-
前書き満足のいく生活 ― どうすれば実現できますか
-
-
前書き
矛盾をはらんだ次の状況について考えてみてください。ある先進国において,90%以上の人は,たいへん幸せ,あるいはまあまあ幸せと感じています。ところが,その国で最も広く使われている10種類の薬のうち3種類は,うつ病に対して処方される薬です。その同じ国において,91%の人は自分の家族生活は満足のいくものであると考えています。しかしその国では,結婚の半数近くが離婚に終わっています。
実のところ,世界人口のおよそ半分に当たる18か国の人を対象にした調査によれば,「将来に対する悲観的な見方が世界の多くの地域に広がっているよう」です。ですから,じゅうぶん満足のいく生活を送っていない人が多いということは明らかです。あなたはどう思われますか。この冊子は,生活を本当に満足のいくものにするための助けとして用意されました。
-
-
満足のいく生活 ― 単なる夢物語?満足のいく生活 ― どうすれば実現できますか
-
-
第1部
満足のいく生活 ― 単なる夢物語?
先進国で,あらゆる高級品の備わった住宅を見れば,さぞかし快適で豊かな暮らしをしているように思えるでしょう。でも,家の中に入ると,どんな様子でしょうか。ぎすぎすした,重苦しい雰囲気かもしれません。十代の子どもたちは親に,「うん」とか,「べつに」とか,いかにも不機嫌そうに答えるだけです。母親は,父親に何とか注意を向けてほしいと気をもんでいます。父親のほうは,ただ煩わされたくないと思っています。この夫婦の年老いた親たちは,自分たちだけで別の場所に住んでおり,家族みんなとの団らんの時を心待ちにしていますが,息子や娘の家族とは何か月も会っていません。他方,同じようなストレスを経験していても,自分たちの問題を解決することができ,本当に幸せに暮らしている家族もあります。これはなぜだと思われますか。
2 世界の別の場所に目を向け,発展途上国に住む一家族について考えてみましょう。7人家族全員が今にも壊れそうな小屋で暮らしています。次の食事のための食料がいつ手に入るのかは分かりません。人間は飢えや貧困を世界から一掃できないでいる,という悲しい現実を思い起こさせます。それでも,明るい気持ちで貧困に立ち向かっている家族も世界には少なくありません。これはなぜでしょうか。
3 裕福な国にいても,経済的な問題は生じます。日本のある家族は,バブル経済の絶頂期に家を購入しました。将来の増収を見込んで,大型のローンを組みました。ところが,バブルがはじけると,ローンの返済ができなくなり,購入した時よりもずっと安い値段で家を手離さねばなりませんでした。家族はもうその家に住んでいないのに,今も借金の返済を続けています。しかも,クレジットカードを使いすぎて支払いに苦労し,その家族の負担はさらに大きくなります。父親は競馬にお金をつぎ込み,家族はますます借金の泥沼にはまっていきます。しかし一方では,自分たちの生活を見直し,結果として幸福に暮らせるようになった家族も多くあります。どのようにしたのか知りたいと思われますか。
4 どこに住んでいても,人間関係は悩みの種となることがあり,そのために生活は満たされないものとなりがちです。職場では,陰口の的とされるかもしれず,成績を上げたためにねたまれて不当な非難を受けることもあります。いつも接する人の高圧的な態度のため,いらだちを覚えることもあります。学校では,子どもたちはいじめに遭い,嫌がらせを受け,仲間はずれにされるかもしれません。ひとり親の人であれば,その立場ゆえに他の人との関係で難しさを感じることもあるでしょう。今日,そのような問題のすべてが,多くの人の生活にストレスを増し加えています。
5 ストレスの影響は知らぬ間に蓄積され,やがて予告もなく限界に達することがあります。そのため,ストレスは忍び寄る殺し屋と呼ばれ,慢性的なストレスはじわじわと体を冒す毒とみなされてきました。「今日,ストレスやそれに起因する病気は世界のほとんどの場所で,働く人々に強い影響を及ぼしている」と,ミネソタ大学のロバート・L・ベニンガ博士は述べています。ストレスに関連した病気で米国経済には毎年2,000億㌦の損失が生じている,と言われています。ストレスはアメリカの最新の輸出品とさえ呼ばれ,英語から来た“ストレス”という語は世界の主要な言語の多くで使われています。ストレスを感じながら,予定していたことが終わらないと,自責の念に駆られるかもしれません。最近の調査によると,平均的な人で1日に2時間ほど自責の念を抱くということです。それでも,ストレスにうまく対処し,充実した生活を送っている人たちもいます。
6 どうすれば,日々直面するそのような問題に対処し,満足のいく生活を送ることができるでしょうか。ある人たちは,専門家の書いた自己啓発の本や各種の手引き書を参考にします。そのような本は信頼の置けるものでしょうか。ベンジャミン・スポック博士が著わした育児書は42か国語に翻訳され,5,000万部近く発行されてきました。同博士はかつて,「き然とした態度が取れないことは……今日のアメリカの親たちが抱える共通の問題である」と語りました。また,そのおもな責任は自分を含め専門家にあると述べ,「何でも知っているというわたしたちの態度が,親たちの自信を失わせていることに気づかなかったし,気づくのも遅すぎた」と認めました。では,『今も将来も満足のいく生活を送るため安心して従うことができるのは,だれのアドバイスだろう』と思われることでしょう。
-
-
満足のいく生活を送るための提案満足のいく生活 ― どうすれば実現できますか
-
-
第2部
満足のいく生活を送るための提案
問題に直面した時,どこに助言を求めますか。信頼の置ける友人や経験豊かなカウンセラーに相談できるかもしれません。図書館などで情報源を探すのも役立つことがあります。あるいは,長年培われた経験から学ぼうとして,東洋で「おばあちゃんの知恵」と言われているものに頼ろうとするかもしれません。どんな方法を取るにしても,問題解決の有益なヒントとなる,簡明な知恵の言葉について考えるのはよいことです。ここには適切なアドバイスが幾つかあります。あなたもそれが参考になると思われるでしょう。
「少年をその行くべき道にしたがって育て上げよ」
2 家庭生活: 不健全な影響の満ちた世の中で子どもを育てることに,不安を覚える親たちは少なくありません。次のアドバイスは助けになります。「少年をその行くべき道にしたがって育て上げよ。彼は年老いても,それから離れないであろう」。1 子どもは成長するにつれて,「行くべき道」,つまり従わねばならない一定の規準を必要とするようになります。ますます多くの専門家が,子どもに有益なルールを与えることの大切さを認めるようになっています。子どもは,親から賢明な規準を与えられると安心します。「むち棒と戒めは知恵を与える。しかし,したい放題にさせて置かれる少年はその母に恥をかかせる」2 とも述べられています。「むち棒」とは親の権威を指しており,子どもが道から外れないようにするため,親が愛情を込めて用いるべきものです。そのような権威の行使には,どのような形にせよ,子どもを虐待することは含まれていません。親たちは,こう勧められています。「父たちよ,あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」。3
「あなた方一人一人も……自分を愛するように妻を愛しなさい」
3 夫婦間のよい関係は幸せな家庭の基盤です。そのような関係を築くのに何が必要でしょうか。「あなた方一人一人も,それぞれ自分を愛するように妻を愛しなさい。一方,妻は夫に対して深い敬意を持つべきです」。4 愛と敬意は,家族が機能するうえで潤滑油の役目を果たします。「内密の[または,親密な]話し合いのないところには計画のざ折があ(る)」5 ので,上の助言を生かすためにコミュニケーションは欠かせません。コミュニケーションによって心を通わせるには,配偶者の内面の感情を知ろうと努力し,相手の本当の気持ちをくみ取る必要があります。次の言葉を銘記するのは賢明です。「人の思いは井戸の水のように深いところにあるとしても,賢い人はその人からそれをくみ取る」。6
積極的な見方をして,自分のほうから進んで心温まる人間関係を築くよう努める
4 かつては親孝行が当たり前であった国においても,年配の人が子どもから顧みられず,晩年にとても寂しい思いをすることがあります。子どもの立場の人がこれらの知恵の言葉を考慮するのはよいことです。「あなたの父と母を敬いなさい」。7「ただ年老いたからといって,あなたの母をさげすんではならない」。8「父をむごく扱い,母を追い払う者は,恥ずべきことを行ない,卑しむべきことを行なう子である」。9 一方,親の立場の人は,年を取ったとしても積極的な見方をして,自分のほうから進んで心温まる人間関係を築くよう努めることが大切です。「自分を孤立させる者は利己的な願望を追い求める。その者はあらゆる実際的な知恵に逆らって突き進む」。10
5 飲酒: 確かに,「ぶどう酒は命を歓ばせ」,11 アルコール飲料を飲むと「もう自分の難儀を思い出さ(ない)」12 ということもあります。とはいえ,「ぶどう酒はあざける者であり,酔わせる酒は騒がしい。それによって迷い出る者はみな知恵がない」13 と言えます。飲み過ぎの影響を考えてください。「それ[ぶどう酒]は終わりには蛇のようにかみ,まむしのように毒を分泌する。あなたの目は奇妙なものを見,あなたの心はゆがんだことを話す。……『わたしはいつ目覚めることだろう。わたしはさらにそれをもう少し求めるであろう』」。14 節度のある飲酒には益があるかもしれませんが,乱用は常に避けなければなりません。
6 金銭の管理: 手持ちのお金を賢明に管理することによって,金銭の問題を防げる場合があります。どうぞ次の助言に注意を払ってください。「ぶどう酒を多量に飲む者や,肉をむさぼり食う者の仲間に加わってはならない。酔いどれや貪欲な者は貧困に陥り,眠気はただのぼろ切れを人にまとわせるからである」。15 賭け事の習慣だけでなく,アルコールや麻薬の乱用も避けるなら,家族を健全な仕方で扶養するためにお金を用いることができます。もっとも,収入の範囲内で生活することができず,ただ借金を返済するために懸命に働く人も少なくありません。ローンの利子を支払うため,さらに融資を受ける人さえいます。「無価値なものを追い求めている人は貧困に飽き足りる」16 という知恵の言葉は参考になるでしょう。こう自問できます。『自分が買いたいと思う物は本当に必要だろうか。数回使っただけで押し入れに眠っている物がどれほどあるだろうか』。あるコラムニストは,「人間の必需品はわずかだが,欲しい物には限りがない」と書いています。次のような知恵の言葉もあります。「わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともでき(ません)。ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです。……金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根(です)。ある人たちはこの愛を追い求めて……多くの苦痛で自分の全身を刺したのです」。17
7 勤勉であることは,金銭の問題を解決するうえで大きな助けになります。「怠惰な者よ,ありのところへ行け。そのやり方を見て,賢くなれ。……もう少し眠り,もう少しまどろみ,もう少し手をこまぬいて横たわる。すると,あなたの貧しさは浮浪者のように……必ずやって来る」。18 注意深い計画や現実的な予算を立てることも役立ちます。「あなた方のうちのだれが,塔を建てようと思う場合,まず座って費用を計算し,自分がそれを完成するだけのものを持っているかどうかを調べないでしょうか」。19
「あなたは自分の仕事に熟練した人を見たか」
8 しかし,自分に落ち度がないのに貧困を経験する場合はどうでしょうか。例えば,経済的な激変が生じて,一生懸命働く意欲があるのに失業するかもしれません。あるいは,最低限の生活を維持するのも難しい地域で生活しているかもしれません。そのような場合,どうしたらよいでしょうか。「金が身の守りであるように,知恵も身の守り(である)。しかし知識の利点は,知恵がそれを所有する者たちを生きつづけさせることにある」20 と述べられています。また,「あなたは自分の仕事に熟練した人を見たか。その人は王たちの前に立(つ)」21 というアドバイスを考慮してください。職に就くのに役立つ技術を身に着けられるでしょうか。
「いつも与えなさい。そうすれば,人々はあなた方に与えてくれるでしょう」
9 次に挙げるアドバイスは矛盾しているように思えるかもしれませんが,実際にはたいへん効果的です。「いつも与えなさい。そうすれば,人々はあなた方に与えてくれるでしょう。……あなた方が量り出しているその量りで,今度は人々があなた方に量り出してくれるのです」。22 これは見返りを期待して与えるという意味ではありません。むしろ,「寛大な魂は自分も肥え,他の者に惜しみなく水を注ぐ者は,自分もまた惜しみなく水を注がれる」23 ともあるように,寛大な精神を培うことが勧められています。困窮している時にも物を分け合うなら,与える精神が促進され,やがては自分にとっても益となるでしょう。
10 人間関係: ある賢い王は次のような観察を述べました。「わたし自らすべての骨折りと業におけるあらゆる熟練とを見た。それが互いに対する対抗心を意味するのを。これもまたむなしく,風を追うようなものである」。24 対抗心に駆られて賢明でない行動を取る人は少なくありません。ある人は,近所の人が32インチのテレビを手に入れたことが分かると,すぐさま36インチのテレビを買いに行きます。自分の家の27インチのテレビはよく映り,何の問題もないのにそうするのです。そのような対抗心は,ちょうど風を追うように,つまり当てもなくあちこちを駆け回るように,全くむなしいものです。そうではないでしょうか。
強い怒りの感情にどう対処できますか
11 他の人から言われたことで腹立たしくなることがあるかもしれません。でも,次のアドバイスを考慮なさってください。「自分の霊にせき立てられて腹を立ててはならない。腹立ちは愚鈍な者たちの胸に宿るからである」。25 確かに,憤りを感じるのがもっともなこともあります。古代の一著述家は,「憤っても」とそのことを認めたうえで,「罪を犯してはなりません。あなた方が怒り立ったまま日が沈むことのないようにしなさい」26 と述べました。しかし,強い怒りの感情にどう対処できるでしょうか。「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違犯をゆるすのはその人の美しさである」27 とあります。洞察力が必要です。『あの人はなぜあのように行動したのだろう。酌量すべき事情があったのだろうか』と自問できるかもしれません。怒りに対処するため,洞察力のほかにも培うことのできる特質があります。「優しい同情心,親切,へりくだった思い,温和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい。……しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」。28 そうです,愛によって,人間関係の数々の問題を解決できるのです。
12 とはいえ,平和な人間関係を保つ上で妨げとなる「体の小さな部分」があります。それは,舌です。次の言葉はまさに真実です。「舌は,人類のだれもこれを従わせることができません。御しがたい,有害なものであって,死をもたらす毒で満ちています」。29 また,次のアドバイスも確かに心を留めるに値します。「すべての人は,聞くことに速く,語ることに遅く,憤ることに遅くあるべきです」。30 もっとも,舌を用いる際に,表面的な平和を保とうとして,一部だけ真実な言葉を語るというやり方をしないよう注意する必要があります。「ただ,あなた方の“はい”という言葉は,はいを,“いいえ”は,いいえを意味するようにしなさい。これを越えた事柄は邪悪な者から出るのです」。31
13 どうすれば他の人との健全な関係を保てるでしょうか。指針となる次の原則があります。「自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも目を留めなさい」。32 そうするならば,多くの人々から黄金律と呼ばれる,次の言葉に従って生活することになります。「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」。33
14 ストレス: ストレスに満ちたこの世の中で,どうすれば感情的なバランスを保てるでしょうか。「喜びに満ちた心は顔色をよくするが,心の痛みのゆえに打ちひしがれた霊がある」34 とあります。自分が正しいと思うことを他の人が無視するのを見ると,「喜びに満ちた心」をとかく失いがちです。次の言葉を覚えておくとよいでしょう。「義に過ぎる者となってはならない。また,自分を過度に賢い者としてはならない。どうして自分の身に荒廃をもたらしてよいであろうか」。35 さらに,生活上の思い煩いで絶えず悩まされることもあります。そのような時は,どうしたらよいでしょうか。「人の心の煩い事はこれをかがませ,良い言葉はこれを歓ばせる」36 という言葉を思い出してください。「良い言葉」,つまり自分を元気づけてくれる,思いやりのある言葉を思い巡らすとよいかもしれません。がっかりさせられるような状況に置かれても積極的な態度を取るのは,健康の面でも良いことです。「喜びに満ちた心は治療薬として良く効き(ます)」。37 他の人が気にかけてくれないように感じて気落ちする時は,次の原則を実践してみてください。「受けるより与えるほうが幸福である」。38 積極的であるよう心がけるなら,日々のストレスに対処することができます。
15 これまでに取り上げた知恵の言葉は,21世紀に生きるわたしたちに役立つと思われますか。確かに,それらは古い書物である聖書の中の言葉です。では,ほかにも知恵の源となるものがいろいろあるのに,聖書に注意を向けるのはなぜでしょうか。聖書に収められている原則は時の試練を経てその価値が証明されてきた,というのが一つの理由です。例として,女性解放運動にかかわっていた康浩さんと香代子さんのことを取り上げましょう。二人が結婚したのは,香代子さんが康浩さんの子どもを身ごもったからです。ところが,経済的な問題と性格の不一致を理由に,間もなく離婚してしまいました。後日,二人ともエホバの証人と聖書の勉強を始めましたが,相手が勉強していることは知りませんでした。やがて,互いに相手の生活がかなり変化したことに気づくようになりました。二人はもう一度結婚することにしました。問題の全くない生活を送っているというわけではありませんが,今では生活の指針となる聖書の原則がありますし,譲り合うことによって問題を解決しています。エホバの証人の間では,聖書の原則を生活に当てはめて良い結果を得た幾つもの例が見られます。エホバの証人の集まりの一つに出席し,聖書に従って生活しようと努力している人々と知り合うのはいかがでしょうか。
16 ここに引用されたアドバイスは,啓発の宝庫とも言うべき聖書の中に無尽蔵に収められている知恵のごく一部です。あなたもその実際的な知恵を見いだすことができます。エホバの証人が喜んで聖書の原則を生活に当てはめようとすることには,幾つかの理由があります。その理由と,聖書についての基本的事実を調べてごらんになるのはいかがでしょうか。
-
-
信頼できる導きの書満足のいく生活 ― どうすれば実現できますか
-
-
第3部
信頼できる導きの書
「聖書は,人類文明と人生経験の結晶であり,比類のない本である」と,中国の広州にある中山<チョンシャン>大学発行の一雑誌は述べています。人々に大きな影響を与えた,18世紀の哲学者イマヌエル・カントは,「人々のための本としての聖書の存在は,人類がこれまで経験した中で最大の益となった。聖書の価値を低めようとする試みはすべて……人道に背く犯罪である」と語ったとされています。アメリカーナ百科事典にはこうあります。「聖書の影響を受けているのは決してユダヤ教徒やクリスチャンだけではない。……聖書は今や倫理的,宗教的な至宝とみなされており,その尽きることのない教えは,世界的文明への期待が高まるにつれ,ますます価値あるものとなることが見込まれる」。
2 どの宗教の方でも,そのような本については多少とも知りたいと思われるのではないでしょうか。20世紀の終わりまでに,聖書は全巻またはその一部が2,200以上の言語に翻訳されました。ほとんどの人は,自分が読んで理解できる言語で聖書を手に入れることができます。活版印刷術の発明以来,世界中で推定40億冊の聖書が頒布されてきました。
3 もし聖書をお持ちであれば,それを開き,目次をご覧になってください。最初の創世記から最後の黙示録(「啓示」の書)まで,書名が記されていることにお気づきになるでしょう。聖書は実際には,約40人の人が書いた66冊の本を集めたものです。最初の部分は39冊の本から成り,一般に旧約聖書と呼ばれていますが,おもにヘブライ語で書かれたので,ヘブライ語聖書という名称が適切です。2番目の部分は27冊の本で構成され,一般に新約聖書と呼ばれていますが,クリスチャンの筆者たちがギリシャ語で書いたので,クリスチャン・ギリシャ語聖書というふさわしい名称があります。聖書は,西暦前1513年から西暦98年まで,1,600年以上の期間をかけて書き上げられました。筆者たちが編集会議を開くようなことはありませんでした。そのうちの幾冊かは同じころに何千キロも離れた別々の場所で記されました。それでも,聖書には一貫した主題があり,全体が一つにまとまっており,内部に矛盾はありません。『1,600年間にわたり40人以上の人々が,どのようにしてそれほど一貫した本をまとめることができたのだろう』と考えずにはいられません。
「神は北をむなしい所の上に張り伸ばし,地を無の上に掛けておられる」
4 聖書は今から1,900年余り前に書き終えられましたが,その内容は現代の人々の興味をそそります。一例として,聖書のヨブ 26章7節をお開きになってください。この聖句が西暦前15世紀に書かれたことを念頭に置いてください。「神は北をむなしい所の上に張り伸ばし,地を無の上に掛けておられる」と述べられています。次に,イザヤ書が西暦前8世紀に書かれたことに留意しながら,イザヤ 40章22節をご覧ください。その節にはこうあります。「地の円の上に住む方がおられ,地に住む者たちは,ばったのようである。その方は天を目の細かい薄織りのように張り伸ばしておられ,それをその中に住むための天幕のように広げ(ておられる)」。これら二つの描写から,何が思い浮かびますか。宇宙空間に『掛かっている』球体のイメージです。現代の宇宙船から送られてくる写真で,そのような様子をご覧になったことがおありでしょう。『そんなに昔の人がどうして,科学的にそれほど正確なことが言えたのだろう』と思われるのではないでしょうか。
5 聖書に関するほかの点も考えましょう。聖書は歴史的に正確でしょうか。聖書は伝説の寄せ集めにすぎず歴史的な根拠はない,と考える人がいます。イスラエルの有名な王ダビデを例として取り上げましょう。最近まで,ダビデの存在を示す根拠と言えば聖書だけでした。主だった歴史家はダビデを実在の人物として受け入れていますが,一部の懐疑的な人たちはダビデを,ユダヤ教を広めるために作られた伝説上の人物として退けようとします。事実は何を示しているでしょうか。
「ダビデの家」に言及している碑文
6 1993年,古代イスラエルの都市ダンの遺跡で,「ダビデの家」に言及する碑文が発見されました。その碑文は粉々に割れた記念碑の一部で,西暦前9世紀のものでした。その記念碑はイスラエル人に対する戦勝記念として建てられたものでした。こうして思いがけなく,聖書以外でダビデに言及する古代の史料が見いだされたのです。それは意義あることでしたか。その発見について,テルアビブ大学のイスラエル・フィンケルシュタインは,「ダビデの碑文が発見され,聖書に関する虚無的な見方は突如として崩壊した」と述べました。パレスチナでの発掘に何十年間も携わった考古学者ウィリアム・F・オールブライト教授は,かつてこう語りました。「相次ぐ発見により,細部にわたる正確さが非常に多くの点で証明され,史料としての聖書の価値に対する評価が高まってきた」。ここでも,『叙事詩や伝説などとは違って,この古い書物が歴史的にこれほど正確なのはどうしてだろうか』という疑問が生じるかもしれません。しかし,まだほかにもあります。
アレクサンドロス大王の肖像が刻まれた硬貨
7 聖書は預言の本でもあります。(ペテロ第二 1:20,21)「預言」という語を聞くとすぐに,預言者と称した人々の成就しなかった言葉のことが思い浮かぶかもしれません。しかし,先入観にとらわれることなく,聖書のダニエル 8章をご覧になってください。ダニエルはその章で,二本の角を持つ雄羊と,「一本の際立った角」を持つ毛深い雄やぎとの闘争に関する幻を描写しています。雄やぎは勝利を得ますが,その大きな角は折れてしまいます。その代わりに四本の角が生えてきます。その幻にはどのような意味がありましたか。ダニエルの記述はこう続いています。「あなたが見た二本の角のある雄羊はメディアとペルシャの王を表わしている。また,毛深い雄やぎはギリシャの王を表わしている。その目の間にあった大いなる角,それはその第一の王である。また,それが折れて,その代わりについに四本の角が立ち上がったが,彼の国から四つの王国が立つことになる。しかし,彼ほどの力はない」。―ダニエル 8:3-22。
「相次ぐ発見により,細部にわたる正確さが非常に多くの点で証明され,史料としての聖書の価値に対する評価が高まってきた」。―ウィリアム・F・オールブライト教授
8 この預言は成就したでしょうか。ダニエル書は西暦前536年ごろに書き終えられました。マケドニアのアレクサンドロス大王は,その180年後の西暦前356年に生まれ,ペルシャ帝国を征服しました。この王が,「毛深い雄やぎ」の目の間にある「大いなる角」でした。ユダヤ人の歴史家ヨセフスによると,アレクサンドロスはペルシャに勝利を収める前にエルサレムに入城した際,ダニエル書を見せられたということです。大王は,指し示されたダニエル書の預言の言葉はペルシャに関係した自分の軍事行動のことを言っている,と結論しました。また別の点として,世界史の教科書を見れば,西暦前323年のアレクサンドロスの死後にその帝国がたどった道を知ることができます。やがて4人の将軍がその帝国を支配するようになり,「大いなる角」の代わりに立ち上がった「四本の角」が,西暦前301年までに領土を四つに分割しました。『どうしてこの本は,200年もあとに起きる事柄をこれほど生き生きと正確に預言できたのだろう』と,改めて考えさせられます。
9 聖書そのものが,前述の質問にこう答えています。「聖書全体は神の霊感を受けたもので……有益です」。(テモテ第二 3:16)「神の霊感を受けたもの」と訳されるギリシャ語は,字義どおりには,「神が息を吹き込んだ」という意味です。現在わたしたちが聖書の各書に見いだす情報は,神が40人ほどの筆者の思いの中に「吹き込んだ」ものです。ここで考慮した幾つかの例 ― 科学的,歴史的,預言的な面 ― は,明らかにただ一つの結論を指し示しています。つまり,聖書という比類のない書物は,人間の知恵の所産ではなく,神を源とするものである,という点です。とはいえ,今日,聖書の著者である神の存在に疑いを抱く人は少なくありません。あなたはどう思われますか。
-
-
比類のない書物の著者満足のいく生活 ― どうすれば実現できますか
-
-
第4部
比類のない書物の著者
神を信じていると言う人は,アメリカの場合,約96%ですが,ヨーロッパやアジアの場合,その割合はずっと低くなっています。しかし,人格神の存在を信じないと公言する人が大多数を占める国においても,何らかの未知の力が物質宇宙を生じさせたという考えを受け入れる人は,かなりの数に上ります。有名な日本の教育家で一万円札にも肖像が載せられている福沢諭吉はかつて,「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」と書きました。福沢諭吉は「天」という語を使うことによって,人間を生み出したと自分が考えた自然の法則に言及していました。そのような,抽象的な「天」という考えを受け入れる人は少なくありません。ノーベル賞受賞者の福井謙一博士もその一人です。同博士は,宇宙には非常に大きな枠組み ― 宗教的な用語で言えば「神」に相当 ― があるという見方を示したものの,それを「自然の特殊性」と呼びました。
左: 福沢諭吉 右: 福井謙一
2 そのような知識人たちは,永遠性を持つ何かあるいはだれかが宇宙内のすべてのものを始動させた,と信じました。なぜでしょうか。次のことを考えてみてください。太陽は巨大な星であり,地球を100万個も収めることのできる大きさですが,天の川銀河の中ではただの小さな点にすぎません。また天の川銀河も,宇宙にある幾百億という銀河の一つにすぎません。科学的な観測によると,それらの銀河は猛スピードで互いから遠ざかっているようです。宇宙を始動させるには,膨大な起動的エネルギーが必要であったはずです。そのようなエネルギーの源は,だれまたは何だったのでしょうか。「あなた方の目を高く上げて見よ。だれがこれらのものを創造したのか」と聖書は問いかけ,次いでこう述べています。「それは,その軍勢を数によって引き出しておられる方であり,その方はそれらすべてを名によって呼ばれる。満ちあふれる活動力[英文字義,満ちあふれる起動的エネルギー]のゆえに,その方はまた力が強く,それらの一つとして欠けてはいない」。(イザヤ 40:25,26)この言葉は,「満ちあふれる活動力」の源,つまり宇宙を始動させただれかがいることを示しています。
ソンブレロ銀河
3 地球上の生物についても考えてみましょう。進化論者が唱えるように,生命はひとりでに発生したのでしょうか。生化学者マイケル・ビヒーはこう述べています。「科学は,生物の体内でどのような化学反応が起きているかを理解する面では目覚ましい進歩を遂げてきたが,分子レベルで見た生物学的システムの正確さと精密さは,その起源を説明しようとする科学の試みを全く無力にさせている。……すでに説明は得られたとか,いずれ得られると,果敢に主張する科学者は少なくないが,そのような主張の裏づけは科学の専門的文献に少しも見いだせない。さらに重要な点として,[生体分子]システムそのものの構造からすると,生命の仕組みに関するダーウィン的説明はいつまでたってもとらえ所のないままであろう,と言わざるを得ない」。
「典型的なタンパク質の折りたたみ構造は……立体ジグソーパズルになぞらえることができる」とマイケル・ビヒーは言う。しかし人体には,そのようなパズルが幾十万も含まれていると考えられる。科学者たちはそのパズルを解こうとしているが,だれがそれを設計したのだろうか
4 外部からの知的な働きかけを全く受けずに人間の生命が存在するようになった,という理論は本当に納得のいくものだと思われますか。「宇宙で最も入り組んだ物」とも言われる人間の脳を取り上げて,どのような結論になるかを考えましょう。「最も進んだ神経回路網型<ニューラル・ネットワーク>コンピューターといえども,その働きはイエバエが持つ知的性能の1万分の1ほどでしかない」と,リチャード・M・レスタク博士は言います。人間の脳はイエバエの脳よりもはるかに優れています。人間の脳は言語を学習できるようにプログラムされています。自らを修復し,プログラムを書き直し,自らの性能を高めていきます。「イエバエが持つ知的性能の1万分の1」しかない強力なスーパーコンピューターにも聡明な設計者がいることに,あなたは同意なさるでしょう。人間の脳の場合はどうでしょうか。a
5 今からおよそ3,000年前,人間が自分たちの体の構造の驚嘆すべき点を十分に理解していなかったころに,聖書筆者は人体の造りについて熟考してこう述べました。「わたしはあなたをたたえます。なぜなら,わたしは畏怖の念を起こさせるまでにくすしく造られているからです。わたしの魂がよく知っているように,あなたのみ業はくすしいのです」。この筆者はDNA分子については知りませんでしたが,次のようにも書きました。「あなたの目は胎児のときのわたしをもご覧になりました。あなたの書にそのすべての部分が書き記されていました」。(詩編 139:14,16)だれについて述べていたのでしょうか。「満ちあふれる活動力」を用いて宇宙内のすべてのものを生じさせたのは,だれでしたか。
最も進んだ神経回路網型コンピューターと,何の変哲もないイエバエとでは,どちらが知的性能の点で優れているだろうか
6 聖書の冒頭にはこうあります。「初めに神は天と地を創造された」。(創世記 1:1)この神は聖書の著者でもあり,聖書の内容はその方の霊感を受けたものです。その方は,わたしたち人間が意味深い関係を持つことのできる方としてご自分を明らかにしておられます。
a ものみの塔聖書冊子協会発行の「あなたのことを気づかう創造者がおられますか」という本の2-4章にある,さらに詳しい説明をお読みください。
-
-
神を知るようになる満足のいく生活 ― どうすれば実現できますか
-
-
第5部
神を知るようになる
助言が欲しいと思う時には,信頼できる人のところに行くのではないでしょうか。信頼できる出どころからのアドバイスであれば,すぐに益があるかどうかにかかわりなく,それに従おうという気持ちが強くなるに違いありません。聖書に見いだされる実際的な助言から本当に益を得るには,その著者である方をよく知る必要があります。あなたもその方の「友」にしていただけるかもしれないのです。―イザヤ 41:8。
イザヤ書のヘブライ語本文に出てくる神のみ名
2 だれかの友になりたいなら,その人の名前を知りたいと思うはずです。聖書の神は名前をお持ちでしょうか。その方はこう宣言しておられます。「わたしはエホバである。それがわたしの名である。わたしはわたしの栄光をほかのだれにも与えず,わたしの賛美を彫像に与えることもしない」。(イザヤ 42:8)ヘブライ語ではיהוה(右から左に読む)とつづる,「エホバ」が神のお名前です。この名前はヘブライ語聖書中に7,000回近く出てきます。神のこの名前には,「彼はならせる」という意味があると理解されています。それは,エホバが,ご自分の目的を成し遂げるために必要などんなものにでもなられることや,ご自分が創造したものを,ご自分の目的を成し遂げるために必要などんなものにでもならせることを示唆しています。さらに,ヘブライ語でこの名前は,成し遂げられる途上の行為を表わす文法上の語形になっています。このことは何を示していますか。エホバがご自分の目的が成し遂げられるようにしてこられ,今もそのようにしておられる,ということを示しています。その方は,生ける神であり,単なる非人格的な力などではありません。
3 エホバは創造者となられました。(創世記 1:1)「生ける神……天と地と海とその中のすべての物を造られた方」です。(使徒 14:15)エホバは,最初の人間夫婦アダムとエバを含め,すべてのものを創造されました。ですから,神は「命の源」です。(詩編 36:9)エホバはまた,命を支える方となられました。その点で,「決してご自身を証しのないままにしておかれたわけではありません」。というのは,「ご自分は善いことを行なって,あなた方に天からの雨と実りの季節を与え,食物と楽しさとをもってあなた方の心を存分に満たされた」からです。(使徒 14:17)アフリカやアジアには,命を授けてもらったという理由で自分の先祖を崇拝する人が大勢います。命を創造し,支えておられる方,最初の夫婦を創造して生殖力を授けた方には,なおいっそう恩義を感じるべきではないでしょうか。そうした点をよく考えると,感動して次のように言わずにはいられないでしょう。「エホバ,わたしたちの神よ,あなたは栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です。あなたはすべてのものを創造し,あなたのご意志によってすべてのものは存在し,創造されたからです」。―啓示 4:11。
4 聖書中の記述を通して,わたしたちは創造者であるエホバを知るようになり,エホバがどのような神かを理解できるようになります。聖書は,『神は愛である』ことを明らかにしています。(ヨハネ第一 4:16。出エジプト記 34:6,7)創世記から「啓示」の書まで聖書全体をお読みになれば,エホバが本当に愛の深い神であることを示す多くの記述を見いだされるでしょう。創造者について知るため,神の言葉を毎日読むことを習慣になさるのはいかがですか。聖書の内容に通じている人の助けを得ながら,聖書を注意深く学んでください。(使徒 8:26-35)そうすることによって,エホバが公正の神でもあり,悪の存在をいつまでも許されるわけではないことが分かるでしょう。(申命記 32:4)愛と公正のバランスを保つのは,人間にとって容易なことではありませんが,エホバはその知恵により,完全なバランスを保たれます。(ローマ 11:33; 16:27)エホバは全能の神であり,ご自分の目的を成し遂げるために,望むどんな事柄をも行なう力をお持ちです。(創世記 17:1)聖書の中で見つけた賢明な助言をご自分に当てはめてみてください。そうすれば,創造者についての認識はさらに深まり,その方の助言がいつでもわたしたちの益になることを実感されるでしょう。
祈りによってエホバに近づいてください
5 神に近づくための方法がもう一つあります。それは,祈りです。エホバは,「祈りを聞かれる方」です。(詩編 65:2)神は,「わたしたちが求めまた思うところのすべてをはるかに超えてなし」うる方です。(エフェソス 3:20)とはいえ,何か頼み事がある時にしかやって来ない“友”のことを,あなたならどう思われるでしょうか。それほど大切な友とは思えないでしょう。そうであれば,必要なものを神に願い求めるためだけではなく,感謝し,神を賛美するためにも,祈りの特権を用いたいと思われることでしょう。―フィリピ 4:6,7。テサロニケ第一 5:17,18。
-
-
エホバが人間を創造されたのはなぜか満足のいく生活 ― どうすれば実現できますか
-
-
第6部
エホバが人間を創造されたのはなぜか
ソロモン王は人生の意味について考察した
エホバを知るようになることは,あなたにとって何を意味しますか。とりわけそれは,多くの人々が抱えてきた,『どうして自分はここにいるのだろう』という問いの答えを見つけることを意味するでしょう。あなたもそのような疑問を抱いたことがあるのではないでしょうか。その時代の「ほかのどんな王よりも偉大」な富を所有していたある賢王も,人生の意味に関するその問いについて考察しました。(歴代第二 9:22。伝道の書 2:1-13)その王,つまりソロモンは,強大な権力,巨万の富,そしてたぐいまれな知恵を思いのままに用いることができました。ソロモンの探求の結果はどのようなものでしたか。「すべてのことが聞かれたいま,事の結論はこうである。まことの神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである」。(伝道の書 12:13)ソロモンは他の多くの人より豊かな経験を持つ人でしたから,ソロモンの達した結論は一考に値します。―伝道の書 2:12。
2 ソロモンが述べた神への恐れとは,未知の霊の力に対する病的な恐れのことではありません。それは,心から愛している人の不興を買うようなことはしたくない,という健全な怖れの気持ちです。ある人を深く愛しているなら,いつもその人を喜ばせたい,その人の感情を害するようなことは何もしたくない,と思うはずです。あなたもエホバを愛するようになるとき,エホバに対して同じような気持ちを抱くことでしょう。
3 聖書を読むと,創造者の喜ぶ事柄や嫌う事柄だけでなく,地球を創造された目的についても知ることができます。聖書はエホバを,「地を形造られた方,それを造られた方」と描写し,また,「それを堅く立て,それをいたずらに創造せず,人が住むために形造られた方」とも呼んでいます。(イザヤ 45:18)エホバは人間が住むために地を整えてくださり,人間は地と地のすべての生き物を世話することになっていました。(創世記 1:28)しかし,エホバはただ地の管理人にするという目的で人間を創造されたのでしょうか。
アダムとエバは神との意味深い関係を持っていた
4 いいえ,もっと崇高な目的がありました。最初の人間アダムは,エホバとの意味深い関係を持っていました。アダムは創造者と直接に意思を通わせることができました。アダムは,神の語ることを聞くことも,自分の思っていることをエホバに言い表わすこともできました。(創世記 1:28-30; 3:8-13,16-19。使徒 17:26-28)ですからアダムと妻のエバには,エホバをいっそうよく知り,エホバとのさらに親しい関係を培っていく壮大な機会がありました。エホバは「幸福な神」ですから,エホバを知り,エホバに見倣うことによって,二人の生活は満足のいくものとなったはずです。(テモテ第一 1:11)「わたしたちの楽しみのためにすべてのものを豊かに与えてくださる」神であるエホバは,最初の人間をエデンの園と呼ばれるパラダイスに置き,いつまでも生き続ける見込みをお与えになりました。―テモテ第一 6:17。創世記 2:8,9,16,17。
人間の細胞についての最近の発見からどんなことが分かるか
5 いつまでもですか。永遠の命という考えを,ばかげたことと片付けてしまう人がいるかもしれません。でも,本当にそうでしょうか。科学者たちは,細胞の老化を引き起こしているものが今では明らかになってきたと信じています。テロメアと呼ばれる,遺伝物質の小さな部分が,染色体の先端に付いており,細胞が分裂するたびに短くなっていきます。細胞分裂が50回から100回繰り返されると,テロメアは消耗し,たいていの細胞はもう分裂しなくなります。しかし,最近の科学的発見は,テロメラーゼと呼ばれる酵素の助けがあれば人間の細胞は限りなく分裂を続ける可能性がある,ということを示しています。この発見は,エホバがこの特定の酵素によって永遠の命を可能にされるということを意味するものではありませんが,一つのことは確かに示しています。つまり,永遠の命という考えがばかげたものではない,ということです。
6 確かに,最初の人間夫婦がいつまでも生き続けるように創造されたという聖書の記述は,信じることのできるものです。人間はいつまでも限りなく,エホバとの関係を成長させていくことになっていました。天の父との強い絆を築き,地上の人間に対する父の目的を十分にわきまえて,それを果たしていくことになっていました。人間の生活は退屈なものとはならないはずでした。アダムとエバには,幸福で完全な子孫で地を満たすという素晴らしい見込みがありました。二人には,いつまでも行なっていくべき,充実した有意義な仕事があったでしょう。それは本当に満足のいく生活になったはずです。―創世記 1:28。
-
-
満足のいく生活 ― なかなか実現しないのはなぜ?満足のいく生活 ― どうすれば実現できますか
-
-
第7部
満足のいく生活 ― なかなか実現しないのはなぜ?
精いっぱい努力しているのに,人生に真の意味を見いだせないでいる人が多いのはなぜでしょうか。「女から生まれた人は,短命で,動揺で飽き飽きさせられます。花のように出て来ては,切り取られ,影のように飛び去って,とどまることがありません」。(ヨブ 14:1,2)人類の明るい前途を台なしにする出来事が,パラダイスにいた最初の人間夫婦に生じました。
2 人間家族が本当に幸福であるには,神との良い関係を持つことが必要です。それは人の自発心に基づくべきものであり,強制されたものではありません。(申命記 30:15-20。ヨシュア 24:15)エホバは,愛に根ざした,心からの従順と崇拝を求めておられます。(申命記 6:5)そのためエホバは,エデンの園で一つの規定を設けました。それは,心からの忠節を証明する機会を最初の人間に与えるものとなりました。「園のすべての木から,あなたは満ち足りるまで食べてよい。しかし,善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」と,神はアダムに言われました。(創世記 2:16,17)それは単純なテストでした。エホバがアダムに食べることを禁じたのは,園のすべての木のうちの,ただ1本の木の実だけだったのです。その木は,何が善で何が悪かを決める全知の創造者の権利を象徴するものでした。最初の人間アダムは,「[アダム]を補うもの」として神から与えられた自分の妻に,神のこの命令を伝えました。(創世記 2:18)アダムもエバも,神の支配のもとで生活するというこの取り決めに満足していました。感謝の気持ちから神のご意志に服し,創造者であり命の与え主である方への愛を表明していたのです。
3 そんなある日のこと,一匹の蛇がエバに話しかけ,「あなた方は園のすべての木からは食べてはならない,と神が言われたのは本当ですか」と尋ねました。エバは,『自分たちが死ぬことのないため』に,「園の真ん中にある木」つまり善悪の知識の木だけはその実を食べることを禁じられている,と答えました。―創世記 3:1-3。
4 この蛇はだれでしたか。聖書の「啓示」の書は,「初めからの蛇」について述べ,それが「悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者」であることを明らかにしています。(啓示 12:9)神が悪魔サタンを創造されたのでしょうか。いいえ,そうではありません。エホバのみ業は完全で良いものです。(申命記 32:4)この霊の被造物は自ら,「中傷する者」という意味の悪魔(Devil)に,また「抵抗者」という意味のサタンになりました。悪魔サタンは,神の地位に就きたいという「自分の欲望に引き出されて誘われ」,創造者に反逆するようになりました。―ヤコブ 1:14。
5 悪魔サタンはエバにさらにこう言いました。「あなた方は決して死ぬようなことはありません。その木から食べる日には,あなた方の目が必ず開け,あなた方が必ず神のようになって善悪を知るようになることを,神は知っているのです」。(創世記 3:4,5)サタンは,善悪の知識の木から食べるのを魅力的なことに思わせました。こう語ったも同然です。『神はあなた方から良いものを差し控えているのです。とにかくその木から食べてみなさい。そうすれば,神のようになり,何が善で何が悪かを自分たちで決められるようになるでしょう』。今日でも,サタンはこの種の論法を用いて,神に仕えさせないよう多くの人に働きかけています。『自分の好きなことをすればよい。命の与え主に対する責務など考えなくてもよい』と言うのです。―啓示 4:11。
6 その木の実はにわかに,慕わしいもの,欲しくてたまらないものになってきました。エバはその実を取って食べ,その後,夫にも勧めました。アダムは結果をじゅうぶん承知のうえで,妻の声に従い,その実を食べました。どのような結果になったでしょうか。女に対して,エホバは次のような宣告を言い渡しました。「わたしはあなたの妊娠の苦痛を大いに増す。あなたは産みの苦しみをもって子を産む。あなたが慕い求めるのはあなたの夫であり,彼はあなたを支配するであろう」。男に対しては何と言われましたか。「地面はあなたのゆえにのろわれた。あなたは,命の日のかぎり,その産物を苦痛のうちに食べるであろう。そして,それはいばらとあざみをあなたのために生えさせ,あなたは野の草木を食べなければならない。あなたは顔に汗してパンを食べ,ついには地面に帰る。あなたはそこから取られたからである。あなたは塵だから塵に帰る」。今やアダムとエバは,ただ自分たちのやり方で幸福と満足を追い求めていかなければなりませんでした。神の目的から離れて満足のいく生活を送ろうとする人間の試みはうまくいくのでしょうか。庭園のようなパラダイスを管理して,それを地の隅々にまで広げるという楽しい仕事はなくなりました。その代わりに,創造者の栄光のためではなく,ただ生きていくための退屈な骨折り仕事をすることになりました。―創世記 3:6-19。
7 最初の人間夫婦は,善悪の知識の木から食べた日に,神の目には死んだ者となり,体は死に向かって衰え始めました。二人はやがて死にましたが,その時どうなりましたか。聖書は死者の状態をこう明らかにしています。「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ者には何の意識もなく,彼らはもはや報いを受けることもない。なぜなら,彼らの記憶は忘れ去られたからである」。(伝道の書 9:5。詩編 146:4)死後も生き続ける「魂」のようなものは全くありません。罪に対する処罰は死であり,火の燃える地獄での永遠の責め苦ではありません。また,死が天でのとこしえの至福につながるわけでもありません。a
8 へこみのあるケーキ型では,へこみのあるケーキしかできないのと同じように,不完全になってしまった男女は,不完全な子孫しか生み出せませんでした。聖書はその過程を次のように説明しています。「一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がった」。(ローマ 5:12)こうして,人はみな罪のうちに生まれ,虚無に服させられています。アダムの子孫にとって生活は,挫折感の伴う,骨折り仕事のようなものになりました。では,この状況から逃れ出る道はあるのでしょうか。
a ものみの塔聖書冊子協会発行の「人は死ぬとどうなりますか」という冊子には,死者の状態に関する興味深く詳細な説明が載せられています。
-
-
満足のいく生活を取り戻すための道満足のいく生活 ― どうすれば実現できますか
-
-
第8部
満足のいく生活を取り戻すための道
人間が神の支配に反逆した結果,その生活は空虚でむなしいものになりましたが,神は人間を希望のないままにはしておかれませんでした。聖書はこう説明しています。「創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです」。(ローマ 8:20,21)そうです,神は最初の人間夫婦の子孫に希望をお与えになったのです。それは,人間が受け継いだ罪と死から自由にされるという,確かな希望でした。人間はエホバ神との親しい関係を取り戻せることになりました。どのようにでしょうか。
神は人類に,罪と死への奴隷状態から自由になるという希望をお与えになった
2 アダムとエバは罪をおかした時,満足のいく生活を地上でずっといつまでも楽しむ見込みを子孫から奪ってしまいました。二人は,正邪を自分たちで勝手に決める自由と引き換えに,自分たちの将来の家族を罪と死への奴隷状態に売り渡しました。そうした家族に生まれた子孫は,離れ小島に閉じ込められた奴隷たちに例えることもできるでしょう。そこでは冷酷な支配者たちが王として治めているのです。確かに,死は人間に対して王として支配してきました。また,人間は罪という別の王の奴隷ともなっています。(ローマ 5:14,21)そのような状態から救出できる人はだれもいないように見えます。奴隷として売ったのは彼らの先祖なのです。ところが,ある情け深い人が自分の息子を遣わし,その息子は,捕らわれになっている人々すべてを自由にするのに足りる代価を携えて来るのです。―詩編 51:5; 146:4。ローマ 8:2。
3 この例えで,奴隷たちを救い出した人はエホバ神を表わしています。自由にするための代価を携えて来た息子は,イエス・キリストです。イエスは人間になる以前から,神の独り子として存在していました。(ヨハネ 3:16)イエスはエホバのいちばん初めの創造物であり,宇宙内の他のすべての創造物は,イエスを通して存在するようになりました。(コロサイ 1:15,16)エホバはこの霊的な子の命を,奇跡的な方法で一人の処女の胎内に移されました。そのようにして,その赤子が,神の公正の条件を満たすのに必要な代価,つまり完全な人間として生まれることができるようにされました。―ルカ 1:26-31,34,35。
4 イエスはおよそ30歳になった時,ヨルダン川でバプテスマを受けました。そのバプテスマの際,イエスは聖霊,つまり神からの活動する力によって油そそがれました。こうしてイエスは,キリストになりました。キリストとは,「油そそがれた者」という意味です。(ルカ 3:21,22)イエスは地上で3年半のあいだ宣教に携わり,天の政府である「神の王国」について追随者たちに教えました。その政府のもとで,人類はエホバ神との平和な関係を再び持てるようになります。(ルカ 4:43。マタイ 4:17)イエスは,人間が幸福な生活を送るための道を知っており,幸福に関する具体的な指針を追随者にお与えになりました。聖書のマタイ 5章から7章を開いて,山上の垂訓の中のイエスの教えをお読みになるのはいかがですか。
束縛から自由にしてくれた人に対して,心から感謝するのではないでしょうか
5 イエスの生き方はアダムとは異なり,あらゆる面で神への従順を示すものでした。「彼は罪を犯(し)ませんでした」。(ペテロ第一 2:22。ヘブライ 7:26)事実イエスには,地上で永久に生きる権利がありましたが,アダムの失ったものを神に返済するために,「自分の魂をなげう(ち)」ました。イエスは苦しみの杭の上で,完全な人間としての命をなげうちました。(ヨハネ 10:17; 19:17,18,28-30。ローマ 5:19,21。フィリピ 2:8)そうすることによって,イエスは贖いを備え,人類を罪と死への奴隷状態から買い戻すのに必要な代価を支払ってくださったのです。(マタイ 20:28)自分が劣悪な環境のもとで酷使され,文字通り奴隷として暮らしている様子を想像してみてください。束縛から自由になれるように取り計らってくれた人や,あなたのために自らの命を進んで犠牲にしてくれた人に対して,心から感謝するのではないでしょうか。わたしたちが罪と死への奴隷状態から自由になり,神の宇宙的な家族に再び迎えられて,本当に満足のいく生活を送るための道は,贖いの取り決めによって初めて開かれたのです。―コリント第二 5:14,15。
6 エホバのこの過分のご親切について知り,それに感謝を抱くようになると,聖書中の知恵の言葉を自分の生活に当てはめなければならない理由がいっそう分かるでしょう。一つの例として,自分を傷つけた人を許すという,なかなか当てはめにくい原則について考えることができます。第2課で考慮したコロサイ 3章12-14節の言葉を覚えておられるでしょうか。その聖句は,だれかに対して不満の理由がある場合でもその人を許すよう勧めていました。そうするべき理由について,その文脈は,「エホバが惜しみなく許してくださったように,あなた方もそのようにしなさい」と説明しています。エホバとイエス・キリストが人類のためにしてくださったことを深く考えると,他の人からどのように傷つけられたとしても,その人を許すよう心が動かされるでしょう。その人が悔いて,謝っている場合はなおのこと,そうでしょう。
-
-
満足のいく生活を楽しむ ― 今も将来いつまでも満足のいく生活 ― どうすれば実現できますか
-
-
第9部
満足のいく生活を楽しむ ― 今も将来いつまでも
神との友情を築いていくなら,満足のいく生活を送ることができる
聖書の歴史に登場する,傑出した信仰の人アブラハムは,繁栄した都市ウルでの快適な生活を後にしました。しばらくハランに滞在した後,残りの人生を遊牧の民として過ごし,定住の地を持つことなく,天幕で生活しました。(創世記 12:1-3。使徒 7:2-7。ヘブライ 11:8-10)それにもかかわらず,こう記録されています。「アブラハムは息絶え,良い齢に達して死んだ。年老いて満ち足り(ていた)」。(創世記 25:8)アブラハムが非常に満足のいく人生を送ることができたのは,なぜだったのでしょうか。この人は,生涯中に築いた業績のゆえに満足を覚えて臨終の床に就いた,というような老人ではありませんでした。アブラハムは,神に対する際立った信仰のゆえに,後年,「エホバの友」と呼ばれました。(ヤコブ 2:23。イザヤ 41:8)創造者との間に意味深い関係を築いたからこそ,アブラハムの生活は満足のいくものとなったのです。
あなたの生活はアブラハムの生活にもまして満足のいくものとなりますか
2 今から4,000年ほど前のアブラハムと同様,あなたも神との友情を築いていくなら,有意義で満足のいく生活を送ることができます。宇宙の創造者である方の友になることなどとても無理だと思われるかもしれませんが,それは可能です。どうすれば神の友になれるでしょうか。神を知り,神を愛するようになることが必要です。(コリント第一 8:3。ガラテア 4:9)創造者とのそのような関係があれば,あなたの生活は豊かで,満足のいくものになります。
3 イエス・キリストの贖いの犠牲を進んで受け入れる人々に,エホバは幸福な生活を送るための指針を与えておられます。(イザヤ 48:17)アダムは何が善で何が悪かを自分で決めようとすることによって神に反逆した,ということを思い出してください。エホバはみ子の贖いの犠牲によって人間家族を買い取り,人間が罪と死への奴隷状態から自由になる道を備えてくださいました。とはいえ,わたしたち個人個人は,その贖いを受け入れ,善悪に関する規準を自分で定めようとするのをやめなければなりません。イエスの贖いの犠牲を受け入れる人々に神が与えておられる律法や原則に服すべきなのです。
「あなたの道をどうかわたしに分からせてください」
4 聖書の勉強を続け,聖書に述べられている原則を当てはめていくにつれ,あなたも善悪に関する神の規準の真価を認められるに違いありません。(詩編 19:7-9)また,エホバの預言者モーセと同様,神に対してこのように言いたいという気持ちになることでしょう。「今,どうか,もしわたしがあなたの目に恵みを得ているのでしたら,あなたの道をどうかわたしに分からせてください」。(出エジプト記 33:13。詩編 25:4)聖書には,今日の「対処しにくい危機の時代」に生じるさまざまな問題にしっかり対応していくうえで導きとなる原則が示されています。(テモテ第二 3:1)神の規準に対するあなたの認識が増すにつれ,エホバをさらによく知るようになり,エホバとの友情は深まっていくでしょう。
5 アブラハムは『年老いてから満ち足りて』,死にました。しかし,人が死を避けられないのであれば,人生は依然として非常にはかないものです。どれほど年を取っても,人の心の中には,生き続けたいという願いが本来備わっています。これは,「[神が]また,人間の心に永遠を置かれた」からです。それでも,「彼らは神が行なわれた事柄を始めから終わりまで推察することはできない」のです。(伝道の書 3:11,「新国際訳」[英語])たとえとこしえに生き続けるとしても,エホバの創造された物すべてについて推察することは決してできないでしょう。エホバの素晴らしいみ業の中には,人間が観察し,研究し,楽しめるものが限りなくあるのです。―詩編 19:1-4; 104:24; 139:14。
6 現在目にするような問題が地にあふれているとしたら,いつまでも生き続けることに魅力を感じないことでしょう。でも,決して心配する必要はありません。聖書にはこう約束されています。「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。(ペテロ第二 3:13)「新しい天」という語は,新しい天の政府,つまり全地を支配する神の王国を指しています。「新しい地」とは,その王国の支配に従う人々で構成される,新しい人間社会のことです。エホバはこの「新しい地」を実現させるため,「地を破滅させている」者たちに対して,間もなく行動を起こされます。―啓示 11:18。ペテロ第二 3:10。
7 その時はどれほど近づいているでしょうか。イエス・キリストは,「事物の体制の終結のしるし」の一部として,諸国家を巻き込む戦争,「そこからここへと」生じる「食糧不足や地震」,「疫病」,「不法が増す」ことなどを挙げました。(マタイ 24:3-13。ルカ 21:10,11。テモテ第二 3:1-5)そしてイエスは,「これらの事が起きているのを見たなら,神の王国の近いことを知りなさい」と預言しました。(ルカ 21:31)確かに,エホバが邪悪な者たちを滅ぼされる時は,急速に近づいています。a
8 「全能者なる神の大いなる日」にエホバが地上から悪をぬぐい去られた後,地球はパラダイスに変えられます。(啓示 16:14,16。イザヤ 51:3)そのとき,「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むで(しょう)」。(詩編 37:29)では,すでに亡くなった人々についてはどうでしょうか。イエスは次のように述べました。「このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来るのです」。(ヨハネ 5:28,29)個々の人に関心を抱かれるエホバは,死の眠りに就いている人々を生き返らせたいと思っておられます。科学者は遺伝子工学によってクローン人間を作ろうとするかもしれませんが,創造者はクローン技術を使う必要はありません。買い戻すべき人ひとりひとりの詳細な点すべてを記憶にとどめ,そのような人々を生き返らせることがおできになります。そうです,わたしたちには,亡くなった愛する家族と楽園の地で再会する見込みがあるのです。
9 パラダイスでの生活はどのようなものになりますか。声を合わせて創造者を賛美する幸福な男女で,地は満たされるでしょう。「『わたしは病気だ』と言う居住者はい(ません)」。(イザヤ 33:24; 54:13)健康に有害なストレスを経験したり,感情や精神の障害を持つようになったりする人はいません。すべての人に食物が豊富にあり,だれもが,神の目的と調和した有意義な仕事をして喜びを味わいます。(詩編 72:16。イザヤ 65:23)すべての人が,動物との平和,また仲間の人間との平和,とりわけ「神との平和」を楽しむでしょう。―ローマ 5:1。詩編 37:11; 72:7。イザヤ 11:6-9。
10 そのパラダイスに住み,心から満足のいく生活を楽しむには,何をしなければなりませんか。イエス・キリストは,「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」と言われました。(ヨハネ 17:3)ですから,これからもエホバとイエス・キリストについての知識を取り入れ,神の求めておられる事柄を学び続けてください。そうするなら,エホバ神を喜ばせることができ,それによってあなたの生活は心から満足のいくものになるでしょう。
-