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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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地域大会はどこで開けるのか
絶え間ない増加のため,地域大会のためのふさわしい施設を借りることがいよいよ難しくなりました。会館使用料は高く,多くの場合,管理者側は契約の条項を尊重しませんでした。音響設備や他の必要な装置を運んで組み立てるのは,不便なだけでなく非効率的でした。そのうえ,大きな野外スタジアムでは風雨にさらされるため,聴衆がプログラムの益に十分あずかるのは難しくなります。
こうした問題を解決するため,首都の南西部に広がる農村地域カニュエラスで土地が購入されました。コンベンション・ホールが建設されて,地域大会や他の大会のために使用されることになりました。このホールは,国内ですでに使われている四つの大会ホールを補うものとなります。
プロジェクトが始まってから6か月もしないうちに,9,400席ある広々としたコンベンション・ホールが,1995年10月に開かれる最初の地域大会のために整えられました。(ヨエ 2:26,27)この施設は1997年3月にエホバに献堂されました。統治体のケアリー・バーバーは熱意のこもった献堂の話を行ない,その翌日は大きなリバプレート競技場で開かれた特別集会にも参加しました。競技場は,国中からやって来た兄弟たち7万1,800人で一杯になりました。その中には,パタゴニアから3,000㌔の距離を旅して来た人々も含まれていました。
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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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[204ページの図版]
カニュエラスのコンベンション・ホール
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