりません。詩編作者ダビデはこう述べています。「エホバは打ちひしがれた者の堅固な高台となり,苦難の時の堅固な高台となってくださる。そして,あなたのみ名を知る者たちはあなたに依り頼みます。エホバよ,あなたはご自分を捜し求める者たちを決して捨てられないからです」。―詩 9:9,10。
3. イエスは,エホバがご自分の民を愛しておられることをどのように説明しましたか。
3 エホバはご自分を崇拝する人たちを大切に思っておられます。イエスがこう述べているとおりです。「すずめ五羽はわずかな価の硬貨二つで売っているではありませんか。それでも,その一羽といえども神のみ前で忘れられることはありません。ところが,あなた方の髪の毛までがすべて数えられているのです。恐れることはありません。あなた方はたくさんのすずめより価値があるのです」。(ルカ 12:6,7)預言者エレミヤを通して,エホバは古代のご自分の民にこうお告げになりました。「わたしは定めのない時に至る愛をもってあなたを愛した。それゆえに,わたしは愛ある親切をもってあなたを引き寄せたのである」。―エレ 31:3。
4. エホバの約束に信頼を置くことができるのはなぜですか。
4 エホバに依り頼み,エホバの約束の成就を確信するなら,苦難の時にも慰めを得られます。ですから,次のように述べたヨシュアと同じ信頼を抱くべきです。「あなた方の神エホバの話されたすべての良い言葉は,その一言といえ果たされなかったものはありません。それはあなた方にとってすべてそのとおりになりました。その一言といえ果たされなかったものはありません」。(ヨシュ 23:14)また,たとえ試練のために一時的に打ちひしがれても,「神は忠実であられ」,忠節な僕を見捨てたりはされない,ということを確信できます。―コリント第一 10:13を読む。
5. わたしたちが他の人を慰めることができるのはなぜですか。
5 使徒パウロは,エホバを「すべての慰めの神」と呼んでいます。「慰める」とは,苦難にある人や悲しんでいる人をなだめることを意味します。苦痛や悲しみを和らげ,安らぎを与えることによってそうできます。エホバは確かにそうなさる方です。(コリント第二 1:3,4を読む。)天の父は何にも妨げられることがないので,ご自分を愛する人たちを慰めるために,あらゆる手段を用いることができます。それで,わたしたちが「神によって自ら慰められているその慰めをもって」,「どんな患難にある」仲間をも慰めることができるようになさいます。エホバはまさに,悲嘆する人たちを慰める比類のない力をお持ちです。
苦難に対処する
6. 苦難となるどんな状況がありますか。
6 わたしたちは生活のいろいろな面で慰めを必要とします。悲しみの大きな原因の一つは,愛する人の死,特に最愛の配偶者や子どもの死です。差別や偏見を受けた人にも慰めは必要と言えます。病気,老化,貧困,夫婦間の問題,不穏な世界情勢などのために慰めが必要なこともあります。
7. (イ)苦難の時にはどんな慰めが必要ですか。(ロ)エホバは,「砕かれ,打ちひしがれた」心をいやすために何をしてくださいますか。
7 苦難の時には,心,思い,感情,身体的な健康,霊的な健康をいやす慰めを必要とするものです。心について考えてみましょう。神の言葉にもあるとおり,心は『砕かれ,打ちひしがれる』ことがあります。(詩 51:17)エホバはそのような時でも助けることができます。「心の打ち砕かれた者をいやし,その痛む所を包んでくださる」のです。(詩 147:3)厳しい状況でも,全き信仰を抱いて祈り,神のおきてを守るなら,神は打ちひしがれた心をいやしてくださいます。―ヨハネ第一 3:19-22; 5:14,15を読む。
8. 精神的に苦しんでいる時,エホバはどのように助けてくださいますか。
8 思いにも,しばしば慰めが必要です。様々な試練により,大きな精神的苦痛を味わうことがあるからです。そうした信仰の試みは,自分の力では乗り越えられないでしょう。とはいえ,詩編作者はこう述べています。「不安の念を起こさせるわたしの考えがわたしの内で多くなったとき,あなたの慰めがわたしの魂をいとおしむようになりました」。(詩 94:19)パウロもこう書いています。「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」。(フィリ 4:6,7)聖書を読んで黙想することは,精神的苦痛に対処するうえで大きな助けとなります。―テモ二 3:15-17。
9. 消極的な感情にどのように対処できますか。
9 時折,落胆するあまり,消極的な感情に押しつぶされそうになることがあります。例えば,何らかの聖書的な責任や奉仕の特権を果たせないと感じるかもしれません。その場合も,エホバは慰め,助けてくださいます。ヨシュアがイスラエル人を率いて敵の強大な諸国民に立ち向かう任務を与えられた時,モーセは民にこう告げました。「勇気を出し,強くありなさい。彼らの前で恐れたり,うろたえたりしてはいけない。あなたの神エホバが共に進んで行かれるからである。あなたを見捨てたり,全く見放したりはされない」。(申 31:6)エホバの後ろ盾により,ヨシュアは神の民を約束の地に導き入れ,敵すべてに勝利することができました。モーセもそれ以前に,紅海で神からの同様の支えを経験しました。―出 14:13,14,29-31。
10. 苦難によって身体的な健康が脅かされる時,どんなことが助けになりますか。
10 苦難となる出来事によって身体的な健康が脅かされることもあります。適切な食事,十分な休息と運動,清潔さを保つことは,もちろん効果があります。聖書に基づく霊的に健全な見方も,体に良い影響を及ぼします。ですから,苦しんでいる時には,パウロの経験や次の励みとなる言葉を思いに留めるのはよいことです。「わたしたちは,あらゆる面で圧迫されながらも,動きが取れないほど締めつけられているわけではなく,困惑させられながらも,逃れ道が全くないわけではなく,迫害されながらも,見捨てられているわけではなく,倒されながらも,滅ぼされているわけではありません」。―コリ二 4:8,9。
11. どうすれば霊的な病を治せますか。
11 試練のために,霊的な健康に悪影響が及ぶこともあります。この場合も,エホバは救いの手を差し伸べてくださいます。み言葉はこう保証しています。「エホバは倒れてゆくすべての者を支え,かがんでいるすべての者を立ち上がらせておられます」。(詩 145:14)霊的な病を治すには,クリスチャンの長老の助けを求めなければなりません。(ヤコ 5:14,15)また,永遠の命という聖書の希望を常に思いに留めることも,信仰の試みの際に支えとなります。―ヨハ 17:3。
神から慰められた人たち
12. エホバはどのようにアブラハムを慰めましたか。
12 ある詩編作者は霊感を受けてこう語りました。「あなたの僕に対する言葉を思い出してください。あなた[エホバ]はそれをわたしに待ち望ませたのです。これが苦悩のときのわたしの慰めです。あなたのみことばがわたしを生き長らえさせたからです」。(詩 119:49,50)今日,わたしたちは書き記されたエホバの言葉を手にしており,そこには神から慰められた人たちの例が多く載っています。例えば,アブラハムはエホバがソドムとゴモラを滅ぼすと聞いた時,かなり苦悩したと思われます。この忠実な族長は神に,「あなたはほんとうに義人を邪悪な者と共にぬぐい去られるのですか」と尋ねました。エホバは,ソドムに義人が50人でもいるなら滅ぼさないと述べて,アブラハムを安心させます。しかし,アブラハムはさらに5回も尋ねます。義人が45人,40人,30人,20人,10人ならどうでしょうか。その都度,エホバは非常に辛抱強く親切に,滅ぼさないと言って安心させました。結局,義人は10人もいませんでしたが,エホバはロトと娘たちを保護されました。―創 18:22-32; 19:15,16,26。
13. ハンナはどのようにエホバに依り頼みましたか。
13 エルカナの妻ハンナは,子どもを持つことを切に願っていました。しかし,うまずめだったため苦悩していました。そのことについてエホバに祈ると,大祭司エリから「イスラエルの神が,……その請願をかなえてくださるように」と言われました。慰められたハンナの「顔はもはや自分のことを気遣っているようでは」ありませんでした。(サム一 1:8,17,18)ハンナはエホバに依り頼み,確信を抱いて物事をみ手にゆだねました。どんな結果になるかは分かりませんでしたが,心の平安を味わいました。やがて,エホバは祈りにお答えになり,ハンナは妊娠し,生まれた息子をサムエルと名づけました。―サム一 1:20。
14. ダビデが慰めを必要としたのはなぜでしたか。だれに慰めを求めましたか。
14 古代イスラエルの王ダビデも,神から慰められた人です。エホバは「心がどうかを見る」方であり,ダビデが誠実で真の崇拝に熱心だったので,将来の王としてお選びになりました。(サム一 16:7。サム二 5:10)しかし,後にダビデはバテ・シバと姦淫を犯し,その夫が死ぬように事を運んで罪を隠そうとしました。罪の重大さに気づいた時,エホバにこう祈ります。「あなたの豊かな憐れみにしたがって,わたしの違犯をぬぐい去ってください。わたしのとがからわたしを完全に洗い,わたしの罪からわたしを清めてください。わたしの違犯はわたし自身が知っており,わたしの罪は絶えずわたしの前にあるからです」。(詩 51:1-3)ダビデは真に悔い改めたので,エホバから許されました。もちろん,悪行の結果を刈り取らなければなりませんでした。(サム二 12:9-12)それでも,エホバの憐れみのおかげで,謙遜な僕ダビデは慰めを得たのです。
15. イエスが亡くなる少し前,エホバはどんな助けをお与えになりましたか。
15 イエスは地上にいた時,多くの試練に直面しました。神はイエスがそうした信仰の試みを受けるのをお許しになり,イエスは完全な人として忠誠を保ちました。常にエホバに依り頼んで神の主権を擁護したのです。裏切られて処刑される少し前に,「わたしの意志ではなく,あなたのご意志がなされますように」と祈りました。すると,み使いが現われてイエスを強めました。(ルカ 22:42,43)神はイエスが必要としていた慰めと力と支えをお与えになりました。
16. 忠誠を保つゆえに死の危険に面するとき,エホバはどのように助けてくださいますか。
16 わたしたちも,クリスチャンとして堅く立つゆえに死の危険に面することがあるかもしれません。それでもエホバは,忠誠を保てるように助けてくださいます。復活の希望という慰めもあります。そして,最後の敵である死が「無に帰せしめ」られる時をわたしたちは心待ちにしています。(コリ一 15:26)亡くなった忠節な僕は,他の人たちと共にエホバの完全な記憶にとどめられており,将来復活します。(ヨハ 5:28,29。使徒 24:15)復活というエホバの約束を確信しているなら,迫害に遭っても慰められ,希望を抱けます。
17. 愛する人を亡くした人に,エホバはどんな慰めを差し伸べておられますか。
17 人類共通の墓で眠る亡くなった愛する人に,すばらしい新しい世で再び生きる見込みがあるというのは,何という慰めでしょう。その時には,今ある苦難はすべてなくなります。また,この邪悪な事物の体制の終わりを生き残る,エホバの僕の「大群衆」には,地上に復活してくる人たちを迎えて教えるという大きな特権があります。―啓 7:9,10。
神のとこしえのみ腕による支え
18,19. 迫害された神の僕たちは,どのように慰めを得てきましたか。
18 モーセは,イスラエルの民に向けた心温まる力強い歌の中でこう言っています。「いにしえからの神は隠れ場であり,その下には定めなく保つみ腕がある」。(申 33:27)後に預言者サムエルはイスラエル人にこう告げました。「エホバに従うのをやめてはなりません。あなた方は心をつくしてエホバに仕えなければなりません。……エホバはその偉大なみ名のためにご自分の民を捨て去ることはされないのです」。(サム一 12:20-22)真の崇拝においてエホバに固く付く限り,決して見捨てられることはありません。エホバは必要な支えをいつでも与えてくださいます。
19 この危機的な終わりの日に,神はご自分の民に必要な助けと慰めを確実に与えておられます。100年以上にわたり,世界各地の数多くの兄弟たちが,エホバに仕えているという理由で迫害されたり投獄されたりしてきました。そうした兄弟たちの経験は,試練の時にエホバが慰めてくださることの証拠となっています。例えば,旧ソ連のある兄弟は信仰ゆえに収容所で23年の刑に服しました。それでも,霊的な食物を幾らか得ることができ,おかげで強められ慰められました。「長い年月にわたって,神に依り頼むことを学び,エホバから力をいただきました」と語っています。―ペテロ第一 5:6,7を読む。
20. エホバはわたしたちを見捨てないと,どうして確信できますか。
20 どんな状況に直面するとしても,詩編作者の述べた『エホバはご自分の民を見捨てない』という慰めの言葉を思いに留めるのはよいことです。(詩編 94:14)わたしたちはだれしも慰めを必要としていますが,他の人を慰めるという大きな特権もあります。次の記事では,問題の多い世で嘆き悲しむ人たちをどのように慰められるかについて考えます。
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『嘆き悲しむすべての者を慰める』ものみの塔 2011 | 10月15日
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『嘆き悲しむすべての者を慰める』
『エホバがわたしに油をそそぎ,嘆き悲しむすべての者を慰めるようにされた』。―イザ 61:1,2。
1. イエスは嘆き悲しむ人に何を行ないましたか。なぜですか。
イエス・キリストは,「わたしの食物とは,わたしを遣わした方のご意志を行ない,そのみ業をなし終えることです」と言いました。(ヨハ 4:34)そして,神からの割り当てを果たす際,み父のすばらしい特質を反映しました。そうした特質の一つは,人々への偉大な愛です。(ヨハ一 4:7-10)使徒パウロは,エホバを「すべての慰めの神」と呼んで,その愛の一つの表われに注意を引いています。(コリ二 1:3)イエスは,イザヤの預言で予告されていた事柄を行なうことにより,そのような愛を示しました。(イザヤ 61:1,2を読む。)ナザレの会堂でその預言を読み上げ,自分に当てはめました。(ルカ 4:16-21)宣教の間ずっと,嘆き悲しむ人を愛情深く慰め,励ましと安らぎを与えました。
2,3. キリストの追随者が人々を慰めるべきなのはなぜですか。
2 イエスの追随者は皆,嘆き悲しむ人を慰めることにより,イエスに倣わなければなりません。(コリ一 11:1)パウロも,「互いに慰め,互いに築き上げることを,……続けてゆきなさい」と述べています。(テサ一 5:11)特に今は「対処しにくい危機の時代」なので,人々を慰める必要があります。(テモ二 3:1)世界のどこでも,誠実な人たちはますます,他の人の言動によって悲しみや心痛を味わうようになっています。
3 聖書預言のとおり,この邪悪な事物の体制の終わりの日において,多くの人が「自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,裏切る者,片意地な者,誇りのために思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者」となっています。『邪悪な者とかたりを働く者とはいよいよ悪に進んで』おり,そうした態度はかつてないほど深刻です。―テモ二 3:2-4,13。
4. 今の時代,世界はどんな状態になっていますか。
4 こうした状況は驚くには当たりません。神の言葉ははっきりと,「全世界が邪悪な者の配下にある」と述べているからです。(ヨハ一 5:19)「全世界」には,政治,宗教,商業,そして宣伝媒体が含まれます。悪魔サタンはまさに,「世の支配者」,「この事物の体制の神」です。(ヨハ 14:30。コリ二 4:4)サタンは自分に残された時が短く,やがてエホバから除き去られることを知って,大きな怒りを抱いているため,地球の状態は悪化の一途をたどっています。(啓 12:12)エホバが間もなくサタンとその邪悪な体制に対して辛抱するのをやめ,サタンの提起したエホバの主権に関する論争が解決される,という知らせは大きな慰めです。―創 3章。ヨブ 2章。
世界中で良いたよりが宣べ伝えられている
5. 伝道活動に関する預言は,この終わりの日にどのように成就していますか。
5 人類史の中でもとりわけ困難なこの時代に,イエスの次の予告が成就しています。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタ 24:14)神の王国に関するこの全地球的な伝道活動は,かつてない規模で行なわれています。現在,世界の10万7,000を超える会衆に交わる750万人以上のエホバの証人が,イエスの伝道の主題であった神の王国について宣べ伝えています。(マタ 4:17)現代の伝道活動により,嘆き悲しむ人たちは大いに慰められています。この2年間で,合計57万601人もの人がバプテスマを受けてエホバの証人になったのです。
6. わたしたちの伝道活動の規模について,あなたはどう思いますか。
6 この伝道活動がいかに大規模であるかは,現在エホバの証人が聖書に基づく出版物を500以上の言語で翻訳し配布していることからもよく分かります。このようなことは人類史上,例がありません。エホバの組織の地上の部分の存在,働き,発展は,まさに驚異的です。神の強力な聖霊の導きと助けがなければ,サタンの支配下にある世では不可能なことです。良いたよりが人の住む全地で宣べ伝えられているので,嘆き悲しむ人たちが王国の音信を受け入れ,わたしたちと同じように聖書からの慰めを得ています。
仲間の兄弟たちを慰める
7. (イ)エホバが今あらゆる苦難を取り除いてくださることを期待できないのはなぜですか。(ロ)迫害や患難を耐え忍ぶことができると言えるのはなぜですか。
7 この世には悪と苦しみがあふれているので,苦難に直面することは避けられません。神が事物の体制を滅ぼすまでは,不幸や悲しみの原因すべてが取り除かれることは期待できません。予告されていた迫害により,エホバの宇宙主権を擁護するわたしたちの忠誠は攻撃にさらされます。(テモ二 3:12)しかし,天の父からの助けと慰めによって,古代テサロニケのクリスチャンのように,忍耐と信仰をもって迫害や患難を乗り越えることができます。―テサロニケ第二 1:3-5を読む。
8. エホバがご自分の僕たちを慰めることは,聖書中のどんな例から分かりますか。
8 エホバはご自分の僕たちに,必要な慰めを必ずお与えになります。例えば,預言者エリヤは邪悪な王妃イゼベルに命を狙われた時,勇気を失って逃亡し,死にたいとまで言いました。それでもエホバはとがめたりせず,エリヤを慰め,預言者の務めを果たせるよう勇気を授けました。(王一 19:1-21)エホバがご自分の民を慰めることは,1世紀のクリスチャン会衆に起きた事柄からも分かります。一例として,「会衆はまさに,ユダヤ,ガリラヤ,サマリアの全域にわたって平和な時期に入り,しだいに築き上げられていった」という記述があります。また,「エホバへの恐れと聖霊の慰めのうちに歩みつつ,人数を増していった」とも記されています。(使徒 9:31)わたしたちも「聖霊の慰め」を得られることに心から感謝できます。
9. イエスについて学ぶことから慰めを得られるのはなぜですか。
9 クリスチャンは,イエス・キリストについて学び,その足跡に従って歩むことにより,慰めや安らぎを得ています。イエスはこう言いました。「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきは心地よく,わたしの荷は軽いのです」。(マタ 11:28-30)人を築き上げるイエスの接し方を学んで手本に倣うことは,ストレスの軽減に大いに役立ちます。
10,11. 会衆内で,だれが慰めを与えられますか。
10 仲間のクリスチャンからも慰めを得られます。例えば,苦難に直面したとき,会衆の長老はどのように助けてくれるでしょうか。弟子ヤコブはこう書いています。「あなた方の中に[霊的に]病気の人がいますか。その人は会衆の年長者たちを自分のところに呼びなさい。そして,……自分のために祈ってもらいなさい」。このとおりにするなら,どうなりますか。「信仰の祈りが病んでいる人をよくし,エホバはその人を起き上がらせてくださるでしょう。また,その人が罪を犯したのであれば,それは許されるでしょう」。(ヤコ 5:14,15)会衆の他の成員も,慰めを与えることができます。
11 女性は,相手が女性だと,いろいろな問題について話しやすいものです。特に年長の円熟した姉妹は,若い姉妹に有益なアドバイスができます。これまでの人生で,同じような問題をすでに乗り越えてきたかもしれません。そうした姉妹の同情心や女性ならではの気遣いは,大きな助けになるでしょう。(テトス 2:3-5を読む。)もちろん,長老や他の人も『憂いに沈んだ魂に慰めのことばをかける』ことができ,そうすべきです。(テサ一 5:14,15)そして,「神はすべての患難においてわたしたちを慰めてくださり,……わたしたちがどんな患難にある人たちをも慰めることができるようにしてくださる」ということも覚えておくとよいでしょう。―コリ二 1:4。
12. クリスチャンの集会に出席することが肝要なのはなぜですか。
12 慰めを得る非常に重要な方法は,クリスチャンの集会に行くことです。集会では聖書について論じられ,励みが得られます。聖書には,ユダとシラスが「何度も講話をして兄弟たちを励まし,また強めた」ことが記されています。(使徒 15:32)集会の前後には,会衆の成員どうしが築き上げる会話をします。ですから,何らかの苦難で辛い思いをしているとしても,自分を孤立させないようにしましょう。そうしても状況はよくならないからです。(箴 18:1)むしろ,使徒パウロの述べた,霊感による次の助言に従うのはよいことです。「互いのことをよく考えて愛とりっぱな業とを鼓舞し合い,ある人々が習慣にしているように,集まり合うことをやめたりせず,むしろ互いに励まし合い,その日が近づくのを見てますますそうしようではありませんか」。―ヘブ 10:24,25。
神の言葉から慰めを得る
13,14. 聖書からどのように慰めが得られますか。
13 バプテスマを受けたクリスチャンであれ,神とその目的について学び始めたばかりの人であれ,書き記された神の言葉から大きな慰めを得られます。パウロはこう書いています。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。(ロマ 15:4)聖書は慰めを与え,わたしたちが「十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となる」ようにします。(テモ二 3:16,17)神の目的に関する真理を知り,将来への真の希望を抱くことは,確かに慰めとなります。ですから,慰めや様々な益をもたらす神の言葉と出版物を十分に活用しましょう。
14 イエスは聖書を用いて教えたり慰めたりすることにより,立派な模範を示しました。例えば復活後,二人の弟子の前に現われた時,『聖書をすっかり解き』ました。イエスの話を聞いた二人は,大きく心を動かされました。(ルカ 24:32)使徒パウロもイエスの優れた模範に倣って,「聖書から論じ」ました。パウロの話を聞いたベレアの人たちは,「きわめて意欲的な態度でみ言葉を受け入れ,……日ごとに聖書を注意深く調べ」ました。(使徒 17:2,10,11)聖書を毎日読んで学び,この困難な時代に必要な慰めと希望を与える出版物からも益を得るのは,まさに適切なことです。
人を慰める他の方法
15,16. 仲間のクリスチャンを助けて慰めるためにどんなことができますか。
15 様々な実際的な方法で,仲間のクリスチャンを助けて慰めることができます。例えば,高齢や病気の仲間のために買い物をしてあげられるかもしれません。用事を手伝い,個人的な関心を示すこともできるでしょう。(フィリ 2:4)愛,創意工夫,勇気,信仰といった良い特質を褒めることもできます。
16 高齢の人を慰めるために,家を訪ねて,過去の経験やエホバへの奉仕で受けた祝福について話してもらい,よく耳を傾けることができます。そうすれば,わたしたちも励ましや慰めが得られます。聖書や出版物を一緒に読むのもよいでしょう。その週の「ものみの塔」研究や会衆の聖書研究の資料を考慮することもできるかもしれません。聖書に基づくDVDを共に見たり,出版物の励みとなる経験を読んだり話してあげたりすることもできます。
17,18. エホバが忠節な僕たちを支え,慰めてくださると確信できるのはなぜですか。
17 エホバを崇拝する仲間が慰めを必要としているのに気づいたなら,個人的な祈りにその人のことを含められます。(ロマ 15:30。コロ 4:12)日々の問題に対処しつつ他の人を慰めるよう努めるなら,わたしたちは次のように述べた詩編作者と同じ信仰と確信を示せます。「あなたの重荷をエホバご自身にゆだねよ。そうすれば,神が自らあなたを支えてくださる。神は義なる者がよろめかされることを決してお許しにならない」。(詩 55:22)エホバはいつでも忠節な僕たちを慰め,支えてくださいます。
18 古代において,神はご自分の崇拝者たちにこう告げました。「わたしが ― わたしがあなた方を慰めている者なのである」。(イザ 51:12)エホバはわたしたちをも慰めてくださり,嘆き悲しむ人を慰めるわたしたちの良い行ないと言葉を祝福してくださるでしょう。わたしたちは皆,抱いている希望が天での命であれ地上での命であれ,パウロが霊によって油そそがれた仲間のクリスチャンに語った次の言葉から慰めを得られます。「わたしたちの主イエス・キリストご自身と,わたしたちを愛し,過分のご親切によって永遠の慰めと良い希望を与えてくださったわたしたちの父なる神が,あなた方の心を慰め,あらゆる良い行ないと言葉の点で,あなた方を確固たる者としてくださいますように」。―テサ二 2:16,17。
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